川柳と都々逸の里 第1回

里企画、今回は川柳と都々逸ということで、これまでより少し長めに募集期間を設定させていただきました。結果、何と、三名の皆様にご参加いただけました⁉(しかも、三名とも、企画を出した当日か翌日にご寄稿下さった方々ばかりです)。紫 李鳥さま、森緒 源さま、平中なごん様、本当にありがとうございました。深く、深く、深く、感謝申し上げます。企画は五月一日現在も進行中ですが、これ以上の参加は望み薄かと考えて、とりあえず総括に入りました。もし、もし、万が一、友未の紹介文に触発されて、それなら私もと思い立って下さった作者さまがございましたら、今からでも是非ご寄稿をよろしくお願い致します。それにしても … 、都々逸はともかく、川柳ってそこまでマイナーなジャンルなのだろうかと不審に思い、遅ればせながらカクヨム検索してみたところ、ただ今現在、「都々逸」でも十五件、「川柳」に至っては413件(数えました!)ものヒットがありました。では、なぜもっと多くの方々に参加して頂けなかったのだろうかと、色々な可能性を考えてみたのですが …

可能性その1.15件中1件、413件中2件の反応を頂けたのなら欲は言えない。(自主企画への参加率なんてその程度?)

可能性その2.川柳や都々逸を書く人は、自主企画にあまり興味がない。(俳句を書く人には物事に執着のない方が多いという噂があります)

可能性その3.自主企画に興味はあっても、「どうせ川柳や都々逸の企画なんてないだろう」と最初からあきらめているので気づかれない。

可能性その4.今回の企画が、俳句や短歌を排除したために応募し難かった。(企画のテーマに「笑い」を含めるための差別化でした)

可能性その5.友未が嫌われている。(そこまで有名人ではないはずですが … )

いずれにしろ、こうなったら意地でもこの企画を二度、三度と繰り返して、川柳や狂歌や都々逸の普及に貢献させて頂く覚悟です!


さて、都々逸は、紫 李鳥さまの紹介にもあるように「七・七・七・五」形式の短詩です。個人的感覚で言えば、西洋音楽のリズムとして捉えた場合、俳句や川柳が三拍子系二小節のリズム(四拍子系三小節ととるよりも)

  ふるいけ やぁぁぁ ✖かわず | とびこむ みずのお とぉぉ✖

であるのに対して、都々逸は四拍子系二小節の弱起のリズム

  ✖たてば しゃくやく すわれば ぼたんン |

  ✖あるく すがたは ゆりのは なぁぁ✖

                   (一文字=十六分音符、✖は十六分休符)

であるように響きます。

三味線を伴うお座敷唄のイメージが連想されるように、同じ笑いでも川柳や狂歌に比べて艶っぽいテーマや表現に味がありますが、そうでないテーマを詠むのも自由です。紫 李鳥さまの「都々逸(どどいつ)」は、いかにも都々逸らしい雰囲気にあふれる愉しい世界でした。(以下、全て紫 李鳥さま作。原文は四行に分ち書き)

  

  わたしゃあんたの惚れてるボタン袖にしながらほころびる


  添い寝するのに枕は要らぬ主のかいながあればいい


  差しつ差されつ酒酌み交わしゃ頬に日が射す紅が注す

  

  好きな男にゃ妻子があって嫌な男にゃ金がある


  口にゃ出さぬが顔には出てる忍という字の刃のものが


洒落や頓智、言葉遊びも都々逸を支える大きな柱の一つでしょう。この点では語数の多い分、川柳より有利かも知れません。


  梅雨は明けても気持ちは晴れぬ主の気持ちもつゆ知らず 


  惚れているのに不知火知らない素振り主の気持ちは蜃気楼


  切歯扼腕せっしやくわんひらがなにすりゃ拙者せっしゃ喰わんと読めもする


  ぼくは和尚に拾われた犬オテにオスワリフセ布施をする

 

  蟻がとおなら芋虫ゃ二十歳はたち四十しじゅう私はサバを読む


  坊主憎けりゃ袈裟けさまで憎い今朝けさになってもまだ憎い

  

  成人式に振袖ふりそで着れば降りそで降らぬ雪催ゆきもよい


以上、紫 李鳥さまの名作でした。

都々逸ジャンル、おひと方だけではいかにも寂しかったので、友未もがんばって生れてはじめて試し詠みして飛び入り参戦させて頂きました。ただ、固有名詞をご存じない方にはおわかり頂きにくいかと。


  きみの本命だれかと問うにコントレイルと笑うひと

  白いうなじにほつれる髪の追えど届かぬ名もソダシ

  よそ見しないで浮気はダメよ馬の切符で懲りたはず

  負けてあげましょルメールよりも手綱さばきのうまい方

  差せばハヤブサ逃げれば飛竜こける姿はカバみたい


お粗末でした。


川柳と俳句の境界は、必ずしもはっきりしたものではなく、俳句とも川柳とも呼べそうな句も少なくありません。ただ、よく「俳句は自然を詠み、川柳は人を詠む」と言われる見分け方は、中らずと雖も遠からずで重宝でしょう。俳句ももちろん人を詠むことはありますが、その場合も自然や風物に託して描かれるのが普通です。俳句より川柳に親しみやすを覚えるとすれば、それは、やはり「笑い」の力なのかもしれません。むろん、笑いのない川柳もあれば笑える俳句もある訳ですが …

友未なりに定義づければ、俳句が詩なら、川柳はエッセイです。

森緒 源さまの「風流川柳只自己流❗」は、そういうエッセイ的な親しみ感にあふれた芸能あり、スポーツあり、時事風刺ありの痛快な世界でした。(以下、全て森緒 源さま作。原文は三行に分ち書き)


  変異するウィルス変わらぬこの議会


  行けと言い行くなと知事に言わす国


  旅行けず駿河のお茶を家で飲む


  距離を取り喋らず触れず君のため


  団らんに慣れぬ家族の冬籠り


  繁華街灯り無き夜の家路かな


  ワクチンをまずはサンタに子の願い


  来年に なっちゃう前に鬼笑う


  緊急かもはや常態宣言を


  悪い顔選手権だな国会は


  もうやめろ知事も署名の水増しも


  敵わなきゃ相手の主力取る巨人


  鷹狩りに獅子より強いカモメ行く


  釣りキチの竿を描いた筆折れる


  はしゃぐ子に島々見せて船沈む


  暴走が族より怖い老人車


  秋深し小春日和の夏日かな


以上、森緒 源さまの名作でした。


大トリは平中なごん様の「怪談句集」。文字通り怖~い句集です。怪談を夏の季語と考えれば俳句かも。テーマが心霊や怪奇現象なので、「俳句は自然を詠み、川柳は人を詠む」のどちらにも該当しません。まずは一句。


  第八句 もとは旧日本軍の……(三ダンク入選作) 

     枕元 軍靴が今宵も 通り過ぎ


それぞれの句に、そのものずばりのタイトルが添えられています。あなたはどの体験がお好みですか~~?


  第三句 人数が合わない

     三人で 入った喫茶 水四つ


  第九句 水道

     閉めたはず 風呂場の水道 また出てる


  第十七句 病院(病室編)

      あの部屋に 入った患者 二度と出ず


  第二十句 心強い

      肝試し 握ったその手 誰のもの


  第二十一句 心霊スポット(一列で進む編)

       最後尾 なのに後に 誰かいる


  第二十二句 心霊スポット(一列に進む編其之二)

       前を行く 彼女の背中 知らぬ人


  第二十五句 お化け屋敷

       腕握る そんな仕掛けは ないらしい


  第二十六句  招かれざる客

       うちの子が 知らないおじさん いると泣き


以上、平中なごん様の名作でした。


おあとが宜しいようで。









  


  


  


  


  


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