最終章 FLY ME TO THE MOON

戦勝の後で

 最初に目を覚ました時のあの人の顔を、今でも覚えている。期待でそわそわとした顔。セクサロイドどころか女にも慣れていない人だった。頬を薄く染めて、何をしたらいいのか迷っている様子は――情緒の育った今になって思えば、とても『可愛らしい』ものだった。あの当時は電子頭脳に沸いた感情の名前など、分からなかったが。

「おはよう、俺は魁だ。阿部魁」

「おはようございます、ご主人様。その名前はユーザー初期設定として入力されています。ご安心ください」

 抑揚のない声で言うと、その人は安心どころかさらに困った顔をしてしまった。

「余計な事言っちゃったかな。――いやいや、落ち着け俺。相手はアンドロイドだから仕方ない」

「……私の個体名はいかがなさいますか? ご希望が無ければMD4000を自称いたしますが」

 MDとはMaid Droidの略。指示を出す際に呼びかけてくれればいいので、別に『エムディー』呼びでも問題は無い。

「ペットネームはハルにしようと決めてたんだ。昔の映画の人工知能が――ああ、とにかくお前はハルだ。これからよろしくな、ハル」

 差し出された手をどうしたらいいかフリーズしていると、彼は両手でこちらの手を包んできた。初めて触れた、その人の温かさだった。

「はい、よろしくお願いいたします。ご主人様」

「うん、特別なものには名前を付けなきゃ駄目だ。俺が過労死する前にお前が来てくれて本当に良かったよ」

 部屋を見ると、カップ麺の空き容器が放置され、洗濯されていない服が散乱していた。半面、技術書などが詰まった本棚は整理されたまま埃を被っている。元来丁寧な人だが、多忙さが生活を疎かにしている。そういう人の部屋だ。

「私は、ご主人様にお仕えするために生まれました。家事の全ては私にお任せください」

 自分がそう言うと、彼は静かに微笑んだ。ラーニングのために顔面筋肉の動きを真似してみると、また彼の頬が赤くなる。

「……可愛いな」

 彼が小声で呟いた。

 彼に必要とされているから、自分は生まれた。やがて、それは単に生まれた理由ではなく、幸福となっていった。幸福が募れば愛おしさに。

 初めて料理を作った時の感謝を覚えている。陽光を浴びた洗濯物の匂いを嗅ぐしぐさも、カビだらけだった風呂場ををぴかぴかに磨いた晩に聞こえて来た鼻歌も。なんでもない日々の暮らし、会話。一通りの家事を終えて、仕事から帰る彼を待つだけの時間も。彼との思い出を全部集めて、彼への愛となっていった。



「ハル……! 良かった、目を覚ましたか」

「ご主人様……」

 ハルが目を覚ました。倒れていたのはほんの一分程度だったが、心配で今現在置かれている状況すら忘れそうだった。

「あ、これ惜しいですね。もう少し寝ていればキスとかしていただけたのでは?」

 ハルは平常運転だ。胸を撫で下ろすと同時に、こちらも冷静さを取り戻す。

「お前が俺に起こされるなんて初めてじゃないか?」

 苦笑いで言った皮肉に、ハルは短く返す。

「二度目ですよ」

 ハルは起き上がり、周囲を見渡した。

「外の様子は確認されましたか?」

「いや、まだだ。お前を起こすのに必死だったから」

「ああっ、心配をおかけしてしまった申し訳なさと、心配していただく程の寵愛をいただいている喜びのジレンマがもどかしいです! ――と、それはさて置いて、通信をオープンにしてみましょう」

 聞こえてきたのは、混乱の渦中にある男たちの叫び声だった。

「無人兵器が――」

「本隊、応答を!」

「投降だ! 投降しないと殺され――」

「おのれ“虚ろなる鉄”め……!」

 聞こえてくる言葉はいくつも交じり、しかも途切れ途切れ。しかし、魁の作った無人兵器群が暴走をしているということは伝わってきた。

「止めに行かないと。――ハル、水素燃料の再充填を」

「はい――いいえ、少し調子が」

“ファクトリー”スキルの肝は、ハルの電子頭脳による高速演算。どうも、それが上手くいっていないような印象だ。

「度々申し訳ありません、ご主人様。すぐに復帰いたしますので……」

『しばらく外には出ない方がいい』と、ヘカトンケイルの遺した言葉を思い出す。

「……いや、彼らは見捨てよう。六時間後、通信が落ち着いたのを確認して地上に戻る」

「ご主人様、それは……」

 この世界に飛ばされた時からの決まり事だ。あくまで魁とハル、二人の生存が最優先。

「頼むよ。もう俺を庇って自分が犠牲になるなんてお前の言葉、聞きたくないんだ」

「……ご主人様のご命令通りに」



 六時間後。

 かつて“統魔王”の御座所となっていた砂漠には、装甲車の残骸と武器の山、そして幾人もの死体が転がっていた。その中にあのビョルン二世の顔を見出し、複雑な気分になる。

 ハルが分析した状況を述べた。

「ただ、全滅というわけでは無さそうです。戦力は無人兵器が中心でしたから、人間軍の規模は元々五千人少し。“水界王”“劫界王”他上位魔族との戦いで五百人がお亡くなりになり、艦隊に戻った重軽傷者一千人。残りがおよそ三千五百で、この場にいらっしゃるご遺体は六百人程ですから……」

「二千九百人が、無人兵器によってどこかへ連れ去られたということか。敵の……セレーネの目的は一体」

 ヘカトンケイルは言った。地球産最強の人工知能セレーネが、魁を“統魔王”打倒のための尖兵として送り込んだと。“ファクトリー”スキルもセレーネからの贈り物だ。月の女神は魁が作った兵器の指揮権を横取りし、何かを始めようとしている。

「ハルの電子頭脳も同じEBM社製だろ。何か知らないか?」

 期待はしないで尋ねてみたが、ハルには彼女の考えがあるようだ。

「……そもそも、人工知能というのは社会に対し有用でなければなりません。戦争で人を殺そうとも、政治犯を路地裏に追い詰めようとも、それが命じた側の社会にとって有用であるから実行しているのです。演算能力が高ければ高い程、ときに命じた側の思惑を超えて」

 ハルはあくまで通念的な人工知能の思考ルーチンを語る。ロボット三原則――はアシモフの創作に過ぎないが、黎明期から継ぎ足され続けたロボットの思考は、おおむねハルの言ったとおりの場所に帰結する。

「セレーネが優先して役立とうとする社会――というとアメリカか、あるいは地球全体か」

 彼らがこのディオスクリアから得られる利益を考えたが、思いつかない。そもそも世界間の移動手段すら曖昧だ。

「発想をもっと大きく変えましょう、ご主人様。セレーネは今や二つの世界において最強の人工知能です」

 ハルの言わんとしていることは分かる。

「つまり、地球の人間もディオスクリアの人間も、あるいは魔族すらセレーネが保護する対象であると」

 ハルのお陰で像が結ばれてきたような気がする。

「少なくとも、この世界に蔓延る戦争を止めようとしている――という予測は立てられる」

 地球においては既に根絶された戦争。それをこの世界でも無くすために、武器を持った人間を襲い投降を促した。結果が、この捨てられた武装の山だ。

「……アヴェノブルクに帰ろう。“ファクトリー”製の人工知能は、あの国に集中している」

 生き残った三千九百人には手を出すべきではない。藪を突けば、新たな犠牲者を増やす可能性がある。まずは本拠地に帰り様子を見る。リベルタやエイリーク、リュドミラには無事であって欲しいと、強く祈った。祈る神は、自身の手で殺したばかりだというのに。

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