王女リュドミラ

 ポルシア大陸のとある山岳地帯。おおよそ魔族すら近寄らない竪穴があった。上位魔族の住まうこのような場所は、『禁忌の地』と呼ばれる。

 そしてその場所に足を踏み入れる資格を持つ数少ない存在、上位魔族の少女は、未知の金属で埋め尽くされた竪穴を弾むように歩く。空中に渡された細い道は、来客用のものだ。穴の主には不要なものだった。

「やあ、先代! 元“石界王”、“嵐”のテュポーンよ。“千手”の当代ちゃんが遊びに来たよ!」

 ヘカトンケイルが見下ろす先には、巨大な人型の金属塊がある。黒い全身に、黄金の紋章が浮かぶ、材質不明の巨人。身じろぎし、両目が光った。その意志の光は自動人形でもゴーレムではない。統魔王によって作られた唯一無二の存在。あえて名付けるならば、鉱物系巨人族ともいうべき存在だ。

「全ては……神の導きなり」

「そうとも! 全ては神の導きだ! ボクたちに自由意志なんて無い。好いた男と肌を重ねる自由も、何も!」

 アヴェノブルクで、いまだ鬱屈とした感情を抱えながら暮らすダークエルフの少女の話も、テュポーンには何の興味も与えなかった。彼が興味を示すとすればただ一つ、戦争の話題だ。

「今年の殉死軍は運河戦線に突っ込んでソッコー壊滅だってさ。無茶な連中だよねー。上位魔族と化け物スキル使いが、昼夜問わずガチガチに殴り合ってるような場所だぜ?」

「そうか」

 二つの大陸が繋がる場所、大運河の周辺は激戦地だ。ポルシア占領から今まで、魔族と人間が一進一退の攻防を繰り広げてきた。しかし――

「ボクら四界王なら、余裕で突破できる。数多立ちふさがる、一国で最強の称号を得たような英雄どもも、有象無象に過ぎない。ああ、君を満足させたのは過去に一人、“極精”のスピリスだけだ!」

「……」

 戯曲じみて、細い渡しで踊るヘカトンケイルに、テュポーンは無言を貫いていた。

「九十年前に君はスピリスを殺した。しかし、君自身も全壊に近い損傷を負って四界王引退を余儀なくされたね。――というより、たかが人間と痛み分けになった恥から、こんな石倉に引き籠ってシコシコ修理の日々……」

「まだ、傷は癒えぬ。あるいは永劫に」

 それ程までに激しい戦いだった。テュポーンが全盛期の力を取り戻すことは、永遠に無いだろう。

「来年の殉死軍、君がやってみないか? 元四界王の参戦なんて、どこまでいけるか楽しみじゃないか。カストリア南端ジャハーンから、北端スヴェンランドまで縦断できるかもよ?」

「いるのか? 我を満足させるに足る、戦士が」

 テュポーンは死に場所を求めていた。戦いの中で、敗北の果てに死ぬ末路を渇望していた。しかし、そのような猛者はあのスピリス以外に現れまいと、諦めていた。

「いるとも!」

 ヘカトンケイルは四本の腕を広げ朗々と叫んだ。竪穴周辺に黒々とした雲が集まり、竜のような雷が落ちた。



 そして長く厳しい冬が到来し、春が訪れ、夏が過ぎ、アヴェノブルクは二度目の秋を迎えた。

 魁は広い部屋で目を覚ました。柔らかい日の光が防弾加工の曇りガラスから差し込む部屋だ。目の前には、起床を待ち構えてたハルがいる。化学繊維製のメイド服は見慣れたものだ。しかし、日本から持ち込んだものではなく、この世界で新しく製造したメイド服だった。

「おはようございます、ご主人様」

「おはよう、ハル。今朝は普通なんだな」

 毎朝何かしらのサプライズを用意しているハルには珍しい。

「ええ、ご主人様がせっかく用意してくださった服ですから。まっとうに着こなさねばメイドの名に恥じるというもの。――下はノーパンですけど」

「前言撤回だ。出掛けるまでには履いておけよ。僭称状態とはいえ、王様の側近が痴女だと困る」

 領地は未だにビョルン二世より譲られていない。こちらが勝手に独立を主張しているだけの、係争状態だ。エイリークの見立て通り、海上を中心に嫌がらせのような海賊行為を応酬する緩やかな戦争が続いている。

「歴史書に書かれてしまいますねえ。『王の従者は皆ノーパンであった。 ―アヴェノブルク建国史第一章』」

「偽史だそれは」

 勝手に色魔のような暴君にされたのではたまらない。



 護衛のリベルタを伴い、代官屋敷改め宮殿の庭園から一歩出ると、レトロな水色の車が通り過ぎた。同じような車が、隙間なく舗装された道を何台も行き交う。ついにこの一年で、車が庶民の間にも普及してしまった。一応所定の訓練課程を経なければ所持できないようには規制しているが、交通ルールなど制度が整っていないために事故が頻発している状況だ。ディオスクリア人は加護のお陰で、多少の怪我ではまず死なないのが救いだった。

「カイ、執政府の前で王妃様がうろついているが……」

 リベルタが指した方を見る。執政府と宮殿は隣接している。魁にもすぐに分かった。馴染みの護衛を伴い歩いているのは、キュリエ王妃で間違いない。

「何してるんですか、王妃」

 振り向いた王妃の顔は、心なしか普段の余裕が消えていた。

「ああ、カイ卿。リュドミラが少し目を離した隙にいなくなってしまったのよ」

「申し訳ありません、キュリエ様。担当の者は後で消しておきますので」

 護衛のフミーネが剣呑なことを言った。

「俺も探しますよ。ハルはレイフ殿下のところへ先に行っていてくれ」

「かしこまりました、ご主人様」

 魁の主な仕事は新規工場の建設、視察に精密部品の修理など。つまるところ日本でエンジニアをやっていた頃とあまり変わりが無い。それでも予定の無いときには、レイフに付いて政治家としての勉強をしていた。

「まだあまり遠くへ行っていないと思うのだけれど……」

 こうして娘の心配をするキュリエは、不謹慎だが母親そのものだ。毒婦などと陰口を叩かれる策謀の王妃と同一人物とは思えない。


 リュドミラはすぐに見つかった。まだ王妃と手分けもしていない。道路の向かい側で、菓子の屋台と格闘をしている。現金など持ってはいないが、蜂蜜クッキーは欲しい。そんな様子だった。

「リュドミラ!」

 王妃が呼びかけると、リュドミラはしばらくじっとこちらを観察する。やがて明るい顔になると、こちらに走ってきた。その進路に、車が来ていることにも気付かずに。

「姫様!」

 フミーネが走り出す。人狼もかくやという瞬発力だったが、道路の対面からではどうしようもない。仮にフミーネが車をすり抜けるようなスキルを持っていても、走っただけでは間に合わないだろう。

「!」

 リベルタが、無言で弓を投げた。弓の弦はリュドミラに当たり、その身を歩道に弾き飛ばす。フロントガラスに弓が刺さり、車が急停止した。

「お、王様!?」

「悪いな、すぐに直すよ」

 ガラスをスキルで修復し、リュドミラを迎えに行く。

「馬鹿なことをしたわね」

 王妃は半ば涙目になりながら、リュドミラを叱っていた。

「母上が外に出してくれないから、わたくし街が見たかったんだもん」

「王族が用も無く市井に出る必要なんてないのよ!」

 キュリエの叱責に、リュドミラは泣き出した。

「車も来ていたのに飛び出して。当たっていたら、死んでいたわよ」

「見えなかったんだもん!」

 リュドミラは七歳。日本の子供なら車に対する分別もついている頃だが、彼女はディオスクリアの人間だ。しかも、車は全て手動運転。だが、事故の原因はそれだけでは無さそうだ。

「リュドミラ、向こうに書いてある文字読めるか?」

 魁は少し遠くの看板を指さした。何の変哲もない生地屋だったが、メガネを少しずらすと何が何やら分からなくなる。

「読めないよ。ぼやっとなってて」

 間違いない。彼女は魁やビョルン二世と同じ、近眼だ。室内では目立っていなかっただけで、外を歩くには危険がある程の。

「これ付けてみて」

 魁は自分のメガネを渡した。

「布屋さん!」

 リュドミラは叫んだ。新しい世界に、目を煌めかせているようだ。

「それじゃあ、新しいメガネを作ってあげよう。度は弱めにするから、合わないと思ったらすぐに言ってくれよ」

「うん!」

 魁の作った子供用のメガネをかけ、せわし気に周囲を見渡す。

「感謝するわカイ卿。勿論リベルタも」

 キュリエはしおらしく魁とリベルタの手を取った。彼女のこんな表情を見るのは初めてだった。

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