第35話 本当のクリスマスケーキ理論
共同机とは、ナイスなアイテムだった。
それは、奇しくも10ほど前、妹が小学校に慣れてきたお祝いとして、あのクリスマスケーキ事件の翌年くらいに、母が買ってくれた机だった。
今は亡き父が、コツコツと金を貯めていてくれていたのだそうだった。
今では、姉妹の荷物置き場と化してしまっていた机に、妹が、手を伸ばした。
「そうか。10年が、経っていたんだ…」
その机の上を、さすっていた。
「この机も、いつも当然のように使っていたから、わからなかった」
普段見慣れていたものでも、少し違った角度から見れば、新しい発見があるものだ。
当時、父がいなくなってしまった中で、母は、必死だった。
母は、一家の大黒柱が消えてしまった状況で、2人の子、そして新しく家族に参入したおばあさんまでも育てていかなければならないことに重圧を感じすぎ、それをケアすべく、もがいていたはずだ。
「新しい机を買ってあげれば、ツキノは、喜んでくれるだろう。悲しみも、忘れられるくらいに。心のケアを、信じて。いつも遊んでくれたあの人のお金で買われたものであれば…。絶対に、喜んでくれるはず」
母は、そう思ったことだろう。
妹の喜ぶ顔が見られれば、母の事情も、和らげられたことだろうし。
「お母さんね、机を、買ってあげる」
しかし妹は、母にそう言われたとき、予想外にも、おとなしかったものだ。
「ありがとう」
あの妹には、不釣り合いな対応だった。
「うん!机、机。やったー!買ってー!」
そんな、幼き子として出して良かったはずの無邪気な声は、微塵も、出さなかった。
不思議な妹、だった。
私は、今なら、妹の事情が読み解けるような気がしてきた。妹は、
「うん。買って」
と素直に応じてしまうことで、母のケアが完結してしまい、事情の糸を解きほぐす家族の語らいがもうできなくなってしまうと、無意識下でさみしがっていたのだ。
「新しい机は、ほしくない。お母さんの気もちは、うれしいけれど」
「うっそだー!妹の、くせに!」
「…うそじゃあ、ないもん」
私は、中学生だったか。
おとなしく生意気すぎた妹の反応には、悪態を突くことでしか、対抗できる自信をもてなかったものだ。
母は、妹の言葉を聞いて、ある条件を出して返した。
「わかった。じゃあ、お姉ちゃんと一緒に使えるくらいのちょっと大きな机を、買ってあげるわ。お母さんは、どうしても2人に、幸せをあげたいのよ。お姉ちゃんファーストで使うのなら、いいでしょう?お姉ちゃんが使っていないときなら、ツキノが使っていいんだからね?その条件で納得してくれるのなら、どう?」
私たちは、そんな母の提案で、ようやく、落ち着けてきた。
「うん」
「2人が、幸せになれるように」
「うん」
机は、キッチンの端に置かれた。
机にも、様々な事情が、込められていたのだった。
…だがそこまでは、机話の、前置き。
母が本当に見せたかったのは、その机の引き出しの中だったようだ。そこから、面白いものが出てきたのだそうだった。
それは、妹が、小学校の授業参観日にクラスの皆の前で読んだ、ある作文だった。
授業参観にいったのは、母だったと思う。
「10年後、皆さんは、どんな人になっていたいですか?」
授業参観は、クラス担任が前もって出していたらしい、その課題に、順々に答えるというもの、だったようだ。
3人で、その作文を、広げた。
妹は、こんなことを、書いていた。
「10ねんご、わたしは、クリスマスケーキのように、たくさんのしあわせでコーティングされた人になりたいです。ケーキをうってくれたコンビニのお姉さんのように、なってみたいです。ほかの人にもコーティングしてあげて、たくさんのしあわせをあげられる人に、なりたいです。そういえば、ずっと前におとうさんとみたテレビで、クリスマスケーキりろんということばが、出ていました。きっと、そういう、しあわせのりろんなんだとおもいました。クリスマスケーキには、いろんなじじょうの味が、つまっています。すてきな味だって。クリスマスケーキは、すてきです。わるい先生のように、人をなかせたりしないからです。人というのは、アソートのつめあわせクリスマスケーキじゃないけれど、たくさんの味を見つけてもらって、たくさんのことをおしえてもらって、のびていけるものです。ほんとうのクリスマスケーキは、たべてもらっておいしい!と言ってもらえたなら、もっとほめてもらえるように、どりょくができます。わたしたちだって、おなじです。先生にきれいな手をだしてもらえれば、もっともっとほめてもらえるように、どりょくができるんです。わたしは、せんせいを見て、はんせいしました」
小学生バージョンの妹の作文は、そこで、終わっていた。
「すごいこと、書いてるし…」
授業参観で、クラス担任は、鼻から血と汗を吹き出していなかったか、心配だった。
それとも、若い先生のレベルでは、それを聞いても、何も感じられなかったろうか?
「私、こんなことを、書いていたんだ…」
「さすがは、我が妹だ」
「私の、娘」
「なんだか、私劇団による、残酷童話みたい」
翌週から、私は、会社で、新しい企画広報の業務を任されることになった。
以前にも増して、気合いが入った。
私の企画した会社のパネル展が、かつて私たちが歌謡ショーのコンサートを見るために出かけた、あの、悪魔的に奇跡の市民会館でおこなえることに、決まったからだった。
メゾン・オトナシで、私たちの部屋だけが、場違いに盛り上がっていた。
妹が、無事に大学受験を突破してくれたことを祝って、家族皆で、集まったのだ。
「大学に、進学してくれるんだね。でもさあ、ツキノ?どうして、あそこを、受験したの?頑張り屋さんだね。そりゃまあ、国立だし、家計的にも、安心なんだけれどさあ」
聞くと、妹は、口を、逆襲の海老シュウマイのように踊らせた。
「だって、私。お姉ちゃんと、約束したじゃない」
「そうだっけ?」
「お姉ちゃんは、忘れちゃったの?」
「うーん…」
「良く、忘れるなあ」
「姉は、妹と違って、生活基盤の確保に忙しいのよ」
「さあ、どうだか…」
「…」
「お姉ちゃんは、ダサイなあ」
「…」
「私は、きちんと、お姉ちゃんに要請的にさせられた約束を守るためにも、受験したのにさ」
「…?」
「ああ、やだ。やだ。お姉ちゃんは、忘れちゃったの?」
「約束?そんなの、したっけ?」
言うと、妹は、かなり呆れていた。
「やだあ。したじゃない。っていうか、言い出したの、お姉ちゃんのほうだし」
「そうだったかなあ?」
「まあ、いいや。今度約束を果たすのは、お姉ちゃんのほうだからね?医大にいって、医者になってよね?これからの社会人入学、お姉ちゃんなら、できるでしょう?」
2日後には、妹は、東京の下宿先に移る予定になっていた。
母と祖母は、私が、守ることになった。姉としては、当然の責務だと、考えていた。
そこで、ちょっとだけ、気になったことがあった。
「2日後の出発までに、妹は、一体、何をするのか?」
そんな疑問がくるとでも予想したのか、妹は、先制攻撃を仕掛けてきた。
「私…東京に出発するまでに、出かけたいところが、あるの。明日、いってくる」
相変わらずの、ザ・妹流積極攻勢だった。
おばあちゃんは、静かに座っていた。
ただ、静かに…。
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