第25話 天使でも、いたのかしら?
「お姉ちゃん、聞いているの?」
「はい、はい」
「いいですか?クリスマスケーキを、ほんとうにほしい人がいたと、します」
「はい、はい」
「それでは、お姉ちゃん?その人は、どうして、クリスマスケーキをほしがったのでしょうか?」
「さあ…しらない」
「考えて、ください」
「…」
「じぶんのあたまでかんがえられないのは、がっこうのわかいせんせいレベルです」
「はい、はい」
「その人は、どうして、クリスマスケーキをほしがったのでしょうか?」
「おなかが、ペコペコだった」
「おお。…そうかも、しれませんね」
「ちぇっ」
「その人は、おなかペコペコだったのかも、しれませんよねー。今にも、たおれてしまうほどにです。だから、ほしくてほしくて、しかたがなかったのかも、しれません。そういうことに、します」
「そうか」
「そこに、おなかいっぱいのべつの人が、やってきました。その人も、そのクリスマスケーキが、ほしかったんですねえ。でもそこで、こまったことが、おきました」
「困ったことって、何?」
「じつはそのクリスマスケーキは、少ししか、なかったんです。そうなるとそのケーキは、2人のうばいあいに、なっちゃいます」
「そうかもね」
「それをほんとうに食べたかった人にとっては、クリスマスケーキの味は、しあわせそのもの。ほうせきのなみだにもちかい、大きなかちを、もっていたはずなのにね?」
「まあね」
「けれど、もうおなかがいっぱいだった人がたべたなら、どうかな?ああ、たべた。たべた。それくらいのかんそうになっちゃうかも、しれません」
「そうね…」
「クリスマスケーキは、おいしかったはずよ?おなかがぺこぺこだった人にとっても、おなかがいっぱいだった人にとっても。どちらにとっても、しあわせだったのかも」
「でしょうね」
「でも、そのしあわせのレベルは、どちらも同じなわけが、ないわ」
「かもね…」
「おなかがぺこぺこでほんとうにそれをほしがっていた人のほうが、たくさんのしあわせを、かんじられるはずよ?」
「うん…」
「だから、そのクリスマスケーキは、ほんとうにほしがっていた人に、わたさなくっちゃいけなかったのかもしれません」
「…」
「クリスマスケーキは、おくがふかいの。そんなことも、おしえてくれるんだから。私とお姉ちゃんもそうだったけれど…。クリスマスケーキをかいにいく人って、そのケーキと、どんなふうにして、しあわせをかんじようとしていたのかなあ?私は、あのコンビニで、あのお姉さんからケーキをかえて、しあわせだったな。クリスマスケーキっていうのは、できるだけ多くの人に、さいだいのこうふくをもたらそうと、どりょくをかさねているの。だから、クリスマスケーキは、さいだいたすうのさいだいこうふく」
「うーん…そうなのかなあ…」
妹は、実に、幸せそうだった。
「ところで、お姉ちゃんは…。このケーキを、まだ持たなくっちゃ、いけないんでしょうか?」
「こうみんかんまで、あと、10分」
「えー」
「えーとか、言わない」
「ちぇっ。まあ、いいや。ツキノ?あのコンビニで買い物して、良かったね?お金もちゃんとあったし。天使でも、いたのかしら?」
「わからない!けど、しあわせ!」
楽しみが減ったような気がしても、楽しみは、見つけようとすれば、見つけられたのだ。
以前、私は、オリンピックという世界的な大運動会の会場にいき、生の目で見てみたいと、思ったことがあった。
その、さらに数か月前、嫌なことがあった。
世界大運動会の組織員会の偉い人が、人の差別発言をおこなったことだ。私には、忘れられなかった。
偉い人には、皆が従い、声が出せなくなってしまうらしかった。母親のパート仕事がいかに苦しいものだったか、少しだけ、わかった気がしたものだった。
「皆で、物事を決定しましょう!」それは、どうしても、ウソとしか聞こえなかった。
社会の裏事情では、トップに立つ皇帝が、すべての物事を決定する権利をもっていたとわかった。
皇帝は、自らが唾を吐いて、路上が汚れても目立たないよう、プライベート道路を作らせる権限も、もっていたのだった。あるいは、その汚れた道路をきれいにするための洗剤も、ブラシも、どんな種類のものを買って良いのかさえ、決定する権限を握っていたのだった。
社会の中で、私たちは、どれだけ、苦しく、ちっぽけな家族だったことか。
母たちは、身分の弱いパート労働者だった。
その人たちは、店長などという名をかたった皇帝に、従った。そうすることで、翌日も、職を保証されていたからだ。
「女性が、ぶしつけな悪魔に従うのは、自分自身が、生き延びるためだったのではないか?」
私には、労働の事情が、そう解釈できていた。
「私には、まだまだ、勉強が足りなかったのか」
足りない点は、まだ、あった。
私は、母の立場に近付きながら、女性の視点でしか、社会の事情を捉えようとしなかったことだ。
私は、無意識に、つまらない見栄を張っていたのだろうか?
「これが、男性であったなら、どうなのか?」
男性であったなら、正社員になるとか、部下を持てるまでに出世するとか、弱い立場の者にたいしてえばり散らせるように、つまりは、身分保障というものがされるわけで、それを失いたくはないあまりに、黙って従うのが、礼儀だったのだろう。母の職場環境の話からも、想像できたことだ。
男性という生き物は、その服従によって、俺は社会の事情に立ち向かえない程度の人間だという劣等感、卑しさ、やるせなさを、心の中に、閉じ込めていく。
女性に、言い訳をするように。
しかし、その閉じ込め続きによって、ストレスが、たまり続けていくことになる。そこで男性は、頃良い段階で、そのストレスを吐くわけだ。
特に、オリンピックの例でいえば、裏方組織のトップ、皇帝になれたときに、そのチャンスがやってくる。そのときならば、他人を平気で傷付けることを言ったとしても、周りには文句を言われないだろうと、計算できているからだ。
「女性がいる会議は、時間がかかる」
そのときには、会議の場に女性がいるのは困るんだよねといった排除心と、こんな新しい言い訳が生まれているだろう。
「女性が、社会で評価されないのは、当たり前だ。結局は、バシッと、一発で成果が出せないからだ」
男性は、そうして、必死に、自らを正当化する生き物なのだった。
私たち家族は、今後も、いくつもの駆け引きがおこなわれる不可解な社会で、生きていかなくてはならないのだろうか?
「あなたは、長女でしょう?我慢よ、我慢」
何かにつけ、母には、そう言われたものだった。
我慢をして、社会の事情に立ち向かっていくのは、良い。立ち向かえなくて、従っていく方法も、悪くはなかった。それで、家族が維持できるのならば…。
だが、その我慢の姿勢が、それこそ、たまりにたまって、差別の構造を維持させる逆説めいた風潮も、生んでいただろうか。
声を上げたい、上げなくっちゃいけない、けれども、声を上げたら、自らを維持できなくなってしまうんじゃないのかという恐怖に、悶えてしまう。
それで、結局は、声を上げないことを、選択せざるを得なくなる。
声を上げてはならないんだという、強迫観念を、伴いながら。
こうして、めぐりめぐって、母のような弱い立場の人が苦しめられているという事実が、無意識のうちに、黙殺されてしまう。
教育現場などでは、スクールカーストといって、児童生徒ら、大人に比べて弱い立場にいた人たちがより弱い人たちを苦しめて、ストレスを発散させるという悪循環が、起こされていたものだ。
「社会って、そんなものにも、似ていたのかも知れない。事情の糸を解くのは、容易ではないんだな」
ぽそっと、つぶやいていた。
しかし、程なくして、世界最高の運動会とされるオリンピックに向かうことは、できないんじゃないのかと、覚悟しなければならなくなっていた。
妹はどう思っていたのか知らないが、私は、一握りの皇帝レベルの利権のために、まわりを見られず権力をふるって差別的な言動をとることでしかストレスを発散できなかった、憐れで孤独な体制に、ついていけなくなってしまっていたからだ。
私には、世界最高の運動会よりも、家族の維持のほうが、喫緊の課題になっていたのだ。
「妹を、連れていってあげたかったなあ…」
世界最高の運動会の場に妹を連れていってあげられない姉のふがいなさが、俺は吸わないなどと言いながらも、こっそりと家のベランダでくゆらせていたことのある父のたばこの煙のように、遠ざかっていった。
「あの、世界最高の運動会のことは、忘れよう。でも、私たちのことは、忘れちゃあ、ダメだ。運動会への信用は落ちても、家族の信用は落とさないように!」
強く強く、願っていた。
そのとき…。
空が、黒くなった。
公民館目指して歩いていた2人の上空で、だれにも見えるはずもなかった変な生き物たちが、にやついていたのだった。
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