第36話 いくつもの事情が、解かれたら
翌日。
「あれ?お母さんだけ?お姉ちゃんは?」
「出かけちゃった」
「うっそ」
「お母さん?おばあちゃんは?」
「え?おばあちゃん?」
「そんなに、驚かないでよ」
「だって、ツキノ。おばあちゃんって…。誰よ、それ。何を、言っているのよ」
「いや…。だから、おばあちゃん」
「ツキノ、しっかりしてよ?」
「…」
「受験疲れなんじゃ、ないの?」
「だって…」
「私たちの家族には、おばあちゃんなんて、いなかったじゃない」
「はあ?お母さんたらあ…。何を、また」
「何って、何を?」
「まあ、いいや。私、出かけてくる」
妹は、妹らしく、迫りくる事情を振り払って、出かけていった。
「まったく…お母さんは…。お姉ちゃんと一緒になって、私に、隠し事?おばあちゃんも、ぐるになっていたりして」
メゾン・オトナシの部屋を出て、駅へ。
そこから、田舎路線にゆられて…。
…そのとき!
妹には、かつての姉が話してくれた、そこからは見えるはずのなかった幸せの海が、見えたような気がした。
いつかのようにゆらされて…、高前駅。
そこから少し歩き、いくべきは、3年ぶりくらいの、場所だった。
…目的地に、着いた。
妹は、ある場所へ通じていた階段を、上がっていった。
「もう少し、だ…」
1歩1歩、階段を上がっていった。
「もう少しだ…。お久しぶりです。大学生に、なりました。明日、東京へいきます。1人暮らし、です。なかなか、帰ってこられないかも、しれません。だから、きました」
温かい風が、そよいだ。
「あ…」
進む階段の手前に、1人の少年が立っていたのが、わかった。
「あ…君は」
妹がつぶやくと、静かなこだまがした。
「久しぶりだね」
かつて、引っ越しの日に電車内で会ったあの少年が、見つめてきたのだった。
「あの…もしかして、あのときの」
「そうだ」
「…カノ君?カノ君なの?だって、あなたは…少年のままじゃないの」
「ああ。久しぶりだね」
「本当に、カノ君なの?」
「もちろんさ。良く、覚えていてくれた」
「そこ、通してくれない?」
「いやだ」
「どうして?」
「話がしたかったからだ」
「話って?」
「奇跡の価値の、話さ」
「何、それ?」
「ツキノ…いいか?」
「え?」
「お前がお前である価値の証とは、何か。良く、考えてほしい。お前がミヤサワ家に生まれてきたのは、偶然の奇跡。しかしそんな偶然、そんな奇跡の価値も、思わぬところで予定変更だ。死に至る病を選択させてしまったからね。絶望だよ。クリスマスケーキ事件で、お前が味わったことのように、ね。…僕は、死んでしまった。家族、そしてお前に、死に至る病を与えてしまった」
「…」
「しかしその絶望を、救ってくれた人がいた」
「あの、コンビニ店員さん。たしか、ハルカさんと、いった」
「ハルカ…。いい人間で、良かったな…。いや、人間だったのかな」
「え?」
「悪魔の後に現れるは、天使だ。良く考えられたシナリオ、だった。あれは、我々のもっていた当初の契約には、なかったがな」
「当初の、契約?」
「何でも、ないさ」
「…」
「ツキノ?クリスマスケーキを選ぶことは、意外に、難しいことだったろう?あれもこれもと悩み、失敗しかけた。そうしてお前は、その先に進んだ」
「…」
「そこで、あれかこれかの選択に気付けたが、甘かった。クリスマスケーキのように、甘かったんだな。お前は、絶望を、知ってしまったのだからな」
「…」
「しかし、救われもした。思いがけない、悪魔のプレゼントだ」
「…悪魔の、プレゼント?」
「悪魔の事情も、いろいろだったんだな。お前は、良い経験ができたな。心の成長が進んだと、いうものだよ」
「うん」
「社会の事情は、複雑怪奇だ。お前の成長を巡る事情の謎解きゲームは、お姉ちゃんと一緒に遊べて、楽しかったか?」
「…」
「僕は…」
「何?」
「僕は、楽しくないことを、してしまったようだ。僕と、したことが…。僕だって、絶望したさ。あれもこれもが、あれかこれかに変われる余裕も、なかったほどに。僕は…、事情を解くこのゲームの選択に、失敗しちゃったわけだ」
「え?」
「…無念で、ならなかったよ」
「…」
「お前は、どうだった?」
「…」
「新しい家族と手を取りあって、しっかりと、良い選択ができたかい?」
「…、ねえ、どういう意味なの?」
「社会には、いろいろな事情の糸が絡まり合っているのがわかっただろう。いろいろな気持ちが、生きていたんだな。でも…人ってさ、そんな意志決定の事情社会の中を、本当は、どう生きるべきだったのかな?自分がいかに正しい選択をおこなっていると信じられたとしても、そんなのは、思い込みに、すぎなかったのさ」
「…何を、言っているの?」
「事情の解読の焦りすぎは、社会の破壊だよ。今の教育のように…。情けないね」
「…」
「情けないだろう?今どきの先生を、見ただろう?あのレベルでは、事情を解くゲームはできない」
「…」
「でも僕は、どうだったかな?」
「…」
「僕は、お前にとって、素敵な教育者と、なれたかい?」
「…」
「お前は、幸せになれたかい?」
「…わからないよ。そんなの」
「じゃあ、なれそうかい?」
「…」
「そっか。お互い、事情がありすぎだったしな。でも僕は…、幸せだったよ…」
「え?」
「規則正しく、生きなさい。お前が実存するその価値を、信じて。お前の信じる家族皆で、生きなさい」
「…」
「もう、いいだろう。僕の契約を、完全に終えることにしよう。お前は、ここにきてくれた…」
「…何?」
「お前に会えて、良かった…。もう、思い残すことは、何もない」
「え?」
「これで、良かったんだ」
「…ちょっと、いかないで!もう少し、いくつもの事情の糸を、解いて、教えてよ!知っているんでしょう?メゾン・オトナシの秘密とか!ねえ、カノ君!教えてよ!」
「…」
「教えてほしいことがあるの!」
「…」
「どうして私たちは、神様に囲まれていたの?それも、ローマ神話の神様ばかりに守られていた。それって、理由があったの?」
「それはな…。お前たちの成長を、規則正しく見守ってやりたかったからだ」
「どういうこと?」
「ツキノ…」
「え?」
「聡明なお前なら、わかったと思ったがなあ。ははは。お前も、まだまだだったな」
「何?」
「お前たちは、ローマ神話に囲まれて、どう思ったんだ?」
「どうって…」
「ローマの信仰心と宗教心は、尊いよ。それは、形式主義と現世利益に、代表されるだろうか。形式主義っていうのは、定められた手順通りに、儀式を完璧におこなうことを徳とする考え方だ。まあ、人生は、そう上手くはいかないものだけれどね。その考え方の元で、お前は、お前の新しい家族と、たくさんの儀式を経験できたんじゃなかったか?」
「うん…」
「そして、現世利益…。神様に祈る願い事っていうのは、死んだ後の魂の浄化なんかの希望よりも、むしろ、現実的なものを重視したいとするものだ。それが、現世利益の考え方だ。お前たちの規則正しい成長に、合っている考え方だと思ってね」
「そうして、私たちの将来を…」
「そうだ。僕は、お前たち2人に規則正しい成長への糧を、与えてやりたかったんだ。だからこそ、ローマの神々に協力してもらった。お前たちを、守らせて…。それが、ローマの神々の真相だ。僕からの、せめてもの罪滅ぼしだった…。あの神々に囲まれた現実を祈る生活は、必ずや、お前たち姉妹、そして新しい家族の成長儀式になれたはずだ」
「だから、ローマの神々ばかりだった」
「そうだ。お前たちが、どんな絶望の中にあっても、成長への定められた手順を、踏んでいけるようにと考えてな…」
「ねえ?…君は、本当は、誰なの?クヌギサワさんも…おばさんたちも…ミタライさんも…。その正体は、何だったの?カノおばあちゃんって、誰だったの?」
「…」
「コウキョウセイシン法の本当の存在価値って、何だったの?」
「…コウキョウセイシン法。それは、社会の事情を解かせる、大いなる鍵。いうなれば、事情パズルの、ラグナロクだ」
「何?…意味、わかんないよ」
「まだ、わからなくても、構わない」
「ねえ、教えて!」
「…とにかく、お前は、あれにサインをした。それが、このクリスマスケーキにまつわる出来事の、すべての、はじまりだった」
「私、サインしたんだっけ?」
「思い出しなさい」
「…」
「それから、ツキノ?お前はまだ、コウキョウセイシン法の正式名称も、知らなかったろう」
「え?高齢者共同生活心身法とかじゃ、なかったの?」
「違う」
「…」
「ツキノ?あの方との共鳴神話生活は、楽しかったか?」
「…あの方?」
「そうだ」
「カノおばあちゃんの、こと?」
「そうだ」
「…」
「そうか。交換性共鳴レベル生活神話法は、役立ったか…」
「それって、何なの?」
「これから、考えていきなさい」
「…これから、考えていく?」
「そうだ。事情を解く旅は、終わらせない。お前が、もっともっと、成長できるようにするためにもな。…すべての神々が、納得済みなのさ」
「それって、何?」
「…僕の罪滅ぼしは、終わったんだ。これで、良いんだ」
「?」
「カノ様は、喜んで、カノ様の肉体に、僕の心を宿させてくださった。カノ様…感謝いたします」
「え?」
「…」
「君は、どんな事情で、ここにきたの?」
「ツキノ…それは、こちらのセリフだ」
「何?」
「…きてくれて、ありがとう」
「…」
「うれしかったよ」
「…」
「本当に、うれしかった」
「…」
「ツキノ?」
「何?」
「お前に、これからも、いくつもの事情を解けるようにするための特別な魔法を、かけよう」
「…特別な、魔法?」
「…幸せになれ」
「…」
「幸せになれ、ツキノ」
「…わかった」
少年は、そうしてすぐ、線香の煙のようになって、天へと上っていった。
「あれ?ねえ、どこ?カノ君?どこに、いっちゃったの?」
階段を、一歩、上がった。
「やだ…うそ…」
急に、雨が降ってきた。
「目的地まで、あと、数十歩だったのに」
が、その瞬間。
「え?どうして?」
頭の上に、傘が、かけられた。
「ほら、お姉ちゃんの、予想通り」
「お姉ちゃん!どうして?どうして、私がここにいるって、わかったの?」
「そりゃあ、わかります。私が何年、あなたの姉をやっていると、思っていたのよ」
目的地へとつながる階段を、1つの大きな傘が、上っていった。
「よし。もう少しだ…。転ぶなよ…」
はるか上空では、2匹の変な生き物が、姉妹の様子を、見守っていた。
「あの姉妹、びっくりするだろうなあ…」
「モンヤ?」
「きっと、驚くぜ」
「お前、何をした?」
「ちょっとした細工だよ、ハシャ」
「細工だと?」
「ああ…。ある物を、返してきた。10年以上前、俺があの子たちから奪ってしまった物だ。何が、財産だ。あんな物は、いらん」
「そうか」
「そしてその中に、ある紙を、入れてきてやった。まあ、驚くがいいさ」
「そうか」
姉妹とは、面白いものだった。
私は、当然の姉の宿命として、このことばかりを、願っていたものだ。
「家族皆の幸せ」
妹は、それに加えて、このことを、強く願っていたのではなかったか?
「自分自身の幸せ」
姉妹とは、面白い関係だった。
ふと私は、こんな言葉があったのを、思い出した。
「姉は、男にたいして恐れ、妹は、男にたいして、夢をもつ」
私たちは、共にゆっくり、階段を上った。それは、牛のような、歩みだった。
「姉は、男にたいして恐れ、妹は、男にたいして、夢をもつ」
温くそよいでいた風が、静かになった。
「やっぱり私たちは、ここにこなければ、ならなかった…。皆が、幸せになるために。家族が、幸せであるために。私たちが、私たちであるために」
妹は、少し、違った。
「でも、これで良かったのかな?」
私のような姉とは違って、いつまでも、天真爛漫になれたろう。
葛藤と呼べたのかわからないほどの明るい葛藤による事情の糸を、楽しみながら、つむいでいたことだろう。
「お姉ちゃん!私、先、いってるね!」
雨は、ほとんど、止んでいた。
妹の足が、素早い回転を始めた。
妹は、階段を上がっていく自分の足に、こう願っていただろう。
「神様…。どうか、私が転ぶことなく、たどり着けますように」
すると、妹が振り向いて、手招きをした。
「お姉ちゃん!きて!早く、きてー!」
私も、階段を急いだ。
「これ、見て!お姉ちゃん!」
「あ!戻ってきてる!私たちの、財産!」
墓前に、家族の弁当箱が、置かれていた。
「信じられない!」
「ツキノ、開けてみてよ!」
妹が、弁当箱を、開けた。汚い、下手くそな字が躍った1枚の紙が、入っていた。
「東京大学理学部現役合格、おめでとう」
上空の悪魔たちが、姉妹を見つめていた。
「下手な字だな」
「もう、帰ろうよ…ハシャ」
「いいのか?」
「ああ。これ以上観察する必要は、ない」
「だな」
バササササ…。
悪魔たちは、飛び去っていった。
「神様…。あの子が転ぶことなく、帰れますように。姉は、男にたいして恐れ、妹は、男にたいして、夢をもつ、か…」
私が言うと、妹が、小さな墓石を見てほほ
えんだ。
「墓石…。大きな石、か…。人は、この石に、どんな事情を込めて、手を合わせるのだろう?お姉ちゃんは、転んでもいい。でも私は、転ぶことなく、手を合わせられますように」
妹は、私とは逆ベクトルに、海を臨む子ど
ものように、ニコニコしていた。
「海…。母なる、海…」
つぶやけばつぶやくほど、妹が、憎たらしくて、守ってやらなければならないような気がしていた。
姉妹とは、事情解けぬ、パズルなり。
「お父さん。私、新しい選択が、できました。オトナシを、出ていきます。私はまだ、モラトリアムを、完成させたくはないから。でも…でもいつかまた私は、ここに戻ってきます。私とお姉ちゃん、そして、お母さん…家族3人で公園にいって、笑い合って、あのお弁当箱を広げるためにも。あ…」
妹が、何かに、気付いたようだ。
「そういうこと、か…」
そのとき、無邪気な妹だけには、何かが、なんとなく、理解できてきた様子だった。
姉って?妹って?LGBTクリスマスケーキに、教育の価値を、トッピングしてみたら…。 @maetaka @maetaka1998
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