戦略会議と石界王
議場にはアヴェノブルク勢力の重鎮が集結していた。初見の顔も多い。半数以上を占めるのは、キュリエ王妃が各地から招集した彼女の身内だ。
いかにも王子然とした金髪の美丈夫は、第一王子のレイフ。カストリアでは末子相続が一般的なので、継承権は第二王子のハーラルに次ぐ二位となる。スヴェンランドの事実上の属国、チリヤクスク王国の王権代理という役職を持っている。
そして、幼稚園上がりたてといった感じの女児は、第三王女のリュドミラ。キュリエと同じ灰色の髪を持っている。チリヤクスク風の名前は、上の男児二人ほどスヴェンランドにおいて期待されていない証左だろう。リュドミラは、ビョルン二世とキュリエの間に生まれた子の中では最年少だ。そしてビョルンの年齢を考えれば、最後の子供になるだろうと言われている。
リュドミラは一心不乱に木片に向かって何かを描いている。
「何描いてるの?」
魁が尋ねると、リュドミラは筆を止めて言った。
「ウンコ!」
「ああ、そう……」
王族とはいえ子供は子供だな、と苦笑いをすると、レイフがリュドミラを窘める。
「リュドミラ、カイ卿はお前の夫になるのだから、下品なふるまいをしてはいけないよ?」
レイフの穏やかな物腰は父親にも似て。それでいてビョルン二世の隠し持つ強烈な毒気を感じない好青年だ。しかし、彼は御年百十歳。魁よりも三周り以上年上だった。
「レイフ殿下、諸国に根回しを仕掛ける前段階とはいえ、リュドミラにそういうのは早いと思うんですが……」
正直この幼児と結婚する未来など、全く思い浮かばない。
「こうしておけば卿に里心が付こうというものだ。切迫した事態を考えれば、むしろ遅いくらいだよ」
弟ハーラルに継承権を譲っているとはいえ、レイフも熟練の政治家。末の妹を成り上がりのスキル使いに譲ることに何の疑いも持っていない。
キュリエが連れて来た残りは、各地で臣籍として地方官僚や軍人、僧兵を営んでいたレイフの子や孫たち。そして『青い首飾り事件』をきっかけに下野していた、チリヤクスク宮廷の関係者など。いずれも現スヴェンランドの体制に一物抱える者ばかりだ。
一方魁の側で議席を得ているのは、逃亡した者の代わりに行政官に格上げされたエイリークと、旧ヨイカ地方の書記官くらいのもの。ハルとリベルタは従者扱いで控えている。
リベルタは護衛として魁の背後に無言で佇む。昨夜のことなど夢のように、いつもの淡白な調子だ。
キュリエの背後にも護衛がいた。短い黒髪の、目つきの鋭い女だ。
「フミーネ、給仕にお茶を頼めるかしら?」
「かしこまりました、キュリエ様」
キュリエの要請に、護衛のフミーネは物音一つ立てずに退室した。厨房への伝令は無線で行うため、すぐに済む。
「カイ卿の分はいかがかしら?」
「結構です。――ハル、蜂蜜の入ったのを頼むよ」
「はい、ご主人様」
フミーネと違い、ハルは直接厨房へと向かっていった。
「信用無いわね」
「当然だと思いますけど」
この事態の何もかも、キュリエの姦計が原因だ。彼女にはこの場ではっきり意図を表明する義務がある。
会議が始まり、まず口火を切ったのはキュリエだ。
「さて、急ではありますが謀反です。まあ、皆さん見事に立場もバラバラねえ。まずは現状を整理するため、所信表明から行ってみましょうか」
この場の最高責任者は魁のはずだ。王妃に仕切られるのはあまり良くない兆候である。
「では私から。――スヴェンランド第一王子のレイフだ。私の目的は弟ハーラルを追い落としての継承権奪取に他ならない。簒奪者と謗れば謗れ。しかし、あの放蕩者に王位を渡すことを考えれば、納得はしてもらえるはずだ」
第二王子のハーラルは救いがたい愚物として市民からの評価も散々だった。日々詩歌や笛に興じ、二十に届く妾を囲って遊び惚けている。
「ヨイカ地方の独立には目を瞑ろう。その上で、カイ卿とアヴェノブルクの兵器群を利用した軍事力、諸国とのコネクションからスヴェンランドに圧力を掛け、弟を離島の僧院にでも閉じ込めてしまおう。なに、あの愚弟ならば、妾の四、五人でも一緒に出家させればそれで満足してしまうさ」
会場から笑いが漏れた。レイフ王子は顔が良いだけでなく、ウィットにも富んでいるらしい。
次は魁の番だった。
「俺の目的……というより懸念はごく単純です。金です。金が問題なんです。このヨイカ地方改めアヴェノブルクは、知っての通り周囲全部スヴェンランド領に囲まれている。港はありますが、それだってスヴェンランド沿岸を通らざるを得ない。工業製品はいずれも他国の五百年先を行くような代物です。売れば言い値でいくらでも売れる。でも、レイフ殿下がおっしゃっていたような諸外国との貿易は現状難しいのではないかと」
滞りなく用意していたセリフを言えたことに安堵する。
「とにかく、工業立国というのはどこかに製品を卸して外貨を稼がねば維持できません。この国の代表として、その問題はきっちりこの場で答えを出していきたい」
最後に『国の代表』と言って釘を刺すのも忘れなかった。この独立戦争をスヴェンランド王族の内紛に利用されたのではたまらない。
「あら、それならわたくしからよろしいかしら」
キュリエが席を立った。嫌な予感がする。この王妃が口を開くと、大体碌でもないことになる。
「貿易相手なら簡単に見つかるわよ。度重なる通商破壊で今年の冬も越せるか怪しく、しかも武器に飢えた方々が、すぐ隣国にいるじゃないの。海を挟んだ隣国に」
「魔族と取引をすると言うんですか!?」
キュリエが何を言わんとしているかは一発で分かった。彼女はこのカストリアではなく、魔族の支配するポルシアと交易を結ぼうと言っているのだ。
「独立戦争中だけよ。諸国との通商路が確立したら用済みだわ。それに、魔族とこっそり手を結んでライバル国を出し抜こうなんて、どこの国でもやってることよ?」
何の躊躇もなく、とんでもないことを言ってのけた。魁とは異なり、周囲の多くの者はそれで納得している。王妃の言う通り、この場では妥当な策なのだろう。
「魔族側の代表者も呼んであるわ。――ヘカトンケイル、入ってきていいわよ」
議場の扉が大きく開け放たれ、赤紫色のコートを着た派手な少女が入ってきた。少女――ヘカトンケイルはにやにやと周囲を見渡しながら、片手を衆目に振った。
リベルタは素早く魁の背後に回り、矢を番える。闖入者の危険性を鋭く察知したのだ。
「やあやあ少年少女諸君、ボクが“千手”のヘカトンケイルだよ! 以後お見知りおきを!」
ヘカトンケイルは敵意と恐怖の交じった視線を無視。ずかずかと議場を横切り、名目上の議長が座っている高椅子を奪った。書記官は猛獣に会ったような足取りで、歳場もいかぬ少女から逃げ出す。
「いやあ、この間の遠征、ボクが総司令だったんだけどさ、おケツ捲って撤退しといて良かったろ? 結果として、労せずに海上輸送も復活。強ーい武器のオマケ付き。ボクって模範的魔族だなー! あははは! あ、これ軍事機密だった」
ふざけるように笑う道化にも似た少女は、およそ魔族を示すような特徴を持っていない。
「まず、君がトチ狂った人間の娘で無いという証拠から見せてくれないか」
魁が言うと、少女は嬉しそうに答える。
「カイ少年から声掛けてくれるなんて光栄だなー! 勿論いいぜ。ほい!」
名乗ってもいないのに魁の名前を知っているヘカトンケイルは、己の首を軽く引っ張った。巻いたクラバットから、首が外れる。内部には、複雑な歯車の群れ。
「自動人形……」
誰かが漏らした。魁は油断ならない魔族を全力で警戒しながら続ける。
「良く分かった。――しかしヘカトンケイル、武器の輸出は賛同できない。魔族に銃器でも渡せば大勢の人間が死ぬ」
「魔族を受け入れる国を作るなんて言ったのに、そこは人間の味方なんだね? 魔族が大勢死ぬのはいいんだ?」
ヘカトンケイルは試すように言うが、魁はむしろ冷静になった。
「ここはカストリアで、俺は人間だ。ポルシアに居場所がなくなって亡命してくる魔族は保護して共存の道を探るが、徒党を組んで攻めてくるような連中は別だろう」
魁の回答に、ヘカトンケイルは大仰に頷いた。
「うんうん、それもいいだろう。ただ少年、君は一つ勘違いをしているぞ?」
ヘカトンケイルの背から、一対の腕が生える。水銀のような光沢の、魔性の腕だった。
「下位魔族と人間のパワーバランスが崩れれば、ボクら上位魔族が出張るだけだ。そして、マシンガンだのF-22だので武装した程度で、上位魔族との差が埋まると本気で思っているのか? 甚だ不愉快な増長だぜ、人間よ」
ヘカトンケイルの四つ腕に、テック発動を示す紋章が浮かんだ。ラピスラズリのような、濃い青の紋章だ。議場が揺れ、一瞬浮遊感を得る。
「外が!」
誰かが窓の外を指して叫んだ。
「!?」
雲だ。それはいい。空を向けば雲はある。しかし、その雲はアヴェノブルクの街の『へり』に、青空と共に浮いていた。街が地面から切り取られ、飛んでいるのだ。
「あはははははは! イッツマジーック! 種も仕掛けもあるけど、
上位魔族の笑い声だけが高らかに響いた。
甲高い笛の音と女の嬌声。王位継承権第一位であるハーラル王子の院から、そのような音が聞こえぬ日は無い。
「殿下お上手ー!」
どこの市井よりかどわかしてきたのやら分からない女が、王子を讃える。
ビョルン二世はスキル使いの近侍を伴い、表情の読み取れないベルト型メガネで酒池肉林を睥睨した。父親と同様肥満体の、しかし目元は母親に似て異性を惹き付ける魅力に満ちた男がこちらに気づき、傅いた。周囲の女たちは半裸のままに平伏する。
「レイフはお前を落とす気だぞ」
一言告げた。
「は」
ハーラルは短く、それだけ返す。自分の置かれた状況を理解をしているのか。危機感を持っているかすら怪しい。
「末子相続は王の習い。余は覆すつもりなど毛頭無い。しかし、だ」
「は」
ハーラルは震えていた。恐れているのだ。スキル使いでないにもかかわらず“軍人王”の二つ名を持ち、カストリア諸国家から毒蛇のごとく畏怖されている、偉大な父を。
「今のお前に何ができる? 兄と張り合うか?」
「何も、いたしませぬ」
それだけ聞くと、ビョルン二世は無言で去っていった。これでいい。軍制は変えた。思い通りの形になるまで随分とかかったが、どうやらあの新参のスキル使いが旧弊にとどめを刺してくれそうだ。
政治は現状、王である己への依存が強すぎるきらいだが、あの無線機を全土に普及させればそれも解決する。親族で固まった面倒な結束の確認など、ほとんど不要になる。否、そうする。完成するのは議会と幕僚の連携で運営される、安定した社会だ。自分が去る頃には、王など笛を吹いて女と戯れれば良いだけの地位にでもなればいい。
あの愚物、ハーラルを殺すのも一手だった。しかし、血を分けた実の息子であり、高貴なる王族であり、自身をいい具合に畏れている。どうせ世には自分以外愚物しかいないのだから、王の血筋さえ残れば後の政などどうでもいい。末子相続は血筋を残す術だ。覆せば後の世に禍根を残し、王位ごと失うだろう。
あのスキル使い、“虚ろなる鉄”のカイは泳がせるべきだ。ある程度手の内を出させたら真綿で首を絞めるように追い詰め、寿命まで生殺しにする。残りは自分亡き後のスヴェンランドが呑み込めるように手を打つ。ビョルン二世はどこまでも冷徹で打算的な王だった。
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