第3話 母の記憶

 タクシーの助席から、やっと、声がした。

 「その…。君たちの、お父さんがね…」

 クヌギサワさんは、そこまで言ってまた、口を閉ざし始めてしまった。静かになった妹は、何かをぶつぶつと、つぶやいていた。

 「ツキノ?何、口動かしてんのよ?今、誰かと、しゃべってるの?」

 「わかんない」

 「はあ?」

 沈黙が、スピードを上げていった。

 「ユキノちゃん…」

 「はい」

 「お父さんとお母さんが乗った車が、他の車と、正面衝突だったそうだ。救急車で、病院に運ばれたときには…。もう…」

 「もうって、どういうことですか?」

 踏み切りの前に、きた。あんなに急いでいたタクシーが、急激にスピードを落とした。

 もうすぐ、電車が通るのだ。

 大きな大きな立派な建物が、見えてきていた。そこが、目的地の病院、なのだ。

 「カン、カン、カン…」

 遮断機が振り下ろされると、クヌギサワさんの顔が、余計に、曇りだした。

 「お母さんのほうは、助かったんだが…」

 「ええ…」

 「…大丈夫。今は、あの病院のベッドで、寝ているよ。ただね…。お父さんのほうは意識がなくって、それで、そのまま…」

 面白くも、なく…。車内の空気すべてが、お開き後の結婚式のようだった。

 ちっとも、幸せなんかじゃなかった。

 「おかあさん。ねているんだあ」

 「ツキノ?ほら。お母さんは、静かに、寝ているんだって。だからツキノも、そんなお母さんを見習って、静かにしていなさい。ツキノだって、寝ているところを、うるさくされて起こされるのは、嫌でしょう?」

 「おかあさん、どんなゆめを、みているのかなあ?」

 「…」

 「おねえちゃん?おとうさんも、ねているの?」

 「うん…。お父さんも、寝ているっぽい」

 「ねているんだあ」

 「だから、お願い。静かにしてて」

 「しずかに」

 「お父さんを、見習いなさい。あなたは、お父さんのことが、大好きだったじゃない」

 「うん。おとうさん、だいすき」

 電車が目の前を過ぎ、振り下ろされていた鎌が上がった。

 タクシーが、動き出した。

 妹が、また、何かをつぶやき出していた。

 「クヌギサワさん?それで…父は…」

 私が聞くと、クヌギサワさんは、機械仕掛けの鎌とは逆に、首を下ろした。そしてその首を、疲れたカエルのように、横に振った。

 私の脳裏に、家のリビングに点けっ放し状態のTVのことが、よぎってきた。

 こんな緊急のときだっていうのに、どうして私は、そんなことを考えてしまったのか?

 姉、だから?

 わからなかった。

 あのTV番組は、まだ、あの海のことを指して、格好をつけていただろうか?

 「幸せの夏だ」

 そんな見え透いたウソをつき続けて、いつまででも、デマゴギーを流していただろうか?

 …頭が、混乱してきた。

 …夏。

 海。

 お母さん。

 家族皆でいった、海。

 海という字の中には、母が、隠れている。

だから海は、母なる、存在でもあるんだ。

 坂本龍馬という人は、母を亡くした後で、高知の海を、懐かしく見続けていたという。その海の中に、もう会えなくなってしまっていた愛しき母がいると、感じていたからだろうか…。?

 海…。

 海のことを、「マリン」とも、言った。

 「マリン」の、「マ」。

 それは、母のことを指す「ママ」や「マザー」の「マ」を連想させた…。

 マ。

 母は、海。

 海は、母。

 海。

 フランス語なら、海は、「ラメール」

イタリア語なら、「イルマーレ」

 ドイツ語なら、「メーア」

 スペイン語なら、「マール」

 ロシア語なら、「モーリ」

 ポーランド語なら、「モジェ」

 ルーマニア語なら、「マレ」だったかな?

 ああ、そうだ…。

 世界中で、海を表す言葉は、mで始まりやすかった。

 なぜか、母という言葉も…。

 だから、海は、母なる思い出。

 母を指す言葉は、たくさんあった。

 英語圏なら、「マザー」

 ドイツ語なら、「ムッター」

 イタリアやスペインなら、「マードレ」

 オランダ語なら、「ムードゥル」

 ポルトガル語なら、「マイ」

 ギリシャ語なら、「メーテール」

 ロシア語なら、「マーチ」

 ポーランド語なら、「マトカ」

 ラテン語なら、「マーテル」だったか。

 ペルシア語なんかでは、「マーダル」だったような。

 ベトナム語で、「マー」

 韓国語で、「オムニ」

 丁寧に言えば、「モチン」

 子どもの言葉で言えば、「オンマ」

 タイ語で、「メー」

 中国語で、「マーマ」

 リトアニア語で、「モーティナ」

 アイルランド語で、「モーィル」とか、…「マーハィル」?

 「マミンカ」…。それって、チェコ語?

 スロバキア語で、「マトカ」?

 mだ。

 mばっかり、だ。

 「マアム」だって、「マンマ」だって…。

 「マミー」だって、「ママン」だって…。ドイツ語の「ムッティ」だって。

 ママ…。特に幼児語では、ご飯のことを指して、「まんま」とも言うけれど…。

 「まんま」は、「ママ」に通じて…。

 世界共通で、赤ちゃんが最初に発音するのが、「まんま」らしかったし…。

 母親が、こう思ったとする。

 「赤ちゃんが、まんままんまと言っているわ。私のことを呼んでいるのかしら?」

 それで、まんまがママになったとも言われてもいて…。

 それは、特に、欧米での話だったか?それが日本では、こう思われた。

 「赤ちゃんは、お腹をすかせているのかしら?だから、まんままんまと言っているんじゃないのかしら?」

 そうして、まんまがご飯の意味になったとも、言われていて…。

 幸せな母の文化の、違い。

 母なるmは、世界中で、海に通じていたと言えてきた…。

 母への思いは、世界中で受け入れられて、生きてきたのだろうか。

 …ダメだ。今は、そんなこと考えちゃあ。

 mの、思い。

 素敵な、感性。感性の、法則。

 海も母も、そのどちらもが、わかり合える素敵な感性を、もっていて…。

 海には、やっぱり、母がいて…。

 母の、記憶。

 あの海…幸せの海…。

 母…、m。

 m…。

 「メメント・モリ」

 そんな言葉すら…。

 「メメント・モリ」

 それは、死を想えっていう、意味…。

 そんな言葉まで、思い起こされちゃうなんて。どうして私は、そんなことを考えなければ、ならなくなってしまったのか?そう考えてしまうことだけは、嫌だ!

 今、死を想っちゃって、どうするのよ!

 いや…違う。

 死があるとわかっているこそ、今を生きるのよ。

 メメント・モリは、そういう意味なんだから。今を、楽しく生きなくちゃだめじゃないの。

 そうでしょう?

 でも、今の私は…。

 私、どうすれば、良いの?誰か、私に、幸せのメッセージを!

 …あ。

 メッセージも、mだ。

 私の頭の中を、とりとめのない祭りの後の闇が、迫ってきていた。衒学的に陥っていた私が、恥ずかしいほどに、みじめだった。

 「ユキノちゃん、ユキノちゃん!」

 「…」

 「ユキノちゃん?」

 「は、はい!」

 「どうしたの?ボーッと、しちゃって」

 「ご、ごめんなさい!」

 「…着いたよ。さあ、ツキノちゃんも、いこう」

 「うん。わかった」

 私たちの目の前に、巨大な箱が、立ちはだかっていた。

 

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