第15話 赤毛のアンの、ように
ややも、して。
「おねえちゃん!はれた、はれた。よいことが、ありそう。これから、ごほうびがもらえそうな、きぶんだね?」
「そうね」
「やまが、よくみえるー!」
妹が、道の先を、誇り高そうに、指差していた。
「本当だね」
「ねー」
「良かった、良かった」
「それで?」
「それでって…」
要領の良かった妹は、私が、より正確に解説してくれるのを、待っていたのだった。
「ちぇっ…」
その誘いに、乗ってあげた。
「お姉ちゃんは、安心ができました。だから、良かったなって、思ったわけよ」
「そっかあ」
「昨日までにいたところと比べれば、ずいぶん、田舎っぽくなっちゃったのかも、しれない。けれどさ。見てごらん?」
「なあに?」
「山もそうだけれど、川も良いじゃない。こんなに自然が、いっぱいで…。良い、空気ねえ。素敵なところじゃ、ないの」
ミタライさんとの待ち合わせ時間が、迫っていた。
「おねえちゃん?」
「何?」
「よく、できました」
「良く、できました?」
「ツキノにも良くわかる、良いかいせつでした」
「ちぇっ…」
昔、実際に使われていたという、木造旧駅舎が、待合所だった。
「ツキノ?ミタライさんとの待ち合わせは、ここで、良かったのよね?」
「はい。ここで、よかったのです」
「ちぇっ…」
私たちは、その待合所内に並べられていたベンチの1つに、腰を下ろすことにした。
妹と手をつないで、座っていた。
手をつなぐべきか否か、悩むところ子だったが、何だかんだいって、守ってあげなければならなかった子であり、自然と、並ぶ格好になっていた。
従順に座る私たちの姿は、まわりから見れば、菓子のおまけ人形のようだったろう。そんな2つのおまけ人形は、菓子屋の主人を待っていたかのように、ドキドキだった。
「おねえちゃん?」
「何?」
「きませんねー」
「そうですねえ」
そのとき私は、小学生時代のことを、思い出していた。
私は、通っていった小学校の図書館で、こんな物語を借りて、読んだものだった。
「赤毛のアン」
私は、その中のシーンを、思い出してしまったのだった。
アンもまた、私たちと同じように、見知らぬ駅に降り立ったはずだ。
たしか、アンが降りるその駅舎に、マシュウおじさんが迎えにくるのではなかったか。そこで、駅に降り立ったアンと、出会う。
そんな話では、なかったろうか?
「うろ覚え」
「お姉ちゃん?何か、言った?」
「何でも、ありません」
「合格です」
それなら、ここに座ってミタライさんを待つ私たちは、マシュウおじさん。
…と、いうことなのだろうか?
ミタライさんは、それほどおしゃべりなタイプの人では、なかった。アンとの出会いと違うのは、べらべらとしゃべりすぎない待合所になることだっただろう。
両親のことを思い、饒舌にはなれそうになかった私にとっては、ミタライさんのようなタイプの人で、充分だったろうか。
「ツキノ?待ちましょう」
「まちまちょう」
私たちは、静かに、ミタライさんを、待っていた。
「ぶぶう」
間もなく、1台の車がやってきた。
「お待たせいたしました」
ミタライさんが、車の窓から、顔をのぞかせた。
「それでは、ご案内いたします」
温かい風が、そよいだ。
「晴れちゃったか…雨で、良かったのに」
ミタライさんは、残念そうだった。
「引っ越し先…。ミタライさん?ここからそこへは、遠いのですか?」
「近いですよ」
「広い家ですか?」
「うーん…」
ミタライさんが、黄色のフードを、目深におろした。妹が、その様子を、面白そうに観察していた。
「こまった。ツキノも、こまった」
「あなたは、しずかにしていてください」
「じゃあ、しゃべらない」
ミタライさんが車から降りて、私たちを、歩いて案内してくれた。
「着いてきてください」
ミタライさんの背中を追うと、何となく気が楽になってきて、助かったものだった。
「着きました」
なるほど。
たしかに、駅近だった。
ただ悪く言ってしまえば、それだけ、駅からの音が響いてきてしまうと、心配。
すると、ミタライさんが、先制攻撃を、仕掛けてきた。
「駅から近くて、音が響くことは響くのですが…。それほどは、気になりません。今、それを、心配していたでしょう?」
「ええ、まあ…」
「小さな子がいれば、なおさらです。そのくらいの事情は、読み込み済です」
「はあ…?」
ミタライさんは、心配を払拭するに値する攻撃を、続けてきた。
「こののどかな路線では、本数も、それほど多くはありませんし。意外と、音は響いてこないんですよ?静かなものです。本当ですよ?…ああ。良い、空気ですよねえ。ここって、良いところじゃないですか?」
状況を和やかにさせようと、必死になっていた感じだった。
着いたかと思ったら、また、少しだけ歩かされた。
「ああ。ここです」
「ここですか?」
「ええ、そうです」
「ここー?」
「そう。ここ。この、アパートです」
ミタライさんが目を促して、前に構える横長の建物を、見上げさせてくれた。
「ミタライさん?何だか、一昔前の学生寮みたいですね?」
「がくせーりょー!」
「ははははは。学生寮、ですか」
木造建築。
2階建て。
色は、きれいだった。
白塗りの洋館姿が、すがすがしかった。
「見ておわかりの通りに、2階建てです。ずいぶんと、横長の建物でしょう?1階は、管理人室と、1 01から1 19号室までが並びます。すべてで、20部屋あります。それから、少し小さいですが、倉庫も付いています。2階は、広い物干し場に、2 01から2 09号室までの、20部屋。それぞれの部屋に、TVが付いています」
「でも、ミタライさん?」
「はい」
「各部屋は、狭いんじゃないんですか?建物の外観は、広く感じられませんでした」
「鋭い…かな?でも、使ってみればわかります。不便はない広さのはず、ですよ?」
「…」
「ただし、トイレは共用。電話は、管理人室に、1つ。共用電話で良いなら、それぞれの階の廊下部分に、2つずつ設置されています。まあ、使うかどうか…。今の時代では、携帯電話でのやりとりがほとんどでしょう。社会の事情は、変わりましたよね?ですから、使用頻度は少ないのかもしれませんね。何はともあれ、電話が少なくて困るといった不便は、ないでしょう」
「ミタライさん?」
「はい」
「管理人さんも、住んでいるんですか?」
「ええ。チグサさんという方です。女性です。若い管理人さんですよ?って、セクハラみたいな言い方になってしまいますよね。じゃあ、どこまでが若いの?みたいな」
「ははは…」
ミタライさん流の、気の落ち着かせかたなのかも、しれなかった。
「いろいろと、相談できることでしょう。ははは」
「そうですか…。良かったね、ツキノ?」
「…うん」
「立ちながら、寝ないの!」
「じゃあ、ねません」
その、学生寮っぽい木造校舎は、ぐるっと一周、外壁ブロックに囲まれていて…。中階段と共に、外階段も、付いていた。各部屋の入口外側には、洗濯機が、設置されていた。
簡単な案内が、続いた。
どこからどう見ても、一昔前の学生寮のような建物にしか思えなかった。
「ミタライさん?」
「あ、はい」
「ブロック塀で、囲まれていますね」
「ええ」
「ミタライさん?何だか、中世の町みたいですね」
「ははは」
「まるで、神話の世界みたいですね」
「…」
「おねえちゃん?」
「何ですか?」
「いりくち、いりくち」
「あ。メゾン・オトナシって、看板まで付けられているわね」
「おとなしー」
「へえ。良いじゃないの」
中世の町を思わせた塀は、勇ましく、そびえていた。
「2人とも?気に入っていただけました?素晴らしい壁、でしょう?これは、ヤヌスの門ですよ」
「ヤヌスの門、ですか?」
「あ…。おねえちゃん…?」
「何ですか?」
「それって、たしか…」
「ははは。ここには、外国の方も住んでいましたからね。その方が設置し、この門に名前を残されたのかもしれませんね」
「ミタライさん?庭には、犬小屋もありますね?」
「ああ、今は、犬は、住んでいないようですけれどね」
「おねえちゃん?これだ」
建物をぐるっと囲む外壁入口に、看板が、とりつけられていた。
「メゾン・オトナシ」
板に、字が掘ってあり、その板が、コンクリート塀に取り付けられていたのだった。
「で、この門が、ヤヌスの門なのね…」
「うーん…」
「どうしたの?ツキノ?」
「2人とも、どうぞ、こちらへ」
「ミタライさん、この門が、ヤヌスの門っていうんですよね?」
「ああ。はい、はい」
「ツキノ?私たち、しっかりと、守られちゃったね?」
「うーん…」
「ツキノ?」
「お2人とも。この部屋、です」
ミタライさんが、1 19号室の鍵をバッグから取り出して、言った。
「これが、1階の、この部屋の鍵です」
「1 19、ですか」
「はい。それが、皆さんの家族の、部屋番号です」
「わかりました」
「鍵を、どうぞ。ああ、合い鍵は作ってありません。そこは、ご安心ください。何かあれば、あとは管理人さんに、聞いてみたらいかがでしょう?」
私たちは、鍵を、受け取った。
「はい。1 19号室です」
「きゅーきゅーしゃ」
「こら、ツキノ。静かに、して」
「かまいませんよ」
「静かに!」
「しずあに、します」
妹は、2階建てを見て、上気していた。うらやましがっていたのだ。
「2かいのおへやが、よかったな。ながめも、すっごく、いいだろうし。ツキノが、大きくなれたかんじになるし」
それはまた、斬新な感覚だった。
ツキノには、ツキノなりの事情があり、2階が、うらやましく見えたらしかった。高い場所が得意でなかった私や母にとっては、そう思うことなんて、なかったというのに。
「1階部屋で、良かった」
「ホントだね、お母さん?」
そう、即答できたものだったのに。
「たかいばしょのほうが、いいー。なれているから、ぜんっぜん、こわくないし。たかいところのおへやが、よかったな」
まだ、かすかなダダを、こねていた。
妹の世代にもなれば、多くの子が、生まれたころから高い建造物に囲まれて過ごすような事情を、もった。幼稚園児の妹の友達にも、そういう子は、多くいたようだった。
「15階建てのマンションの、10階部屋に住んでいる」
そういった子だって、いた。
妹は、その子の住むそのマンションに、何度か遊びにいっていた。
「たのしかったー。よく、みえた」
今どきの子が、高い場所に慣れていた事情が、良く理解できたものだった。
山や川、畑が多くて、高層マンションがそれほど多くなかった時代の、私のような子とは、そういうところも、違ったわけだ。
「またか…。社会は、たくさんの、事情だらけ」
妹が、駄々をこね続けた。
すると、良いタイミングで、ミタライさんが、良いことを言ってくれた。
「でもね?ツキノちゃん?1階のほうが良いことも、あるんだよ?階段を使わないわけだから、足を踏み外してケガをすることも、ないでしょう?それって、お母さんのためでも、あるんだよ?安全、安心だもの。ね?ツキノちゃん?」
たくましく、諭してくれたのだった。
「うん。そうかもー」
妹は、気持ち良く、納得してくれた様子だった。
「良かった。姉は、妹が納得してくれることで、強くなれる生き物。みたいな。これで、安心だ」
なぜだか、強くなれた気がしていた。
私もまた、成長していたのだろうか?
「カチャッ」
鍵を差し込み、部屋のドアを、開けた。
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