独立戦争、開戦

 魁は黒砂村に新設した執政府に戻ってきた。先頭に弓を持つリベルタが、傍らにはハルが寄り添い、足早に執務室まで急ぐ。

「軍団長はともかく、書記官も行政官もどこに行ったんだ」

 まがりなりにも代官である魁を迎えるものは誰もいない。それほどまでに慌ただしく動いているということなのか。

「無線もあるのに連絡が繋がらないだなんておかしいですよ。あの方々もご主人様の配下のはず。無下に扱うようでしたら、下僕筆頭として叱らねばいけません!」

「生きていればいいがな」

 リベルタが執務室の扉を開いた。中には縛り上げられたヨイカ領の重鎮と――キュリエ王妃がいた。

「あら、遅かったわね。電波の届かない場所にでもいたのかしら?」

 王妃は、鎧を纏いボルトアクションライフルを持った兵を背後に、茶を飲んでいた。

「あなたは……! これはあなたが仕組んだことか!」

 魁には珍しく怒気が滲んでいる。当然だった。既に洒落にならない事態だ。

 リベルタが王妃に矢を向けると、兵士たちが銃を構えた。

「そうよ」

 王妃は何の後悔も見せずに言った。

「一見突拍子もない謀反に見えるでしょうけどね、これはあなたにとっても必要な事なのよ?」

「……」

 相手は稀代の悪女だ。権謀術数に百戦錬磨の王妃キュリエ。耳を傾け、舌戦に持ち込むのは不利だった。しかし、この状況では交渉をしない訳にはいかない。

「ご主人様……」

「大丈夫だよ、ハル。命は粗末にしないから」

 ハルを宥め、王妃に向き合う。薄く笑っているが、感情は読み取れない。まるでメフィストフェレスとでも対面をしているようだった。

「このまま代官として王の言いなりになれば、あなたは骨の髄まで利用されつくされて終わり。ビョルンの監視下からは抜け出せず、下手をすればそこの可愛いハルさんを人質に取られ、機械を発明するだけの奴隷として一生塀の中よ」

「私はご主人様の重荷になるようなことはいたしません。決して」

 ハルは否定するが、お互いの命だけ助かるのならば、最終的にはそうなっても仕方ない。

「ああ、本当に良い従者ね。――で、こうなったからには、もう謀反を続けるしか方法がないわよ」

「そうやって選択肢を狭めるのは、詐欺師の話術だ」

 気圧されてはいけない。他に方法は思いつかないが、彼女のペースに巻き込まれるのは最悪だ。

「あら、意外と強かじゃない。じゃあ、王と交渉でも何でもしてみるといいわ」

「その前に二人を開放してくれ」

 魁はお世辞にも交渉事が得意とは言えない。王都とのパイプ役は、この二人だった。

「“虚ろなる鉄”殿の望みのままに」

 王妃の鶴の一声で、書記官と行政官は解放された。恐怖に目を見開き、荒い息だ。

「王妃様……命ばかりはお助けを……」

 行政官が懇願する。王妃は冷たく、犬でも追い払うように手を動かした。



 数分後、そこには消沈したヨイカのトップ三人がいた。

 交渉は失敗だ。向こうは何を言っても謀反人の一点張り。キュリエ王妃とビョルン王の八百長試合にすら見えてきた。

 王妃は相変わらず涼しい顔で魁の椅子に座っている。

「何度も言うようだけれど、この謀反はあなたのためなのよ。――あなた、王になりなさい」

「な――」

 思わぬ提案に絶句する。

「何をどうやったらそんなことになるんだ!」

「王なんて、声が大きくて力が強ければ誰でもなれるのよ。あなたは力を持っているから、あとは宣言をするだけ。幸いなことに、法王にだって声が届く拡声器はここにいるわ」

 王妃自らが諸国や法王との渡りを付け、恙無く戴冠までさせてやる――ということだ。

「王族としての正当性を強化するために、わたくしの末の娘と結婚させるし、わたくし自らがあなたの女になってもいい。あらまあ、破格の条件ねえ!」

 王妃はドレスの胸元を開け、蠱惑的に唇を湿らせた。思わず喉が鳴るが、それだけだ。

「国の命運を左右するような交渉に、人の性欲を乗せないでくれ。まるで娼婦じゃないか」

「王族の女なんて、娼婦と同じよ」

 言い切る。およそ百三十歳――途方もない謀略を見つめてきた女がそこにいた。

「……リベルタ」

「なんだ?」

 魁はダークエルフの娘に声をかけた。彼女は百十二歳。王妃が百年の謀の目撃者ならば、リベルタは百年の戦争の当事者だ。

「耳を取れ」

 リベルタは無言で耳の覆いを外す。黒く長い耳。魔族の出現に、周囲が息を呑んだ。

「俺が王になったら、共存の意思があるのならば魔族であろうとも受け入れる国を作る。あなたにも付き合ってもらうぞ、キュリエ王妃。自分で言い出したことだ、嫌とは言わせない」

「あらあら、責任重大ね」

 王妃は魁の熱気で暑くてしようがないという風に、扇を揺さぶった。

「ここをリベルタの『行き場』にしてやるさ。約束だからな」

「馬鹿野郎が」

 悪態をつきながらも、リベルタは笑っている。これでいい。王妃の言いなりだろうが、少なくともこの笑顔は阿部魁の意思がもたらしたものだ。



「独立戦争か、なるほどな」

 地方軍の詰め所に招かれ、困ったように天を見ながら言うのはエイリーク。

「思ったよりも反応薄いな。普通、驚いた後でどっちに付くか迷う場面じゃないか?」

 黒砂村の代表者は、代官に従い強国スヴェンランドの王に歯向かうか、臣民として謀反を許さないかの岐路に立ち、なぜか平常心のままだ。

「いや、お前ならそうなっても仕方ないだろう。歴史の転換点ってのは、お前みたいなのがフラッと現れて国だの作ったり滅ぼしたりするんだろうな、と。何十年か前にビョルン二世が近衛騎士団を解散した時も、そんなことを思ったよ」

「歴史の転換点か……」

 その中心に当事者として立っている魁も、今がスヴェンランドどころかディオスクリア世界の将来を左右する局面であると、薄々思っていた。

「俺は“虚ろなる鉄の王”に付くよ。俺の村が新しい世界の中心だなんて、誇らしいじゃねえか」

「……ありがとう、エイリーク」

 キュリエも書記官たちも、信用を預けるに足る人物ではない。ハルにリベルタ、エイリーク――心の底から信じられる勢力は、何にも増して宝のようなものだ。

「で、名前はどうすんだ?」

「名前?」

 何の名前か少し考えて、答える。

「国の名前なら、そのまま『ヨイカ』でいいんじゃないのか?」

 ヨイカ地方一帯を切り取って作るのだから、それが妥当に思われた。

「『黒砂村』までそのまま使う気かよ。それじゃ味気ないだろうが」

 砂鉄を含んだ砂で黒いから『黒砂村』。確かに味気ないし、そもそも現状既に村ですらない。工員としての職を求めた難民や、各地の職人が集まり、このカストリアにして大都市の様相を呈しつつある。ただの三か月で、だ。

「じゃあ、エイリークが考えてくれよ。村長だろ?」

 それが妥当であるように思えた。エイリークは少し思案する。

「カイ――カイスランド……しっくり来ねえな」

 初代国王である魁の名前をもじって名付けるつもりだ。正直恥ずかしいのでやめてほしい。

「お前、名前二つあったよな。カイと何だっけ?」

 最初に名乗った名字の事を言っているのだ。

「阿部だ。阿部・魁」

「……アヴェノブルクでいいか」

 新しい国名が決まった。アヴェノブルクもなんとなく気恥ずかしいが、いずれ慣れるだろう。

「ところで、ビョルン王を敵に回す勝算は? 今度は、相手も銃だの戦車だのを持っているぜ」

 以前魔族軍を撃退した時のようにはいかない。しかし、その心配はそこまで要らない。

「きっちり技術の出し惜しみはしていたさ」

“ファクトリー”スキルによる近現代兵器の製造は、表向き第二次世界大戦付近の水準にとどめてある。しかも、肝心の航空戦力すら開発しておきながら、例の秘密実験場に隠してあった。いかに優れた戦車であろうと、上からの攻撃には成す術もない。

「こっそり王都行き物資の帳簿も誤魔化して、ヨイカのそこかしこに貯めておいた。生産の責任者は俺だからね。また弾薬をスキルで一から製造する必要は無いよ」

「は、意外とお前もやるな!」

 歴とした背任行為だが、誰も信じられない状態で備えない訳にもいかない。現にその不正が功を奏した。

「そもそも、エイリークたちや地方軍に直接戦闘をさせる必要も薄いんだ。この戦争、俺は無人兵器を中心に戦わせる。――ハル」

「はいはーい!」

 待機させておいたハルが、車輪付き大型モニターを運んできた。

「お付けしますね」

 電源が入り、映像が映し出された。

「こりゃ……王都街道か」

 偵察用ドローンの視野で見渡すのは、かつての地方執政府があった、ヨイカ最大の都市。その傍らの街道は、王都へと続いている。

 画面が切り替わる。偵察ドローンから十キロも離れた場所。ワタリガラスの紋章を付けた戦車の群れと、その上に乗る兵士が映し出された。

「タンクデサント……。流石は“軍人王”だな」

 魁は素直に感心した。用兵に関するビョルン二世の知見は、非凡と言わざるを得ない。鎧もライフルの威力を前提とし、頭と胸部だけを守る軽装になっていた。

「ご主人様……あまり無理はなさらない方が……」

 ハルがこちらを心配する。冷や汗が垂れ、鼓動が早まる。それはそうだ。なにせ、阿部魁はこれから人を殺すのだから。魔族ではなく、同じ人間を。

「交戦を許可する」

 たったの一言で、画面上の軍隊が爆発した。城に展開したミサイルが、標的を自動捕捉して攻撃したのだ。

「……」

 人が死んだ。魁の命令で。――違う。阿部魁の手が、人を殺した。

 ミサイルだの遠隔操縦兵器だのを急に渡されて、すぐに使えるものなどいない。電子頭脳搭載型兵器を投入するのは仕方なかった。無感情な兵器は、その命令を下したものが殺人の責任を負うべきだ。

 ハルを見た。この兵器群の電子頭脳はハルのコピーだ。もちろん、記憶も感情も存在しない“虚ろなる鉄”に過ぎないが。

「ご主人様は本当にお優しい方ですね」

 それだけで会話は終了した。残敵を追い、捕虜を取るのは王妃の配下が率いる地方軍の仕事だ。

「なあ、カイよ」

 画面を食い入るように見つめていたエイリークが言った。

「敵方にスキル使いが見当たらねえ。禁軍を差し向けたしちゃ数も少ない。ビョルンはまだ、本気じゃねえぞ」

 かつて歴戦の傭兵だった男は、冷静に戦況を見ていた。

「この軍は威力偵察用の使い捨てだろう。正面切って、無駄な損害を重ねるのを避けてるんだ。――この戦争、長引くぞ」

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