第26話 あれかこれかで、何とかなった
「天使じゃなくって、悪かったな」
「フン」
2匹の悪魔が、その、コンビニケーキ事件と、そして歩く姉妹の様子を、興味深く見下ろしていた。
賢明な私にはまた、踏ん切りがつかなかった。
「世界最高の、運動会、かあ…。なんだかんだ言って、迷っちゃうなあ。その運動会も、事情の糸の駆け引き、なんだろうか?差別の解消に、役立つ大会になれれば、良いのにな」
社会では、差別はいけないけれども、すべての面で意見が一致できなくても、良かったはずだ。
「…そうか、やっぱりその運動会も、事情の糸の駆け引きだったんだ!」
社会の事情は、複雑怪奇。
事情の糸を解く作業は、果てしなく、ハードワーク。
「でも…解けるかも、しれない。だから、面白い。だから、集まろうとするわけだし」
そうなのだ。
事情の糸は、世界最高の運動会をめぐる思いのように複雑怪奇だけれども、必ずや、その複雑怪奇の中にも、皆が納得して合意のできるような共通点が、埋まっているはずなのだ。皆、それがわかっていて解こうとする意志があるから、世界中から、人が、集まってくるわけなのだ。
世界から人が集まる運動会には、意義があった。
自分たちのもつ事情を表現する人たちが増えれば増えるほど、その分、事情の糸を解くために理解しようとするチャンスが生まれていく。
「…どうしようかなあ。運動会を、見にいきたいなあ。でも、いかなくても、良いのかな?私たちの家族が、満足に家でTVを観ていられたなら、それで良いのかも、しれないし。…ようし、家で、家族一緒にポテトチップスでもつまみながら、新しい事情を編んでみるとするか!」
変な勇気が、出てきていた。
面白いことに、気付かされていた。
考えてみれば、世界最高の運動会は、社会の事情を解く機会でもあり、そもそも、なぜ、それぞれに事情が違っていったのかを分からせる機会でもあったのだ。
それも、TV鑑賞でなら、私と妹も2人だけでなく、家族そろってワイワイ言いながら発見できるかもしれない機会となった。
「それなら、これはこれでも、良かったんだな…」
家族の笑う姿を、長女としての責任で、しっかりと管理していた。
「これからも、楽しい家族でありたい。私たちの他の家族の形、個人の生き方、考え方を尊重しながら、成長していこう」
そうして私は、長女らしく責任感をもって満足しつつ、妹を、見つめていたのだった。
空が、より一層、暗くなった気がした。
「なあ、ハシャよ」
片方の悪魔が、言った。
「なんだ?」
「つまらんな。まあ、いい。今日のところは、見逃してやろう。ふん。本当は、あんな憎き人間、俺たちが始末してやらねばならなかったのにな!あの、憎い奴らはな!」
「どうした、モンヤ?お前は、あの2人が憎かったか」
「そうだ!」
「お前は、あの2人を、知っていたのか」
「そうだ!」
「何が、あったのだ?」
「俺は、騙さたんだよ!あいつら、この悪魔様を、騙しやがったんだ!」
モンヤは、明らかに、怒っていた。
「騙されただと?」
「そうだ!」
「人間なんかに、騙されたのか?」
そう言われてしまうと、悪魔モンヤは、ますます、頭にきた。
「俺は、何かのショーの会場に入れなくて困っていたあいつらを、助けてやったことがある。たしか俺は、入場券を、無料券に変えてやったんだよ!」
「そんなことが、あったか…」
「そこで俺は、条件を出した!」
「…」
「契約のための、前提条件だ!」
「…」
「会場に入れてやる代わりに、お前たちの財産をいただくって、言ってやったんだ!」
「…」
「それが、どうしたことか!」
「なんだ?」
「俺は、あいつらに、何も入っていなかった弁当箱をつかまされたんだよ!信じられるか、ハシャ!弁当箱だぞ?弁当箱!俺は、財産をよこせって、言ったんだ!それなのに…弁当箱だと?だから俺は、騙されたんだ!」
モンヤの声は、真剣そのものだった。
だが真剣なのは、ハシャも、同じだった。
「…そうか。お前には、人間の…。あの子たちの気持ちが、わからなかったか」
モンヤに向けたハシャの目は、迷うところのない鋭さに、研ぎ澄まされていた。勇気さえも、にじんでいた。
「何だって!どういう意味だよ、それ!」
「だからな…」
ハシャは、モンヤに、丁寧に、説明してあげた。悪魔もまた、あるべき学校の先生と、なっていたわけだ。
「モンヤ、わかってくれ」
「何をわかれって、いうんだよ!」
「理解しろ」
「だから、何をだ!」
「お前は、あの子たちと、契約をした。無料チケットをやる、と」
「そうだ!」
「けれどな…」
「何だ!」
「あの子たちは、どんな思いで、ショーを観ようとしていたんだ?わかるか?」
ハシャは、つらそうに、聞いていた。
「楽しみに、観ようとしていた」
「それだけか?」
「だから…そういうことだったんだろ?」
モンヤは、苦し紛れだった。
ハシャは、その様子を、ばっさり。
「それもあったのかも、しれん。だが、それだけじゃあ、なかったはずだ。やっぱりお前は、何もわかってはいない」
「ハシャ!じゃあ、何だっていうんだ!」
「あの子たちはなあ…」
「何だよ」
「あの子たちは…。いろいろな事情のもとで、懸命になって生きようとしてきた子たちだったんじゃ、ないのか?」
「みたいだな」
「あの家族、他の家族が味わえたような華やかな行楽を楽しめていたわけじゃ、なかったろう。そんなとき、事情は知らず、ショーのチケットが手に入った。あの子たちは、楽しみで、ならなかったろうなあ」
「…」
「モンヤ…」
「何だ?」
「情けない。お前は、あの子たちの気持ちを、裏切ろうとしてしまったんだからな」
「何だと、ハシャ!バカを、言うなよ!俺が、何を裏切ったと、いうんだ!俺は、裏切るどころか、あの子たちに、救いの手を差し延べてやったんだ!契約さえしてくれれば、金なんて!人間の気持ちなんて!」
モンヤは、ハシャを、にらんだ。
だがハシャも、モンヤを、にらみ返した。
「モンヤ!契約さえしてくれれば、何でもしてあげるのか?そんな気持ちで、あんなことをしたのか?あの子たちの懸命に生きようとする事情が、無駄になってしまうんじゃないのか?お前は、あの子たちの誠意を、無駄にするのか!」
「…」
今度は、モンヤのほうが黙ってしまった。
「モンヤ!…あの子たちは、どんな思いで生きてきたって、いうんだ!今日のコンビニの出来事を見て、お前は、何とも思わなかったのか!それじゃあ、ただ座って他人を傷付けて税金をもらって生きている連中と、同じだ!あの子たちにとって弁当箱がどんな価値をもっていたのか、わからなかったのか!」
「しかし…」
「しかし、何だ。モンヤ」
「しかし…。俺があの子たちに金をあげてしまえば、苦労なんかしなくたって、良かったはずなのにな。悪いことを、したかな?そうすればクリスマスケーキなんか、楽々、買えた。ショーだって、観られたしな」
「違う。それは、違う」
「何が、違うんだよ。ハシャ!」
「全然、わかっちゃいない。そんなことをしてしまったら、あの子たちの気持ちを裏切ったことに、なるだろうが!」
ハシャは、人間には聞こえない程度のヘルツを切って、苦しんでいた。
「モンヤよ」
「ああ?」
「そういうことが上手く理解できないところが、お前の弱点だ。っていうか、俺たち悪魔というものは、皆、そうなのかもしれんがな。俺の上司は、違うのにな」
ケーキをもたされた姉と、ケーキをもたせた妹のデコボココンビは、ケーキを落とすようなことのないよう、ゆっくりと、歩いた。
「ハシャよ。良いコンビニだったなあ…」
「ああ」
「もう、帰ろう」
「だな」
「いくぞ…あ、あ!」
そのときモンヤは、ようやくあることに、気付いて、叫んだ。
「あ!そうだったのか!おい、ハシャ!そっちだって、ダメじゃないか!」
「…」
「どうせ、お前が、やったんだろう?」
「…」
「あの子のポケットの中に金をこっそり入れたのは、お前じゃないのか?」
モンヤは、そこに、気付いたのだった。
「…」
「ハシャ!だから、そういうことをしたらダメなんじゃあ、なかったのかよ!」
モンヤは、完全に、呆れかえっていた。
「…」
ハシャは、だんまりとしたままだった。
「なあ、ハシャ!そういうのはダメだって言っていたのは、お前のほうじゃ、なかったのか?あの子たちの気持ちを裏切ったことになるんじゃ、なかったのか?」
黙らせたり、黙ったり。
「帰るの、やめた」
「…」
「もう少し、見ていこう」
「…ああ」
変な悪魔で、バランスがとれていたのかいなかったのか、良くわからなかったものだ。
「あの子たちにどんな事情があったのかは知らんが、なぜだか懸命になって、クリスマスケーキを買おうと、していた。必死に。それが、あの子たちの、事情だった。なあ、ハシャ?そうだったんだろう?」
「…」
「ポケットに入れていた小さな金は、大きな幸せへの、スタートラインだった。そこにどんな幸せがつまっているかは、神話のレベル。誰にも、踏み入れられない、領域。それを…。そこに外部の者が金を足して手助けしちゃったら、その幸せのスタートラインが、踏みにじられることになっちゃうんじゃ、ないのか?聞いているのか、ハシャ!」
このときモンヤは、もう、確信をもってしまっていた。
妹のポケットの中に札をこっそり入れたのが、絶対にハシャであったということに…。
「ハシャめ。余計な、ことを…」
輝けるクリスマスイブと、なった。
あのとき、コンビニ店員のハルカは、無償で、妹にケーキをあげるなんていう選択は、とらなかった。それは、こう考えていたからだった。
「困っている人に、ケーキをあげることは、できる。そうすることで、客を、救えるのなら。店員の私が、代わって金を支払ってあげれば、済む。でもそんなんじゃあ、本当の意味であの子たちを救うことには、ならない。社会勉強にすら、ならない。私は、最低の先生になっちゃう。あの子たちの精一杯の気持ちを、台無しにしてしまうから」
それは、正社員じゃないからできないというレベルの躊躇からでは、なかった。
そうではなくて、社会のあるべき方向への徳の構築と維持のためにも、できなかったのだった。
2人の上空のよどみが、解けてきた。
「ハシャ…」
「何だ?」
「あの姉妹…。良い店員に、会えたな」
「だな」
「俺、悪魔なのに、泣けてきちゃったよ」
「それは、気持ち悪いな」
「金さえあれば何でもできると過信してしまった人間とは、確実に、違う」
「だな…」
「あの姉妹も。あの、店員も」
「だな」
「金があれば何でもできる、か。言い換えれば、金がなくなっちゃえば何もできなくなりかねないわけだがな…。何もできなくなっちゃうと、嫌だな」
「だな」
妹は、ケーキを両手で抱え、うれしさいっぱいだった。
「あれもこれもじゃダメだったけど、あれかこれかで、何とかなっちゃった。がんばれ、私!」
公民館まで、もうすぐとなった。
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