虐殺

 二度目の冬が明けた。スヴェンランドによる封鎖が解かれるまでとの条件付きだった魔族との貿易も中止。今は法王庁他僅かな地域とのみ結ばれていた無線通信網を、カストリア中に張り巡らせる計画を立てている最中だ。

 しかし、どれだけ周囲が変化しようと、リベルタのやることはあまり変わらない。相変わらず仕事は魁の護衛。武器も弓以外を使う気など毛頭無い。

 ただ一つ変わったのは、リュドミラとの関係だ。彼女の母親を殺した手前、会話を避けている。

 魁の隣を定位置としているハルが言った。

「リュドミラ様の方はリベルタさんを避けている訳じゃないですよ。昨日も、久しぶりに会いたいなどとおっしゃっていましたし」

「会って何を話せというんだ。母親の最期が知りたいなら、当時のことは全て書面にまとめてある。――私は文字が不得手だから、代筆を介してはいるが」

「彼女はまだ君を友達だと思っている」

 魁が答えた。

「……」

 それでも気は進まなかった。リュドミラはまだ八歳だ。キュリエの死に対し、都合のいいように解釈しているだけだろう。リベルタは自分が潔白などと思っていない。この手でキュリエの首を射貫いたのは事実だ。

「あれから一日も休まず俺の護衛をしているじゃないか。君もたまには休みを取ってみたらどうだ。ずっと俺に張り付いてたって、つまらないだろ?」

 魁の提案は気に障った。休んだところで任務以外の何を考えればいいのか、さっぱり分からない。

「私が不要ならそう言えばいい。――ああ、交代の者を寄越したら帰ってやるよ。貴様の家にな」

「君でも拗ねることってあるんだな……」

「うるさいぞ」

 執政府にある魁の部屋から出て行った。すぐ隣にある宮殿に向かおうと踏み出し――やめた。

「……」

 リベルタは一旦執政府から出て、近場の菓子屋に向かう。蜂蜜入りクッキーで人気の店だ。購入した菓子を柏の葉に包ませ、執政府に戻る。向かうのは、書庫だ。

「ああ、衛士長ですか。王はどうされました?」

 一応部下ということになっている兵が尋ねてきた。リュドミラの護衛は、手練れを複数名付けている。また、ビョルンに命を狙われないとも限らないからだ。

「その王から許嫁の姫君へ贈り物だ」

 菓子を衛兵に渡すと、扉を開けて奥のリュドミラに持って行く。王女と目が合った。幼い姫は、あれから何かが目覚めたように勉強漬けの日々だ。リベルタに会いたいと口で言いつつも行動に移さないのは、そういう理由からだった。

「リベルタ! これあなたからなの!? 嬉しいわ、糖分が欲しいと思っていたところなのよ!」

 王女は書類と本の山から顔を上げ、メガネを掛けた。ほんの半年にも満たない期間だが、ずいぶんと大人びたように見える。

「違う、それはカイの――」

 言いかけたリベルタが、逃げる間もなく書庫に引きずり込まれた。

 そのまま書物を汚さないように設えられた、軽食専用のテーブルセットに座らされる。

「あれからわたくし、いろいろと勉強をしているの。古い帝王学や軍学の本から、最新の議事録まで読み漁って。一番参考になるのはカイの技術レポートね。ほんの些細な技術でも、社会に応用してみたいことがたくさんあって」

 近侍が茶を持ってくるまでの間、リュドミラは一方的にまくしたてた。ついこの間までウンコの落書きをしていた子供とは思えない。

「母上がなんで死ななければいけなかったのか、わたくしは今でも納得していない。今になっていろいろ悪い噂は耳に入ってきてるわ。わたくしが子供だから、周りが口をつぐんできたようなものが。――それでも」

 リュドミラは少し考え込むような間を置く。そして言った。

「母上と同じ目線に立って、初めてそれが分かるのだと思う。だからわたくしは母上のような知恵を付けようと思うの。国を――いえ、カストリア全体を俯瞰して見ることができるくらいの知恵を」

「……そうか」

 魁は言っていた。キュリエの遺したものを育てていこう、と。これがそういう事なのだろう。

「あなたはまだわたくしの友達よね、リベルタ?」

「ああ、そうだな」

 シェラもキュリエも、リベルタの友人は皆死んでしまった。最後に残ったこの娘だけは絶対に死なせないと、そう思った。

「ん?」

「どうしたのリベルタ?」

 曖昧な表現だが、上方に何か気配を察知した。一度味わった、強烈な印象の気配だ。

「すまん、茶は不要だ」

 書庫から出て、気配の方角へと速足で向かう。気配は魁の執務室に向かっていた。

「ヘカトンケイル……なのか? いったい何をしに現れた」



 魁はその上位魔族を見る。虚空から出した水銀色の腕で衛兵を締め上げ、堂々とアヴェノブルク王の前に姿を現したヘカトンケイルを。

「久しぶりだねえ、少年。元気してたかい? それともボクが恋しくなった?」

 自動人形オートマータ。その容姿は一年半前と一切変わっていない。乱雑に切った青い髪に、派手な赤紫色のコート。この少女が現世界最強の魔族である“石界王”などと、キュリエの紹介で無ければ信じられなかっただろう。

 音も無く表れたリベルタが、ヘカトンケイルに矢を向けた。

「動くな、狼藉物が! その男に手を出すと――」

「手を出すと? 君が嫉妬するのかな? あはははは!」

「!?」

 リベルタの身が強張り、弓の射線がぎこちなく動く。鏃の先端は、魁に向いた。

「ご主人様! ヘカトンケイルさん、一体何をしたのですか!」

 ハルが魁を庇い、射線の中央に立った。

「怖いかな? 怖いよねえ。少女たちよ、これが不自由だ。君たちは今、絶対にボクに勝てない。生かすも殺すもボク次第だ。――尤も、ボクだって相応の実力者と正々堂々と戦わねばならないという、上位魔族の不文律に縛られているようなものだけど」

 リベルタの矢がハルを避け、魁の横、机の上に突き刺さった。

「ヘカトンケイル、お前がただ遊びに来たとは思えない。俺に何か用事があるんじゃないのか?」

 魁の質問に、ヘカトンケイルは答える。

「そうだよ少年! ボクも実はかなり暇でね。君に遊ぼうと言われればスプラッターゲーでもエロゲでも喜んでやろうと思うけど、今日はそんな用事じゃないんだ。――また戦争が始まる。今度は畏れ多くも“統魔王”直々の招集だ」

「なんだと……!」

“統魔王”。それは全ての魔族を創造したとされるポルシアの頂点。魔族社会における、事実上の神だった。それが、何らかの理由で戦争を始めようとしている。

「最大の標的はこのアヴェノブルク。上位魔族も下位魔族も総動員して、人間の文明を焼き払う――『大聖戦』が始まる」

「大聖戦……」

 言われた意味が理解できなかった。魔族を総動員? 文明を焼き払う? そんなことをすれば――

「それでも世界も人間も滅びないんだよ。むしろ、大聖戦は世界を維持するために行うんだ。あくまでボクらの理屈だけれどね。君はこのディオスクリアに異物を持ち込み過ぎた。そういうことだよ」

 魔族の教義は知らないが、“統魔王”は魁の作った機械をお気に召さないらしい。

「ご主人様のせいと、そうおっしゃるんですか? それは言いがかりですよ……」

 ハルが静かに抗議する。ヘカトンケイルはへらへらと笑いながら答えた。

「だよね? 君もそう思う?」

「お前は、大聖戦とやらに反対なのか?」

 ヘカトンケイルの立場が分からなくなってきた。彼女の態度はあまりに曖昧で、掴みどころがない。

「まさか、賛成だよ? 『最終的には』って枕詞が付くけどね。だから、他の方法を提案させてもらおう」

「他の方法?」

「ボクが“統魔王”の居場所を教える。少年があの方を殺すんだ。それで、大聖戦を行う理由は消滅する。幸いにして、ボクらにもそこそこの準備期間が必要だ。まあ、四界王はじめとした一部の上位魔族は関係なく立ち塞がるだろうけど。聖戦までの間君は法王にでも直談判して戦力を整え――」

「待て待て。ヘカトンケイル、お前は魔族を裏切るのか?」

“統魔王”はヘカトンケイルたちにとって神そのものだ。それを殺す算段を教えるということは、全魔族への裏切り行為に他ならない。

「違うよ。ボクはあくまで『正々堂々と勝負する』範疇で行動しているだけだよ。デメリットなんて知ったことじゃないね。あははは!」

 見た目通りに狂っているのだろうか、この自動人形は。それとも何か深い意図があるのか。

「……悪いが、罠にしか思えない。放置すればこのアヴェノブルクに大量の敵が攻め込んでくるとしても」

「心外だなあ」

 ヘカトンケイルは肩をすくめた。そして、コートの内ポケットを漁り始める。

「でも、これを見れば君の態度も変わると思うよ?」

 取り出したのは――

「じゃーん、異世界スマホー!」

 スマートフォンだ。慣れた手つきで操作し、魁に画面を見せた。ヘカトンケイルの自撮りだ。空から、街を俯瞰した。

「この街って……!」

 ハルが驚くのも当然だった。それは地球の街並みに他ならない。ヘカトンケイルは再生ボタンをタッチし、動画を開始した。


「はーい、どーもー、ボクは今新宿に来ていまーす! イエーイ、花の大都会!」

「なんでお前が日本に!?」

 魁の叫びに関係なく、過去を映した動画は続く。

「警告! 速やかに投降してください! 現在のあなたの罪状は窃盗、公共物破壊、航空法違反、道路交通法違反、凶器等所持――」

 ヘカトンケイルの周囲を飛び回るのは、犯罪監視用のドローンだ。何かをやらかして追われているらしい。

「本当にうっとおしいね、これ! ちょっと街ごとブッ壊してやろうと思いまーす!」

 画面の脇に、巨大な銀色の腕が伸び、黒い塊が形成されていく。そして――

「マイクロブラックホール砲、発射! あはははははは!」

 新宿の街が消滅した。日本の首都、東京の中心部から、建物と人が消え去った。

「この動画がいいねと思ったら、高評価とチャンネル登録お願いしまーす。じゃーねー、ばいびー! 次の動画をお楽しみに!」


 動画は終わった。撮影者はスマートフォンを掲げながら、魁の執務室で薄笑いを浮かべている。

「ヘカトンケイル、お前は!!」

 自分でも信じられないくらいの大声で、少女の姿をした魔族を怒鳴った。大虐殺を行った彼女は言う。

「大聖戦の後は地球侵攻だ。ボクは異世界に行く手段を知っているんだよ。君がこの世界に来たようにね。数百万の魔族が地球に雪崩れ込んでくるのさ。――止めたくなってきただろ?」

「……」

 言葉が出なかった。

「……脅しているのか、俺を」

 やっと絞り出した言葉は、涸れている。

「強制されて気が進まないようなら、別の理由も用意してやるよ。――リベルタちゃん」

 身動きを封じられたリベルタを、ヘカトンケイルが呼ぶ。

「跪け」

 リベルタはがくりと、糸が切れたように床に這った。

「がっ!」

 床に叩きつけられた衝撃で、リベルタの肺から空気が漏れる。

「リベルタさんに何をするんですか!」

 ハルは怒るが、ヘカトンケイルは続ける。

「今、ボクはテックなんて使っていない。分かるかな? 下位魔族は上位魔族に逆らえないようになっている。生まれた時から植え付けられてる神の教えでね。――リベルタ、床を舐めろ。歯を立てるなよ? 丁寧にやるんだ」

 リベルタは口から唾液を垂らしながら、言われるがまま床を舐め始めた。

「やめろ! いい加減にしろよ!」

「“統魔王”を殺さない限り、ずっと彼女はこのままだよ? ボクみたいな上位魔族の意のままで、好いた男に抱かれる自由も無い。『やめろ』と言うのなら、君がこの少女の神を殺してやればいい」

 十分だった。

「分かった。俺が“統魔王”を殺す。お前の言いなりだろうが知ったことか。お前ごと、このディオスクリアから消し去ってやる。二度と俺とリベルタの目の前に、その薄汚い面を見せないように!」

「あはははは! いい返事だ少年! ボクはポルシアの奥地、“統魔王”の御座所で待っているよ! あははは、これは素晴らしい戦争になるぞ! この世界始まって以来の、最高の戦争だ! あはははははは!」

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