第11話 40秒で支度しな!などとは、言いません

 「人には、いろいろ、事情があるんです。お母様の事情、お父様の事情。姉の事情に、妹の事情…。彼氏の事情に、彼女の事情。この社会は、そうした事情の糸が、インターネット回線、もしくは、都会の地下鉄路線のように絡まり合って、できています。ああ、もしかしたら、神様の事情に、人間の事情。いえ、何でもありません。とにかく、複雑なんですね。そんなパンク寸前の事情の糸を無理に解こうとすれば、どうなるか…。わかってください。事情の糸は、複雑怪奇だということを。それをあえて解きほぐさないこともまた、神話の哲学。もう少し、このままでお母さんを待ってあげるということでも、ケアになるっていうことを、信じてあげましょうか…。あの方も、そう言っておられる」

 「あの方、ですか?」

 「いえ、失礼。こちらの、事情です」

 「そうですか…。良くわかりませんが、わかりました」

 ミタライさんは、妹を慰めるかのように、うつむいていた。

 「…ミタライさん?」

 「はい?」

 「私たちは、どうしたら、良いのでしょうか?」

 「それまで住んでいた家を忘れることなく、それでいて、環境を移して、お母様のことを待ってあげましょう」

 「はい」

 「いきましょう。環境を変えることも、必要なのですよ」

 「やっぱり、どうしても、今日、今までの家を空けなければ、ならないのですね?そして、引っ越さなければならない。この、クヌギサワさんの家から出ていかなければ、ならないと…」

 「まあ、暴力的かもしれませんが、そういうことです。だからこそ、僕が、使わされたわけです。何度もいいますが、お母様は、この家を見られなくなるかもしれません。ですが、それでも、いかなくてはなりません」

 「はあ…」

 「家を見ないことも、ケア。事情の糸は、複雑怪奇だったのですから」

「わかりました」

 ますますわからなくなったのにもかかわらず、応じていた。私は、すっかり、欺瞞が上手くなっていたようだ。教育現場なら、たいした成長になっていただろう。

 「2人とも?事情の糸の駆け引きも、複雑怪奇です」

 「…は、はい?」

 「ふくじゃつー」

 「ツキノ!静かに、しなさい!」

 「おねえちゃんは、いつも、おこる。おかあさんだ」

 「はい、はい。ごめんなさいね」

 「ごめんなちゃいねー」

 「…まったく」

 「おとうさんは、やさしかったのに」

 「…そうね。お父さんは、ツキノには、優しかったものね」

妹は、ミタライさんの顔に、向き直った。

 「ねえ?おとうさんはあ?」

 言って欲しくないことを、言っていた。

 私は、ドキリとした。

 が、ミタライさんは何もおどおどすることなく、妹にたいする父親の優しい瞳に負けず劣らずの瞳で、諭していた。

 「君のお父さん、ソウイチロウ様は、あの方のところにいっております」

 「そっか。よかったー」

 なぜか、大いに、納得できていたものだった。

 「ミタライさん?」

 「はい?」

 「すぐに、出かけるのですか?」

 「いえ。お昼までに出かければ、契約通りとのこと、です」

 「契約…?」

 「ええ」

 「ミタライさん?物件の契約か何か、ですか?」

 「ええ、まあ」

 「慌てなくても、良いでしょう。40秒で支度しな!などとは、言いませんから」

 「はあ…」

 「トランペットも、吹かなくて良いと思います」

 「はあ…」

 「それから、鳩などは、飼っていませんでしたか?インコなども」

 「ええ」

 「あれを勝手に放ってから出かけると、厄介ですよ?」

 「?」

 「町中に糞が落ちてたまらないとかで、苦情がばんばん出て、保健所が、飛んできますからね。いやあ、社会の移り変わりで、事情の糸は、変わったものですよ」

 「かわったー」

 「ほら、ツキノ!やめなさい!」

 事情の糸の話に、引き込まれていた。

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