第9話 クヌギサワ家の秘密
社会には、いろいろな事情が渦巻いていたのだ。これから私たちは、多くの事情を解いて生きていかなければ、ならなくなる。
その日の夜は、奥様が、おじさんやおばさんと共に、ご馳走をしてくれた。
5人の食卓なんて、初めての経験だった。
私たちが驚いていると、奥様が、また、はにかんだ。
「驚いたかしら?おばさんが子どもだったころは、これより大人数で、食卓を囲ったものよ」
「ええ。大人数も、良いものですね」
「いいものー」
「ツキノ?賑やかだね?」
「にーやか」
「家族の進化、かもしれないわよ?」
「おばちゃん?しんか?」
妹は、口をモゴモゴさせ続けていた。
「ツキノは、にーやかで、しあわせ」
「もっともっと、食べて」
「ありがとうございます」
「ぶろっこりー」
「食べて、食べて。これから始まる、新しい、素敵な予感の生活を、夢見ながら」
「おじさんも、応援しているぞ」
「おばさんも」
「ありがとうございます」
「ツキノ、でざーと、たべたい」
「こら、ツキノ!」
「気に、しないで」
「…すみません。でも、急に、そんな」
「あるよ!おじさんに、任せなさい!」
「おばさんが、もってくるわ。待っていてね?出してきてあげる。あ、出すって、冷蔵庫の中からですよ?魔法で異空間から出すとか、そういうんじゃないから。ふふふ」
「ははは…。お前は、またそんな正直を」
「はあ…?」
「でざーと!」
「おじさんも、応援しよう。2人の、これからの良き生活を、さ。新しい生活も、新しい家族も、すべては、夢の中。今を生きる神の名において、楽しまないとならないな」
「はあ…?」
「神の名に、おいてね!」
「はあ」
「やったあ」
「ツキノ?もう一度、お礼を言いなさい」
私たちの応答を見て、クヌギサワ家は、充分に、安心してくれた感じだった。
「そうだわ。2人とも、ケーキを食べようか。クリスマスの、予行練習よ。まだ、クリスマスケーキの季節には早いけれど」
そう言って、奥様が、おばさんから黒い箱を受け取って、1ホールケーキを出した。
「あ…用意が良いんですね」
ケーキは、上手く人数分に、切れていた。
「2人のこれからを、祝って!」
奥様がそう言って、どこにもなかったキャンドルの火を吹き消す真似を、した。
「お姉さんは、妹さんの、ために!」
おじさんが言うと、おばさんが唱和した。「妹さんは、お姉ちゃんのために!」
場の全体が、和んだ。
私たち姉妹の心のいばらが、ほんの少しずつ、抜けていったような気がした。
「2人は、皆のために!」
「皆は、2人のために!」
クヌギサワさんは、妹の喜びそうな話を、してくれた。
妹は、その話に、しっかりと、食らいついていた。大変に、感謝しなければ、ならなかった。
「妹さん…、ツキノちゃん…だったよね?」
「そうだよ!」
「ツキノは、はしゃぎすぎよ」
「ははは…。構わないさ、ユキノちゃん?」
「おいしい!」
「それでね…、ツキノちゃん?今度、世界中の人たちが集まって開かれる大運動会が、あるんだ。皆で、一緒に、TVで観られたら、良いね?」
優しく声掛けをされて、妹が喜ばないはずは、なかった。
「…せかいじゅうの、だいうんどうかい?」
妹が、ためらいがちになってしまったので、私は、姉らしく、しっかりと教えてあげた。
「ツキノ?良かったね?世界中の人たちが1つの場所に集まって、大きな大きなイベントが、にぎやかに開かれるのよ?」
「うん」
「初めて知ったね、良かったね」
そんな、些細な、姉からの同調のつもりだった。
が、この同調が、空気を、嫌に汚してしまった。
「え?お姉ちゃん、しらなかったの?オリンピックって、いうんだよ?ふだん、しゃかいにかんしんをもっていきているの?」
見下されて、しまっていた。
「ねえ、お姉ちゃんは、オリンピックも、しらなかったの?お姉ちゃんは、おこちゃまねえ」
完全に、アウェー、だった。
「…これじゃあ、私が、バカみたいじゃないの」
妹を配慮してあげたつもりの姉の力は、上手く、発揮されなかったようだ。こう言いつくろわなければ、ならなかった。
「…オリンピック、オリンピック。いやだなあ。おねえちゃん、知っていたわよ。楽しく楽しく、言ってあげただけです」
「わかりました。でも、ここは、ふざけなくて良いです」
「…」
「私のお姉ちゃんなのに、恥ずかしい」
「…じゃ、じゃあ!」
姉のメンツを、回復させなければ、ならなかった。
「オリンピック、お姉ちゃんと一緒に観にいけたら、良いね?お姉ちゃんと一緒に、いこうか?密やかに!」
格好をつけてみたかったのかも、しれなかった。
「…お姉ちゃん?」
「な、何でしょうか?」
「オリンピックは、とおいくにで、ひらかれます。お姉ちゃんは、それをわかっているのかしら?」
「…」
「いっしょにみにいけるわけ、ないじゃないの。だから、TVでみるんでしょう?どうして、そういうのが、わからないの?」
「…ごめんなさい。お姉ちゃんが、間違っていました」
「しっかり、してください」
「…はい」
ものすごく、恥ずかしかったものだ。姉という立ち位置は、いつだって、撃沈なのだった。
さて、私は、妹にこう言ったはずだ。
「お姉ちゃんと一緒に、いこうか?密やかに!」
この、密やかに、という箇所が、びみょーだった。自分自身で言うのもなんだけれども、そのときの私流の、反抗言葉だったのだから。
「ほら。しっかり、しなさい!あなたは、お姉ちゃんでしょう?」
母には、そう叱られてばかり。
うるさいなあと思うこともしばしばで、親への反抗として、妹と2人だけで出かけてみたかったのだ。
「オリンピックは、たどり着けそうにない遠い国で、開かれる。だから、妹と2人でいけるわけがない」
もちろん、そんなことは、わかってはいた。
が、妹は、私の茶目っ気を、まるで、許してはくれないのだった。がんばろうとするあまり、墓穴を掘りがち。姉の、辛いところだ。
「けど…」
「なに、お姉ちゃん?」
「この、今の私たちの状況で、本当に、世界大運動会、じゃない、オリンピックを、TVで観ていられるのかなあ…」
忙しすぎていた。
クヌギサワさんの言ってくれた今度が、いつの日になることかにも怯え、皆でそろってTVで世界大運動会の鑑賞計画は、きれいさっぱりと、なくなってしまっていた。
妹にそっけなく言われたこともそうだったが、その機会消失も、せつないともしびだった。
「こうなったら、私だけでも、いつか、観にいってやるんだ!」
私は、オリンピックというものに、ちょっとだけ、心ときめかせ始めていたようだった。
クヌギサワ家の食事の時間は、終わった。
「ごちそうさまでした!」
ほんのちょっとの時間でも、大人数の家族は、輝けるキャンドル。私と妹は、ホッとしながら、眠りにつけたのだった。
翌日…。
曇天の中、ついに、引っ越し日となった。
「リンコン、カンコン」
クヌギサワ家の玄関チャイムが、鳴った。
私が、玄関先に出た。妹が、背後例のように、着いてきた。
「あ、はじめまして、でしたね」
レインコート姿の男が、立っていた。
「どなたです?」
私は、変質者かと、思ってしまった。
黄色いフードが、下げられていた。
栗毛をした、クセ毛の、若そうな男性。顔立ちは、中性的美形というところ、か。
「2人の世話をするために、やってきました。といっても、移動だけですけれどね?ミタライと、いいます」
なかなかに、礼儀正しい人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます