児童文学の里 第2回

 厳しい寒さが続きます。ここ六甲山のふもとでは、町なかでも少しわき道に入ると、まだ先週の大雪があちこちに残っていて、通りかかった車のタイヤたちがバリバリと威嚇的な音を上げ続けています。皆様も、スリップや転倒にはくれぐれもご注意下さい。

 さて、おかげさまでこの「ストックブック」も今回で無事20回目を迎えさせて頂くことができました。これまでご登場下さった多くの作者様、お読み下さった読者の皆様方に深く感謝申し上げます。

 今回の児童文学の里第2回にも、おかげさまで32名の方々のご寄稿を頂き、ありがとうございました。(参加作品一覧はこちら→https://kakuyomu.jp/user_events/16817330651356281673?order=published_at#enteredWorks

 32篇中、かがわ けん様の「たっくんとりゅう」と、海野ぴゅうさまの「おかあさん、あのね」、@kimurakeikoさまの「ヤ子シリーズ」の3作は、以前にも友未の自主企画にお寄せ頂いていた作品ですが、ご希望でしたら特に書き直しなどがなくても二度、三度とご参加いただけることはむしろ光栄です。ただ、「ストックブック」ではすでにご紹介済みの作品を何度も取り上げ直すことはございませんので、その点のみ、ご了承いただければ幸いです。

 さて、さて、今回もとんでもない大収穫でした!これを紹介せずして何のストックブックかと叫びたくなるほど完全に友未好みだった超特選作品一つと、激しく胸を打たれた大傑作二つを早速ご紹介してまいりましょう。いずれも、ご紹介させて頂けることが本当に幸せな、カクヨム史に残る!!??傑作です。


∮ まずは、坂本 有羽庵さまの不気味でキュートな「迷子の国」。本当に抱きしめずにはいられなかった不思議譚です。デパートにやって来た父親が、子供だった頃と同じように家族とはぐれてしまうお話なのですが、昨今のいわゆる「ファンタジー」と違って魔法ともスキルとも無縁のこの世が舞台である分、本当に懐かしい幻想感に浸り切れました。それも、甘く美しい幻想ではなく、迷子になることの不安さが肌感覚としてまざまざと蘇って来る薄気味悪い混乱した世界です。現実的すぎる悪夢とでも呼べば良いでしょうか。友未自身の原風景がお茶目なハグ世界だけではなく、こうした、ふとどこかへ連れ去られて行くような遠い所にもあるのだと改めて思い起こされつつ、全身を引き込まれて行きました。しかもこのラスト、ネタバレさせたくないので詳しくは申せませんが、さらに奇妙なことになっていて、呆気にとられるというか、あまりにもいきすぎる上に、ほんのひと欠けですがハッピーな要素まであり、絶妙の後味でした 。 他の方々の主催される自主企画などにも是非積極的に参加して頂きたいと、思わず後押ししたくなる名作です。


∮ 今回の企画に一番乗りして下さった"テーボジィと「たんぽぽのコーヒー」"/柴田 恭太朗さまは、文学的芳気のどこまでも透き通った「これぞ児童文学」でした。夏の日の一つの心の触れ合いと別れが、清々すがすがしく、切なく、愛惜しく綴られて行きます。実際にお読み頂ければ爽やかでさりげない語り口と、抜群のネーミングセンスに驚かされるでしょう。活き活きとしたテンポの言葉の背後に余白が広がります。ラストで無惨にも造成されて行く河川敷の風景が、やがて失われて行く幼年時代そのものの姿でもあるかのように思われて、懐かしい寂しさで胸が一杯になりました。


∮ 所で、児童文学は純文学なのでしょうか?これは、ある意味、哺乳類は二足歩行生物かと問うのと似ていて、そうである場合もあればそうでない場合もあると答えるしかないでしょう。そもそも、「哺乳類」と「二足歩行生物」では分類する際の視点軸が異なるため、うまく比べることなどできません。同様にファンタジーは純文学か、SFやミステリーはどうなのだと問われてもケースバイケースだと答えておいた方が無難そうです。大まかに言えば、純文学の「純」というのは、「非娯楽」という様な意味合いではないかと友未は考えています。もし、純文学至上主義者というような人種がどこかにいるとすれば、彼や彼女たちはきっと「エンタメ文芸?大衆小説?ライトノベル?ふン、そんなもの遊びごとだろう。こちとら命がけなんだ」とうそぶいていそうな気がします。純文学は芸術、ライト文芸はカルチャーといったところでしょうか。確かに、遊びが多過ぎると、愉しくてもあまり尊敬はしてもらえないかも知れません。遊びがない。だから純文学はつまらない。でも、本当に?例えば、先ほどあげた"テーボジィと「たんぽぽのコーヒー」"はいかがでしたか?


∮ 月野夜さまの「カラスの砂遊び」では、そうした純文学的感動に激しく胸を突かれます。作品の多くの部分を占める主人公の児童目線の心理劇によって綴られて行くドラマティックな起伏のリアリティーに圧倒されました。冒頭すぐ、彼が母親に叱られることを怖れているシーンがあったので、最初は二人がうまくいっていないのか、程度に軽く考えていたのですが、少し読み進めて行くうちに、この父親ってもしかすると … と気付かされ、思わず読み返した時、それが母親との仲の悪さを描いた言葉ではなく、主人公の寄る辺ない孤独さを語っていたのだと、そのさりげない表現の深さにはたと思い当りました。それだけに、砂遊びの本当の意味が明かされるラストの感動と衝撃は一入ひとしおです。それはまた同時に、母親を通して父との絆を確かめ続けてありたいと願う主人公自身の切なる行為だったのかもしれません。悪ガキたちとの対決シーンの尋常ならざる迫力がまた圧巻です。表現性に押し倒されました。けんちゃんを見つめる文章にも、客観性というか、冷静な節度があるのに、その背後に物事を突き詰める鋭い気迫のようなものを感じずにはいられなった作品です。


∮ 迫力といえば、橘暮四さまの「かわせみの花」も、あるいは「カラスの砂遊び」をさえ凌がんばかりの純文学的な鋭さ、烈しさとひたむきな厳しさを静かに宿した美しい硬派の作品でした。作者の紹介文や友未氏のレビューによると「命の孤独とつながりを手探りで模索して行く『よだかの星』へのオマージュ」作品だということです。読んだ瞬間、「詩歌と短詩の里」の企画の折、「穴を埋める」という山頭火の旅跡を辿る近代的な俳文をお寄せ下さった作者さまであることが思い出されるほど、さまよい感一杯、模索感全開の寓話でした。この作品に友未が上記三作に比べて多少距離をとったのは、「寓話」という様式への偏見があるからに他なりません。寓話というと、どうも「知」や「理」の部分が立ってしまって、その割に話の展開や個々の場面では意外にステレオタイプだったりする例が多いのではないかという不信感です。それは例えば、科学や数学の論文がいかに驚異的な発見に満ちた偉大なものであったとしても普通、文学作品とは認められないように、文章それ自体の面白味、 —— 別の言い方をするなら、言語表現としてのアナログ性やファジーさに欠けがちであるような気がするからです。「何を書くか」が「いかに書くか」から乖離してしまうと、友未はついて行けなくなってしまいます。いえ、これはあくまで一般論でした。いかに寓話ぎらいの友未でも、この作品が細部へのデリカシーに配慮がなされていることくらいわかります。友未より思索性を重んじる読者には是非お勧めしておくべき佳作でしょう。とりわけ、「寄り添い」のラストシーンには思わず手を合せたくなりました。


∮ 橘暮四さまの作品を拝読しながら、ふと、宮沢賢治の「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」というあの有名な一節や、「さびしいとき」という金子みすゞの謡を思い浮べていました。


 私がさびしいときに、/ よその人は知らないの。

 私がさびしいときに、/ お友だちは笑うの。

 私がさびしいときに、/ お母さんはやさしいの。

 私がさびしいときに、/ 仏さまはさびしいの。


とは言え、寓話に対してと同様に、童謡という様式に対しても割り切れない思いを持ってしまうヘソ曲りな友未です。


∮ 次にご紹介するのは、こうした激しく心を揺さぶるタイプの衝撃作とは全く異なる、むしろ、その対極にあるような二つの小品です。素朴すぎますし、巧さで読ませる性格の作品でもありませんので、いま一つピンと来ないという読者があっても不思議ではありません。ですが、友未は、そのあまりの罪のない素直さ、愉しさに、ふと慰められてしまいました。風梨 りん様の「リコちゃんの冬休み ~ぬいぐるみ大作戦」は、小学二年生のリコちゃんが電車に乗ってはじめて一人でおばあちゃんを訪ねて行くお話です。ちょっと「はじめてのおつかい」的な雰囲気で、お供は魔法のグミの力でぬいぐるみに変身した子犬の「ミルクポット」 —— いいですか、ミルクポットですよ。ミルクのように真っ白な毛並みの仔なのか、それともミルクが大好きでお腹いっぱいため込んでチンと収まっているような仔なのでしょうか。所が、この「ミルクポット」、せっかくぬいぐるみに化けたのに、電車が揺れると、その衝撃で魔法が解けて元の姿に戻ってしまうのです。それだけではありません。トンネルに入ったり、警笛が鳴ったり、アナウンスがあったり、急カーブにさしかかったりする度に、びっくりして、元の小犬に戻ってしまいます。気付かれたら大騒ぎです。でも、一つだけぬいぐるみの姿に戻す方法がありました。何だと思いますか?その方法こそ、このお話の中で一番「すばらしい」と嬉しくなってしまった点ですので、気になる方は是非お読み下さい。

 翠梢凛さまの「第21回ぬいぐるみの会議」も、さらに幼くあどけないぬいぐるみたちのお話です。ぬいぐるみ達が集まってそれぞれの悩みを話し合うのですが、その悩みときたら、どれもあまりに単純で純粋かつ本質的すぎて、思わず「私たちの日頃の悩みって一体 … 」と、つい身が軽くなるというか、肩の荷を降ろされてしまう思いです。ぬいぐるみたちにとってみれば、みな深刻な悩みですので、愛らしいなどと形容してしまっては失礼になるかもしれません。こちらも、具体的にどんな悩みなのかは、是非、ご自身の目でお確めになってみて下さい。

 共に、心のひだに引っ掛かっていたほこりを洗い落してくれるような優しいお話でした。


∮ 短いけれど余韻のあるお話、どこか気になるお話、小粋でお洒落なお話や水彩画のように涼し気なお話など、他にもご紹介しておきたい作品はまだまだございます。ほんの一例ですが、「きのこ帝国の密偵」/青木桃子さま、「二人の船乗りの話」/ねこK・Tさま、「風がうたう歌」/いうら ゆう様、「まよい路の三爺」/田井田かわず様、読み切り十八番/伽噺家Aさま中の「うさぎと鍵盤」、「海辺のユーゴと拾ったカメ」/二晩占二さま等々、挙げはじめたらきりがなくなります。また、1月開催だった時節がら、サンタクロースものを何と5作もお寄せ頂けました。それぞれに思いのある内容で楽しませて頂きました。ありがとうございます。また、ここで一言も触れなかった作品の中にも友未の見落した傑作、秀作が必ず埋もれているはずです。児童文学的な世界に関心のある皆様には、是非もう一度上記URLまで、不運な名作たちの救出に向って頂ければ幸いです。ストックブックは、あくまで個人的な好みに基ずくご紹介に過ぎません。



         なか卯で


   おひるはカツ丼で、と寄ったけど

   ふとあの顔が浮かんだものだから

   持ち帰りに換えたんだ


   かごには「食べる小魚」も

   小あじのパックも買ってるし

   やっぱり一緒が美味しいね


   魚のあとはカツ丼の

   容器カップもなめていいからね


























































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