殺人の代償

 エイリーク他、配下の将たちの見立てでは、ビョルン二世は今後散発的な交易の破壊と海賊行為――つまりゲリラ戦に戦略をシフトするつもりであろうとの事だ。キュリエにはまだ湯水のごとき策があるようだったが、目前の冬と今後の財政状況を考えると気分が悪くなる。

 その上、初めてこの手を人間の血で汚したショックも大きい。

「ハル」

「はい、ご主人様」

 腰掛けるベッド。隣にはハルがいた。

「俺が王様なんておかしいよな」

 不安だった。キュリエやビョルンの手の上で踊らされながら、世界を破壊しかねない力を持ち続けるのは。それでいて、王という虚像を押し付けられる重圧も。弱音はハルにしか吐けない。

「私には答えることができません。他の方から見て、ご主人様が常に最高のご主人様という訳ではありませんから」

 否定、という程でもないが、常に魁を肯定し続けるハルにしては意外な言葉だった。

「私にとってご主人様は、最初から今まで至上のお方です。王様になろうが、サラリーマンのままだろうが、それは不動です。ですから、私の意見なんて何の参考にもなりませんよ。――悩んだときはおっぱいでも揉みましょう! 私にできることはその程度です!」

 胸を差し出すハル。流石に起動当初からこういう言動を繰り返していた訳ではない。

「最初からってことは、それはユーザーに対するすり込みみたいなものだろ? お前は親愛表現以外出さないけど、ラーニングを重ねた今、俺に別の意見とかあって当然じゃないか? 不満とか、愚痴とか」

 ハルがうっとおしいなどと思ってはいない。ただ、機械に慰めてもらっている自分というものを不意に俯瞰してしまった。情けなくなった。無二のパートナーをわざと機械扱いして八つ当たりのようなことを言ったのは、その程度の理由に過ぎない。

「あっても言いません」

 ハルは即答した。笑顔のままで。

「そりゃ……」

 それこそ機械的な反応ではないか、と言いかけて、ハルの声が被さってきた。

「今のご主人様は至上かつ『最愛』のお方ですから。言えば私が辛くなります。自己保身もロボットの義務ですからね。それはラーニング……いえ、思い出を重ねた結論なので、ご主人様のお陰ですよ?」

「……ごめんな」

 つまるところ、全部魁が悪かったのだ。そして謝れば、全てが元に戻る。

「もちろん、私がどれだけ愛そうが所詮メイドロボですから、伴侶になどなるつもりは毛頭ありません。そっちはそっちで早めに見つけていただけると、むしろ私が幸せです。キュリエ様からもご縁談などいただいてますし――私個人としては、リベルタさんなどいかがかと思うのですが」

「余計なお世話だ」

 お節介おばさんのような方向に話が飛び始めた。いつものハルのお陰で緊張も緩まれば、どっと一日の心労が押し寄せてくる。

「今日はもう眠ってくれないか」

「はい、スリープモードに移行。朝食をご用意する時間に再起動いたします」

 充電装置と一体化したベッドに横たわり、ハルは動かなくなった。今日はもうこれ以上彼女の顔を見ることなどできそうにない。

 不意に、ドアが開いた。ノックもせずに入ってきたものに対し身構えると、リベルタだった。丈の短いシャツにゆったりとしたズボン姿。彼女も就寝前らしい。

「どうしたんだ、リベルタ」

 護衛の筆頭であるリベルタの部屋は魁の隣。別に夜警の者もいるので、強いて部屋まで訪ねてくる理由など思いつかない。

「ハルは……寝ているのか。自動人形オートマータも眠るんだな」

 魁の横で眠るハルを一瞥。秀でた武芸を想起させる足取りで魁まで近づいてくる。

「同族殺しはどんな気分だ?」

 責め立てる風でもなく、嘲る訳でもなく、ただ冷淡に言った。

「後味は悪い。別に方法があったんじゃないかと、今でもずっと考えてる。――それでも慣れたいとは思わない」

 これから幾度となく、魔族人間問わず殺していくことになるのかもしれない。あるいは魁の方が先に死ぬか。

 同族を殺しながら逃げ延びたリベルタは、魁の答えを咀嚼するように沈黙。数秒経ってから、口を開いた。

「貴様、以前に私を嫁にするなどと言っていたな」

「ああ、いや。あのときは君とエイリークの殺し合いを止めようと必死で……」

 ハルの会話を盗み聞きしていたのだろうか。なぜ今更そんなことを――と羞恥で顔を背け、再びリベルタへと視線を戻す。彼女は、ズボンに手をかけていた。黒く、引き締まった鼠径部が露になる。

「ちょ、何を……」

 隣にはハルもいる。魁の静かな抵抗は、蟷螂の斧のようにも思えた。

「抱いてみるか? 私を」

 リベルタは本気だった。

「子供も成せんこんな身体で良ければ、だがな」

 その下腹部には、溶接したような傷跡が走っている。

「最初の子供を身籠ったときに、子袋ごと摘出された。誰の子供とも分からんかったからせいせいしたと言えばせいせいしたが、出血と化膿で死にかけたのは解せんかったな。不潔な野営地でやることではないよ、全く」

 リベルタは微笑んでいるが、魁には全く笑えない。

「どうする?」

「……」

 無言でいる内にも、リベルタはのしかかってきた。疲労とショックで抵抗する余裕もない。アンドロイドのハルとは違う。リベルタからは、生々しい女の体臭がした。魁は流れに身を任せそうになる。

 しかし、不意にその動きが止まった。

「やはり止めておこう。――おい、フリではないからな。襲い掛かってくるなよ」

「襲わないよ……。なんなんだ、全く」

 リベルタは来た時と同じく、あっさりと部屋から出ていく。一刻も早く寝たかったが、刺激された交感神経がそれを拒んでいるようでもあった。今夜は金縛りに会うかもしれない。

「残念でしたねえ、ご主人様」

「……狸寝入りしやがったな、ハル」

 この電子頭脳、どこか壊れていないだろうか。



 部屋から出たリベルタは、その場にへたり込んだ。額を抑え、苦痛に耐えるように息を整える。

「殺したくなったんでしょう?」

 現れたのはキュリエだった。親族と一緒に、別の棟を寝床にしているはずの。

「魔族の友達が言っていたのよ。人間に近づきすぎる、感情を向けすぎると、『神の声』が聞こえて殺したくなるって」

「俄知識を得意げに。……何をしに来た」

 隠し持っている鏃を指に挟んだ。人間の生命力は高いが、急所に撃ち込めば即死させられる。まして相手は武芸の心得もない王妃様だ。

「あなたと同じ、夜這いよ」

「貴様のような害虫を駆除するのが私の仕事だ。今処理されるか?」

「まあ、怖いわね」

 薄く笑う王妃に内心腹を立てながらも自力で立った。体調の方はもう問題ない。

「第一、貴様の言うその『魔族の友達』というのは何者なのだ? まさか、貴様本人が魔族だったというオチではないだろうな」

「違うわよ、私は人間。スキルを使ったことだってある」

 リベルタの推論を、王妃は素早く否定する。かなり重要なことを付け加えたが、それすら霞む事実を続ける。

「……ヘカトンケイル」

「!?」

「わたくしの友達の名前は、ヘカトンケイルよ」

 知らない訳がない。その名前はあまりにも有名だ。

「虚言を弄すな。それは現“石界王”の名だ……!」

 ポルシア大陸に暮らす全魔族の頂点。“統魔王かみ”に最も近い四柱の上位魔族の一角。“空界王”ウラノス、“水界王”アテナ、“劫界王”ヘラクレス、“石界王”ヘカトンケイル。先代はともかく、現“石界王”などリベルタのような末端魔族は名前くらいしか知らない。

「ま、その内紹介する日も来るでしょうね。あなたの吠え面が楽しみだわ」

 護衛もつけないまま、キュリエは去っていった。あるいはどこかに護衛が潜んでいるのかもしれない。ともかく、魁の衛士筆頭のリベルタには反省点の多い『襲撃』だった。

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