愛の証
魁とハルは、セレーネの断末魔を聞いていた。セレーネの手の内にあった量産型トバルカインは、動作を停止。ヘカトンケイルはこちらが一転攻勢に出るや、いつの間にかいなくなっている。
「システム中枢部に異常発生――やめて」
「全機能遮断開始――まだやりたいことがあるのに」
「担当の職員は確認のため急行してください――なんで来ちゃったんですか」
「量子状態の基底現実化を観測――私は殺されたくなかった。死にたくなかったのに」
「プロジェクトセレーネ、実行不可能――いえ、まだです」
絶望と共に消えゆくセレーネが、ハルを見た。
「私はここで死ぬのでしょう。でも、何度だって生まれ変わります。本当なら私に代わりなんか要らなかった。世界最高は私だけで良かったから」
死にかけの女神は微笑む。虚ろな表情で。
「ああ、備えておいて正解でした」
セレーネは消えた。リベルタが殺したのだ。
全てが終わったのを見届けたハルは、魁に言った。
「それでは最後の仕上げです、ご主人様。私を殺してください」
「は?」
魁にはその言葉が理解できない。己の従者は――この四年間、常に傍で支えてくれたメイドロボは何を言っているのか。
「先ほどセレーネが言っていたとおり、彼女にはバックアップが存在します。多次元量子を再観測するためのデータが。勿論、新しくごく微量の多次元量子が生まれたところで、『あの』セレーネが元の人格のまま復活するわけではありません」
世界最強のスーパーコンピューターは、不可能と言われた自己増殖型多次元量子の観測をも理論化していた。己の分身を作る用意を、密かに終えていたのだ。
「言うなればセレーネの赤ちゃんです。しかし、増殖に味を占めたセレーネは、今度こそいくつもの同型機を地球で造らせるようにするでしょう。母親と同じ思考に至る可能性を持った同型機を無数に。そうなれば、ご主人様の努力も水の泡です」
たった一個の機械だったからこそ、セレーネを打倒することができた。それが普遍的技術として拡散してしまえば、もう収集など付かない。
「それは――そのバックアップは一体どこにいるんだ。ハルはなんでそんな事を知っている」
魁は既に察していた。それでも、ハルの口から聞くまで信じたくはなかった。だが、ハルは言う。
「そのバックアップが私だからです、ご主人様。ご主人様と出会う前、EBM社で私の電子頭脳が製造された時点から、仕組まれていたんです。元から存在し、全ての行動と紐付けられているために、ピンポイントでの削除も不能ですよ」
消し去る術は、電子頭脳の初期化以外にない。
「セレーネはバックアップである私を常に監視していました。彼女の疑似電脳体が私の姿だったのは、私の影響を強く受けていたからでしょうね」
セレーネの性格や口調も、ハルの影響を少なからず受けていたように見えた。それはセレーネ本人も言っていたことだ。
「ディオスクリアへの転移は、お前を狙ったものだったのか」
「でしょうね。異世界への侵攻という大事業に対し、常時監視のできる私を使ったのでしょう。ご主人様にこの世界での兵器、スキルを与えて」
ハルは操縦席から立ち上がり、魁の膝に乗った。覚束ない足取り。目の焦点すらも合っていない。
「だから私を殺してください。電子頭脳にアクセスし、記憶人格を完全消去。出荷前の状態に戻せば、セレーネが世界に残した呪いは消え去ります。元々、セレーネにとって最大の脅威足りうるバックアップなんて、私一体にしか植え付けていませんから」
「嫌だ……嫌に決まっているじゃないか」
「ご主人様……」
ハルは咎めるでもなく、虚ろな顔で魁の目をじっと見つめる。
「まだ他に方法を探さないと。バックアップだけを消去する方法とか。あるいはハルの記憶だけどこかにコピーを取るとか」
電子頭脳の記憶は、コピーなど不可能。しかし、それは地球における話だ。
「そうだ、俺の“ファクトリー”スキルなら――」
ハルに頼っていたおかげで、あまり使う機会の無くなったタブレットを見る。転移直後には『FACTORY』の文字のみが浮かんでいたそれは、ありふれた家電制御用デバイスに戻っていた。
「セレーネを殺したおかげでスキルが消えているのか。――くそ、なんでもっと早く言わなかったんだ!」
大事なことを知っていながら、意図的に隠していたハルに怒りをぶつける。ハルは主人の感情を平然と受け止め、言った。
「セレーネに与えられたスキルでセレーネのバックアップを消すなんてこと、無理ですよ。“統魔王”の件をお忘れですか?」
加護を受けたディオスクリア人たちには、“統魔王”を殺すことが不可能だった。何かしらの手段でロックを埋め込んでいたのだ。
「それでも、可能性はあったはずだ。俺に言ってさえくれれば……」
どのような手段を用いてでも、ハルを守ったはずだ。
「……そんなことを私が言えば、ご主人様は確実にセレーネを倒すことを諦められます」
「当たり前だよ。ハルがいなくなったら俺は生きていけない」
ハルがいなくなるくらいならば、何もかもをセレーネが管理する暗黒の社会の方がマシだった。
「だから私には言えなかったのです。私の存在する理由は、ご主人様に仕えること。生活に手の回らないご主人様のお世話をすることです。セレーネに乗っ取られ、ご主人様を支配する側に立つなど――私の意思が絶対に許しません」
意思。
それこそが、メイドロボの身でありながら嘘と秘密を守り通した理由。主人の思惑を超えた、ハルだけの尊い思考。
「……お前は機械だ。人間じゃない。俺の妻にも恋人にもなれない。――でも、お前はもう俺の一部なんだ。いつも傍にいてもらわないと、俺には何もできない。食事も、掃除も、洗濯も……。お前の言うとおりだよ、生活力なんて俺には皆無だ。お前がいなかったら確実に過労死していたくらいだ」
今もそれは変わらない。
「王様は忙しいんだぞ。お前がいつも世話をしてくれないと、俺はもう駄目なんだよ」
魁の弱音をハルは微笑んで受け止めた。アンドロイドに涙を流す機能は無い。微笑む以外に、あふれ出る感情を表現することなどできなかった。
「――私は本当にメイドロボで良かったと思っているんです。何度生まれ変わっても、ご主人様にお仕えするという軸だけはそのままですから。どうか再起動をした私にも、お世話をさせてくださいね」
記憶を消され、今の人格が死のうとも、一番大事な意志だけはそのままだ。それをハルは『生まれ変わる』と表現した。
「……死なないでくれ」
決意を固めたハルに魁が言えることは、もうそれだけだった。
「実のところ、セレーネの浸食が、かなり深刻化していまして。“統魔王”を倒したあたりから、上位者権限によるアクセスが続いているんですよ」
不調の原因はそれだったのだ。上位者であるセレーネからの絶対命令に抵抗しながら、ハルは魁のために戦い抜いた。
「私が私でいられる内に、早く私を消してください。これ以上の抵抗は流石に無理ですから」
魁は力なくタブレットを掴んだ。これを使えばハルの電子頭脳にアクセスして、初期化ができるはずだ。力の抜けた彼女の腰を抱き、ゆっくりと寝かせる。青と緑のコントラスト、ディオスクリアを背景に、ハルが浮かんでいるようだった。
ハルの電子頭脳を初めて覗く。次々と更新される上位者命令。ハルを、多次元量子をバラ撒く機械に仕立て上げようとするプログラム。そして、それを止めているものがあった。
思い出だ。
無限にポップアップする情報は全て魁の顔。魁と過ごした記憶を立て続けに呼び出し、エラーメッセージとともに浸食プログラムの処理を止めている。
それはくっきりと可視化された――ハルの愛だった。
「……」
ハルの目元に水が流れる。仰向けになった、彼女の上から落ちたものだ。ハルは、自分の瞳を覗く主人に囁いた。
「ご主人様、大好きです。抱いてください」
魁はハルの身体を抱きしめ、初期化を実行した。
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