悪女

 謁見の間を出て、ハルとリベルタの待つ部屋に戻ってきた。

「お帰りなさいませご主人様!」

 真っ先に駆け寄るハルに、静かに座ったままのリベルタ。そして――

「ええと、あなたはどちら様でしょうか」

 魁が尋ねる。そこに見知らぬ一人の貴婦人がいた。複雑な刺繍の施されたコルセットに、セルフで整えるには到底無理がある髪。貴婦人としか呼びようがない。

「どちら様? ビョルンの妻と言えば分かるかしらね」

「は、え?」

 貴婦人は扇で顔を隠しながら、静かに笑った。魁は状況が上手く呑み込めず、やっとの思いで声を絞り出す。

「王妃殿下?」

「キュリエよ、“虚ろなる鉄”さん」

 庶民とは異なり、カストリアの王族は一夫一妻制が基本と聞いている。戦争による消耗の激しい下々の者とは違い、王族が二百年の寿命で増え続けると国の中枢が一族だけで埋められてしまう。百五十代のビョルンの妻ということは、彼女もゆうに百歳は超えているはずだ。それでも尚瑞々しい美しさの女だった。スヴェンランドではあまり見ない灰色の髪も艶やかに。

「訊いてやれよ、“虚ろなる鉄”殿。王妃殿下がお供も連れずにこんな場所まで来た理由を」

「こんな場所とは失礼ね。ここも一応わたくしの家よ?」

 リベルタは王妃が相手であるにもかかわらず、普段の態度を崩そうとしない。人間の法など関係あるかという風だった。王妃は特にそれで怒る風もない。そのあたりは、夫であるビョルン二世と似通っていた。

「世間話をしに来ただけよ。――で、どうだったかしら、ビョルンと会ってみた感想は」

「とても器の大きい方だったと思います」

 それは素直な意見だった。王はあっさりと魁に恩赦を出すほどに寛大で、親しみやすい印象だった。

「ふふふ……やっぱりそう思うわよね。でも、あの男の本性は梟雄の類よ? 王族という生き物は、他者から見た己を思うままに錯誤させる習性を持っているわ。だからこそ、石の斧だの振り回していた時代から抜きん出て、子々孫々が宝石の埋め込まれた玉座に座れている」

 騙されるな、と言っているのだ。寛大に見えても、その姿は偽りであると。

「では貴様はどうなのだ? 貴様の醜聞は『広く』伝わっているぞ」

 リベルタが、魔族であることをぼかしながら問う。王妃に含むところがありそうだった。

「リ……リコリス、何か知っているのか?」

 ダークエルフのリベルタは死んだということになっている。すんでのところで、予め決めておいた偽名が出てきた。

「リベルタでしょう? 魔族軍の脱走兵。わたくしの耳を舐めない方がよろしくてよ。――まあ、わたくしにも魔族の知り合いがいるというだけなのだけれど」

 王妃はさらっととんでもないことを口走った。人間の王族が、魔族と親交がある……などと、それこそ最大級の醜聞だ。

「もしかすると、それが『醜聞』ですか?」

 王妃は首を横に振った。そしてリベルタに目配せをし、説明をせよと無言で伝えた。リベルタは、正確さには自信が無いが、と前置きして語り始める。

「この王妃殿下は弟を殺している。六十年前に旧チリヤクスク王国で起きた『青い首飾り事件』でな。スヴェンランド王ビョルン二世から、そこのキュリエ王妃の実家であるチリヤクスク王室に送られた首飾りがきっかけで、王族が次々と死んだ事件だ。結果としてチリヤクスク領は継承権を持っていたキュリエとその夫ビョルンの物に」

 つまるところ、『青い首飾り事件』の根幹はスヴェンランド側の侵略行為だ。リベルタは続ける。

「首飾りを持って行った使者はそこのキュリエで、犠牲者であるチリヤクスク王は実の弟だ。キュリエ王妃だけが無事だった」

 それは当然、王妃が仕掛けた謀略だと疑われるだろう。スキルか何かが原因の不慮の事故ならば、王妃も死んでいなければ不自然だ。

「そういうことよ。稀代の悪女キュリエ王妃と、その共犯ビョルン二世――信用するも利用するもあなた次第」

 悪女らしく、妖艶な表情を取る。このような演技力こそが王族たる資格なのだと、自らの言を補足するようだった。

「で、“虚ろなる鉄”のカイ。あなたヨイカの代官になる申し出を受けたわね」

 王も思い付きで魁の待遇を決めたわけではないだろうが、それにしても耳が早い。

「ええ、立場を考えれば破格の申し出……そう思いましたので」

 反応したのはハルだった。

「ご主人様、立身出世おめでとうございますう! うう、社会人四年目でお代官様だなんて……私今日はお女中スタイルでご奉仕いたします。帯回しもお楽しみください」

 架空のクラッカーを引っ張りながら、祝いの言葉を浴びせかける。少し楽しみだと思いつつも、魁はキュリエの言葉に耳を傾けた。

「あるいは、あの場でビョルンを殺して、スヴェンランドと正面から事を構えた方が賢明だったかもしれないわよ?」

「どういう意味でしょうか」

 謀反を唆すような言動。臣の誰かに聞かれでもすれば、途端に王妃という立場も危うくなるだろうに。

「直轄領の代官ということは、あの地で作ったものは全て王の所有物となる。あなたのスキルで作った兵器であろうともね」

 魁の“ファクトリー”スキルで作った強力な兵器が渡れば、どのような小国であろうともカストリア最高の軍事力を手にすることになるだろう(スキル使いを念頭から外せばだが)。そしてそれは、この世界のパワーバランスを著しく崩す行為だ。

「俺に作れるのは、今あの村にある機械くらいですよ。それ以上複雑なものはとてもじゃないけど作れません」

「それでいいわ。ゆめゆめ大事にすることね、あなたの“工場”を」

 もうほんの少しの試行錯誤で、現代地球の無人兵器群や量子コンピューターネットワークすら作れそうな勢いだったが、隠し通さなければならなくなった。兵器の水準で言えば第二次大戦時程度。王に対してはそれを限度として供給していかなければ、何が起こるか分かったものではない。



 魁が退出した玉座の間。ビョルン二世は近侍も下がらせて、一人押し黙っていた。目元をすっぽり覆うメガネのせいで、表情は読めない。

 真横の、魁から献上されたメガネを見やると、おもむろに叩き落とした。立ち上がり足で踏むと、レンズが爆ぜ、フレームがぐにゃりと曲がる。

「平民風情が……」

 静かに呟き、再びその肥満体を玉座に預けた。王としての演技はかなぐり捨て、幾重にも重ねた化けの皮が剥がれている。

 王族以外……貴族すらも人間とみなしていないのが彼の本性だ。急速な軍制改革を推し進めた“軍人王”。有能だが、苛烈な暴君。彼は今現在このカストリアにおいて、誰よりも王らしい王だった。

 魁に関しても、『寛大な王』への信用でがんじがらめにし、その才能をなるべく長く絞ろうという、ただそれだけの目論見しか無い。

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