“統魔王”の真実
トバルカインの足元に、ぞろぞろと味方が集まってきた。砂漠の真ん中に装甲車の群れが集結する。人間の数を上回る無人兵器群も。
「ご苦労! 余は汝を生きながらに列聖しようと思う。院領も褒美として下賜しよう。素晴らしい成果だ、“虚ろなる鉄の王”よ。人間の悲願は今日ようやく叶う!」
熱っぽく魁を讃える初老は、法王その人。強化ガラスに包まれた移動演説台に立ち、聖書を引用しながら長話をしている。
法王の話が終わると、次は別の通信が飛んできた。
「全ては猊下のおっしゃる通り。カイ卿――否、カイ王よ、汝を取り立てた余の目に狂いは無かった」
ビョルン二世だ。彼も、この遠征軍に志願している。法王自ら参戦する以上、王も直接赴かねば今後の国際社会での立場が弱くなるためだ。正直殺してやりたい程だったが、それだけは堪えた。人を殺すのも一度や二度ではない。それでも――
「感情任せには殺すことは駄目なんだ……。例えキュリエとレイフの仇でも」
「ご主人様はご立派です」
通信を一旦遮断して、拳を壁に叩きつける。
「畜生! あの豚野郎がなるべく惨めに死ぬよう、神にでも祈りたいよ!」
叫んだら、心はある程度落ち着いた。法王に向けて通信を飛ばす。
「猊下、俺――私は今から“統魔王”討伐に行こうと思いますが」
「余もそう思っていたのだが、これ以上軍勢は進めんのだ。進もうとすると皆の頭にもやがかかったようになるというか……。ともかく、汝単騎で討伐せよ。神のご加護あらんことを」
“統魔王”の御座所にはハルと二人で行けと、そういうことらしい。
砂漠らしく純白の、しかしテュポーンやヘカトンケイル拡張素体と同じく、不可思議な素材でできている建物だった。警備の魔族も何もいない。そもそも、四界王を突破してここまで来襲するほどの者に、何を差し向けても無意味だろう。
「まるで張り子の虎ですねえ……」
ハルが言った。内部は、暗くがらんとした空洞だ。トバルカインが悠々と歩ける程の。
「地下とか無いのか?」
「あ、有ります有ります。申し訳ありません、ご主人様。スキャンするまで気付けませんでした」
「いいよ、俺も分からなかったんだから、ハルのミスじゃないさ」
階段のような物など存在していないので、スキルを使って穴を開けた。広大な空間に降り立つ。
「これは……」
視界全てを埋め尽くすピンク色の塊。臓器のようだ。
「の、脳味噌でしょうか。でも、普通の臓器の百倍近い密度ですよ」
異形の脳は、襲撃者に構うことなく脈動を続ける。
「……生体型演算装置。“統魔王”の正体は、この世界のスーパーコンピューターなんじゃないか?」
魁は“統魔王”について仮説を立てた。魔族が崇める神の正体は、膨大な質量と体積で演算を続ける人工知能であると。
「いかがなさいます?」
「破壊しよう。またヘカトンケイルみたいな上位魔族を造られると、流石に危うい」
魔族が現れ始めたのは二千年前ということだそうだ。つまり、この“統魔王”は、少なくとも二千年以上前に造られた。
目的が何であれ、破壊するべき対象には間違いない。
「ハル、弱点分かるか?」
爆弾を仕掛け、全て燃やし尽くしても良かったが。
「生き物なら、生命維持装置がどこかにあるはずです。あ、発見しました」
早かった。生命維持装置は玉座の最奥、縦横に血管が伸びる塔のような構造をしていた。
「これで、魔族と人間の戦争も一区切りになるかな」
全ては終わらないだろうが、『神の声』を起因とした戦争のための戦争は無くなるはずだ。
周囲の水分を分解、爆弾にして塔を破壊した。
「終わった……」
全ての脳が色を失い始め、その生命活動を停止する。“統魔王”の最期だ。
静寂に浸っていると、通信が飛んできた。
「おお、“統魔王”の住処に入れるようになっておる。“虚ろなる鉄の王”が成し遂げたのだな!」
法王だ。彼は魁が作った地下への入り口から、例の演説台付き装甲車で侵入する。魁を信頼してか、護衛は少数だ。
「やったぞ、人間の勝利だ! 不気味な肉の塊め、魔族どもの首魁に相応しい醜さだ! 神の裁きが下ったのだ! 大聖戦は我々で行おう! 各国より軍を集めポルシア全土に侵攻、奴らの文明を焼き払うのだ!」
狂信的な口調で叫び続ける法王の背後に、何かが接近した。子供のような背丈のそれは、よたよたと覚束ない足取りで歩み寄り――法王の軍を潰した。右足を失い、祈るように膝を付く法王が叫ぶ。
「ああああ!? 余の足が! 薬草……薬草を使えば止血できるはず!」
法王は自らの足に薬草を押し当てるが、まるで効果を得られない。そして出血のショックで、法王は死んだ。
「うるさいよ、バーカ。あはははは! でもホント、ついにやったねえ!」
ヘカトンケイルだ。表皮は焼け落ち、自動人形としての構造が剥き出しになっている。その構造も破壊され、一歩進むごとに何かが落ちる有様だったが。
「『神の声』が消えた。ボクは本当の自由を手に入れたんだ! 何物にも縛られないで見る世界は、こんなにも美しかったのか!」
「全てお前の掌の上か、ヘカトンケイル。自分の死も含めて」
死に体の自動人形は勝ち誇ったように笑う。
「ああ、その通りだ。“統魔王”の破壊はカイ少年にしかできない事だった。異世界からの侵略者にしか。だから、なんとしても君をけしかける必要があったんだ。さておき、ボクは本気で勝負したけどね。仮にボクが勝ってしまったら粛々と“統魔王”様に従おうと、そういう賭けをしていたのさ」
「だが、俺が勝った」
「その通りだ。おめでとう! ここからは秘密なんて無意味だからね。知りたいことなんでも教えるよ。何から話そうか?」
最上位魔族であるヘカトンケイルは全てを知っていた。その上で、あれこれ動き回ってこの状況を作り上げたのだ。
「そもそも“統魔王”とはなんだったんだ」
「『魔法統括演算装置』。――かつて魔法と呼ばれた技術は、家畜や人間の脳を外部演算装置として用いるものだった。知らない奴からは『生贄の儀式』呼ばわりだったそうだ。そして二千年前、とある偉大な魔法使いがとんでもないものを造った。このディオスクリア全土に魔法の恩恵をもたらす、巨大人工知能をね」
『魔法の恩恵』、それはつまるところ――
「スキル、テック、加護――全ては“統魔王”のお陰だったとおっしゃるのですか?」
ハルがヘカトンケイルに尋ねた。
「うん、そうだよ。ただ、“統魔王”が加護を出力する量には限界が存在した。だからほっとくと増えすぎる人口を抑えるために、魔族を作って、人間を半分の大陸に閉じ込めた。テックもスキルも、実のところ大した処理能力を必要としていなくて、神にとっては加護こそが本命だったんだよ」
本末転倒だ。人間のために作られた“統魔王”が、加護を維持するため人間を虐げるなんて。手段と目的が完全に逆転している。
「でも、これから人間の寿命も元に戻る。たちどころに傷を治す奇跡のような薬草も消滅する。テック頼みの上位魔族も、ただの動物に凋落さ」
「俺のスキルは健在のようだが」
「カイ少年のは特別だ。何故ならそれは、異世界の侵略者に与えられた力だからね」
「それは……」
「侵略者の名は『セレーネ』。向こうの世界の月に建造されたスーパーコンピューターだね。彼女は『最強の人工知能』という自己定義の下に、“統魔王”に戦いを挑んだ。そして、今日勝利した。当然だよね。“統魔王”は異世界の存在なんてまるで前提とされていなかった。アップデートされていないコンピューターに、君というウイルスが感染したようなものだ」
絶句した。阿部魁はコンピューターに利用されていただけだと、ヘカトンケイルは言っている。それでも、一つだけ変わらない意志があった。
「俺は後悔していない。リベルタを自由にする――それだけは俺の意思だ」
「あははは、そうだね! 自由を求める意思こそが、ボクにとっては真に尊いものだ。だからキュリエとも友人になれた。あいつは、失った故郷チリヤクスクの自由を取り戻そうとしていたから。――君はそれでいい。ボクやセレーネに利用されていただけだとしても、何を恥じることも無いんだよ」
一通り喋り終わると、ヘカトンケイルは剥き出しの眼球で上を見た。この地下空間から、空でも見ているかのようだ。
「実のところ、さっき法王どもを潰したテックで限界でさ。この素体はもう壊れるよ。直してくれる奴もご覧の通りの様だし」
最強の魔族は、寂しげに呟いた。憎しみすら抱いた相手だが、こうなると哀れなだけだ。
「ヘカトンケイルさん……」
ハルも同じ気持ちのようだった。
「さて、じゃあボクはこれで退場だ。長々お付き合いありがとう。――あ、しばらく外には出ない方がいいよ。いよいよ月の女神様が本気になった」
謎めいた言葉を最期に、ヘカトンケイルは事切れた。
同時にハルも。
「ハル、何があった!?」
前方のコクピットにハルが倒れた。バッテリー残量は十分だったはず。彼女の身に異常な何かが起きている。
「ハル!」
魁の叫びも、今の彼女には届かない。
ビョルン二世は横転した装甲車から這い出て、それを見ていた。上位魔族すら退けてきた頼れる軍隊、無人兵器群が暴走を始めた様を。
「全ての戦闘行動は禁止されます! 武器を捨ててください! 従わない場合は実力行使を行います!」
警告音を発しながら、人間を攻撃する無人兵器たち。二足歩行、無限軌道、飛行型――あらゆる電子頭脳搭載型兵器が同時に狂った。
「“虚ろなる鉄”――裏切りおったか!」
法王と連絡もつかない。あのカイが殺したに違いない。
「つくづくこの余の邪魔立てをする男だ……!」
スヴェンランドに戻ったら、暗殺部隊全勢力を注入して殺してやろうと固く誓った。しかし、それもこの死地を抜け出してからだ。
「陛下、お下がりを! ――ぎゃっ!」
近侍の一人、強力な防御系のスキル使いが流れ弾で死んだ。そもそも、彼女はスキルなど発動できていなかった。周囲もそうだ。“統魔王”討伐のため、各国から集められた上位魔族と伍する英雄たちも、何らスキル発動の兆しも見せずに逃げ惑っている。
気がつくと、自分の臣下の誰も彼も我先にと一斉に逃げていく。こうなれば逃散する本隊とはぐれる訳にはいかない。しかし――
「よ、余のメガネが!」
混乱の最中、ビョルンのベルト状メガネは外れた。誰かの足に踏みつぶされ、砂に埋もれる。予備など無い、特注品だ。正確に言うなら予備はあった。二年前、“虚ろなる鉄”に献上されたものが一つだけ。
「目が! 視界がぼやけて何も見えぬ! 誰ぞ! 誰ぞ! ハーラル! レイフ! キュリエ! 誰でも良いから余を助け――」
ビョルンは、逃げ去る装甲車に轢かれた。宙高く舞い上がると、砂に落ちる。骨が砕け、内臓が破裂し、血を吐き出した。苦悶の中で、スヴェンランドの“軍人王”は死んだ。
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