エピローグ

十年後

 セレーネとの決戦。あるいは“統魔王”討伐から十年の時が過ぎた。

 魁が重くなった腰を上げ、時計を見ると六時四十分。四十手前の体力でベッドから這い出し、寝坊した己を叱責する。

「今日の仕事は早いんだった。失敗したなあ」

 メガネをかけて部屋を出ると、オーク族の侍女と鉢合わせた。偉大なる戦士アレウスを父に持つと自慢する彼女。今のアヴェノブルクは、少なからぬ魔族も暮らす、世界最大の国際都市だ。

「あ、陛下、申し訳ありません。ご予定を失念しておりました」

 予定を思い出し、魁を起こしに来てくれたのだろう。

「いいさ、目覚まし時計に頼ると決めたのは俺だ。自業自得だよ。――朝食は執政府で食べると伝えておいてくれ」

「かしこまりました。侍従長に伝えておきます。それと、王妃殿下はもうお待ちですよ」

「ああ、俺を起こすように言ったのはあいつか」

 王宮のメインホール。簡素なドレスに、相変わらず弓を差しているのはリベルタだ。柱に背を預け、王妃にしてはあまり行儀のよくない態度で魁を待っていた。

「寝坊とは珍しい。貴様ももう歳か?」

 長い戦場暮らしで培われてきた性格と口調は、たかが十年で変わるものでもない。だが、これも彼女の魅力だ。

「そりゃ君とは違うよ。初めて会った頃と全然変わらないな、君は」

 エルフ族の寿命はおよそ五百年。それは“統魔王”が失われようとも変わらない。いつか、寿命が二人を分かつのだろう。

「どう考えても変わっているだろうが、朴念仁め。またスタンガンなど私に当てるなよ」

「君も、鏃で俺を脅そうとしないでくれよ」

「善処する」

 決戦前の夜、ハルはリベルタに、魁のことを託した。人格を初期化する自分の代わりに、魁と寄り添って欲しいと、そう言ったらしい。リベルタは、最期の晩に魁から離れようとするハルに怒っただけだった。

 魁もリベルタもお互いを好いていたし、何よりハルの遺志だ。あれから十年間、こうして彼女と連れ添っている。



 執政府の門をくぐると、エイリークと鉢合わせた。彼はこの十年でだいぶ老け込んだ。具体的には髪が薄くなり、筋肉の鎧のようだった腹がベルトから出るようになった。

「よう、今日は少し早めだな。一時間くらいか? ――っと、皆が見てる前で王様にタメ口はまずかったですね。ご容赦を、陛下」

「別にいいよ。実質俺はエンジニア兼教育者みたいなものだ。エイリークも多忙そうじゃないか」

“統魔王”亡き世界。テックとスキルに成り代わり、アヴェノブルクの技術力は世界中に広まった。自然と、世界の中心もこの国ということになる。

「そりゃ忙しいが、行政官としてやってることは喧嘩の仲裁が大半だ。傭兵団長や村長やってた頃とあんま変わんねえよ」

 魔族との限定的和解。ポルシアからの移民流入に伴い、人間との軋轢も増している。“統魔王”生存時の、会えば殺し合いをするような没交渉に比べると、かなりマシだが。

 リベルタがため息交じりに漏らす。

「宗教家どもは相変わらず『殺し合え』の一点張りだがな。まあ、カストリアの法王も、ポルシアの司祭長も支持を大幅に失っている。今一番世界で崇められているのは貴様だろうよ、カイ」

「素直に喜べないなあ……」

 世界の中心を支配する、世界最大の王。スキルも失った、僅かな技術知識くらいしか取り柄の無い男には、かなり荷が重い。だが、“統魔王”を打倒した偉大なる王を持ち上げる者がいる限り、玉座からは下りられないだろう。



 エイリークと別れると、魁を持ち上げる者の中でも最大の人物が現れた。灰色の長い髪を持った、十代後半の少女。スヴェンランド王女、リュドミラだ。

「おはようリベルタ。――と、ついでに許嫁様?」

 年を経るごとに分厚くなっていったメガネは、ついに瓶底と化した。リベルタを気に入っているのは相変わらずだ。

「あー、リベルタいい匂いがするわー。石鹸変えてないのね。また一緒にお風呂入らない?」

「朝っぱらから何を言っているんだ、貴様。私は人妻だぞ」

 纏わりつくリュドミラを剥がし、リベルタは言った。リュドミラは、次に魁の腰に腕を回して密着する。

「カイと一緒がいいならそうするわよ? 婚約も解消されていないし。というより、今後世継ぎとか考えていくなら、わたくしとカイが子供を作るのが最善手よ」

 リベルタは子供を産むことができない。王族は一夫一妻制が基本だったが、リュドミラには関係なさそうだった。

「嫌だと言っても、二人まとめて無理やりにでも奪うわ。王族の執念を舐めないことね」

 リュドミラは在りし日の父親を思い起こさせる辣腕と、有り余る才覚で、今や政権を裏から掌握するまでに至っている。ディオスクリア全土に張り巡らされた通信網事業も、リュドミラの手回しで完成に至った。魁に神殺しの汚名を着せないよう、“統魔王”の真実を隠せと提言したのも、当時はまだ幼かった彼女だ。

「リュドミラ、俺にはリベルタがいるし、そんなドライな理由で結婚させられるのは御免だぞ。いくらキュリエ王妃の遺志とはいえ」

 魁とリュドミラとでは一回りも歳の差がある。そして、魁はもう中年だ。娘のように育ったリュドミラには、別の相手が相応しいと思っていた。

「わたくしはあなたたちが好きなだけよ。そこは絶対だわ。――ま、子供が欲しかったらいつでも言ってね? リベルタごと可愛がってあげる」

 リュドミラは自分の仕事に戻っていった。普段からああいう態度だが、この王国で誰よりも働いているのが彼女だ。父と母の才能を、如何なく受け継いでいる。良い意味でも悪い意味でも。



 執務室には、映像付き電話会談の用意がなされていた。ポルシア東海岸に住む相手とは、時差の関係でこの時間に話す必要がある。

 通信の向こう。黒いマントに、髑髏のような顔の魔族は言った。

「元“狂騒”のオルフェウスである。アヴェノブルク王よ、ご壮健で幸いだ」

 上位魔族のオルフェウスは、ポルシア東部における農林事業の代表者だ。飼料用トウモロコシの輸入について、少し調整する必要があった。

「――以上がアヴェノブルク側の提言だ。これでどうだろうか」

「問題はない。会談に応じられたこと、感謝する」

 会談が結論に達し、魁は安堵のため息をついた。

「お疲れか、王よ」

 オルフェウスが気遣うような言動を見せた。

「いや、昔最初に会った上位魔族があのヘカトンケイルだったからさ。上位魔族はもっとエキセントリックな人たちばかりかと思ってたんだ。オルフェウスさんみたいな人がいて良かったよ」

 上位魔族は腕を組み、低く笑った。

「ククク、かの“石界王”と比較されるとは光栄だ。あの方なら、つい先週まで我が観光農園に滞在していたぞ。オレンジ食べ放題プライベートビーチプランでな」

「ヘカトンケイルが? 相変わらず気楽だな、あいつは。錆びないのかな?」

 ヘカトンケイルとはあの決戦以降一度も会っていないが、かなり自由にやっているようだ。決して友人にはなれない、懐かしい宿敵の顔を思い出す。

 オルフェウスとの会談が終われば、次はスヴェンランド王ハーラル。スヴェンランドはアヴェノブルクの属国化している。ハーラルなど、初対面から臣下のようにへりくだってきた。それが彼なりの処世術なのだ。今は妹のリュドミラがいいように操っている。



 そしてハーラルとの会談が終わった。タイミングを見計らって、取り損ねた朝食が運ばれてくる。扉の隙間から漏れてくる匂いで分かった。『侍従長』が持ってきたのは味噌汁だ。リベルタが侍従長に、魁好みの味を直接教えた。

 ノックされ、彼女の声が聞こえる。四年と十年、聞き続けてきた声が。

「おはようございます、ご主人様!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月とメイドロボと異世界と 霊鷲山暁灰 @grdhrakuta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ