第一章 スキル
ふと目覚めると蛮族が戦争をしていました
月が見えていた。満月だ。青白い円は日本の都市にしては珍しく、澄んだ空気の中孤独に浮かんでいた。
手が何かに触れている。
「ご主人様、ご無事ですか!?」
弁当箱だ。そのまま数センチずらすと、ハルの手に当たる。
「何が起きたんだ……」
砂の上に寝ているようだった。
「申し訳ないですが、私には分かりません。さ、とにかく起きてください。――お逃げにならないと危険です」
「『逃げる』って、何から……っ!?」
身体を起こして視界に入った光景に息を呑む。魁とハルが座っているのは、半径二十メートル程度のクレーターの中心。そしてクレーターから外に出れば――戦争だ。
絶え間なく鳴り響く大太鼓の音。角笛が気味の悪い旋律を吹き鳴らし、人の叫び声と、鉄の合わさる音が砲声に吹き消される。種々の動物めいた異形の人間と、鎧兜の兵士たちが槍を突き合わせた。遅れてこの場が海辺の砂浜であることに気付く。海の方面にはぽつぽつと火を灯す帆船の群れ。陸には土塁が築かれ、弓を持った兵士たちが怪物どもに狙いを定めていた。
「な、なんだよこれ!」
魁は叫んだ。大型トラックが安息の象徴である自室に突っ込んできたかと思えば、今度は地獄絵図のような戦場だ。到底受け入れられるものではない。
「早く逃げてください!」
しかし、疑問に思う間もまた無い。ハルに手を引かれ走り出した。幸いにして、魁の目覚めたクレーターは陸地側、土塁の一部を巻き込んで決壊させている。土塁の向こうにある森まで逃げ込めば、戦場からは離れられそうだった。
緑色に近い顔が潰れたような大男、異形の戦士が防備の隙を見つけて突入してくる。奴も土塁の向こうが目当てのようだった。
「我、オークのアレウス、一番乗り頂きぃ!」
しかし、アレウスは横から方陣を組んで押し寄せた人間の長槍に囲まれ、動きを止める。人間側も、怪物と戦おうとするだけあって凄まじい行動速度と連携だ。
「ぬぅっ!?」
オークのアレウスは弓の狙撃によって膝を付いた。続けて槍衾に巨躯を貫かれる。彼は血反吐を吐きながら笑うと、自らの鎧を引きちぎる。陶製の壺のようなものがみっしりと埋まっていた。
「もはやこれまで! 先に神の御許に罷り越す!」
爆弾だった。アレウスは槍兵ごと爆発四散し、後には煙を立てる血溜まりが残された。爆発の破片が魁の右太ももを擦過し、遅れて血が流れた。
「ご主人様!?」
「大丈夫だ。ハルは――」
「私のことなど、何もお気になさらないでください!」
戦場は魁とハルなど一顧だにしない。背後で牛のような頭の怪物が檄を発す。
「見事なり! オークのアレウスが殉じたぞ! 讃えよ!」
牛頭に呼応して、周囲の異形が高揚した声で唱和する。
「アレウス!」
「アレウス! アレウス! アレウス!」
理解不能だ。なぜ奴らの言葉が分かるのかも、奴らの思考も。日本語として意味は伝わってきているにもかかわらず、何一つ共感できない。
最低の死地から抜け出すため、森に踏み込もうとした足は思わぬ妨害に遭遇した。地面が白むほどの高温が、青草を一瞬で消し炭に。水蒸気の壁が視界を覆う。
「やれやれ、貴様ら脱走兵か?」
横から声を放ってきた男は、明らかに他の兵とは違う。毛皮などで装飾された兜の下には鋭い目。その頭上には見知らぬ文字が浮かんでいる。発音は不明だが、なんとなく意味は伝わった。
「“赫獄”って書いてあるのか?」
魁の呟きに眉根も動かさず、男はその場に立ち尽くしている。
「ふん、スキルを目にしてやっとその名が出てくるとは、愚鈍な兵だな。左様、俺が“
「俺たちは兵とかじゃないんで、逃げたいんですけど」
今にも飛び出しそうなハルを背に下がらせながら、魁はソレントに向けて言った。
「駄目だな。貴様もこの土地の人間ならばこの土地のために戦え。土地の者ではないのならば祖国のために。スヴェンランド人でもないならば人間のために戦え。魔族ならば――俺が殺す」
話が通じない。あの戦場に戻る他無いのだろうか。無理だ。魁は確実に死ぬ。
ハルも記憶素子が物理破壊されてしまえば終わりだ。ハルのような高機能電子頭脳のバックアップは技術的に不可能である。旧来のような01データで構成されているわけではない。
ソレントは雑兵相手にあまり辛抱強く待つつもりもないらしい。彼が指を鳴らすと、熱の塊が地面を伝って一気にこちらまで迫ってきた。
「お下がりください、ご主人様!」
あくまでハルはこちらを庇おうとするが、誰が前に出ようと同じだろう。腕を横に伸ばし、ハルを押し留め続ける。これは主人が決定すべきことだ。メイドロボの出る幕ではない。
「貴様らが敵を引き付けてくれれば、俺のスキルで一網打尽にできる。勝利に向けて協力しようと、指揮官として正しく命じているだけだというのに。――臆病者は戦場に不要だ。女もろとも処断する」
抗議の間も与えてはくれなかった。大人しく頭を下げてあの浜辺に戻るべきだったのか。今更後悔しようと遅い。ソレントは再び指を鳴らそうと腕を上げる。
しかし、その腕が落ちることは二度と無かった。彼の首が胴体から離れ、その煌びやかな兜もろとも背後の木に突き刺さってしまったからだった。
兜は矢で縫い留められている。敵の狙撃にやられたのだ。
「チャンスです、ご主人様!」
熱の残滓は未だに感じるが、跨るもの全てを焼き尽くす程ではない。無言でハルに頷き、森に飛び込んだ。背後からは指揮官の戦死を伝える叫びが聞こえた。
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