第二章 独立戦争
王使
昔々、あるところに一人の
彼はきらきらと光るお月様に憧れて、自慢の翼で月まで飛んでいこうとしました。
しかし、彼の翼でも月は高すぎて届きません。
あるとき人間がやってきて、ナイトゴーントに言いました。
「おれは魔法の引き戸を持っている。開けば月まで一足さ」
けれども魔法の引き戸は空高く、うっかり投げてそのまんま。
「それならおれの翼で空まで飛ぼう。魔法の引き戸を開けてやろう」
人間を乗せたナイトゴーントは扉を開けて、とうとう月に着きました。
二人は月の都で毎日毎日どんちゃん騒ぎ。
歌や物語を楽しんで、丸い月を一巡り。
白く光る月の石、宝物を両手に抱え、いよいよディオスクリアに帰るとき。
引き戸を通った人間は、宝物に目がくらみ、ナイトゴーントをわっと驚かしました。
驚いたナイトゴーントは人間ごと宝物を振り落とし、後には歌と物語だけが残りましたとさ。
語り終えた少女の黒い顔は、少し興奮していた。
「どう思う、リベルタ?」
「どう思うって……」
リベルタと同じダークエルフの少女は陣幕の中、同じ古布にくるまっている。ポルシア大陸北部、『苔生す平原』は不毛な極寒の地だ。雪解けの後とはいえ、夜は凍死しかねない気温になる。こうしてくっついて過ごしているのも、そうしなければ死んでしまうためである。
「なんで月から出てきたんだって思うよ。そんなにいい場所なら、こんなろくでもない世界に戻ってこなければ良かったのに。戻ってこなけりゃ、その人間とだっていつまでも上手くやれたんだ。――シェラは色々な話を知ってるな」
「私も、リベルタの斬新な感想を聞くのは楽しいよ。この話、本来は強欲な人間を見下すための寓話だと思うんだけどね」
リベルタとシェラは、半年前に戦場で知り合った。リベルタの方が九年も長く戦場で生活していたが、元より最底辺のダークエルフには先輩後輩も無関係だ。
シェラはダークエルフの割には博識だった。生まれてこの方二十年間、名前すら持たなかったダークエルフの兵士に、リベルタという名前も与えてくれた。『自由』という意味だそうだ。最初は嫌味と思ったが、慣れれば存外耳触りが良い。
「勝てるかな、この戦争」
シェラが言った。
人間側の軍には、五百年に一人の英雄と謳われる“極精”のスピリスがいる。カストリアからポルシアに上陸、挑みかかる上位魔族を次々と殺しながら、ここまで進撃してきた。魔族にとっての創造主である“統魔王”の御座所にまで攻め込まんばかりの勢いだ。
「スピリスを殺したら勝てるさ」
「リベルタが倒せばいいのに。リベルタの弓は誰よりも強いんだから。そしたら大手柄で、一気に出世して大将軍にだってなれるよ」
シェラは博識な割に、夢見がちなことを言う子だった。想像や物語が好きなのだ。
「そしたらシェラが副将軍だ。――でも、そんなことより私は、月に行きたいな」
シェラは次の日の戦闘で死んだ。“石界王”と“極精”の頂上決戦。余波を避けるための退却中に、落雷が直撃して即死だった。
「ご主人様ー、お白湯でございまーす! あ、お客様もどうぞ」
ハルが木製の杯を運んできた。素朴な器と対照的に、部屋の内壁は赤みを帯びた無機質。“ファクトリー”スキルで建造した、鉄交じりのセラミック製住宅だ。
同質素材の長い机を挟んで向かい側、魁と同年代程度の男が仏頂面で座っている。見た目の年齢はこの世界では当てにならない。普通の人間は二百歳まで生き、老化が始まるのは百四十を過ぎてからであるためだ。
「私は結構」
黒く、ゆったりとした服の男は、王都から派遣された法務官だった。
「左様でございますか。ではご主人様だけに」
ハルは魁の正面に湯気を立てる杯を置いた。仏頂面の男は、この村では何一つ口にしたくないとでも言いたげだった。
「ありがとう、ハル」
「活力のチャージ感謝いたします! ご用がおありでしたらいつでもお呼びくださいね」
ハルが退室し、魁、法務官、村長エイリークの三人が残された。エイリークはいざとなれば助け舟を出すと豪語していたが、そもそもこういう場は苦手のようだった。
法務官がまず告げる。
「罪状、魔族の隠匿。判決、死刑」
机の上に、二枚の紙を置く。読めはしないが、一枚は先程法務官の言ったとおりのことが書いてあるはずだ。黒砂村には末端とはいえ軍の将官も駐留している。リベルタの存在は隠し通せなかった。続いて、二枚目の紙を読む。
「罪人、カイにスヴェンランド王ビョルン二世の名において恩赦を与える」
男は両の紙から顔を上げ、魁をねめつけるように見た。
「そういうことだ。異議は?」
「ありません」
許してくれると言うのならば、ありがたくそうさせてもらおう。しかし――
「貴様が王より恩赦を頂戴するにあたり、謁見の誉を授かることになった。ついては王都ロムスハイムまで貴様を連行する。正式に恩赦を賜るまで貴様は罪人なのだからな、『連行』だ。異議は……」
「ありません」
「当然だな」
法務官は塵一つない椅子から裾をはたいて立ち上がり、挨拶もなく部屋を後にする。立ち去り際、一言添えた。
「魔族の隠匿そのものは、酔狂な貴族だの大商人だのが密かにお咎めなくやっていることだ。愛玩動物としてなら、特徴的で可愛いものだろう」
「リベルタは愛玩動物じゃありません。それに、先日の戦いで命を落としました」
「そういうことにしておこう」
法務官は去った。得意先で嫌味な客に当たったと思えば楽なものだ。
エイリークと魁だけが残された。
「所詮は王が法だよ。王の役に立つスキル使いは、何やったって許される。で、まだリベルタと結婚するつもりなのか?」
「そんな必要、もう無いですよ」
エイリークは含み笑いをし、太い腕を組んだ。
「罪人だ連行だつっても形式上だ。王都旅行、楽しんできな」
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