発見の里 第1回

       床土とこつちにミミズも帰す南瓜かぼちゃ植え


 発見の里にお越し頂き有難うございました。今回は17名プラス2~3名の皆様(途中退出されたため把握できなかった作品がございます)にご参加いただくことができました。お礼申し上げます。

 今回に限らず、主催者が企画の意図を正確にお伝えして、それに対して100%意図通りの作品で反応して頂くのは至難の業だという気がします。友未の場合、たとえば「子猫を下さい」と募集して、成猫や子犬が届いても可愛ければ飼ってしまいそうですし、脚立や花瓶が送られてきても、いつものことだなと受け流してしまえます。ですから、これで本当にテーマに合っているだろうかと少しくらい迷いを感じられるような場合にも、とりあえず試しにご参加いただければ幸いです。余程のことがない限り削除は致しません。ちなみに今回のテーマは【見慣れた物事や、当り前に見える出来事にふと驚きを覚えたり、あらためて何かに気付いたりする「発見」の作品をお寄せ下さい。】というものでしたが、友未的には子犬や脚立だらけになってしまった観を抱いてしまいました(笑)!


∮ そんな中で、ま正面から「発見」と向き合っているように感じられたれたのが、奈月遥さまの <未言源宗『一夜月』> → https://kakuyomu.jp/works/16817330650150539107

という、少し風変わりな作品でした。「こと」というテーマを扱った和歌風の趣も漂う美しい佳篇です。それ自体が作者による造語である「こと」とは、作中の原文を引用させて頂くと<現実の中でそれまで目を向けられなかった幻想を表現した>造語であり、<未だ言葉としてなかった物事に宛がわれた言葉>だということで、<小説の設定としての奇想でも、外国書籍の翻訳としての変換でも、流行に浮き出した謳い文句でもなく。><先に何もない思考の中でだけ捏ねられた言葉でもなく。ただ他言語とのラグを埋めるだけの言葉でもなく。後のない流行りに乗ってそのまま忘れられていく言葉でもなく。>タイトルの「一夜月」も未言の一つであり、とある田舎町に『未言屋 ゆかり』と看板を掲げる伝承者の店主づきが、夏休みの一人旅中にふとそこに立ち寄ったひとりの女子学生(作中ではただ「お客さん」とだけ呼ばれています)を、その言葉の指す景色へと導いて行く物語です。未言『屋』とは言っても、単に未言に携わる者達を『未言屋』と呼んでいるだけの話で、商うというより、未言の世界への案内役を務めているといった趣です。<「さて。あれが未言の一つ、『一夜月ひとよつき』です」>この作品を初めて読まれる方には一旦、先入観を捨てて頂きたいと願います。造語というとどことなく胡散臭さの漂う感じですが、作中で奈月さまご自身が述べられている通り、「未言」は単なる作品アイテムや思いつきではなく、非常に真摯な探求行為であるように思えました。また子供だましの超常的展開とは無縁のシリアスでしっとりと美しい味わいです。文章も見事で、最初の方から拾っただけでも、「陽炎を焚き」「雲の根」「温暖化の対処に否やが飛ぶ馬鹿らしさに」など、言葉を見つめるにふさわしい魅力を秘めています。「です、ます」体なので徒に言葉が角張ることもありません。

<古来より自然を楽しみ、自然を愛でるのが日本人の精神性と言えるでしょう。自然をより美しく感じるために拵えた演出が人の心を惹くのと同様に。ただ自然に、自然の美しさが引き立てられた偶然の刹那に感じ入るのも、和の心です。

 たまたま降った雨が、たまたま水溜まりと残り、たまたま月が間に合って。

 偶々、というのは、言い換えれば不思議ということ。

 それが、すぐ明日には失われる無常を思わせたら、その儚さに情を抱くのが、日本人のわびさひというものなのです。

「ただ一夜限りのかなしみを」

 古来から培ってきた日本人の感性のままに、その身で触れるような近しい物事を、想いを尽くして言を当てる、それが未言。>(以上、原文より)

 言葉はアナログな世界から一部分を切り取ったデジタルな個体です。そこには当然切り捨てられて行く生理も多く、意味や論理だけで表現できる世界には限りがあります。それで、詩人たちは、ある時は文法を破壊し、ある者は言葉を削ぎ取って、言葉

ならざる部分を語ろうとします。その意味で「未言」は詩作行為そのものであるように思えてなりません。そして、詩作が常にそうであるように、未言の発見にも、一つの発見がまた新たな未発見を生むという運命的な自己矛盾を抱えているはずです。たとえ何十億、何百兆の未言を名付けても、或る未言と隣の未言の間には別の隙間ができてしまうでしょう。ですが、限りなくそれを追って行くのが詩うことの大きな愉しみの一つでもあるのです。

 奈月さまには mikotoya.jimdo.com というサイトもあって覗かせて頂きました。→ https://mikotoya.jimdofree.com

未言がアイウエオ順に山ほど紹介されていたり、未言歌会などの趣向もあって楽しいです。


∮ KIKI-TAさまの <ある力学> は、「不思議の里」の回ですでにご紹介済みの科学する詩集です。この「ストックブック」では、原則、同じ作品を二度ご紹介することはないのですが、詩集の場合、収められた一篇一篇を独立した別作品と見做すことができるため、今回も取り上げさせて頂きました。発見に満ちた、詩としてのレトリックもとびきり楽しい <時計(エドガー)> → https://kakuyomu.jp/works/1177354054887486809/episodes/16817330650674661395

という作品です。が。何と萩尾望都<ポーの一族>の一シーンに基づくとのお話でした。


「 時計(エドガー) 」


あなたは壊れた時計が好きだった

だから壊れた人間のそばにいたがった

傍らにいるアランが言う

時間のなかで言われた

時間は決して止まらないから壊れることがで

 きない

壊れるとしたらそのときはすべてがなくなっ

 てしまうとき

時計が壊れているうちはまだよかった

時計ならスタートを早めることもできるし遅

 らせることもできる

しかし

その進み方は変えることができない

あなたと時間は同じものでできていたから

進み方を変えてしまったらあなたは別のもの

 になってしまう

あなたはあなたのかたちで生まれることがで

 きたのだから

それはその時間のその時計のおかげで

あなたはやはりこの時計を持っているべきだ

 とおもう

時計が壊れている

つまりあなたも壊れている

あなたは壊れた人間のそばにいたがる

あなたはスタートさせることができた時間の

 なかにたたずんでいる


                (以上、全文)


∮ Eternal-Heartさまの <【 逃がれの街 】レビュー > → https://kakuyomu.jp/works/16817330651959700936

は、北方謙三の、この「逃がれの街」という作品が、Eternal-Heartさまの創作上のひとつの原点であることを自ずと得心させられる共感に満ちた書評エッセイでした。友未は基本的に批評や評論を読むのがかなり苦手な方で、たとえば書き手が思い入れたっぷりに手放しで作品や作者に心酔してしまうような文章を押し付けられるとゲンナリさせられてしまいがちなのですが、ここでは北方謙三や『逃がれの街』に寄せる作者の飾り気のない敬愛の念と熱いシンパシーが終始一貫貫かれていたので、何ひとつ抵抗なく楽しませて頂くことができました。特に関心したのは、物語の荒筋が必要にして十分に、手際よくまとめられているために、まるで原作そのものを読んでいるかのような面白さや楽しさが感じられた点でした。また、その事がEternal-Heartさまの感想や物事の見方に、単なる抽象論ではない具体性を与えているように思えました。若さゆえの翳りと乱雑な香りの漂うハードボイルドな破滅型のクライムストーリーの哀しみの中に、読者が見るのは何でしょう?作中には、暗闇の上空から差し込む光に手を伸ばす尾崎豊の『 太陽の破片 』のシングルジャケットの紹介もありました。

<【 作者が込めた想いが作品の熱量として伝わる】


この作品から伝わる熱量が

私が愛読書として読み続けている理由で

私に最も影響を与えた作品で

いつか必ず私の言葉で、披露したいと思い続けていた理由です。>(原文)

と、刻されたこの碑文のなかで、<これは私の想像ですが幸二とヒロシの、あまりにも哀しすぎる境遇は、北方先生が純文学時代に書いた物語のひとつがベースとなっているのでは、と思わされます。>の一文が、友未にはとりわけ輝いて見えました。


∮ 鐘古こよみ様の <辞書くんとスマホちゃん > → https://kakuyomu.jp/works/16817330653472301250

は、もともと「辞書」「スマホ」「恩返し」による三題噺であったことがわからないほど完成度が高く、美しい短編です。。<わからない言葉は辞書で調べるがモットーの「辞書くん」と、スマホに夢中でよからぬ噂のある「スマホちゃん」。ある夜、辞書くんは、スマホちゃんの意外な顔を知ることになる。>(以上、作者による紹介文より)という内容の児童文学ですが、上述の奈月遥さま<未言源宗『一夜月』>に於ける和歌同様、俳句が重要な役割を担っていました。作品自体のしっとりとした情感の色合いにも、互いに相通ずるものがあるようです。

   うららかや 吾子抱き思ふ 恩返し

作中に登場する二つの句のうちの一つですが、本当に暖かい素敵な言葉だと思いました。<「この『うらら』に、春の穏やかで気持ちのいい日と、無事に出産を終えて安心する気持ちと、抱っこしている赤ちゃんの温かさが全部込められているの。それで、こんな素敵な日を与えてくれた我が子に、どう恩返しをしていこうって、考えているんだよ。こんな短い言葉でいろんなことが言えるの、面白いと思わない?」>(原文より)友未も俳句が好きなので、厳しく読むと「恩返し」の部分に曖昧さが残る気がしないでもありませんが、個人的に「負けた」と素直に思えるのは、思わず息をのむ言葉遣いや驚愕のイメージの衝撃作ではなく、まさにこういう句に出会った時なのです。また、ラストの黄昏の河原と空の色彩の美しさ。行き届いた文章で辿られていく初秋の手触りを背景に、主人公たちのこころ模様がしっかりと浮き上がってくるさわやかさに心洗われました。


∮ はい。子猫を頼んだのにカメレオンか何かのような変な生き物が届いてしまったのですがが、面白くて、つい受け取ってしまう羽目になりました。 <A glass of water/ハヤシダノリカズ様> →

https://kakuyomu.jp/works/16817330653444986789

は前回「真夜中のオークション」に引き続いてのご紹介になります。変幻自在というか、読んでいて翻弄されること間違いなしの、シニカルな佳篇です。「紙と粒」という政財界にも力を持つようになった比較的穏健そうな新興の宗教団体にまつわる全三章のお話です。最初の章ではマスコミ志望の大学三年生である主人公のオレがルポルタージュ作成の為に【紙と粒】の総本山に赴き、教祖のユージーンなる人物に取材する場面が描かれて行きます。ここで交わされる深いのか浅いのかよく分からないけれど、なかなか面白いたとえ話や魂論議を普通に楽しんでいたら、次の章が突然場面になっていて目を白黒させられ、最後の第三話に至って作品そのものがメタ階層化されてしまい、のみならず結局オレが×××××になってしまっているというのですから、してやられた、という快感で一杯でした。だまし絵のような面白さで、三つの章はそれぞれ性格が違うのに全体が巧みにまとめられています。一言でいうなら、嘘で他人は救済できても自らを救うことのできない醒めた男の悲劇を描いたエンターテインメントとご紹介できるかもしれません。


∮ そうざ様 <笑えない> →

https://kakuyomu.jp/works/16817330648755549309

は、よくありそうなオヤジのボヤキ譚ですが、小味があって、主人公が至って真面目に憤っているのに、その哀れさに、つい憐憫の苦笑いが催されてしまうかもしれません。

 白狐姫と白狐隊さま <白狐姫と白狐隊のひそひそ話> →

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894930177

は、<女性音楽チーム 白狐姫と白狐隊による音楽と神社、歴史と経済のエッセイ!>(キャッチコピー原文)です。カルチャー的なテーマはモーツアルトから天皇制まで多岐にわたり、熱い一途さの迸る(時には暴走気味な⁉)論調で、 <自信と自惚れについて想う。> など励まされる内容も少なくありません。が、それ以上に是非おすすめしておきたいのがこちらのサイト →

https://www.youtube.com/channel/UCK8n8b_NRzwd7t1AL0qI6Qw

です。いかがでしょう、「方丈記」?





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