覚悟

 ハルが食事の席に加わった。脱線しながらも地球についての話は一区切りつき、ヘカトンケイルから聞いた“統魔王”の真実まで話し終わった。

「俺たちの信じていた神……二千年前に『契約』をもたらした存在が“統魔王”だったなんてな」

「“統魔王”本人が世界を操りやすいよう、両陣営に似た様な宗教をバラ蒔いたのだろう。全部が全部創作というより、元々一つの教えだったように感じるが」

 カストリアとポルシア、魔族と人間それぞれに受け継がれてきたアイデンティティの崩壊も、二人にはあまり関心が無いようだった。この世界の住人にしては信心が薄いように思っていたが。

「頭の中にいながら、何度も殺したいと思っていた相手だ。情など沸かん」

 リベルタは冷淡に言った。半面、エイリークは二千年続いた世界の崩壊を、受け止めかねているようだ。

「スキルは一線退いてから持て余し気味だったんで、未練もねえがな。寿命が短くなったってことは、これからガキどもと同時に老けてくって事か……考えようによっちゃショックだな」

「すまない、エイリーク」

 しかしエイリークは口でショックと言いつつも、別に落胆した風ではない。

「いや、歳下の嫁とも一緒に老けていけるってことだ。捨てたもんじゃねえさ。俺の一番若い嫁は、二十六歳だぜ。カイより下だな」

 エイリークには妻が八人もいる。村長として、戦争で夫を失った未亡人の面倒を見てきた結果だ。

「なんでもかんでも、単純に善悪と割り切れねえもんさ。お前がすでにやっちまったなら、受け入れてやってく他ねえだろ。むしろ、今まで散々俺の周囲を引っ掻き回しといて今更何言ってんだ、お前」

 エイリークの豪放磊落で、しかし繊細な部分にまで鋭い性格には助けられている。彼はふと思いついたように続けた。

「――ところで、ハルは相変わらず人前でものを食わないんだな」

 リベルタが呆れたように魁を見た。

「まだエイリークに話していなかったのか? ハルの種族を」

 魁は苦笑し、ハルに証拠を見せるよう言った。彼女はとりあえず首を外す。

自動人形オートマータだったのか……! 黒砂村に来たときから魔族を隠していたとは」

 エイリークは過ぎ去った不義を怒るというより、感心している。魁はその言葉を少し訂正した。

「違うよ、ハルは魔族じゃない。地球産の、いわばただの機械だ。無人兵器群や、セレーネと同じ」

「私の電子頭脳と、セレーネの自己進化型多次元量子コンピューターはかなり違いますけどね。ヘカトンケイルさんの思考はあれ、どんな構造していたらああなるのか二重の意味で気になります」

 種族として、生命体扱いされている自動人形とは違う。精巧な電子頭脳は感情と定義されるものすら持つが、ヘカトンケイルらとは決定的に異なる。

「そうなのか?」

 あくまで自動人形と信じていたリベルタは腑に落ちない顔だった。だが、この期に及んでは、情報が正確であるに越したことは無い。

 技術に興味が薄いエイリークは、エビを噛みながら言った。

「地球にもいろいろいるんだな。エビやニシンはいるのか?」

「全く同じのがいるけど……」

 エイリークの質問に、ふと大事なことを思い出した。

「地球とディオスクリアの相似点といえば、ずっと疑問に思っていたことがあるんだ」

 気になっていたのは上位魔族のことだ。今まで言うことは無かったが、看過できない類似点が存在する。

「地球にはギリシア神話って物語群があるんだけど、その登場人物と上位魔族の名前が一致している。ヘカトンケイルは多腕の巨人、テュポーンは嵐を司るとか、ご丁寧に特性まで似せて」

「その神話の成立は?」

 リベルタが尋ねた。

「紀元前だから、二千年よりはずっと昔だ。――ああ、そういうことか」

 質問の意図が分かった。

「二つの世界を行き来したのは、貴様やヘカトンケイルが初めてではないということだ。元から交流があり、“統魔王”はそのギリシア神話とやらを取り込んで、上位魔族に名前を付けた。異世界の存在まで知っていたかどうかは定かでないが」

 神話の成立には良くあることだ。文明や宗教の優位性を誇示するために、別の神話群の神を、悪魔や妖精として取り込むことは。

「リベルタ、君は戦争以外にも鋭いな」

「昔、そういう物語が好きな友人がいたんだ」

 その昔を懐かしんでいるのか、リベルタは少し黙った。やがて何かを思いつき、立ち上がる。

「ああ! そうか!」

「ど、どうしたんだよ急に」

 冷静なリベルタが、珍しく興奮している。

「シェラが言っていた物語は真実だったんだ! 二人は本当に月に行ったんだ!」

 ハルは、訳の分からないことを叫び始めたリベルタに、そっと近づく。

「ちょっとお待ちください、冷静になって話しましょう。とりあえず科学的に鎮静作用が証明されているおっぱい……はご主人様専用ですが、私の太ももでも揉みます?」

「揉まんわ! ――ああ、くそ、ハルのせいでまた思考が絡まった」

 どう見ても普通ではない。エイリークはコップを掲げ静かに言う。

「こういう時のための酒だ。飲み過ぎなきゃ、すらすら話が出てくるものさ」

 大事な状況確認の場に酒を持ち込んだのはそういう意図があったのかと、魁が感心すると、

「大事な状況確認の場に酒を持ち込んだのもそのためだ。本当だぜ? 別に俺が仕事干されて腐ってたわけじゃねえからな?」

 台無しだった。



 酒のお陰でいつもより饒舌になったリベルタが、語り終えた。遠い昔に友人から教えてもらったという、魔族と人間が月に行った物語を。

「話してくれてありがとう、リベルタ」

「何の参考になるのか分からんが、覚えている限りではこれが全てだ。短いし、魔族側の脚色も多いように思う。大丈夫か?」

 話の中で気になったのは二点、『魔法の引き戸』と『月』というキーワード。

「その話が事実ならば、こういう解釈ができる。かつて実在した魔法使いと魔族が協力し、地球までの転移ゲートを作ったんだ。しかし転移ゲートは何らかの原因で空中に出現してしまった。そのナイトゴーントという種族が翼で飛んでいける範囲の高さだ」

「連中の飛翔能力は下位魔族中最高峰。二千万馬脚までなら余裕で上がれる。流石に月までは行けんだろうが」

「およそ二千キロメートルか。――それで十分だよ。ディオスクリア側の転移ゲートはナイトゴーントが行ける範囲に。地球側のゲートはおそらく月にある」

「成程。それで月面に建造されたセレーネは、異世界の存在を把握したのですね」

 ハルの言葉に頷いた。リベルタは尚も残る疑問をぶつけてくる。

「だが、物語によれば二人は月の都で豪遊したとの事だ。地球側の月に都市などあるのか?」

「今はともかく、物語が成立した昔はそんなもの絶対に無い。おそらく、二人は月からそのまま地球に行ったんだろう。そこで見たギリシア神話なんかを、ディオスクリアまで持ち帰ってきたんだ」

 ハルが補足する。

「月の重力は弱いです。地球には、大気圏を突破できるような備えがあればなんとか行けるでしょう」

「で、帰りはどうするんだ?」

 リベルタはこちらを学者か何かと思っているようで、次々と思いついた疑問点を浴びせてくる。答えに窮し、苦し紛れに思いついたことを言ってみた。

「地球からだったら、どこからでもある程度ゲートを開けるのかもしれない。一方通行だろうが、ディオスクリアに帰る分には問題が――あ」

 気付いた。気付いてしまった。ハルも同じ意見のようだ。

「あのときの自動運転トラックですね、ご主人様!」

 ディオスクリアで目覚める直前、青白いヘッドライトの光を浴びせながら魁のアパートに突っ込んできたトラック。あれが転移ゲート発生装置だとしたら。

「全ては最初からセレーネの思うままか。奴は、俺たちを確実に狙って転移させてきたんだ。――ハル、あの後どうなったんだっけ?」

「気が付いたらヨイカ地方の砂浜にクレーター付きで落ちていました。高度二千キロメートルの転移ゲートから落下した私たちを、セレーネが何かしらの手段で保護したのかも知れないですね」

 二年前のことだ。今となっては遠い昔のようだが。

「ハル、あのときの移動ログ、残っているか? 目覚める前からのだ」

「――! はい、ご主人様!」

 エイリークとリベルタは会話に置いて行かれていた。リベルタが尋ねる。

「それで、何をする気だ?」

 魁は答えた。

「月に行くのさ」



午後五時過ぎになり、会議を兼ねた宴会は終わった。酔い過ぎたエイリークは王宮に泊めることにして、四人は執政府を出る。

 明日の夜には決戦、とはいえ、エイリークばかりを責められない。加護が切れたおかげで酒にも弱くなっている。限界を把握しきれていないのだ。

「リベルタさん」

 ハルがリベルタに話しかけた。エイリークの重い肩を担ぎながら、魁は聞く。

「どうした?」

「今晩は私、寝室を外します」

「!?」

 その意味が分からないリベルタでもない。魁の心臓は早鐘を打ち始めた。

「……湯浴みをしておきたい」

 か細い声でリベルタが呟いた。

「ではご用意いたしますね」

 ハルは乗り気だ。魁は野暮と思いつつ、念のために確認したくなった。

「リベルタ、本当に良いのか?」

「貴様が好きだ、カイ。ハルさえ良ければ、もうなんの障害もない」

 リベルタが言った。ハルを除けば、女から面と向かって好意を伝えられたのは初めてだ。

「責任、取るかあ……」

 自分も身を清めておこうと思った。



 リベルタは王宮の廊下を無表情で歩く。無表情だが、その足取りは平時よりぎこちない。初めての酔いと、緊張がそうさせているのだ。

「生娘でもあるまいし……」

 自嘲し、王の寝室へ向かう。カモマイルやラベンダーなど香草を浮かべた湯で身を清めてある。過剰ともいえるハルの気配りだが、それだけ『ご主人様』が好きなのだろう。

 寝室の扉の近くにはハルが立っていた。こちらに気づくと、微笑んで手を振る。

「今日は外すんじゃなかったのか? それともあれか、交ざりたくなったか?」

「その発想はありませんでした。ナイスアイデアです、リベルタさん!」

 ハルは冗談なのか本気なのか分からない口調で返す。当然リベルタは冗談で言った。

 ハルはリベルタに近づき、小声で言う。

「リベルタさん、少しお話よろしいでしょうか?」



 寝室でリベルタを待っていた魁は、扉の向こうから声を聞いた。

「ふざけるな!」

 リベルタの怒号だ。

「な、なんだ?」

 慌てて部屋を出ると、リベルタが怒り顔でハルを睨んでいる。ハルは俯きがちに微笑み、リベルタの怒りを受け入れていた。

「貴様、ハル、自分がどれだけ……!」

 リベルタは魁に気づいて言葉を呑み込んだ。

「どうしたんだよ、二人とも。喧嘩なんて初めてじゃないか」

 たまにハルの冗談でリベルタが怒ることはあるが、基本的に二人の仲は良好だ。今にも掴みかからんばかりの喧嘩など、あった例がない。

「カイ、明日までハルと過ごせ。貴様のことなど実は好きでもなんでもなかった。むしろ嫌いだ。分かったか!」

 一方的にまくしたてると、リベルタは隣の自室に去っていった。ハルは「あはは」と、身のこもっていない笑いを魁に向ける。

「振られちゃいましたねえ、ご主人様」

「とりあえずリベルタが言った通り、俺の寝室に来なよ」

 ハルを部屋に招き入れ、ベッドに座った。自然に、ハルが肩を寄せてくる。

「一体リベルタに何を言ったんだ? あいつ、本気で怒っていたぞ」

「ちょっとそれは秘密です。ご主人様にも言えません」

 ハルはどれだけ感情豊かでもメイドロボだ。主人に対し、はっきりと隠し事をするなど余程の事だった。

「そうか」

 魁はハルの意思を尊重して秘密を認めた。ユーザー権限で電子頭脳の中身を強制的に覗くことは可能だったが、絶対にやりたくない行為の一つだ。

「明日で、戦いにも一区切り付くといいですよね。私、ご主人様が直接戦場に赴かれるの気が気じゃ無かったんです。いつも、いつも」

 ハルが、寄せる肩に力を込めて言った。このディオスクリアに飛ばされてから今まで、魁が命を賭ける場面は幾度となくあった。テュポーンか四界王か、あるいは人狼のコレヒドールに殺されていても、全くおかしくはない。

「セレーネを倒せば、多分“ファクトリー”スキルも消えるだろう。そしたらもう戦いになんか行かないよ。スキルも持っていない俺が戦争に行っても、足手まといになるだけだからね」

 トバルカインに大気圏を突破するだけの性能が残っていれば、このアヴェノブルクに戻ることができる。その後は、技術の教導に注力するつもりだった。スキルもテックも無き今、少しでも自分の国が有利になるようなものを残さなければならない。

「それを聞いて安心しました――と」

 魁に寄りかかっていたハルから力が消えた。彼女の体重は成人女性とあまり変わらないが、不意の事だったので一緒に倒れる。手製のベッドが軋み、天井を薄く染める月明かりが目に入った。

「ハル?」

 返事は無い。また、ハルが意識を消失している。

「おい、ハル!」

 腕の中の彼女に呼びかけると、すぐに目を覚ました。

「……申し訳ありません。すぐに避け――」

「いいよ、お前は寝ててくれ」

 ハルの背中に腕を回し、横に寝かせた。リベルタに話していたことと、先日からの不調。ハルの隠し事は全て関係があるのではないかと、ふと思った。

「ハル、お前の中身見せてくれないか?」

「!? ええ、服の中身でしたら喜んでお見せいたしますよ。それとも今日はご主人様が脱がせます?」

「そうじゃない」

 冗談を言っている場合ではない。ハルも分かっているはずだ。

「電子頭脳の中身を見せて欲しい」

 彼女の尊厳は大事にしたい。それでも、例外は存在する。

「……駄目です」

 苦しそうに、ハルは言った。こんな顔は見たくなかった。ハルの身に起きている問題を知ることでそれが解決できるのならば、無理矢理にでも――

「命令でもか?」

「はい、絶対に。それでも、強制的に管理機能を行使されると抵抗できませんけど」

「……」

 しばらく逡巡して、やめた。

「一つだけ教えてくれ。それはセレーネを破壊すれば解決する問題なのか?」

 質問に、ハルは魁の目を見て答える。月の明かりのせいか、その目は少し潤んでいるようにも見えた。

「はい、解決します。――申し訳ありません。これ以上の回答はちょっと差し控えたいのですが」

 魁は尋問のようになってしまったかと反省しつつ、再び天井を見上げた。

 不透明素材の天井、月の明かりを遮って何かが通過する。

「――ッ!? ハルは寝ててくれ!」

 慎重にバルコニーに出て、空の様子を窺う。少しだけ欠けた月に向かって、人型の影が無数に飛んで行った。

「量産型トバルカイン! ゲートを防衛に向かったのか!」

 トリコロールの人型兵器は海の上、バイオエタノール精製施設のある辺りから飛び立っている。海底秘密研究所の、さらに地下深く。セレーネはそこに無人兵器工場を建造していたのだ。あの場所ならば、“ファクトリー”スキルの余力を魁に悟られることなく転用できる。

「こんな場所で戦闘すればアヴェノブルクは……。やはり宇宙で決着を付ける以外にないか」

「向こうも同じ考えでしょうね。あくまで相手は人間の保護を優先していると思われます」

 部屋の中からハルが言った。致命的に破綻していても、人工知能は人工知能ということだ。

「明日で全てに決着を付ける。それはセレーネの結論でもあるのです」

 ディオスクリアの月は、無人のまま空高く漂っていた。

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