第6話 バッカスの酒とは、何だったのか?
「どうして?」
「あれは、生け贄だよ。地方公務員にも、ああいう人間がいるんだと民間人に、思わせるだろう?」
「うん」
「そうすれば、同じ地方公務員の警察官なんかが、悪いことをしても、言い逃れられるようになるんだ」
「そうなの?」
「学校の先生って、同じ公務員にも、嫌われてたんだ」
「まあ、端的にいえば、そうなるな」
「ふうん」
「僕たち、地方公務員は、悪くないよ!僕たちよりも、もっともっと悪いことをしている人が、いるよ?学校の先生だよ!教育現場を、見てよ。ほら!…と言って、目を逸らさせるわけだ」
「ふうん」
「公務員は、こうやって、身分保障のコントロールを、おこなっていたんだよ、良いよなあ。俺たち民間とは、えらい違いだ」
「ふうん」
「複雑な事情社会に、なったんだ」
父が働き始めたころなどは、年功序列といわれる労働風土が残っていて、年を重ねれば重ねるほどに偉く扱われ、誰もが、課長というクラスまでには、なれたらしかった。
会社だって、エスカレーターだったのだ。
今の中学受験組と、同じようなもの。
ただそこには、落とし穴があった。友達教育で暮らせた今の子たちは、特にそう。社会という、自分の知らない場に出てしまえば、
「友達ばかりじゃあ、なくなったぞ!」
と気付き、パニックを起こし易いのだとか。
例えば、会社にかかってくる電話相手は、彼らの知らない人ばかり。
「だ、誰だ!」
汗が、吹き出る。
こういうときにも、友達教育の弊害が、出る。父も、悩んでいたものだ。
父は、たしか、バッカスとかという名の父お気に入りの酒を飲むと、決まって、グチをこぼしていたものだった。
「新しい部下といるのが、やりにくい」
長いグチ、だった。
「学校の先生なんか、良いよなあ。子ども相手に、友達感覚だ。公務員だし、子どもたちに暴力を振るったとしても、簡単には、クビにはならない。10数年後に同窓会を、してみろ。それまでに痛めつけられて大きくなった子が、恥ずかしげもなく、あのとき先生に殴られたから今の僕があるんですなんて、言ってくる。今では、感謝しているんですだなんて、な。良い気なもんだ。民間社会では、まず、ない。ない。ない。良いよなあ。学校の先生。授業準備とかで大変すぎるのはわかるが、民間社会に比べたら、まし。それで、福利厚生有り余る…。でも、文句を言ってやがる。そんな社会の事情が、さみしいよ。結局は、安定したイスに安住したいエゴのゼンマイで動いている、ブリキのキノコ連中じゃないか。ひっく。だっせえなあ」
私は、父に、
「そうね」
と、適当に、同調していた。
私は、そんなグチを言う父が、嫌だった。
酒を飲むのは、やめて欲しかった。
だから私は、やや早口で、適当に言葉を返した。父の飲酒場面と時間を、早く排除したくて排除したくて、ならなかったわけだ。
けれども私は、母にとがめられた。優しくしてあげたつもりだったのに怒られて、気分が悪かった。
「ユキノ?お願い。お父さんに、お酒を、飲ませてあげて」
「どうして?」
「ねえ、ユキノ?あなたは、長女。あなたも、お父さんの気持ちが、わかるでしょう?ああでもしないと、お父さんの心のバランスが保ちにくくなっちゃうのよ。理解してあげて。わかってあげてよ…。長女じゃない」
結局は、そう言われてしまうのだった。
よーく考えれば、おかしな話だった。
「長女だから、理解しなくてはならない」
そんなこと、一体いつ、どこのどいつが、決めたというのか?
バッカスの酒は、父を、狂戦士にも変えていこうとしていた。
お世辞にも高レベルとは言えそうになかった大学を出て、新卒一括採用の終身雇用で、正社員採用をされた父。そんな身分の父は、新たに出てくる高学歴の苦労人部下との対面で、相当、肩身が狭くなったことだろう。
いつの日だったか、父は、こんなことも言っていた。
「俺がもし死んだら、俺の部下たちは、俺の葬儀に出てくれるのか?バカバカしくなっちゃって、きてくれなくなっちゃうんじゃ、ないのか?嫌だなあ。俺たちを、憎んでいるだろうなあ。俺たちは、のんびり座って待っていれば、正社員採用の誘いがきて、他人の金を使って、豪遊。後々の奴らに、その借金を、肩代わりさせられた…。あいつらは、そんな俺たちとは、違う。恨んでいるだろうなあ。俺の葬式に、きてくれるのかなあ」
バッカスといった酒は、父を癒し、長台詞にさせ続けていった。
私は、バッカスというラベルの貼ってあった酒に感謝すべきかどうか、迷っていた。
「俺たちは、若い奴らに、かわいそうなことをしちゃったのかもしれないなあ…。だから、学校の若い先生なんかは、頭にきて、暴徒と化してしまうのかもな」
「お父さん…」
「やっぱり、本当の狂戦士になっちゃうのは、学校の先生だったんだよな。先生は、児童生徒を、殺すようになっちゃうんだろうなあ。ツキノもそろそろ、小学生なんだ…。ツキノは、あんな暴徒公務員らに、教育されちゃうのか…」
父は、泣いていた。
「お父さんの部下、か…」
が、この葬儀の場になって、少しは安心もできた。
…のかもしれなかった。
こうして、父の部下の人たちが、やってきてくれたのだから。
「課長…」
泣きながら、線香があげられた。たしか、
「本人の存在価値は、死んでからわかる」
と言っていた人がいたが、まさに今、それと近い現象が、起こされてしまっていた。
複雑な気分、だった。
式場で、まわりは、知らない人ばかり。
「…そりゃあまあ、知らない人ばかりか。友達教育で育った人って、こういうとき、どうするんだろう?やっぱり、泣いちゃうのかなあ?でも、新卒入社教育をしてもらえるんだっけ」
不安な息苦しさの中で、私は、式場の奥で無邪気そうに横に座る妹を、見ていた。
妹は、私の顔を見ると、何かをおねだりするような顔つきを、返してきた。
妹も、幼稚園の、年長組。
その年になっていたのなら、これがどういう状況であるかを理解しているべきだった。
それなのに…。
妹は、幼稚園児の身であってこんな負の事情を抱えさせられ重圧を感じすぎてしまい、パンク寸前だっただろう。無意識下で、自身の殻の中に入ってしまっていたのだろうか?
私は、さらに妹を、見返した。
妹も、また私を、見返していた。
「お。ここだ、ここだ」
嫌な雰囲気が、漂ってきた。
「ふん。探したぜ」
私たちの前に、見知らぬ3羽の黒服カラスたちがやってきた。
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