第7話 カラスたちの正体

「おお。ここだ」

 カラスたちは、すぐ、人間の姿を現した。

 「間違いない。ここだ」

 「ここか」

 「ああ」

 1人がそう言うと、他のカラスが、

 「死んじまったって、聞いたがな」

 「ああ。本当だったんだな」

 カラスたちは、つつき合った。

 「ふざけるなよな」

 「まったくだ」

 「こっちが貸した金は、どうなるんだ!」

 「おいおい、なんだよ」

 「損したな」

 「返ってこないんじゃないのか?」

 「そんな、バカな」

「そういうことなんじゃ、ないのか?」

 「ふざけるなよな」

 いつまででも、わめこうとしていたようだ。悪態のつつき合い、だった。

 「ユキノちゃん?あの人たちは、誰?」

 クヌギサワさんが、ささやいてきた。

 「さあ…」

 私たちの近所に住んでいた人たちも、不安に、不審がっていた。

 「誰なんだ?」

 「さあ…」

 「何だ?」

 「わからん」

 「会社の人かなあ?」

 「そうかねえ?」

 「気味が、悪いわねえ」

などと、こそこそ、言い合っていた。

 「旦那さんと、何か関係のあった人たち、でしょうねえ?」

 「やっぱりなあ。ミヤコさんの、旦那…。あの人、優しすぎたからなあ」

 「ちょっと。それって、どういうことよ」

 「いや、だからさ…」

 「ああ、そういうことか」

 「そういうことって?」

 「わかりやすく、教えてくださいよう」

 「あの旦那…。優しすぎたからなあ…」

 そんなことを、言っていた。

 「そうか。わかってきたぜ」

「貸した金がって、言っていたしな…」

 「そういうことか」

 「まあ、そういうことなんだろう」

 場の理解が、深まってきた。

 「…あの優しかった旦那は、困っていた人を見過ごせなくなった。それで、何かの連帯保証人に、なってしまっていたんだろう」

 「連帯保証人?」

 「連帯保証人、か…」

 「そうよ」

 「きっと、そうよ」

 「連帯保証人…。あの旦那は、困っている人を見て、金貸しをしてあげたんだ。連帯保証人に、なってあげたのさ。誰かが借りていた金を返せなくなってしまった場合、その誰かの代わりになって金を返しますっていう約束を、してしまったんだろう」

 ご近所内では、そんな理解だった。

 「ふざけるな。俺たちが、無様だ」

 「ああ。俺たちが、被害者みたいだぜ」

 「まったくだ。バカに、しやがって」

 などなど、カラス集団は、悪態をつきっ放しだった。

 「やあねえ、あの人たち」

 「ほんとだな」

 「あの旦那は、いくら借りる約束を、しちゃったんだろうな」

 「そんなの、わからないけれど」

 「少額だったら、良いんだけれどねえ」

 「少額ねえ…」

 「少額かあ…。それでも、本当に困っている人にとっては、大金にも変えられない価値があるっていうからな」

 静粛、荘厳であるべき場の全体が、困惑していた。

 「あの野郎!」

 「戻ってこないのかよう!」

 「冗談じゃ、ないぜ!」

 葬儀会場は、悲惨な雰囲気を深めていた。

 「少額であったとしても、本当に困っている人には、やっぱり、大金なんだろうなあ」

 「ああ」

 「価値が、違うのよ」

「あの旦那は、そう考える人だった」

 「しかし、その少額も、積もり積もれば、大金だ。あの旦那は、それで、大借金を肩代わりさせられたわけなんだな」

 「大金ねえ」

 「大金になっちゃったから、こんなところにまで、追ってきたんじゃないのか?」

 「だがなあ…。ここは、葬式の場だぞ?なんて、冷酷な連中なんだ」

 会場の空気が、琴に張られた極線だった。

 すると、カラス集団が、動いた。

 「おい、帰るぞ!」

 「へい」

 「ちぇっ」

 なんとか、葬式が終わった。クヌギサワさんが、私のところにきて、静かに言った。

 「ユキノちゃん。…明後日、家を出ていかなければならなくなっちゃったんだ」

 私はもう、何だか破れかぶれのプレッシャーを抱えさせられてしまっていた。

 「あのね。ツキノ…」

 妹には、クヌギサワさんの言葉を、やんわり翻訳して、伝えてあげた。

 「おひっこしを、するの?ねえ?どこに、いくの?いまのいえを、でていくの?あさって、どこにいくの?でも、どうして?どうしてなの?ねえ、どこ?どこに、おひっこしをするの?ねえ、おねえちゃん!わたしたち、どこにいくの?」

 妹は、場の多くの事情、私の気持ちなんてわからずに、声を弾ませていた。

 クヌギサワさんは、私たち姉妹とは対照的に、落ち着いていた。より正しいと思われる情報を、汲み取っていたのだろう。

 冷静にそれができなかった私には、姉として、後ろめたい感じがしていた。

 妹は、引っ越しに、納得できなかったようだ。クヌギサワさんに、何度もそのことを、確認しようとしていた。

 「あのね。ツキノちゃん?」

 「なあに?」

 「おじさん、もう一度、言うね?」

 「うん」

 「あのね…。お父さんが人を助けようとしてくれたので、今まで住んでいたお家は、他の人たちの物に、なっちゃったんだ」

 「なあに、それ?」

 「他の人たちに、お家を、あげるんだよ」

 「なんで?おとうさんが、人をたすけようとしたのに?それなのに、おとうさんのおうちからでていかなくっちゃならないの?」

 「そうなんだ」

 「どうして?」

 「難しいよね?」

 「…」

 「ツキノちゃん、さ。明後日、お姉ちゃんと一緒に、新しいお家に、引っ越そうよ。おじさんたちが、お手伝いするから、さ」

 「おかあさんはー?」

 「そうだよね…。お母さんも、もう少ししたら一緒に、新しいお家にいけるよ」

 クヌギサワさんは、時折、声を詰まらせていたように見えた。

 「ツキノ、よくわからない!」

 妹の声が、また、跳ねた。

 「そうだよねえ。難しい話だものねえ」

 妹が駄々をこねて、クヌギサワさんが、なだめる。…そんなコミュニケーションが、続いていった。

 「どうして?だってあのおうちは、おとうさんがたててくれた、みんなのおうちなんだよ?それなのに、どうして、おひっこしをしなくちゃいけないの?わかんない!」

 妹は、どこまでも、納得しなかった。

 そこでクヌギサワさんは、ちょっと考えながら、やんわりと、諭していた。

 「ツキノちゃん?あのさ…。お父さんが、もっともっときれいな場所を作ってくれたから、そこに住んでみようかっていうんだ」

 妹の涙のダムが、貯水量を上げていった。

 「もっともっと、きれいなおうち?」

 「そうだよ」

 「でも、いらない」

 「いらないのかい?」

 「だってツキノは、そういうきれいなおうちじゃなくって、いいんだもん!おとうさんのたててくれたおうちは、ツキノが、いっぱいいっぱいらくがきして、よごしちゃったけれど…。でも、そのほうが、いいもん!よごれたおうちのほうが、きれいだもん!」

 妹の涙のダムが、いよいよ、決壊寸前になってきた。

 私は、姉として責任をもって、妹をなだめてあげなければならなかった。

 「大丈夫よ、ツキノ?新しい家にいけば、今まで見つけられなかった新しい何かが見つかるかも、しれないんだよ?楽しいよ?だからさ。一緒に、お引っ越しをしましょう」

 「うん…」

 妹が、唇を噛んだ。

 「妹の涙のダムが、崩れないように」

 私は、そう祈るばかりとなった。

 「あれ?クヌギサワさん?」

 気付けば妹の逆方向に佇み、クヌギサワさんが、何か、考え事をしていた様子だった。

 「…この子は、あの子たちのお父さんと、似ている。今まで住んでいた家は、汚れているから良いんだと、言い切った。そのほうが価値があるからなんだと、感じたんだ。この子は、…価値が、わかる子なんだ。人の思いが、わかる子なんだ。そういう、人間なんだろう。もう、私の出番は、ない。あとは、あいつらに」

 だがその言葉も、すぐ聞こえなくなった。

 「まあ、いいか…」

 私の忙しさが、増した。

 これから、引っ越しの準備をしなければ、ならなくなったのだ。

 引っ越しは、明後日。

 「うー」

 私は、葬式疲れもあって、その日は、すぐに闇の中に落ちていった。


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