不条理の里

          死ぬ予定どこにも入れず茶碗蒸し


 三つ葉、銀杏、椎茸、小海老、筍 … 、お茶碗の内には小さな愉しみが一杯です。死ぬ予定はカレンダーのどこにも入れていないことを思い出しました …


 「不条理の里」へのご参加ありがとうございました。今回は当初の想定をはるかに上回る46篇(主催者の拝読させて頂いた作品の実数)もの妖しく愉しい作品をお寄せ頂くことができ、嬉しい驚きでした。お礼申し上げます!(今回の「不条理の里」はこちら → https://kakuyomu.jp/user_events/16817330664249043608?order=published_at#enteredWorks

 どんな言葉もそうですが、「不条理」という単語にも十人十色の解釈があるのは当然かもしれません。ネットや辞書を牽いてみますと「不条理」の類語として、よく、「理不尽」という言葉が引き合いに出されており、共に「道理に合わない」ことを意味するけれど、「理不尽」は主として人の行いや営みに起因する出来事に対して使われ、「不条理」の方は人知の及ばない不合理を呼んで使われるというような説明がされています。たとえば、納得できない不当判決は「理不尽な判決」なのであって「不条理な判決」ではありませんし、神の御業みわざや量子の振る舞いは「不条理」なのであって「理不尽」ではないといった具合です。語感としては「理不尽」には抗議や憤りのニュアンスが込められ、「不条理」には「納得できないのに了解するしかない」割り切れない思いが漂っていそうな気がします。では、ある人が普通に道を歩いていたのに突然通り魔に襲われ、ナイフで刺されて大けがを負わされてしまったら、それは不条理でしょうか、理不尽でしょうか。何の謂れもなく突然刺されるなんて全く理不尽な災難ですが、今の今まで元気だった人が訳もなく突然こんなことになるなんて運命とは底知れないものだとショックを受ければ不条理だと言いたくなるかもしれません。また、不条理には他にも耳なじみのある「ナンセンス」や「シュール」など、類似する概念もあり、これらも相互背反的な言葉というよりは、「ナンセンスで不条理な」作品があるかと思えば、「シュールだが不条理でない」作品があったりと、重なったりはみだしたりする位置関係にあるように思えます。ただ一つ、常識や科学知識に反することが書かれているからと言って、だから不条理だとはならないという点だけは押さえておくべきだと感じました。さもなければ、異世界や幽霊や魔法やUFOの登場する作品は全部不条理小説だということになってしまいかねません。奇妙でナンセンスなお話でも「不条理」という言葉の似合わないものは山ほどあるはずですし、その逆に、不条理は別に奇妙な顔をしている必要はなく、むしろ当たり前の顔でそこら辺に転がっていることの方が多いのかもしれません。たとえば別々の場所に置かれた二つの目覚まし電波時計が同時に鳴り出した時、あるいは、朝、玄関先で昨日の雨に濡れたまま立て掛けられている傘を認めた瞬間、人はそこに何の不合理がある訳でもないのに、得体の知れない違和感を覚えたりするものではないでしょうか。

 これまでの友未企画と同様、今回のご紹介に際しても、ある人にとっては「不条理」だが別の人にとっては不条理とは呼べなさそうなケースまで含めて、「不条理」という言葉を最大限拡大解釈し、例のごとく客観的評価ではなく、ひたすら好みに徹してわがままを通させて頂くと致しましょう。


 ∮ 今回、友未の好みにピタリとはまったイチオシ作品のひとつが、川辺さらり様の掌編【ものもらい】(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330664310184398)でした。

 50歳を過ぎた頃から体に無理が効かなくなってきた主人公、相川匠氏が、ストレスのせいか「右目の眼球をガーンと鈍器で打たれたような鈍い痛み」を覚えて、ものもらいだと診断されます。そして、自分の瞼のなかに入って行くのですが …

 軽妙なのに浮つかず、さらっととぼけたペーソスの可笑しみと温もりがたまりません。何より、を見つけた飼い猫のムギが「前に出した前足を宙で止めた」警戒姿勢と、細君がトイレに流してしまうラストを抱きしめたくなりました。新作とはいえ、こんなに愉しいのにまだあまり読まれていないようなのが残念です。別アカウントをいっぱい作って、あと30個くらい☆をプレゼントしたくなりました。


 ∮ 十三岡繁さまの【第0章 植え込みにブラ】       

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330650376133317)も短いながらきちんとまとまった、スタイリッシュでちょっぴり悪戯な佳篇です。「コーヒーを待つ間、ふとガラス越しに道路に目をやると、歩道の植込みの下に何か白い布切れのようなものが見えた。」というお話で、タイトルや紹介文だけ見ますとライトノベルのようですが、確かな文章や、量子的重ね合わせとパラレルワールドがごく自然に結びつけられた言及など、むしろSF掌編と呼ぶ方が似合っています。お言葉通り、「本人の意思とは関係なしに、道に落ちているブラジャーを見つけただけで、異世界に連れていかれる」ことの不条理さと、キーアイテムなら他にふさわしいものがいくらでもありそうなものなのに、よりにもよって何でブラジャーなんだという可笑しみがたまりません。


 ∮ ゆげ様の【夜宵 〜トマトと卵のラーメン〜】

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330662283997497)は、今回のご参加作品の中では数少ない現実感のある作品で、「西紅柿雞蛋麵」というラーメンを通して癒され、深く結ばれて行くきょうだい二人の姿が純文学的なタッチで紡がれる感動作でした。最初の章では、一つの固有名詞が物語全体の様相を一変させてしまい、後半の二章目では熱く切ないものが一挙に胸を直撃してきます。最後は、押し寄せるがごとく畳みかけられて行くヒューマンな熱気にあてられて、ちょっぴり照れ臭くなってしまうほどでした。そう、チャイコフスキーの第一交響曲のフィナーレみたいに盛り上げ過ぎですが、思いのたけをぶつけ尽してしまうこういうのも悪くありません(笑)。食べ物や料理の持つ、人をほぐし、赦す力が見事に冴えた好篇でした。


 ∮ 食べ物つながりでは、江山菰さまの"【実録】謎の酵母でパンを焼く"

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330665035138384)なる小エッセイ。手間暇かけて実際にそこら辺の雑菌や酵母を集め、わざわざ不味いパンを焼こうという不条理レシピでした。パンのお味はいざ知らず、文章の方は小粋な風味でお勧めです。


 ∮ 一方、シンカー・ワン様の【うどんに告白されました。】

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330664656393236)は、きつねうどんに告白された高校生の主人公がきちんとお断わりするショートショートです。その対応がいかにも誠実過ぎて、読んでいてコケました。


 ∮ 今回、最も友未好みだった着想が矢向 亜紀さまの【ピーナッツバターを塗る仕事】(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330653213341610)。「建物にピーナッツバターを塗る仕事を続けて十年になる私」の物語です。タイトルを思わずハグしてしまいました。が、ピーナッツバターが人間の食べ物とは違う種類だった事や、人間味の漂う展開だった点に、不条理やナンセンスになりきれない何かの残渣を感じます。


 ∮ 同じ食べ物でも、筏九命さまの【ピザ葬】

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330659289864707 )はグロテスクです。死んだらピザにして欲しいという遺志に従ってピザになった祖父を親族や知人たちが切り分けて、頂き、弔うという話です。こういうシチュエーションで書けば、普通、こけおどしのお手軽コメディーか、気味の悪いホラー奇譚になりそうなものですが、この作品ではカリバリズムというおぞましい素材が純文学風に(本物の純文学ではないとしても)しれっと処理されて行くアンバランスなもっともらしさに、底知れない危うさと面白さを覚えました。そう、最初は参加しないと言い張っていた中学生の主人公が、最後には「私も死んだらピザになりたい」と悟ってしまいました!


 ∮ それ以上に残酷だったのが、ちくわノートさまの【東京。ビルに天女に紫煙を】(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330660505511380

バイオレンス趣味全開のシュールな都会型ファンタジーで、ハードボイルドタッチの強烈なパンチを喰らわされるため、苦手な方はパスされた方が無難かも。友未の好みには多少反するのですが、不条理を存分に満喫させていただけたこの迫力は、見て見ぬ振りでやり過ごすには魅力的過ぎました。


 さて、次に、ご紹介させて頂く三者三様の作品は、いずれも「読んだ」という手応えをずっしりと実感させていただけた力作、大作たちです。ただし、皆、ショートショート集か、せいぜい一万字以下、一万五千字程度の短編なのですが。


 ∮ 橘 永佳さまの掌編集【春子の日々】 

(→ https://kakuyomu.jp/works/16816927860546258572)は只今現在、18話まで続く一話読み切り型連作エピソードで、今回はとりあえず「再掲」と表記された最初の四話を拝読させて頂きました。が!「主婦の春子さんの平凡な、だけどちょっぴり不思議な日々のお話です。」という作者の紹介に騙されました。このどこが「平凡」で「」不思議やねん!ものの見事に頭がプッツンさせられてしまいました。よくぞまあ、これだけぶっ飛んだでたらめばかり、次から次へと並べ立てて行けるものだと呆れ果ててしまいます!どういう世界観やねん。不条理も休み休みに言え!と叫び出したくなって来ました。携帯型超電導投射式蠅たたき『叩くんですmk-Ⅲ改(※中古型落ち・バッテリー欠品)』とか、逆位相転写式安全呼び鈴『どこでも柏手(※呪力充填池保証期限切れ)』とか、独股印大金剛輪印外獅子印内獅子印外縛印内縛印智拳印日輪印隠形印とか、八制式拡張型短中距離転移装置とか、読み流すだけで疲れます。ドラえもんもひっくり返るこの位相幾何学的日常風景中、友未的にとりわけ印象深かったのが、第2話「お買い物編」に於ける“天人舞踏”のシーン、一番欲しかったのは、第4話お料理編の『無かったことに』ボタンです。ナンセンス恐るべし。


 ∮ 【カルネアデス】七里田発泡さま

(→ https://kakuyomu.jp/works/1177354054882120762)は、それとは真逆の、強烈なペシミズムに貫かれたシリアスで重く鋭い、一種の終末系SFです。謎の病原体でバタバタと倒れて行く者たちを、為す術もなくただ処理し続ける他ない主人公たちの姿と言葉を通して、人間というもののどうしようもない本性が否応なく暴き出されて行く痛みに満ちた挽歌でした。溺れかけた二人の人間が一枚の板を奪い合う「カルネアデスの板」が、理想と現実のせめぎ合う不条理そのものの象徴のようにさえ感じられます。死に行く間際に訪れる金色の稲穂の揺れる故郷の風景、目を背けるしかない絶望に沈み尽してなお絶ち切ることのできない楽園への憧れ、現実が酷く、醜ければ醜いほど、その哀しみと願いの切なさがヒューマンな鋭い痛みとなって刺さってきます。

 因みに、同じ作者の【時間系SF短編集】の第二話【通知表】

(→https://kakuyomu.jp/works/16816700427270980983/episodes/16816700427339811644)にもまた、人間性へのやりきれない諦観が突きつけられていました。【カルネアデス】と比べると表現的には多少粗削りな点もありそうですが、負けず劣らず、人の不条理を詰問するかのような慟哭作品でした。


 ∮ 「不条理小説ってどんなものなの」と誰かに尋ねられたら、「ほら、こんな感じのやつさ」と躊躇ちゅうちょなくすすめられるのが久里 琳さまの【ロカイダル】。

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330661977588382)今回の企画中、単篇としては最長の15,934文字の大作でした。通勤のため駅へ向かう途中、見知らぬ男から「ぼくのロカイダルを殺したでしょう?」と意味不明の追求を受ける発端から、次々に登場する人々のおかしな言動に否応なく巻き込まれ、そのあげく戦慄の結末に至るまで、まさに不条理小説の王道と呼ぶにふさわしい運びで可笑しさと戸惑いが織りなされて行きます。前半は定石的な既視感もあったのですが、役者の揃い始めた6話目に入ってすぐ、なぜか唐突にその馬鹿げた図柄が眼前に浮き上がってきて、突然、お腹の皮がよじれそうになりました。何なんだ、このナンセンスな状況は!また最後の第8話では「あああぼくは生まれてくる世をまちがえた」という男の台詞に大失笑させられた直後にとんでもないことになってしまい、愕然とさせられました。ラスト数行の秀逸さに唸らされます。

 ただ、登場人物の導入が繰り返されていくに連れて、主人公がなぜそこまで一々つきあってしまうのかと少し不自然に思えてきてしまったのですが …(お前の読み方が悪い?)。もう一つ、第7話冒頭からしばらくの間「~た。」の終止が20文連続で使われており、この作者にしてはいかにも不用意すぎると首を傾げていたところ、意図的な試みだった旨のお答を頂いて、さもありなんと不承不承了解するしかなくなってしまいました。なお、「ろかいだる」と平仮名打ちで変換してみたところ露海樽だそうな。何だか、殺すの難しそう …


 続く二篇は、一転、何が書かれているのか、作者の意図や世界観がよくわからなかったのに、その、シュールさや詩情がどうしても心に引っかかってしまった気になる掌編でした。


 ∮ 庭畑さま、【ヴィランイズムの世界】

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330648930179775)は「リップ・ヴァン・ウィンクル」(アメリカ版浦島太郎)に基づく断章です。極めてシュールでサイケな世界観ですが、語られるイメージ自体はひとつひとつ鮮明で、その分、シーンそれぞれの奇妙さが一層際立って感じられました。冒頭の少年たちのゴシックスタイルが鮮烈です。


 ∮ 片や【大河釣る 空を放して 竿垂れて】たけの はなお様。

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330663948224010)河口の岸壁を背景に「翔大」という一人の人物が映されています。前半、あたりの風景も主人公の行動も非常に精緻に写実されているのに、彼が何の為にそこにいて何をしようとしているのかはよくわかりません。後半では、海風に解かれていく主人公が、具象画とは対照的な感覚言葉で描かれて行き、作者の言う「転生」を果しますが、結局、小さな疑問たちが置き去りにされたままでした。ストーリーではなく、詩情と謎を味わうべきエピソードでしょう。


 おしまいに、絵画と音楽に惹かれた作品を一つずつ。


 ∮ 【彩るは君の微笑】月白輪廻さま

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330660748631372)は、かつて一度だけ「大丈夫?」と親切にされた少女エリンの微笑をひたすら追い描き、どうしても完成できずにいた主人公が、久しい年月ののち、町でたまたま彼女を見かけ、幼い頃の美しさを見る影もなく失ったその姿を目の当たりにした瞬間、絵が完成するというストーリーです。現実の醜さに遭遇した瞬間、理想の美が完結してしまう不条理さ。ひとつの微笑への、最もふさわしい描き方にたどりつく男ですが … 。耽美主義は常に危険をはらみます。


 ∮ 手塚エマ様の【あなたの結婚披露宴、ひと役買うのは私です。】

(→ https://kakuyomu.jp/works/16817330653491821083)は特に音楽を扱った物語ではないのですが、ムードアイテムとしてのジャズが、この作品の小粋というか、小味の効いたお洒落な雰囲気に似合っていて印象的でした。明子が仲居を勤める料亭の大ホールで、新婦の名前が同じ「明子」の結婚披露宴が催されている。だが、当の明子は三か月前、元カレの智昭に「二股かけられ、彼女に子供ができたから、別れて欲しいと言われて別れ」ていた。「自分と同じ名前の新婦は子供も授かり、誰もが羨むハイスペックな男性の妻になる。」「平常心ではいられない。」「これまで自分がどの披露宴でも笑顔で祝福できたのは、智昭がいたからだったと痛感した。いつかは自分もあの 高砂に立つのだと、信じていられたからなのだ。」

 もっとも、親族や来賓たちの様子や中居仲間の噂話からは裏事情が覗いている。デキ婚で、「新婦の親御様も新郎の親御様も、ご来賓には挨拶するのに、相手の両親には挨拶しようとしない」し、新郎の両親もこれが望まない結婚であることを知っている。

「おめでとうございます。/私と同名の明子さん。/智昭も、彼女とここで披露宴やってくれたらいいのにと、明子は胸中で呟いた。」そうすれば 彼と彼女の真相も見えるだろうに …

 中居仲間の台詞や披露宴の舞台裏の描写がリアルで出色です。ご自身の紹介には「くたばっちまえ!」「ざまぁ系です。えぐいです。」とありますが、友未は、シニカル味以上に、ダンディーというか、クール(イケてる)というか、ジャズの音にのって描かれる、苦くも小粋な心のニュアンスに惹かれました。


 これ以外にも、面白くてコメントさせて頂いたのにご紹介しきれなかった作品や、面白くても応援を残せなかった作品のあったこと、お赦し下さい。また、作者の意図を測り損ねた作品もございました(つる様、ご免なさい!)

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