詩歌と短詩の里 第1回

今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬのかこいつぁたまらん(蜀山人 辞世)


裏を見せ表を見せて散るもみじ(伝 良寛)



 詩や歌は身近でありたい、額縁に収まり、部屋の壁に飾られて眺められるだけではなく、いつも心のどこかに携えられていてふと口ずさまれるようなものでありたい、ひとりでに声で試してみたくなるような姿でありたい、という強い願いが友未にはあります。短く、語呂よく詠うことへの憧れです。短さは、また時として、線描的な余白への誘いであるような気もします。そして、何よりも歌うこと!歌心を忘れた作品は捨て犬のように孤独で、憐れです。

 さて、今回の企画には、九つの詩歌集(俳句3、短歌3、都々逸1、エッセイ1、雑詠1)と、幾つかの現代短詩集をお寄せ頂くことができました。昨年の、友未としては初の詩歌企画「川柳と都々逸の里」へのご寄稿が、都々逸の紫李鳥さま、川柳の森緒源さま、怪談俳句の平中なごん様のお三方さまだけであったことや、後の企画、「詩とうたの里」にお寄せいただいた皆様がたの作品内容と比べましても、詩歌部門の充実ぶりには目を見張らされるものがありました。反面、川柳作品がなかったことは以外でもあり、寂しくもありましたが、それを補うかのように、南雲さまから希少な都々逸集をお寄せ頂けたことが大きな喜びでした。一方、現代短詩に関しましては、「1篇10行以下」の原則をお守り頂けなかったご寄稿が非常に多く、10名近い参加者さまにご辞退して頂かなければならなくなりました。また、友未の不手際により、本来ご辞退をお願いしなければならなかったはずの詩が一、二、残ってしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。友未の企画は回ごとにかなり性格の異なることがあり、時には狙いががらりと変わる場合もございますので、企画ごとに詳細をお読み直し頂ければ幸いです。

 さて、今回は、詩歌の魅力や愉しさを少しでも多くの皆様にお伝えできればとの思いから、お寄せ頂いた九つの詩歌集すべてについて、何篇かの句や歌や曲をそのまま抜き出させて頂き、無用なコメントなどは目障りにならない程度に止めさせて頂くことに致しましょう。便宜上、伝統詩歌と現代詩歌に分けてご紹介してまいります。まずは、伝統詩歌から。


♩ 最初にご案内するのは、古博かんさまの「タイトルで一首 本文で読書旅行」という紀行文です。


   南天の生りに生りたる街角のさきはひ願ふ年の暮れかな


   あけてこそ良さを知りなむ玉くしげ黄金にそめし茅渟の海とは


   吹く風に枝垂るるこぬれふれぬれば川面におりぬ桜錦を


 短歌集というより、実質的には、短歌をタイトルに持つ風物と歴史のエッセイ集でした。中でも、上記3タイトルは特に印象に残りました。中には、単体の歌としては多少怪し気なものも無きにしも非ず(笑)でしたが、趣深い落着いた文章で綴り出されるエッセイがあまりにも美しく、全て赦したくなってしまいます。二首めの「茅渟」は「ちぬ」。そういえば黒鯛のことも「チヌ」と呼びますが …


♩ 次にご紹介する終夜よもすがらさまの「終夜自撰百首(~2022年3月)」は、さながら古今集、新古今集の世界へのタイムトリップです。


   なき水をくくるや峰のさくら花

             風のなごりの空の白波


   五月雨さみだれに濡れてぞかをるあやめ草

          同じ我が身はにほはざりけり


   雲裂くかみの荒音あらおととどろきて

          風吹きまどふ夕立の空


   もみぢ葉のとまるみなとは冬されば

         くれなゐ深きこほりとやなる


   咲きにほふ春の盛りの夢さめて

            そともに散るは白雪の花


   恋しさも告げでは人の知らなくに

          いかで思へと我かこつらむ


   淡路島あはぢしま藻塩もしほたれつつひたぶるに

         人をまつほのうらぞ悲しき


   かたらひし昔にしげき言の葉は

          秋の嵐に散りにけらしも


 全百首は、季節やテーマによって十一に部立てされており、ここでは省略させて頂きましたが一首ごとに非常に丁寧な解釈や、文法・技法上の解説、本歌どりの場合はそのもと歌や参考歌まで添えられていて本当に助かります。一通り読み切るのにまる十日間かかりましたが、もしこの虎の巻がなければ三分の一か、せいぜい半分くらいしか理解できなかったでしょう。たとえば「五月雨さみだれに濡れてぞかをるあやめ草/同じ我が身はにほはざりけり」の歌には、「(五月雨に濡れて、かぐわしい香りを放つ菖蒲しょうぶ。それと同じように、私も物思いに心乱れて涙に濡れているのだが、私からは良い香りがすることもないなあ。)●「五月雨」と「さ乱れ」を掛ける。」とあり、同じ我が身はにほはざりけり、という下の句のさりげなさに新めてハッとさせられたりします。いかがでしょう?あまりに浮世離れしすぎているしょうか。残念ながら友未にはこれらの歌が過去の美学を類型的に上書きしているだけのものなのか、あるいはそれ以上のものなのかを見極めるだけの力はありません。ただ、終夜さまがこうした世界に深く心酔されていること、この百の歌が付け焼刃の生半可なお遊びで詠めるものでない事だけはまちがいありません。


♩ 紫 李鳥さまの「夏の俳句」は、季語や十七文字のリズム、また写生を尊ぶなど、古典的にして奇を衒うところのないまっすぐな魅力でした。ことさらに擬古的というのではなく、現代の風景が素直に詠まれています。


   かき氷パラソルに入る汐の風


   炎昼の色鮮やかなむくげ哉


 どの句も一見、やや類型的に見えるのですが、もし今夜、隣の芭蕉おじさんが「古池や蛙飛び込む水の音」とか「名月や池をめぐりて夜もすがら」なんて詠んだら、友未はやっぱり類型的だと言ってしまうでしょう。俳句は難しい。この句集には、実は友未が一番好きだった「クロールや」と少女を詠んだ句が含まれていたのですが、友未のコメントが誤解されてしまったのか、他の句に差し替えられてしまいました。紫 李鳥さま、ゴメンナサイ。


♩ 上月かみづきいのりさま、「短歌や川柳・詩の類」からは、まず「まだ二月なんですが」


   空耳は

   如月きさらぎを鳴く

   油蝉


 「は」は「の」にしても面白そう。次に、「青春したい」ですが、


   恋心

   炎暑も今や

   心地良く

   ぜる思いは

   かけ足のなか


と、羨ましい。さらに「おしゃれ 秋」


   したためた

   文には添えぬ

   秋風の

   代わり務める

   かえで封緘ふうかん


ですが、極めつけは「節分」でした!


   豆撒けば

   鳩の朝餉あさげ

   福は内


友未はこういう句が大好きです。楽しくて、近くに豆があったら言葉に合せて「福は内!」と撒いてしまうでしょう。

お終いは「国木田独歩先生から影響を受けて」


   とばり

   驟雨しゅうう穿うがつは

   武蔵野の

   文色あいろわからぬ

   暗がりの木々


侘しさに引き込まれて行きました。


♩ 少しおかしな呼び方になりますが、古典的現代俳句とでも言いましょうか、橘暮四さまの「穴を埋める」は山頭火の足跡を追い辿って行く重厚な自由律スケッチでした。


   薄空とはこんな空だ陽が低く差して


   列車が往って夜は明けない


   枯葉転がる春風が吹いていた


自由律俳句ではお馴染みのぶっきらぼうな物言いの背後に微かな虚無とデカダンスの匂う日没の情感です。


   誰も夕陽を観ていない写真を撮る


   誰も帰る家が在る無人の駅


   花の名も解らず夜に向かう駅


♩ 満井源水さまの「短歌集『喪服とビニール傘』」は口語によるタイトル付きの現代短歌で、終夜さまや古博さまの作品より、ずっと砕けた今日性があります。作者ご自身は「基本的に暗いです」と紹介されていて、なるほどそういう傾向もありますが、ドキッとさせられたり、苦笑してしまったり、抵抗なく拝読させて頂くことができました。


   「アイスキャンデー」 不揃いに割れたアイスのでかいのをあげたくなること                                    

              それが愛だよ

             

   「せんせい」 「バナナはおやつじゃない」と言うあなたへの想いは恋に含ま

          れますか


   「ささくれ」 たましいのささくれをなぞる夜にだけ 君を生まれたときの名

          で呼ぶ


   「自殺」 透明な塊による窒息が社会のバグで自殺と呼ばれる


   「花」 花 世界がいくら狂っても僕を殴らずにただ揺れているもの


   「計画」もう全部どうにもならなくなったらさ 輸送車襲おう動物園の


   「ガム」 ミント味が抜けて吐き捨てられた悪意の塊が散らばる歩道


♩ さて、都々逸の登場です。南雲 さつきさまの「都々逸習作集」。七・七・七・五のリズムがほぼ踏襲されているのが個人的に嬉しくてたまりません。


   痺れた腕に寝顔と温もり/目覚まし止める/鳴る前に


これ、友未も時々やるのです。


   ぶっきらぼうな貴方の珈琲/お砂糖一粒/投げ入れて


   お隣さんがカレーを作る/我が家も向かいもつられます


ひどく単純なのですが、友未は最近、こういう歌がどんどん好きになってきています。ありふれた可笑しみをさりげなくすくいとる  ―  俳句で言う「軽み」のようなセンスでしょうか。


   私のために争わないで/そう言いながらほくそ笑む


   仕事疲れて癒しを求め/私の腹肉つまむ彼


まさに友未好みの一曲。どなたか三味線で節を付けて下さい!


都々逸や川柳は、人間性や社会の機微を突いてくすぐるのに恰好の歌謡形式ですので、この先、さらにファンが増えて行きますように。


♩ 次にご紹介する目さまの歌集「イヒヒ姫とニタ郎のサンバ」と、つくお様の自薦句集「ハズレ」は、共に、ひと度読みだしたら笑いが止まらなくなる禁断の書ではないかと思います。早く読んでおかないと、カクヨム上から取り除かれかねない危険な作風で、友未的には「ゲリラ短歌」「ゲリラ俳句」と呼んでおきます。「エンタメ短歌」「エンタメ俳句」と呼ぶにはあまりに無気味な迫力と衝撃があり、存在自体が遊びと芸術のすき間を突いているようで、油断していると喰い付かれるかもしれません。


「うぐいす」 うぐいすの声の届かぬ視聴者に不意を打ちたる字幕

       「VOW!WOW!」


「こい」 こいのひげひっぱりたくてもぬるぬるでぱくぱくしながらにげてしす


「青」 頭頂より旅立つ気球は吊り上げよ赤い動脈青い静脈


「シチュー」 グラグラと煮えるシチューを泳ぎゐる丈夫な金魚に餌はやらない


「石」 石と右さて本物はいずれかと盗聴器からの煙ひと筋


「幽霊」 卵殻と肉まんの皮と餃子の羽根 幽霊家族の行楽弁当


「虹」 村人が昨日も今日も倒れ逝く縄文時代の虹の根元で


          (以上、目さま、歌集「イヒヒ姫とニタ郎のサンバ」より)


「うぐいす」は狂歌的。「石」は友未のイチオシです。さて、次につくお様。


   誰にも賛同されない考えを壁に掲げた部屋で寝起きする


   剥き出しの公衆便所で用を足す


   行く手に誰もいないのにフェイントかける散歩道


   素手でもぐらを掴んだ感触に似ていた初体験


   まっすぐすぎるエビフライはいかに生きたか


   家族みんなが笑顔の家で見知らぬ子どもが死んでいる


   家に帰ってから笑う


               (以上、つくお様、自薦句集「ハズレ」より)


「素手でもぐらを掴んだ、てどんな感触やねん!」とか、一々ツッコミを入れなくては気が収まらなくなくなってしまいます。最後の句は「咳をしても一人」(放哉)風。


おふた方とも、大丈夫でしょうか?どうか、お大事に。


♩ 現代短詩からは三つの作品をご紹介しておきます。一つ目は遊楽さまの詩集「夜」から。


       おやすみアンハッピー


   暗い部屋に 灯りひとつ

   眠気を誘うはずの 暖かな光


   でも私 まだ今日を終えたくない


   だからスマホなんか手に取って

   あがいてみる

   なんの意味もないのに


   明日が来てしまったら

   やれたはずの なにかが死んでしまう

   そんな気がして


   泣きたくなるほど 呆れるほど

   抗って おやすみ


                 (「おやすみアンハッピー」全文)


さながら夜から生み出された溜息のような小夜曲集で、殆どの詩がさらに短く、自由短詩としては、今回の企画の「詩は短く身近でありたい」という趣旨に最もかなった佳品でした。


♩ 次に崇期さま、「街の本屋がなくなる前に」から最初の詩


   体の中にいくつ異常石を持っていても

   それで肩掛けPCがだめになることなんてないよ


   お医者さんの口から聞いて 私の言葉で慰められることが

   あなたの理想とわかっているのに私は


                          (全文)


スタイル的に実に友未好みで、これぞ短詩です。論理的、かつ、ナンセンスな余白に惹かれます。


♩ 最後にご紹介させて頂くのはモグラ研二さまのソネット(14行詩)「モグラ研二のソネット」から。作品タグによると「万人向け」だそうで、目さまの「イヒヒ姫とニタ郎のサンバ」や、つくお様の「ハズレ」、呉 那須さまの「さわる」や「私たちの踊り場でまた会おうね」などのファンは必読です!どの詩にも下ネタとナンセンスがエネルギッシュに詰め込まれていました。


        未知の音楽


   廊下の端に蹲る子豚みたいなおじさんは

   全裸で汗を掻いて震えていて

   子豚みたいなアヌスだからみんなが

   可愛い可愛いと言って撫でてくれる

   と思ったのに全然違う

   キャンドルを暗い場所で点ける

   とても綺麗でみんな涙ぐみそうになる

   転んで手を地面についたら

   鋭い砂利だらけで手が傷だらけになり

   世界中の砂利死ねって思う時に

   持っているキャンドルで

   突き出されたおっさんのケツの毛に

   火を点してやると

   聞いたことのない音楽が鳴り始める。


                (全文)


この詩集はソネットですので「10行以下」という規定に抵触するため、悩んだ末に(確立された短詩型という点では参加して頂いても良いのではないかと迷いました)

他の、辞退して頂いた皆様方との公平性の観点から、最終的には削除させて頂きました。ただ、上記の理由から、救済措置として特例的にご紹介させて頂くことに致します。


 蛇足ながら、お口直し(になるでしょうか)を二つ、と、おバカ唄を一曲。


   物干しの脚に絡める朝顔の枯蔓ゆるし今朝家を越す (友未)


   花びらを裂ひてにほひに見あぐれど行く雲もなし木蓮の庭 (友未)


   ひだり向ひてもみぎ手を見てもうたひたくないことばかり

                 んだ秀句が恨めしい (友未)


( 唄意:右を向いても左を見ても歌に詠めないような厭な出来事ばかりの世の中なのに、詠めば秀句になってしまう我が身の才気がむしろ疎ましい (*_*)/ )














   




   



   



 

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