“軍人王”ビョルン
王都ロムスハイムは、フィヨルドを利用した城塞都市だ。切り立った崖と蛇行した湾に囲まれた城を街が囲う。カストリア北端半島の西海岸、蝶翼状をした双子大陸の外側に広がる『果て無き海』が、都市郊外の丘から見渡せた。
『果て無き』とは言うものの、実際はポルシア東海岸と繋がっているそうだ。
首都にしては交通の便が著しく悪そうだったが、昔とあるスキル使いが山にトンネルを掘っており、思いの他あっけなく到着した。
魁とハル、そして変装用ラバーマスクで人間のふりをしているリベルタは、王宮の賓客室に通された。リベルタを連れてきたのは、味方とはいえ黒砂村に残していくのが危険だと判断したからだ。
アラベスク模様の壁に囲われた部屋で、リベルタはむすっと座っていた。実際に不機嫌なのか、マスクのせいでそう見えるのかは分からない。
「それにしてもだ」
リベルタは、部屋に置かれた鏡を見ながら言う。
「貴様、やたら精密な機械は作れるくせに、他人の顔はどうしようもないな。それとも貴様の目には、他の人間が全てこう見えているのか?」
彼女の顔はぼてっとたるんだ、有体に言って醜い子供か老婆のような容姿をしている。スキル謹製のマスクは、魁の芸術的センスを反映してひどい出来だ。
「い、いや、それくらいやんないと変装の意味がないだろ?」
言い訳がましく自己弁護する。
「リベルタさん本来の顔はとてもお可愛らしいですよ。まあ、ご主人様のお好みドストライクで構成されている私の容姿が宇宙最高なのは揺らぎませんが。誇らしすぎて身悶えしてしまいますね!」
「勝手に言っていろ」
ハルに悪気は皆無だろうが、リベルタはますます不機嫌になったような気がした。
魁は御簾の前に平伏している。謁見の作法など知らないので、時代劇の真似をしているに過ぎない。
「拝謁を許す。近う寄れ」
良く反響する男の声が、御簾の奥から聞こえた。『近う寄れ』などと、実際に言われる機会があろうとは想像できなかった。御簾が女の侍従によって開かれる。魁は腰をかがめて入っていった。
「畏まらんでも良いぞ。神はスキルを平民だろうが王族だろうが等しく与えたもう。故に余も格式ばった礼法など求めておらん。汝は十分礼を尽くす部類だ」
「光栄です」
顔を上げると、望遠鏡のような帯状メガネを顔に巻いた、肥満体の男が玉座に座っていた。この男こそが大国スヴェンランドの主、ビョルン二世だ。
「“虚ろなる鉄”よ、まずは先の戦大儀であった。五万もの敵遠征軍を退けた勇壮、感じ入ったぞ。“赫獄”の戦死は手痛すぎる損失だが、その分汝に働いてもらうとしよう」
魔族軍が行った撤退は、エイリークの言葉を借りるなら『わけわかんねえ』だそうだ。戦略的にはまだ余裕があったらしい。目的である軍港の機能喪失をそこそこに、彼らはポルシアに帰っていった。断じて、魁の戦果に臆したからではない。そこはビョルン二世なりの世辞というものだろう。
「汝ならばあの“統魔王”にすら手が届くやも」
王は魁を持ち上げ続ける。しかし、そのような事より、言葉の中の聞きなれない単語が気になった。
「恐縮ですが、“統魔王”とは一体何でしょうか」
またこの世界の常識ならば、失笑されるかもしれない。だが、王は魁を笑うことなく説明する。
「魔族の創造主。二千年前に奴らを生み出し、ポルシア大陸を占拠した元凶だ。魔族との戦争の最終目的とはすなわち統魔王を打倒することである。九十年前に、“極精”のスピリスという英雄があと少しのところまで行ったのだが、上位魔族の頂点、四界王の一人と相打ちになってしまった。“赫獄”ところか“極精”の後釜が汝に務まるかな?」
そもそも、魁はこの世界での平穏な暮らし以上に望むものなど無い。励むとだけ答えておいた。
「ときに陛下、献上したい品があるのですが」
ハニカム構造を透かし彫りした鉄の箱を、従者に渡す。従者は危険が無いか確認すると、王の下へ持っていった。
「これは、メガネであるか」
真鍮と強化ガラスで作ったメガネだ。
「はい、陛下はご近眼であるとうかがったので。度が合わないようでしたら、すぐにでも調整いたしますが」
「構わん。大儀である」
玉座の脇に置き、大きな腹から息を吐く。
「して、余からも汝に与えるものがある」
「それは――」
恩赦だけではないのか。
と、背後に気配がした。振り返るのも無礼かと思い、そのまま彼の人物が魁の横で膝を付くまで待っていた。老人だ。相当の高齢に見える。ディオスクリアにおける人間の寿命は二百年。老化が始まるのは百四十歳を境になるため、推定でも百八十歳を超えている。
「正五位、ソールズが参内仕りました。ときにあなた、どなたでしたかな?」
老人、ソールズはあろうことか王に向かって妙なことを口走った。
「ビョルンだ。キュリエの夫兼スヴェンランド王などやっておる」
「あ、陛下。これはお久しゅうございます」
老いた正五位貴族、ソールズはかなり曖昧な雰囲気だった。
「“虚ろなる鉄”カイよ、このソールズの養子となることを許す。その後は貴族として、王室直轄ヨイカ領の代官を任じる予定だ」
ヨイカとは黒砂村のあるあの地方一帯の名前だ。つまり、黒砂村を拠点とする許可を正式に得たのである。
「初めまして、ソールズです。君が儂の養子なのかね? 昼食がまだなので作って欲しいんだがねえ……」
「近侍からは鯖一匹平らげたばかりと聞き及んでおるが」
自由すぎるソールズの振る舞いに、王は冷静に返す。
「あ、そうでした。陛下のおっしゃる通りでございます。カニ君、作らんでいいぞ」
「カイです。ええと……お義父様?」
初対面の義父をどう扱っていいのか分からない魁に、王が付け加える。
「ソールズは王都の屋敷でひ孫夫婦と暮らしている。都以外で汝と会うことはそう無いと思うぞ」
それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。
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