だましの里 + だましの里、嘘の里 第1回
猫の子の起き出さず今朝師走かな
ここ六甲山周辺でもいよいよ本格的な冬のスタートです。皆様、おかわりございませんか?
10月の自主企画「だましの里」が4名さまのみのご参加と予想外に寂しかった為(五色ひいらぎ様、邑楽 じゅん様、小此木センウさま、沖方菊野さま、ありがとうございました)、引き続き11月に、少し幅を拡げる感じで「だましの里、嘘の里」を開かせて頂き、さらに13名さまのご参加を頂くことができました。お礼申し上げます。今回はこの二つの企画を合せたご紹介とさせて頂きました。
まず、10月の企画からは、小此木センウさま、「人魚の鱗」と、邑楽 じゅん様、「栗の木の神様」のご紹介です。
「人魚の鱗」はSF恋愛譚とでも呼ぶべき幻想的な不思議噺で、民話風の香りや、ミステリー的な謎要素があり、最後に胸の熱くなるロマンティックな余韻が待っていました。一種の「輪廻」のような、時間と出会いとうつろいのテーマを扱っています。「海辺の漁村に育った私の人生は、幼いころ世話をしてもらったさな、結婚相手のいを、最後に現れたとわ、そっくりの相貌を持つ三人と共に、人魚の鱗を軸にしてどこまでも廻っていく。」(作者による紹介文全文)わずか6千字ながら、緻密な文章に懐かしさと切なさがしっとりと抱きとめられていて、遠い世界に引き込まれて行くような美しいぬくもりの息づく幻想篇でした。今回の企画中、最も暖かい騙し絵ではなかったでしょうか。
「栗の木の神様」は純粋に民話タッチの佳篇で、「だまし」としては少し微妙ですが(実はこの作品、9月の「いたずらの里」のために書き下ろして下さっていたのが間に合わず、手直しして参加して下さったものだということです)、何かが気になりました。やや硬質の文章のなかに、寂しさと愉しさの混在する一種微妙な味わいがあります。葬礼が扱われているのに全体としては救いがあり、生や死を俯瞰するような遠い眼差しに
「オーダーメイド承ります!」沖方菊野さまは、最後の章で作品全体の印象が見事に覆されてしまいました!鮮やかです。五色ひいらぎ様の「笑顔のベリーソース」はライバル関係にあった二人の味覚の天才の信頼と友情を描いた一種の英雄譚で、ピタリと決った悲劇でした。
さて、自主企画にお寄せ頂いた作品を拝読していると、こんなに面白いのに★や💛やコメントがなぜ少ないんだろう、と、作者に代って憤慨したくなるような作品に時々出会います。今回の「だましの里、嘘の里」にご参加頂いた作品の中から何かひとつだけ選べと言われたら、躊躇なく推させて頂きたいDA☆さまの「きねら」も、もっともっとカクヨム上で評価されて然るべきお話だと思いました。西部劇ですが、カクヨムには西部劇などというジャンルはもちろん用意されていませんので、異世界ファンタジーに分類されています。タイトルの「きねら」はネット検索をかけてもヒットしない言葉ですが作者にお尋ねしたところ、英語の"quinella" 、即ち「連勝式」(この作品の一つのキーワードです)の意味だということでした。なかなか洒落た命名で、あの「テキサスの五人の仲間」という見事な邦題を持つ名画にも通じるようなネーミングセンスの良さを感じます。さて、兎にも角にも、まずは最初の章をお読み下さい。どんな印象を持たれたでしょうか?友未は、ていねいにしっかりと書かれた文学性の高い物語で、シリアスでヒューマンな人間模様が綴られて行くのではないかと想像しました。それで、敢えて断言させて頂きますが、この章を読まれて、それ以降の展開が予想できたという方は、ものすごく良い意味で感性がイカレているに違いありません。然り、この一章目の語り方自体がすでにひとつのフェイクであるような気がしてならないくらいです。最後まで読み切って唖然 … しばらく言葉が出ませんでした。ネタバレになる惧れがあるので詳しくお話することができないのが残念ですが、スラプスティックと言えばまさにそうなのにただのスラプスティックではないし、だましと言えばまさにそうなのですがただのだましでもない、第一、そんな大目、大鼻、大耳、大口、大顔なんている訳ないし(まるでロシア民話のよう)、撃たれたら死んじゃうし、世界観が異常だし、可笑しいんだか怖いんだか、奇想天外で目眩がしそう、と、まあ、素晴らしいぶっ飛び作品でした。
もう一つ、それとは全く性格の異なる崇期さまの「候巡の丘、笛の音」も、友未好みの印象深い逸作でした。こちらは、懐かしくも苦く美しい手探りの虚言が孤独に綴り合わされて行く影絵のような嘘絵巻です。タイトルの「候巡」は「めぐり見る」の意味とのこと。候巡の丘のてっぺんで出会った横笛を吹く小作りな黒髪の女と「私」の、共に曰くありげな語らいが、ほの暗い鬱世界にひっそりと浮かぶ夜光草のように束の間の小世界を
まさみ様、「フェイクニュース」は、自家薬籠中とも呼ぶべき堂に入った見事なハードボイルドでした。短編らしく引き締まったプロットときびきびした文体の、ハードでシニカルな驚きのフェイク模様で、とりわけ、生き方を見失った主人公の疲労感と痛みが共感深く、味わい豊かに描かれているのが印象的です。ゴシップネタ専門の「週刊リアル」の記者、風祭遊輔は、スクープ主義の現実に気概も良識も打ち砕かれ、自らもその汚れに身を染めて、きょうも行きつけのゲイバーでみすぼらしく酔い潰れている。顔面で水が弾け、気が付くと、コップを掴んだ新人バーテンダーの富樫薫が、閉店後のカウンターに腰かけて、薬を盛られて後ろ手に縛られ床に伸びている遊輔を見て笑っていた。彼は「ファンなんです」と言って遊輔の署名入り記事のスクラップ帳を投げ遣し、数々の事実無根のフェイク記事とその捏造の手口を明かして見せる。富樫は、かつて遊輔に少女買春をすっぱぬかれて自殺した俳優、蓮見尊の息子だった。さらにもう一人、最前まで隣のカウンターで話していたサラリーマン風の男が現れ、やはり別の記事の恨みをぶつけて、特殊警棒で襲いかかって来る。遊輔は辛うじて身をかわし、記事を書く右腕だけは守るが烈しく左腕を打たれる。「テメエがやれ、薫!!」サラリーマンがけしかける … ミステリーなのでこの辺りまでしかご紹介できませんが、ねじれた展開がいかにも謎話らしい醍醐味を堪能させてくれる、後味の悪いような、良いような、皮肉に満ちたラストでした。「記者は正義の味方じゃない。世相の味方だ。」「連中が欲しいのは
一方、超時空伝説研究所さまの「進路相談――僕、泥棒になります。」は、よく考えてみると誰かを騙している訳でも、嘘をついている訳でもないのですが、企画として自然に納得させられてしまう星新一テイストの軽妙なクライム笑劇です。高校三年生の多田誠くんが進路相談で相談役の「わたし」に、泥棒になると言い放ってきます。泥棒 —— 犯罪グループや悪徳企業の裏金を盗みたい。多田くんの両親は小さな工場を経営していたが、手形詐欺に遭って多重債務に陥り、最後は自殺した。だが、その復讐のためではなく、社会的に不足している自衛機能を果たすのだ … —— なるだけ平静を装って様々な角度から疑問や質問を投げかけてみるわたしですが、日商の1級を取り、ハッキング技術を磨き、海外脱出計画まで考えている多田くんの用意周到な本気さだけが浮かび上って来るばかり。最後に、「それにしてもなんだってこんな話を俺にしたんだ。秘密にしておきたい内容じゃないのか?」と尋ねるわたしに、彼は … 、というトリッキーな結末で、さっぱりした読み味です。理詰めに颯爽と答え返して行く多田君の姿が小気味よく、友未も泥棒に再就職したくなりました。
最後までどうご紹介したものか友未の頭を悩ませたのが、藤咲 沙久さまの手強い短編小説「涙の海を金魚は泳ぐ」です。緻密かつ含みのある文章でしっかりとまとめられた傑作でした。とあるゲイバーのママとバイト希望の私の会話が、ラストのある思いがけない一点へと収束されて行く物語で、道中の心情描写とさりげない話運びの巧みさが絶妙でした。なのに、最初読み終えた時、友未は共感や感動より混乱を覚えていました。あぁ? … ポカーン … 頭の水槽の中を金魚だけが二匹泳いでいる、 という有様です。すぐにもう一度読み返して状況を把握し直し、時間を置いてからさらに二度読み直させて頂いたのですが、どうしても泣けません。このラストはハッと気付かされた瞬間じーんと来てなんぼのものだと思いますし、これだけしっかり書かれているのですから、それで納得し切れないということは、友未の感性か作品自体のどちらかに問題がありそうな気がします。ともあれ、現実には、多くの読者の方々から熱いレビューやコメントが寄せられており、確かにそれだけの読み応えのある佳篇であることは間違いありません。いっそ、純粋なミステリーものと見るなら見事な手腕ですが、そこまでは割り切れないシリアスな筆致です。この作品は良くも悪くも、少しうま過ぎるのではないかとつぶやきたそうな友未です。劇的なドラマでしたが、同じ内容がもう少し下手クソに、あるいは崩れて書かれていたらもっと素直に感動できただろうと思ってしまいました …
朝を出て庭かけまわる雪の猫
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