第27話 絶望からの救い
「お姉ちゃん!よかったね!」
「そうね」
「もうすぐ、こうみんかん。先生に、わたすんだ!私の大すきな、あの先生に!」
妹は、規則正しそうにして、張り切った。
「お姉ちゃん!そのケーキは、私が、もっていくー!」
そう言って妹は、私の抱えていた箱入りケーキの袋を、とった。
「ちょっとー!強奪かよ!」
「ここまで、ありがとう」
「ツキノ?1人で、もっていけるの?重いんじゃ、ないの?お姉ちゃん、手伝おうか?心配になって、きちゃったわ」
「へいき、へいき」
「お姉ちゃんは、先に帰っちゃうわよ?」
「うん」
「お母さんとおばあちゃんが、心配だし」
「うん」
そうして2人は、別れた。
姉妹の別れるその様子を、やるせない上空の悪魔たちが、やるせなく、眺めていた。
妹は、その手に、そのときの彼女にとってのとびっきりの財産、そしてありったけの幸せを、抱えていた。ケーキを落としたりしないように、気を付けて。
「先生…」
目的地の、公民館前にきた。
妹が、公民館の中に入ってから、10分以上が経った。
「ハシャよ。あの子は、まだ、出てこないな。あのケーキ、落としたりしていないだろうな?思ったよりも時間がかかっているんじゃ、ないのか?」
「ケーキを、食べているんだろう」
「そうか。そうなのかも、しれんな」
「あ…出てきた」
「よし、よし。いいぞ。悪魔的安心だ」
妹の気持ちは、重すぎた。
「うう…」
公民館から出てきた妹は、曇っていた。
「あの子…。どうしたんだろうな。ずいぶんと、悲しそうだが」
「だな」
「中で、何があったんだろうな…?」
妹は、泣きそうな顔、だった…。
いや、実際に、泣いていたのかも。
妹は、公民館の入口を、2,3度、振り返っていた。振り返り、その場を、名残惜しそうにしていた。
ちょうど、そのとき。
「あ、いた!いた!」
妹の背後から、声がかけられた。
「いたー!良かったあ!」
声の主は、あの素敵なコンビニ店員の、ハルカだった。
「いたあ!今、1人?」
「うん」
「さっきのコンビニの、お姉さんだ」
「当たり」
「なあに?」
「ケーキ、落とさないで運べた?」
「うん。ちゃんと、はこんでいったよ」
「お姉ちゃんが一緒にいたんじゃないの?ケーキ、代わりにもってもらえば、良かったんじゃないの?」
「でも…。お姉ちゃんじゃあ…。たよりなくって、やくに立ちそうもないし。だからひとりで、はこんできました」
「そう?」
「えへへ」
妹とは、姉にとっては、何と恐ろしい生き物だったことか。
「私、お姉ちゃんとちがって、おとなよ」
「そう」
「うん」
妹は、恐ろしいことを言うものだった。
ハルカに向き合った妹は、公民館の中で流れた涙を拭いて、健在ぶりを装っていた。
「ねえ?公民館で、何があったの?」
「わからない」
「わからない?」
「うん…。けどお姉さんは、わたしがここにいるって、よく、わかったね?」
質問返しをした妹は、たくましかった。
が、本当にたくましかったのは、ハルカのほうだったのかも。
「だって。カウンターから、公民館にいこうよっていう声が、聞こえてきちゃったし」
ちゃっかりもしていた、優しい店員。
「実は、お釣りを渡すの、すっかり、忘れちゃっていたのよ。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい!」
頭が、下げられた。
ハルカは、社会人として、本当に面目ないといった顔をして、言っていた。
「ああ、そうだったあ…」
妹は、クリスマスケーキを買えたうれしさで、釣り銭をもらっていなかったことに、気付いていなかったのだった。
「そういえば、そうだった…」
コンビニに入った妹は、50 00円以上の金を出して、クリスマスケーキを買ったのだ。それならば、釣り銭をもらえていて当然のようなものだった。
「ごめんなさい」
ハルカが、妹に、釣り銭を渡そうとした。
が、妹は、変に、突っ張っていた。
「こんなにおつりは、いりません!」
ハルカは、少し考えた。
「そうねえ。…じゃあ、このお金は、あなたが幸せになれるように、そして、皆が幸せになれるように考えて、使ってあげてください。それなら、どうかな?それなら、このお金を、受け取ってもらえる?」
ハルカもまた、突っ張っていた。
「渡すのを忘れてしまい、ごめんなさい。許してください」
「はい。ゆるして、あげます」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「上手に、使ってね?どうか、これまで以上に、幸せになれますように!」
「ありがとう、お姉さん」
ハルカは、幸せ気分になれたのか、気分良くスキップをしながら、帰っていった。
「ハルカっていう、あのコンビニ店員…。やるじゃないか」
「ヒヒヒ」
「あの子も、な」
「だな」
ヒラ、ヒラ。
ポッ。
白いものが、落ちてきた。
クリスマスイブの空が、黒く、白く、染まりはじめていた。
「ダメじゃん。こんなの…」
妹は、そんな空を見上げてしまうと、涙を溜め返してしまうのだった。
「早く、かえらなくっちゃ。ぬれちゃう」
が…。
「え?」
妹は、繰り出しはじめた足を、止めた。
「どうして?」
顔を上げて、天を、見上げた。
今降っていた雪が、急に、まったくといって良いほどに、頭や顔にかからなくなっていたからだった。
その理由は、簡単だった。
「いよう!」
姉が、迎えにきてくれ、傘を差し出してくれていたのだった。
カノおばあちゃんは、ジングルベルババア会という、怪しい名前の高齢者サークルに、出かけているとのこと。
「帰ろうか、ツキノ?」
母も言って、3人が、歩き出した。
「どうしたの?浮かない顔、しちゃって」
私は、妹に、そっと、聞いてみた。妹の心の傷は、バレバレなのだった。
「ねえ?どうしたのよ?何かに、裏切られちゃったの?浮かない顔を、しちゃって」
「うかないかおなんか、してない」
妹は、できるだけの強がりを、見せた。そんな強がりの中、その場しの姑息な勇気が、光っていた。
「私…。ちょっとかわいそうな女の子を、みちゃってさ…」
確実に、強がっていた。
「ふーん。かわいそうな、女の子…」
「そう。その子、泣いてた」
「そう」
「だから私も、泣けてきちゃって…」
妹はもはや、反抗的情緒のかごに押し込められた、飛べない鳥だった。
「あのね?お姉ちゃん」
「うん」
「あのね?その子は、おつかいをたのまれたらしいの。あこがれだった、人に」
「ほう、ほう」
「でね?」
「はい、はい」
「このこうみんかんに、そのたのまれたものを、とどけにきたらしいの」
「ほう」
「私と、おなじだ」
「ふん」
「それでね…?」
「そのお遣いは、一体誰に、頼まれたんでしょうねえ?」
「えっと…。小がっこうの先生…」
「そっか…。小学校の、先生」
「それでね?」
「はい、はい。それで?」
「それでその子は、先生に、たのまれたものをわたせました」
「めでたし、めでたし」
「ちがう。ちっともめでたしなんかじゃ、なかった」
「そうでしたか」
「めでたしじゃ…、ありませんでした」
「それは、失礼」
「先生に、そんなものはもういらないよって、いわれちゃいました」
「あらあ」
「うん…」
「どうして?」
「あのね、お姉ちゃん?クリスマスかいでは、先生たちがあつまって、もっともっと高いものでおいわいすることになったから。…だから、もういらないよって。がっこうの先生を、何だとおもっていたんだい?って、言われちゃったのよ」
ずっと、涙をこらえていた。
「そっか…」
「…」
「学校の先生が、その子に、そんなことを言ったんだ…」
「わたし…ぜつぼうしちゃった」
母は、私たちの前を、ただ何も言わずに、歩いていた。
「そっか」
「うん…」
「そっか」
「うん…」
「クリスマスケーキの、価値…」
「お姉ちゃん?わたし…。その子にとってそのケーキは、すごくすごーっくたいせつなクリスマスケーキだったんだと、おもうの。ありったけのきもちをこめてかった、ありったけのおもいのかちがこめられた、たからものだったんだと、おもう。それがあの子の、クリスマスケーキだったのよ。でもそのきもちは、先生には、わかってもらえなかった。とびっきりのクリスマスケーキ…。先生に、わたせたはずだったのに…」
「そっか…。それでその子は、泣いちゃったのか…」
「うけとってもらえなかったクリスマスケーキは、あそびにきていた子どもかいの子たちに、あげたそうです」
「なるほどね」
私は、そう指摘してから、妹のほうを、はっきりと向いた。
「え?なあに?」
姉は、自信たっぷりに、
「だからあなたは、甘い。甘かったのよ。蜂蜜の、どろりんちょよ。小学生ねえ。さすがに、平気で人を傷付けられる人たちに教え込まれているだけ、あるわね。だから、甘いのよ。あ・な・た・は」
「え?どういうこと?」
「そのかわいそうな子って、あなたのことなんでしょう?」
私は、事情の核心を突いた。
母は、そんな私たちのやりとりをどこまで聞いていたのか…。メゾン・オトナシに着くまで、ずっと、黙ったままだった。
「なあ、ハシャよ」
「何だ?」
「俺たちももう、帰ろうじゃないか」
「だな」
「悪魔が見ていちゃあ、いけないよな?」
「だな」
雪が、少し、強くなってきていた。
「だいすきな先生、だったのに」
妹は、せっかく止まり始めていた涙の栓を、こじ開けそうになってしまっていた。というよりも、外を舞う雪の寒さで、それを止めようとした手がかじかみ、閉められなくなっていたのかも。
メゾン・オトナシに、到着。
私たちは、母に鍵を渡して、先に部屋に入れてあげた。
私は、妹と、少しだけ、雪舞うメゾン・オトナシの庭に立ち尽くしていた。
「だいすきな先生、だったのに」
「あれが現実。社会の事情は、複雑怪奇」
「うん…」
「どうか、泣かないで」
「でも…お姉ちゃん…」
「先生だったのに、じゃないわ。先生だったから、なのよ?」
「先生は、えらいのに」
「違う。何にも偉くなんか、ない。あなたの小学校の先生は、聖職者?違う。残念だけれど、それは、絶対に違うわ」
「クリスマスケーキのきもち、わかってもらえなかった…」
「これも、社会勉強。お願い。もう、悲しまないで。これからのあなたには、もっともっと素晴らしいことが、起こるから」
「うん…」
「教育の事情も、複雑怪奇。聖職者なんていう言葉が通用したのは、昔の話。今は、事情が異なるの。今は、さ。先生が格好良く見えるのは、学校という職場にいるときだけなんだからさ。職場以外の場所では、学校の先生の存在力は、どうなるものか。クリスマスイブの、良い勉強だったじゃないのかな」
「お姉ちゃんは、つよいのね?」
「先生の、強さ。先生の自由、か」
「せっきょくてき自由としょうきょくてき自由のじじょうの糸が、からまっちゃってさ…。レッセ、フェール…」
「そういう言葉、どこで、覚えたの?」
「フランスかくめいのTVで、おぼえた」
「そういうの、観ていたの?あなた、今の先生よりも、絶対に優秀だわ…。まあ、このあねにはには、及ばないかもしれませんけれどね」
「ああ、もう、さむい。お姉ちゃん、はやくへやに、はいろうよう」
「そうだった。ごめん、ごめん」
私は、ほんの少しだけだったけれども、母を孤独にしてしまっていたことに、いらだちを覚えていた。
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