第22話 あの、歌謡ショー事件

 私たちは、私たちなりに精一杯のおめかしをして、午前中から、外出をした。

 いつもの日曜日と同じく、たった1つの弁当箱を携えて!

 おにぎりなどの幸せを、詰め込んで!

 その弁当箱は、母が、ハンドバッグに入れていった。

 歌謡ショーがおこなわれる予定の市民会館には、小さな庭園が、併設されていた。

 回廊が、その小さな庭を取り巻いていた。

 吹き抜け屋台を思わせたその構図は、愛おしい鳥かごのよう、だった。

 私たち家族は、そこで、弁当箱を広げて、食べた。

 それがもう、楽しくてならなかった。

 「お姉ちゃん、まだなのよねえ?」

 「まだ、ですねえ」

 「早く、歌ようショーがはじまればいいのになあ」

 「でも、今も、良い感じ。まだ、弁当を広げているこの場を離れたくないなあ。この地域だけ、時間の流れが遅くなってしまえば、良いのに」

 「むずかしいねえ」

 「難しいねえ」

 いくつもの事情、無茶な気持ちとが、混ぜご飯のようになってしまっていた。

 「おいしかった」

 「美味しかったねえ」

 午後も、1時を回り始めていた。

 私たち家族は、そろそろ始まる歌謡ショー会場の入口へと、進んでいった。

 会場の入口に立っていた係員の男性も、黒服。くたびれたペンギンのよう、だった。

 「黒服。でも、あの人たちとは違うな…」

 私が小さく笑うと、それを合図にしたかのように、母が、チケットを出した。

 するとそのペンギンは、私たちを絶望の淵へと突き落とす言葉を、吐いた。

 「申しわけございません…これだけでは、入場が、できかねます」

 私たちは、チケットを、見てみた。

 「優待券」

 が、それだけであって…。

 無料券というわけでは、なかったのだ。

 「入れません」

 「ごめん…。皆…。ごめんね?」

 私たちは、どうにかして、母をなぐさめるしかなかった。

 「お母さん。泣かないで。良い日曜日だったじゃない。皆でここまでこられて、皆で、楽しく食事ができたんだから…」

 「えー?」

 「ツキノ…我慢して」

 「なんでー?かえっちゃうのー?」

 「我慢してよ…」

 「ツキノちゃん?おばあちゃんと、帰りましょうか」

 私たちの足は、異様なほどに、重かった。

 困った日曜日に、なってしまっていた。

 母は、いつまでも、謝り続けた。

 だが話は、それでは、終わらなかった。

 事件の延長戦が、始まった…!

 「ふん」

 変わった家族の、その変わった様子を、はるか上空から見ていた者が、いた。

 それは、モンヤという名の、悪魔だった。

 モンヤは、その日、別件で、たまたまそこを訪れていたのだった。

 モンヤは、上空でアメをなめながら、うなだれた家族に、気付いた。

 「何だ?あの変な家族。何を、話し合っていたんだ?おっと。今度は、落ち込みはじめたな。忙しいなあ、あいつらは。何だ?会場に、入れなかったのか?」

 グオオオオオ…!

 お節介モンヤは、4人の前に降り立った。

 「おい!お前たち。驚くなよ!じゃなかった。良いか、お前たち!驚け!」

 「ええ?」

 「やだ、ちょっと、何?」 

 「なに、なにい?」

 「おや。どなたでしょうかのう」

 「良いか?俺様は、悪魔だ!」

 「お迎えということ、なのでしょうか?」

 「黙れ!ばあさん!」

「おむかえー!」

 「こら、ツキノ!」

 「バカ!お迎えって、何だ!俺は、死神じゃあ、ないんだぞ!変な奴らだ」

 「へんなやつー!」

 「ツキノ!静かに、して!」

 「お前たち、困っているみたいだな。理由は、良く、わからんがな。フン。面白い」

 「ツキノは、おもしろくないよ!」

 「静かに、するの!」

 「まったくわからんが、会場の中に、入りたいのか?フン。そのチケットを、無料入場券に変えてやっても、良いんだぜ?」

 こんな、信じられない言葉もトッピング。

 「この俺と、契約をしてみないか?そうしたら、あの会場に入れる。俺様は、さっき契約に失敗して、むしゃくしゃしていたところだからな。良い、気晴らしだ。その代わり、お前たちの財産をいただくがな!」

 「私たちの、財産…?」

 「契約って…?」

「ツキノちゃんは、このババアの後ろに、隠れていなさい」

 「うん」

思いがけない侵入者による思いがけない提案に、私たち家族は、震えていた。

 妹だけは、うれしそうだったが。

 「しょー、みられる?じゃあ、おねがい」

 あっさりと、応じてしまった。

 「ちょ、ちょっと!ツキノ!ったら」

 私がそう静止したのに気付いたのか気付かなかったのか、モンヤという悪魔の目が、金色に、光り出した。

 「我、新たな契約を、結ばん」

 瞬間、心、わけがわからなくなって。

 母の握りしめていたチケットは、無料招待券に、変わった。

 悪魔は、空に、消えた。

 会場の入口を守っていたあのぶっきらぼうなペンギンにその券を見せると、

 「結構です。それこちらへ、どうぞ」

 私たちは、無事、会場の席に着くことができたのだった。

 歌謡ショーがはじまると、私たちは、悪魔と契約していたことなどすべてを忘れ、純粋に、時の流れを楽しむことができた。

 ステージの上も、それを取り巻く何もかもが、美しく見えていた。華やかさの鼓動が、家族4人のすべてを、蠱惑的にまで染め上げようとしていた。

 「もう、良いだろう。契約を、発動する」

 歌謡ショーが終了し、私たちがぽーっとなりながら会場から出てきたそのとき、変な声が、聞こえたような気がした。

 そのとき何かが、ゆらめいた。

 時空に、ひずみでも、生じたか。

 「カタカタ」

 母のバッグの中が、音を出した。そうしてそこから、光があふれ出た。

 「???」

 私たちの財産が、悪魔の手に渡ったのだ。

 が…。

 「???」

 しばらくの間、悪魔は、悩まされた。

 「何だ、これ?これのどこが財産だって、いうんだ?俺は、あの人間どもに、騙されたのか?これのどこに、財産と呼べる価値があるって、いうんだ?バ、バカにしやがって!俺は、騙されたんだ!騙されたんだ!」

 悪魔からは、変な汗が、出ていた。

 「これのどこが財産だって、いうんだ!これの、どこが!あいつらめー!」

 私たちは、メゾン・オトナシへと、帰っていった。

 「ただいま…。え?ええ?やだ!」

 「なに、これー!」

 驚かされたの、何の。

 私たちの部屋が、荒らされていたのだ。

 「ちょっと、やだわ!」

 「これって、まさか…。有限会社ゆとりの人の、仕業かしら?」

 「バブルの仕業、かのう?」

 「やだ、やだあ。なに、これー!」

 私たちは、玄関に、しゃがみ込んだ。

 そして、また…!

 「一難去って、また一難」

 母のバッグの中から、あの、私たちの大切な弁当箱が消えてしまっていたことに、気付かされたのだ。

 「あら、嫌だわ!」

 「これって、どういうことなの?私たちの、私たちの、財産が!」

 「ざいさーん!」

 「これが、契約っていうものの結果なんでございましょうか?」

 母が、狂戦士のように、動き回りだした。

 「ちょっと!大切な財産だったのに!」

 「お母さん、落ち着いて!」

 「おちついてー」

 「…って、どうしましょうかねえ」

 家族全員の心が、固まりだしていた。

 「皆、ごめん…」

 母が、いつかのように、謝っていた。

 …。

 「ごめんなさい…」

 「お母さん…」

 楽しいことを考えて、気を紛らわせるしか、なかった。

 「あ…。オリンピック。世界、大運動会」

 突如として、私の脳裏に、ずいぶん前に、クヌギサワ家の夕食時にした話題が、湧き上がってきた。

 偶然の幸というわけでもなく、前々からわかっていたことではあったか、今回開かれるというオリンピックは、私たちの国で開催されることになっていた。

 今までに比べれば、相当、近場で開催。

 いつもの、私たち風に言えば、遠い国のイベントではなくなったわけだ。

 「ツキノ?お姉ちゃんと、観にいく?」

 自然と、誘いの声が出てきても良かった。

 が、口が、重すぎていた。

 「でも…あれ?今は、あまり、ときめかないなあ。観にいきたいという気持ちが、起らない。何でだろう?」

 ある変化に、恐れおののいた。

 最近の私は、どうやら、世界の人たちの集まるそのイベントには、関心が薄くなっていたようなのだ。

 「何か、どうでもいいかも…」

 関心がないというよりも、嫌気がさしてきたという感じ、だった。

 「でも、そう思うのって、なぜなんだろう?」

 私なりに、分析してみた。

 すると、明らかにわかったことがあった。

 「そうだ。世界が近くなればなるほど、差別みたいのが出てきちゃって、それが、嫌になったからだ!」

 差別的な社会状況があったことが垣間見えてきて、嫌だった。

 オリンピックをやろうと意気込んでいた、大会主催者側の偉い人が、こんなことを言っていたのだ。

 「女性がいる会議は、時間がかかる」

 要するに、女性がいると、場が面倒なのだということだった。

 「オリンピックを、やりたくないのかなあ?これじゃあ、女性も多く集まる大会なんて、開けるわけがない」

 一瞬で、震えた。

 「…そういう、ことだったのか」

 1つの事情が解けたようで、歯がゆくなった。

 世界大運動会、オリンピックを支えようとする側の人の気持ちは、気味悪すぎていた。

 実は、オリンピックという大イベントは、選手のためでも、それを見る人たちのためでも、開催する国に住む人たちのためにあるものでもなかったのだ。とんでもない事情解きと、なっていた。

 「女性がいると、困るんだよね。オリンピックは、そういうものでしょう?」

 つまりは、大会を主催する側の関係者の中のごく一部に人のメリットが何よりも優先されるんですよー、っと言われていたのだ。

 「皆さん、違うんですよ?」

 「誤解です」

 「差別のつもりで言ったのでは、ありません」

 偉い人たちは、何度も、弁明をした。

 だがその弁明も、心には、響いてこなかった。

 「このモヤモヤが、私の心を、乗り気にさせなかったのかなあ?そうして、私と妹を、離そうとしていたのかなあ?」

 しかし、そのモヤモヤで、意外な効果があったこともわかった。

 モヤモヤするたびに、妹、さらには母親のことも思わずにはいられなくなり、結果的には、家族が結び付けられようとしてしまったからだった。

 「こういうことも、あるんだな…」

 1人、納得できそうになかった。

 「お母さんの気持ちも、わかる気が、してきたわ…」

 母親の立ち位置、その抱えた事情も、相当、辛かったろう。

 国の組織では、おおむね、身分ある人を筆頭に、母親のようなパート労働者はおろか、正社員でさえ、外のとりまきを命じられた外野に、過ぎなかった。

 「こうしなさい」

 「文句は、言うな」

 「言われたとおりに、やれば良いんだ」

 社会は、言われたことをすなければ生きていけない、言ってみれば、非民主的な運営になっていたのだ。それをよく示したのが、今回の、オリンピック騒ぎだった。

 「今回の騒ぎは、なぜ、起きたのだろう?」

 私なりに、考えてみた。

 私たちの国の社会は、おおむね縦社会であって、特に男性は、その仕事社会の中にあっては、上に従うことを、要求されてきた。

 従うことは、男性にとっての、基本的所作だった。

 「…仕方が、ない。今は、我慢するか」

 男性は、我慢を続けた。

 この我慢が、後々に問題を出したのが、1つに、パワハラやいじめの事件なのだろう。

 「俺たちは、必要以上に、しごかれてきた。我慢の、日々。気に入らん。ようし、あと20年もしたら、俺たちにも部下ができる。そいつらを、痛めつけてやれ。若き日の俺たちが味わった苦しみを、味わうがいいさ」

 そうした男性は、同性だけには、意識を向けられなくなっていく。とにかく、我慢がならないのだ。

 これが、アンガーマネジメントのできない世代を生み出したのは、言うまでもないだろう。

 子どもを虐待する親の心理と、似ていただろう。

 極めて不都合なのは、非正規社員という、上の身分の人にものを言えず身分の低かった母のように、少なからず、縦意識の同調作用が起こされてしまうことだった。  

 「私たち弱い立場の労働者は、嫌な思いをさせられて、育ってきた。それなのに、なぜ、私の子どもであるあなたは、楽しそうにしていられるの?大体あなたは、長女でしょう?責任感を、もちなさいよね!」

 そうして、母という立ち位置は、長女という私の立ち位置を、有無を言わさずに、揺らすことができたと考えられた。

 「社会って、大変なんだなあ。私は、いつも、見栄っ張りすぎるくらいに頑張らなくっちゃいけなくて、泣きそうだった。でも、そこで嫌な事情を抱えていたのは、私だけじゃあ、なかったわけか。何なんだろうか、この気持ち?お母さんの涙が、今、わかってきた」

 非民主的とは言いすぎだったのかもしれないが、国の組織というものは、多少なりとも、オリンピック気質をもっていたものだ。

 身分ある人、1人であっても少数であっても、その人たちの手の中にしか、物事を決定する権利が握られていなかったのだ。

 その人たちのもとに、馬が近寄っていく。

 「おお。この動物は、なんという名前ですかな?」

 もちろん、馬だということは、周りの人たちには、わかっていたことだ。

 が、誰も、口を閉ざしたまま。偉い人にしか、発言権やら決定権が、なかったからだ。

 すると、偉い人が言った。

 「これは、鹿という名前の動物ですよ」

 周りにいた人たちは、冷ややかだった。どう見ても馬だろうというのに、偉い人は、鹿だといった。

 ずっこけた人も、いた。

 が、こうは、言えなかった。

 「…いや、いや。それは、馬ですよ。鹿では、ありませんよ。何を、言っているのですか?ははは」

 偉い人に反論することなどできないと、感じとっていたからだ。空気を読んで、結局は、こう言っていた。

 「なるほど、そうでしたか。それは、鹿という動物でしたか。さすがは、偉い方の言うことには、品がありますな」

 馬鹿ということばがあるが、それは、このようにできた言葉だとも、言われていたはずだ。

 まわりは皆、無抵抗に、従った。

 当たり前だと認識していた社会の事情を疑い、実は、それって、当たり前のことじゃなかったんだよねと再確認する作業は、酷だ。

 マインドコントロールを受けていたような事情にリセットの手を加えるのは、果てしなく、勇気のいることだ。とてつもない、恐怖でもあっただろう。

 これは、依存症からの脱却と、似ていたのかもしれない。

それ以上は、もう、考えられなかった。

 私たちの家族は、どうなってしまうのだろうか? 





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