第28話 姉妹の成長。そして、2人の約束

 「ただいま」

 「ほら、ほら。あなたたちも、こっちに、きなさいよう」

 母が、茶を淹れてくれた。

 「うしし。ばばあも、帰っておりますぜ」

 カノおばあちゃんは、茶を飲んでいた。

 「あら、おばあちゃん。帰ってたんだあ」

 「うん…ただいま」

 「ツキノも、帰ったよ」

 「皆が、そろいましたな?」

 「ねえ、おばあちゃん?」

 「なんですかな、ツキノちゃん?」

 「あのさ。ジングルベルババア会っていうところに、出かけていたんでしょう?」

 「むふふ」

 「ジングルベルババア?」

 「お姉ちゃん、そう言ったじゃないの」

 「あらあ…!おばあちゃんは、そういうところに、出かけてらしたんですか」

「お母さんが、びっくりしてるし」

 「うしし」

 「なんか、秘密結社みたい…」

 「こら、お姉ちゃん!」

 「でも、ツキノ?良いじゃないの、ジングルベル。私、子どものころに戻れそう」

 「そうね…お母さん」

 「ジングルベルかあ…。それって、うちゅうのスペースシャトルの中ではじめてうたわれたうた、って、いわれてるのよね」

 「あら。ツキノ?それって、いつの話?」

 「はい。おばあちゃん。茶のおかわりを、淹れて進ぜよう」

 「ありがとうねえ。で、いつの話だい?」

 「ツキノ?私にも、淹れて」

 「わかったよう」

 「他に何か、なかったかしら?」

 「ツキノちゃん?いつの、話だい?」

 「えっと…19 65年9月16日くらい」

「ツキノ?どうしてそれが初めてだって、言えるんだい?お母さんに、教えて」

 「そうよ」

 「お姉ちゃんまでー」

 「だって、おかしいじゃないの」

 「何があ」

 「どうして、初めてだって言えるのよ?」

 「お湯は、まだ、ありますからね?」

 「うしし。皇帝気分じゃ」

 「本当に、ジングルベルだったの?」

 「だってえ」

 「それまでに宇宙にいった外国の誰かが、こっそり、誰にも聞かれないように、炭坑節とか歌っていたかもしれないじゃない」

 「がいこく人は、それ、うたわない」

 「ああ。お母さんは、子どもに返りたい」

 「うひひ」

 「そうだ、お母さん。スペースシャトルの中にずっと乗っていれば、相対性理論の考え方で、子どもに帰れるかもよ?…って、そうじゃなかったか。私、間違った。時間の流れが遅く感じられるだけで、時間が元に戻るわけじゃ、なかったもんね」

 「お姉ちゃん。ダッサイ」

 「いいじゃないの」

 「おばあちゃん、もう少し、いかが?」

 「あら。すみませんねえ」

 「そうよ。違う。違うわよ。スペースシャトルの中にいても、若返るわけじゃなかったわ。ごめん、ララバイ、皆の衆」

 「お姉ちゃん!そういう話は、やめて!」

 「いいお茶。ばばあには、良い薬じゃ」

 「…あ、そうだ」

 「ちょっと、お母さん!どこいくのよ!」

 「玄関の鍵閉めとくの、忘れてた」

 「ツキノちゃん?公民館、どうだった?このばばあに、聞かせておくれ」

 「うー」

 妹は、困っていた。

 「先生と、美味しいクリスマスケーキを、一緒に食べられたのかい?」

 「あー。崩れた琴線に、触れちゃった…」 

 そのとき、妹のほうは、泣いたりなどしなかった。

 が、私のほうは、泣きそうだった。

 「むー…」

 妹を守れなかった罪に泣かれてしまい、疲れていたのだ。

 教育現場を、案じていた。

 「学校の先生は、忙しいのは、わかるけれど…。妹をもつ姉も、負けず劣らず、忙しそうだ。疲れた」

 小学校の先生など、子どもを相手に教育していれば、自然と、私のように、泣きたくなってくるものだろうか?

 「お姉ちゃん?先生って、たいへんだよねえ」

 「そうかもね。たくさんの力とか生き抜く知恵を、先生たちが、自分たちで育てられれば、良かったのかもしれないのにね」

 「先生って、むずかしいよね?」

 「あなたは、また、嫌なことを言う」

 「だって」

 「あの人たちって、人にものを教える幸せケーキの中を、生きているのかしら?」

 「お姉ちゃん、それは、ちがうわ」

 「そう?どうして、そう言えるのよ?」

 「よく、わからないから」

 「…はあ?」

 「生きるって、よくわからないこと。わけわからない先生って、生きているっていうことなんじゃ、ないの?」

 「いや、それは…。何よ、それ。あなたはまた、すごいことを…」

 「そういうことじゃないの?」

 「あなたは、つくづく…。嫌な、小学生ねえ。小学校のくせに、面倒だなあ。あなた、あと10年もしたら、東京大学にいきなさい。都会暮らしもできて、良いんじゃないの?あなた、都会暮らしが、したかったんじゃなかったの?」

 私は、ボソッと言って、ごろんと、横になっていた。

妹は、それきり、言い返してこなかった。

 「ねえ?ツキノ?聞いているの?」

 「…」

 「ねえ?」

 「また、思い出してきちゃった」

 「なにを?」

 「お姉ちゃん?やっぱり私、あのとき、さいていだった。先生がさいていなんじゃなくって、私が、さいていだったのかも」

 「あなたが、最低だった?どうして?」

 「私、おろかだったんだもの。あんなことをしちゃって、さ。私は、みじめなピエロだった。私にとって、クリスマスケーキのしあわせは、サーカスにすぎなかったのよ…」

 「ううん。最低じゃなかったと思うよ」

 「どうして?」

 「ツキノは、ツキノのおろかさに気付けたからよ」

 「…」

 「そうね。あなたは、成長できたわ」

 「そうかなあ」

 「成長できたわよ。2度の失敗で…。1度目は、金が足りなかったこと。2度目は、小学校の先生を、なんとなくの気持ちで、信じちゃったこと。その2度の失敗に、気付けたじゃない?」

 「そうかなあ」

 「あなたは、最低じゃないわ。おろかさや失敗を乗り越えて、これからも成長できる」

 「…」

 「あなたは、ここにいるべきじゃない。…高校を卒業したら、やっぱり、都会にいってきなさい。東京大学にいって、また、成長してきなさい。お姉ちゃんが、応援するから」

 「うん…」

 「クリスマスケーキ事件のときにさ、あなたは、あれもこれもって、欲張っちゃったんでしょう?それは、ちょっと、まずかったかな?私も、反省した。今度からは、あれかこれかに、しなさい。たとえその先に、絶望が待っていようとも」

 「…」

 「あなたが東京大学に合格できたら、お姉ちゃんも勉強し直そう。約束よ」

 「…」

 「私、人を助けられる職につくのが、良いかなあ。お母さんに鍛えられたことを思い出して、医大に入ろう。形成外科医に、なるんだ!ツキノ、約束よ。猛勉強だ!」

 「…」

 「ねえ?ツキノ?聞いているの?」 

 「うん。ごめん。きいてる、きいてる」

 「それにしてもさ…」

 「ツキノ?あなたは、良くわからないけれど、あんなに金をもっていたんだから、そこそこの額の釣り銭を、もらえたはず。それ、どうするの?貯めるの?それとも、楽しくパーッと、使っちゃうの?遊んで借金作って、誰かに払わせちゃえばいいじゃない?それもまた、生きるってことよ」

 「…」

 「ねえ。どうするの?」

 意地悪く、迫っていた。

 「…うん。私も、つかっちゃうかな」

 妹は、私の掘った落とし穴にはまるわけでもなく、しかし回避できたわけでもなく、私同様、意地悪くなって返してきた。

 「ほう、ほう。やっぱりあなたも、使っちゃうのか」

 「かも、しれない」

 「…生きる教育。生きる教育」

 だが妹は、動じなかった。生きる教育を茶化した私の残忍なセリフには、振り回されなかったようだ。

 「お姉ちゃん?その、金。つかうことは、使う。でも私は、がっこうの先生たちじゃない。私は、だれかのしあわせのためにこそ、つかう」

 「何よ。それ?」

 「お姉ちゃんには、ないしょです」

 3日後の、休日。

 雪の降らない、晴れた一日の午前。オトナシの部屋に寝転んでいた私は、妹と母が手をつないでどこかに出かけていく姿を、見た。

私は、部屋で、お茶を飲んでいたおばあちゃんに向かって、聞いてみていた。

 「お母さんとツキノって、どこにいったのかしら?おばあちゃんは、知ってる?」

 「はい、はい、老人ホームにいくって、言っていましたよ?」

 「老人ホーム?」

 「らしいですよ?」

 「こんな日に?」

 「こんな日だからじゃ、ないんですか?」

 「えー?どういうこと?老人ホームに、クリスマスケーキを食べにいったの?」

 「さあ…」

 「おばあちゃん?」

 「何ですか?」

 「まだ、お湯ある?」

 私も、おばあちゃんと一緒に、TV番組を観ていた。

 誰かが、どこかの海を中継していた。

 「クリスマスイブも過ぎ、冬の海も、素敵ですね!来年への成長が、楽しみです!」

 番組が終わったころ、母と妹が、帰宅。

 「ツキノ?お母さんと、老人ホームに、いってきたんだって?どうして?」

 私は、2人を尋問していた。

 妹は、即答。

 「きまっているじゃない」

 「何が、決まっているのよ?」

 「コンビニのお姉さんとの、やくそくを、はたすためよ」

 「約束?」

 「うん」

 「何を、約束したのよ?」

 「クリスマスケーを買ってもらったおつりのお金は、こまっている人にあげますからって、やくそくしたのよ」

 「そんな約束なんか、してたっけ?」

 「しました」

 「で?困っている人に、あげられたの?」

 「うん。たぶん」

 「たぶんか…」

 「お母さんにそうだんして、老人ホームにいくことができたから」

 「だから、そこに出かけていったのか」

 「ほんの少しのお金だったかもしれないけれど…。でも、あれで、しあわせを広げられれば良いなって思って…」

 「そっか」

 「あれっぽっちのお金だったから、バカな子だとおもわれちゃったかな?」

 「そんなこと、ないんじゃないの?」

 「よかった」

 「それは、なにより」

 「うん」

 「やっぱりあなたは、成長したのね」

 「こんなの先生に話しちゃったら、わらわれるよね?きっと」

 「わからないわねえ」

 「…わたしにも、わからないや」

 「難しいよねえ。…金をもらえちゃったから、老人ホームに寄付しにいきます。誰かを幸せにしたいからですなんて、教科書には、書いてないものねえ」

 「先生に、はなまる、もらえないかな?」

 「さあ、どうだか」

 「むずかしいなあ」

 「今の先生は、教科書に書かれていないことには、判断ができないよ。まあ、あなたの心の事情に点数をつけるのは、幸せを渡した相手にも、よるかもね?それであなたは、誰に、寄付してきたの?入居者の、おじいちゃん?おばあちゃん?」

 「えっと…」

 聞けば、妹と母が金を寄付した相手は、老人ホームの事務室のおじさんだった。事務室のおじさんは、全額寄付と言われ、ペンギンのように、目を異次元へ飛ばしてしまっていたとのことだった。

 おじさんは、驚いたことだろう。

 「これだけの金を、寄付しにきたのか?どうして、そんなことをするんだ?気味の悪い子だなあ。どんな事情があって、そんなことを、するんだ?金があったのなら、ばんばん使っちゃえば、良いじゃないか。そのぶん借金は膨らむが、誰かに肩代わりさせて返済しろと迫っちゃえば良いだけなのに。幸せの贈与なんて、死だ。そんなのは、メメント・モリだ。今を、楽しむんだ。自分が良ければ、それで良いじゃないか。おかしな子、だな」

 その帰り道、妹は、こう考えていたようだ。

 「私がきふしたのは、ちっぽけな金だったのかも、しれない。でも、その金は、疲れた人にとっては、大きな大きなかちがあった。ホームの人たちに、その思いが、とどいたかな?あの金は、ちっぽけなものだったかもしれないけれど、じつは、ちっぽけなんかじゃなかった」

 妹が言ったとき、上空が、こっそりと、曇り出していた。

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