第14話 謎の少年

 「カノくんと、おしゃべりしてた」

 ずいぶんと、うれしそうだった。

 私は、気味が悪くなった。

 「どうしたのよ?だって…。誰も、いなかったじゃないの!おしゃべりしていたって、どういうこと?カノ君?何を、おしゃべりしていたの?それって、どういうこと?」

 私は、つい、幼稚園児にたいして、尋問をしてしまっていた。

 電車は、次の駅に、停まった。

 子どものような大人たちが、そこで、降りていってくれた。

 「おねえちゃんには、きこえなかった?」

 「何を?」

 電車が、また、動き出した。

 「それでね?おねえちゃん?」

 「な、なあに?」

 「カノくん、がね?」

 「カ、カノ君?だから誰なのよ、それ?」

 「わたしのむかいがわに、すわった」

 「え?だってツキノの、っていうか、私たちの向かい側って…。ずーっと、誰も、座ってなんかいなかったじゃないの」

 やっぱり気味が、悪かった。

 「えー?すわってたよ?」

 妹は、冷静だった。

 本当に、誰かが座っていたと、いうのか?

 「カノ君?その子?座っていた子?」

 「うん」

「何の話を、していたの?」

 「ぼくはカノっていいますって…」

 「そう、言われたの?」

 「うん。…げんきそうだ。げんきなんだ。よかったよ。ほんと、よかったって…」

 「それで?」

 「ツキノげんきだよって、いってあげた」

「そうなの?」

 「それでね?」

 「はい、はい」

 「わたしがツキノだって、しっていたの?すごーい。わたしは、ツキノといいます。そうです。ツキノ、そういってあげた」

 「それで、それで?」

 興味のスピードを加速させた私に、妹は、こう返して、食い付いてきた。

 「きみはぼくのことがみえるんだねって、いっていたよ?」

 成長したんだか、退化したんだか、わかったものではなかった。

 「何よ、それ」

 「えへへ。それでね?おねえちゃん?」

 「それで?」

 「おもしろいことを、いわれちゃった」

 妹は、開かずの扉をこじ開ける職人のように、りりしく見えていた。

 「面白いことって、なあに?」

 私は、やっぱり、興味津々だった。

 「カノくん、ね?」

 「なあに?」

 「ありがとう。きみは、ぼくがそんざいするかちに、きづいてくれたんだね?って」

 「そう、言ったの?」

 「おねえちゃんには、みえなかったの?」

 「おねえちゃんの頭には、海しか、映っていませんでしたよ」

「ふーん。ぼくは、ソウイチロウのざんりゅうしねんで、いきているって」

 「ソウイチロウ?」

 「うん」

 「それって、お父さんの名前じゃないの」

 「うん」

 「それからカノ君は、何て言ったの?」

 「うん。ちかごろは、じじょうのいとがからまりすぎちゃって、ぼくのそんざいかちにきづいてもらえないことが、おおくなってきたようだ。ぼくは、わすれさられてしまうんだろうな…。ざんねんだって」

 「ツキノは、夢でも、見ていたの?」

 「ううん。わからない」

 私にも、わからないままだった。

 わかったのは、妹が、実はこんなにも暗記力の強い子だったということ、だった。

 不思議が、増えた。その、カノ君という子は、クヌギサワ家でケーキを食べた出来事まで知っていたと、いうのだから。

「そうしたら、カノくんがね?」

 「今度は、なあに?」

 妹は、明らかに、自分から話したがっていた様子、だった。私は、その話に、何の抵抗もなく、耳を傾けてあげることにした。

 「カノくんが、ねえ?」

 「はい」

 「そのケーキは、おいしかった?って」

 「そう、聞かれたわけね?」

 「おいしかったよって、おしえてあげた」

 「そう」

 「そうしたら、カノくん」

 「はい、はい」

 「そうか、おいしかったか。あれは、おおきなおおきなかちのある、ケーキだった。しあわせをよぶための、すてきな、そんざいだった。あれは、ふつうにみたら、たんなるケーキにしかみえなかったのかも、しれない。けれどもあれは、たんなるケーキではなかった。きみは、それにきづいたのか?って」

 「ツキノは、そんなこと、言われたの?」

 「うん!たのしかった!」

 妹は、なおも、幸せそうに、会話を続けたがっていた様子だった。

 「おねえちゃん。それでね?」

 「はい」

 「それでカノくんは、すごーいことを、いってきたの」

 「すごいこと?」

 私は、妹の話に、すっかり引き込まれていた。電車は、また1つ、駅を通り越した。

 目的地まで、もう1駅と、なっていた。

 「あのね?おねえちゃん?」

 「なあに?」

 「たんなるケーキだとおもっていたなら、たんなるケーキでしかないのかもね?」

 「まあ…そうねえ」

 「わたしは、きのう、おねえちゃんたちといっしょに、おおきなケーキをたべた」

 「そうだったわね」

 「あれって、たんなるケーキだったの?」

 「え?そうじゃなかったの?」

 「カノくんは、こんなことを、いってた。きのうのケーキは、たんなるケーキ?いや、きみがきづいたように、そんなことはなかったんだねって…。きみたちは、どんなきもちで、あのケーキをたべたんだい?あのケーキは、どんなきもちで、だされたんだろうねって…。あのケーキには、たくさんのじじょうのいとがからまりあっていた。きみたち2人をひっしになぐさめようと、コーティングされて。そして、幸せをかんじてもらえるように、どりょくして…。だって」

 「本当?その、カノ君っていう子は、本当に、そんなことを言っていたわけ?」

 「うん」

 「それで、ツキノは…。それを全部、覚えていたわけなの?」

 私は、妹を、好奇の目で見てしまった。

 「うん。そうだよ!」

 「優秀なのねえ…」

 「ゆーしゅう?」

 「素晴らしいって、ことよ。学校の先生、みたいにね」

 私がそう言うと、妹は、いたずらっぽくして、返してきた。

 「なにをいっているの、おねえちゃん?」

「な、何が?」

 そう返すと、妹は、きつかった。

 「やだ。おねえちゃん。がっこうのせんせいは、すばらしいの?どうして?いまのがっこうのせんせいのなかには、ボーリョクがあるんでしょ?ひとのぜいきんもらって、くってるのに。こうむいんのはじって、TVの人がでいってたよ?それで、ゆーしゅー?」

 そんなことを、言ってきてしまったのだ。

 「あなたは、すごいことを言うのねえ」

 さらに妹に聞けば、私の奇妙度は、増殖加速。カノ君は、妹に、こんなことも言ってきたのだとか。

 「おまえには、あのケーキのかちが、わかったか。よかった。ぼくは、おまえのようなむすめをもてて、ほんとうにしあわせだった」

 電車が、スピードを落としていた。

 「ふーん。ツキノは、良い夢を見たのね」

 私は、妹に負けてしまったような気がしてきて、歯がゆかった。

 「…かえるカノくんに、あいさつした」

「そっか」

 電車が、停まった。

 目的の駅に、着いたのだった。

 「まったく、あなたは、本当に、記憶力が良いのねえ。優秀。…学校の先生の、よう」

 つい、嫌みを言ってしまっていた。私の負けず嫌いが、そんな嫌みを、言わせたか?

 私たちは、電車を、降りた。

 「それでツキノは、その子と別れた…そうか。それで、手を振っていたわけか」

 「うん」

 「ツキノ?降りようか」

 私たちは、忘れ物がないか、振り返った。

 「よし、よし。さあ、いきましょうか」

 すると、妹は、付け加え出した。

 「あ、おねえちゃん?あのね。さいごが、おもしろかったの」

 「何、何?面白かったことって?」

 私は、興味津々だった。

 「カノくんが、いってたの!」

「なんて、言ったの?」

 「ぼくのはなしにつきあってくれて、ありがとう。メゾン・ゴダイって」

「え?それ?ちょっと、何ですって?」

 私は、驚きを、隠せなかった。

 驚いた。

 「メゾン・ゴダイ」

 それは、亡き父ソウイチロウが、たしか結婚前に住んでいたというアパートの名前、だったからだ。

 何があったのかは、知らない。

 父は、メゾン・ゴダイが、大好きだった。

 私たちに、何度か、メゾン・ゴダイのことに関する話を聞かせてくれたものだった。

 メゾン・ゴダイのことが忘れられなかった父は、その名前を、父のパソコンなどでのハンドルネームにもしていたくらいだった。

 父にとって、メゾン・ゴダイは、どんな意味や存在価値を、もっていたのだろうか?

 「…ツキノ?駅の階段、転ばないでよ?」

 父のハンドルネームがメゾン・ゴダイであったことは、ほとんど知られていないはず。

 一見、日系人かと思ってしまうようなその父の別名は、母でさえも、知らなかったらしかった。父は、私にしか教えていなかった。

 謎の思い出の、名前。

 それを、妹と話していたというその男の子は、知っていた…。その子は、どんな事情をもって、ツキノの心に迫ってこようとしていたのだろう?

「あなたと話していたその子は、刹那の恋人だったというわけね」

 そう言うと、妹は、怒った。

 「そんなんじゃ、ないよ」

 「あなたは、カノ君の、彼女だ」

 「そんなんじゃ、ないったら」

 彼氏と彼女の事情は、一体、どんな色で染め上げられようとしていたのだろうか?

 「他に、言われたことはあったの?」

 ちょっと、聞いてみた。

 「おー」

 「ツキノ、どうしたの?」

 「ツキノじゃ、ないよ?おねえちゃん?」

 自動改札口に切符を通すと、切符は、その中にすんなりと吸い込まれていった。そのありふれた光景に、妹は、感嘆していたのだった。   

 妹は、新鮮に眺めていた。

 「うわ!うわ!すいこまれた。あのかみが、すいこまれた!でてこなくなっちゃった!あるいみ、ボーリョク!がっこうの、せんせいみたい!」

 「やっぱりそれって、暴力なのか」

 私には、おかしくてならなかった。

 無事に改札を抜け、ミタライさんとの待ち合わせの場所に向けて歩き出していた私たちは、また、おしゃべりを、再開していた。

 妹と話していたカノ君は、面白いことを、明かしてきたんだとか。

 カノ君は、妹に、こんなことを言っていたと、いうのだが…?

 「とりあえずここで、いったん、わかれようか。ぼくは、ユキノちゃんのそばには、いられなくなっちゃったんだからね。けれど、ユキノちゃんが、しあわせになれるようにって、いのっているよ。そういちろうの、このざんりゅうしねんの、すがたでね…。そうだね…。まずは、なみだがでるほどのとびっきりのおさけを、プレゼントしてあげるようにしよう。そのおさけをのめるのは、おかあさんだけだけれどね?きみは、みせいねん。まだ、のんじゃダメだからね。バッカスというなまえのかみさまが、いる。ぼくから、バッカスに、たのんであげることにしよう」

 私たちの足が、順調に、進んでいった。

 もうすぐ、待ち合わせ場所。

 「そうだ。ねえ、ツキノ?それから他に、あなたの彼氏とは、どうなったの?」

 私が念を押して聞くと、妹は、怒りモード。

 「そんなんじゃあ、ないよ!」

 口元を、海老シュウマイのように、プリプリさせていた。

 「ごめん、ごめん」

 陽が、指していた。

 「晴れた…かな?」

 「かなあ!」

 小雨は、病んでいた。

 いや、止んでいたようだった。

 「晴れたねえ」

 「あっぱれ」

 ほんの3駅だったのに、意外に、時間がかかったように思えた。







 




 
































 





























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