王妃の暴走。そして……

 時は二十分前に遡る。

 キュリエは海上に建設された『燃料精製施設』に来ていた。ここで海藻から作られたバイオエタノールは、アヴェノブルクの生活を支えている。しかし、この施設にもう一つの顔があることを、彼女は知っていた。

「キュリエ様、目ぼしいものを盗んで参りました」

 黒覆面で顔を覆った“壁抜”のフミーネが、両腕に抱えた物を地面に置く。物質透過スキルを持つフミーネの能力は、ただ一つの階段も存在しない秘密研究所へ侵入するのに、都合が良かった。

「ええ、ご苦労ね、フミーネ」

 チリヤクスク王家の遺臣である古くからの馴染みを労い、盗品を検める。今すぐ魁を裏切ろうとは思っていない。彼はスヴェンランドに抗する本命だ。ただ、彼があの元“石界王”に破れた場合、ビョルン二世に対する交渉カードが欲しかった。いまだ世に出ていない、“虚ろなる鉄”の超技術の結晶が。それを彼が留守の内に見ておく必要があった。

「これは何かしら……」

「存じ上げません。手ごろな大きさで、厳重に保管されていたので、御前にお持ちいたしました」

 鉛の筒だ。黄色い球体を歪な棒が放射状に囲うシンボル。不思議と、キュリエはその中身に惹かれた。本能が訴えているようだ。『お前の才能を引き出せ。遠慮はいらない』と。

「……」

 スキル使いが目覚めるとき、その使用方法は自然に理解するのだという。キュリエが出会ったスキル使いは、フミーネも魁も含めて皆そう言っていた。これがそうだというのか。

「……これは元に戻しましょう。あの『青い首飾り』を思い出すわ」

「御意」

 リベルタとの約束を思い出し、鉛の筒を封印しようと決めた。しかし、再び海底へと潜っていこうとするフミーネが半ば沈み込んだ床から跳ね上がった。

「キュリエ様、敵襲です! 私から離れないように!」

 いつの間に現れたのか、そこに男がいた。フミーネのナイフと片刃の剣を交えるのは、彼女と同じ黒装束、黒覆面の男。

「フミーネよ、我らスヴェンランドのアサシン組織を裏切った報い、今こそ受けよ」

「『チリヤクスクのアサシン』だ、不心得者のカーツめが。我らは二君に仕えん。裏切者は貴様だろうが」

 カーツと呼ばれたアサシンは盲目だった。その瞳は完全に閉じられ、こちらすら見ていない。

「なればこそ、チリヤクスク王を兼ねるビョルン二世陛下にお仕えしている。冷徹さを失ったアサシンは不要。ここで王妃殿下もろとも死ね!」

「狙いはキュリエ様か!」

「王亡き国に何が残るというのだ」

 ビョルンの差し金だ。“虚ろなる鉄の王”の戦死を機に、完全にアヴェノブルクを瓦解させようという魂胆だろう。キュリエはアサシンのおぞましい殺気を浴びながら言い放つ。

「『王亡き国』ですって? 自分の未練をこのアヴェノブルクに押し付けないでちょうだいな。それに、カイは元“石界王”にだって勝つわよ」

「お戯れを。これを見てもまだそのような世迷い事をおっしゃるか」

 カーツはフミーネから離れ、背に隠した袋を転がす。中から出てきたのは――

「ああ……噓よ……レイフ!!」

 第一王子、レイフの首だ。

「敬愛する王妃殿下の最期です。愛する息子と共に過ごしていただこうという拙者の配慮、ご同意いただけますかな」

「フミーネッ! その蛆虫を今すぐ殺しなさい! 四肢を切り取り、陰茎から刃を突き入れ、腸を引きずり出し、断末魔の叫びをわたくしとレイフに聞かせるのです!!」

「御意!」

 フミーネが走り出し、床に潜った。“壁抜”のスキルは神出鬼没。暗殺においてその真価を発揮する。王妃を守りながらでは万全とはいかないが、奇襲の一撃で命を奪えば問題ない。まして相手は盲人。しかし――

「“開眼”のスキルだと!?」

 天井から現れたフミーネの胸に、カーツの凶刃が突き立っていた。

「拙者の“開眼”は、半径二十馬脚以内の事象をつぶさに把握する。光より早く、正確にな」

 カーツに奇襲は不可能だった。

「だが、それがどうした!」

フミーネは、胸に刺さった刃をさらに深く突き入れる。カーツの腕ごと、“壁抜”のスキルを用いて。

「私に刃は通らん。――これで動けまい。レイフ殿下の弔いだ。国王陛下にその首送り返してくれる!」

 カーツは尚もにやりと笑った。キュリエは反射的な悪寒から、フミーネに叫ぶ。

「フミーネ、何かする気よ!」

 遅かった。フミーネの胸は爆音とともに裂け、五十年以上も連れ添った従者は即死した。カーツの右手は、フミーネに刺さっていた部位から消えて血が滴っている。最初から腕に爆弾を仕込んでいたのだ。

「腕一本を犠牲にしてでも標的は仕留める。これがアサシンの矜持だ。汝に神の裁きと赦しを、フミーネ」

 アサシンのみに伝わる葬送の言葉を呟き、カーツはキュリエに歩み寄る。そして――

「おいたわしや。されど、情けは無用!」

 キュリエの喉笛が斬られた。呼吸困難に陥り、視界が暗転する。ここで死ぬのか。このような場所で、弟の、息子の仇すら討てず。

 視界に鉛の筒が入った。鉛は溶け、中の黄色い石が露出した。

「これは……! 王妃殿下のスキルだと!? “核熱”とは一体!?」

 黄色い石が、キュリエの喉笛に吸い込まれた。王妃の服が焼け落ち、半透明の裸体が青い光を放ち始める。

「ああああ!? 灼ける! 我が肉体が!」

 まずはカーツの剥き身の、閉じられた目元から。そして光は服を透過し、全身を火傷に変えた。膨大なγ線が、“開眼”のアサシンを殺す。

「ビョルン……ビョルン、ビョルン!!」

 キュリエ王妃は、スキル覚醒の衝撃と脳を焼くような熱で、完全に正気を失っていた。仇の住まう地、王都へ向けて飛び立つ。足元から断続的な核爆発を放ち、地上を汚染しながら。



 魁と王妃の留守中、リュドミラの護衛を任じられていたリベルタは、敵と対峙していた。黒装束に黒頭巾。ただならぬ気配と頭上の文字が、刺客がスキル使いだと告げる。

「リベルタ……」

 怯える姫を背に下がらせ、敵の正体を確かめる。

「ビョルンの手の者か」

「問われて応じる影はいない」

 肯定と受け取った。ビョルンは、娘であるリュドミラを殺すつもりだ。リベルタは再度言った。

「王族の御前なのだろう? 無礼は止めておけ」

「……“分身”のカタラク。リュドミラ姫殿下のお命、頂戴に参った」

 リベルタに言い負かされ、渋々と名乗るカタラク『たち』。その力は侮れない。リベルタの眼前には、同じ顔をした十二名のカタラク。

「“分身”スキルとはな。狭い室内で使うなよ。暑苦しいぞ人間」

「狭い室内なればこそ、貴様は弓など使えん。下等な魔族め、殿下の護衛とは分不相応だったな」

 カタラクの言うとおりだ。室内で弓は不利。しかも標的は複数。一体を仕留めても、別の分身が襲い掛かる。

「言っておくが、我が“分身”を幻などと思うなよ。いずれも貴様の首を落とすに十分な力を持っている」

「その前に全員の心臓が貫かれているぞ」

 リベルタの挑発を合図に、カタラクたちが襲い掛かってきた。素早く背のフードから用意していた武器を取り出し、姫と自分に装着する。

「面妖な! 馬鹿げた装飾が何になる!」

 覆面だった。黒い活性炭フィルターの付いた。続いて懐から筒を取り出した。

「爆弾なぞ、殿下ごと吹き飛ぶ気か!?」

「そんなわけないだろう」

 筒から出たのは無色透明の気体だ。

「ああっ!? 目が!?」

 全てのカタラクが悶絶し、目を塞ぐ。強力な矢を放つという単純明快なテックしか持たないリベルタが、スキル使いの刺客とやりあうための秘策――催涙ガスだ。

 瞬時に三本同時に矢を番え、四回射撃。計十二本の矢が、全て敵の心臓に吸い込まれた。

「リベルタ、痛い!」

 リュドミラが呻いた。マスクの隙間から染みた催涙ガスが目にでも入ったのだろう。少量ならば健康被害は無いはずだ。それよりも――

「カイの留守を狙って、何かが進行している。……キュリエはどこだ」

 リベルタが王都へ向かう飛行機雲と青い軌跡を見たのは、それからすぐのことだった。



 キュリエ王妃は目視で王都を捉えた。懐かしの我が家だ。チリヤクスクより嫁に出されてから何年暮らしたか、もう思い出すことすらできない。

 時速二十万馬脚。アヴェノブルクより空を飛んでここまで来た。全ては、あの暴君ビョルン二世を殺すため。

「ビョルン……!」

 聡明だった脳髄は、もはやそのことだけを考え、望む。

 王城から迎撃が上がった。機関銃を持った男は、貴重な飛行能力を持ったスキル使いだ。キュリエは彼を知っている。名は――

「我が名は“天翔”のシハラ! 賊め、王都の空は陛下のものだ!」

 キュリエのような副次作用ではない。飛行特化型のスキルと、海棲魔族の皮から縫われた鎧は、生身のシハラをして音速超過の航行すら可能とする。

「小蝿が、身の程をわきまえなさい」

 王妃の怒りは、熱核線となって全方位に降り注いだ。逃げ場を失ったシハラが焼死。王都の一部にも犠牲者が出た。しかし、そのような些事、今のキュリエは気に留めない。

「ビョルン!」

 仇の顔を捉えた。特徴的なベルト型メガネは見間違わない。間抜けにも、城のテラスから身を乗り出している。彼は常に防御系スキル使いを侍らせており、いかなる矢も槍も玉体を傷つけることは不可能。しかし、“核熱”の光までは防ぎようがない。

「ふざけるなよ! “虚ろなる鉄”があのテュポーンを斃して、余の計画は大きく狂った! しかも次はお前だ、キュリエ! なぜこの余の邪魔をするのだ? 長年連れ添い、恩義もあるこの余の邪魔を! この“軍人王”は、スヴェンランドをより良くしようとしているだけだというに!」

 珍しく感情的なビョルン二世が叫んでいることの、一割も理解不能だった。ただ、裡に滾る熱い怨嗟が叫んでいる。奴を焼き殺せ、と。

 必殺の熱核線を城に向けて放とうとしたところで、キュリエは止まった。力が抜けていく。喉元から、黄色い石が飛び出した。矢の刺さった石が。

「……リベルタ」

 血の混じった息で、友人の名を呼んだ。白い防護服で矢を番え、大型二輪に跨るダークエルフを。彼女はもはやキュリエに危険が無いと悟ると、矢を下ろす。

「ごめんなさいね。わたくし、柄にもなく熱くなり過ぎてたみたい。あなたとの約束を破った結果がこれよ……」

 樹脂製のシールド越しの口が、何かを喋った。

「『リュドミラは無事』――ああ、良かった」

 キュリエはもう助からない。この高さから落ちれば普通に死ぬし、喉の傷も致命傷だ。

 リベルタが止めてくれて良かったと、内心胸を撫で下ろす。あの出力で熱核線を撃てば、王都全体が死の灰に包まれていただろう。何万人死んだことやら分からない。

 キュリエの口が最後の言葉を放つ。リベルタとは違う、もう一人の魔族の友人に対して。

「ヘカトンケイル、後は頼んだわよ……」

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