第16話 ヘレン・ケラーの教育

 そこは、見知らぬ天井のありか。

 微妙な牙をむいて襲われたような、反発しようにもできないもどかしさ、だった。

 「きゃー!なかも、きだあ!」

 「ツキノ。はしゃがない、はしゃがない」

 「き!き!」

 「サルじゃ、ないんだから。木造アパートなんだから木なのは、当たり前じゃない」

 「はい。さるじゃあ、ありません」

 「よろしい」

 ミタライさんが、携帯電話を、とった。

 「はい…。それでは、迎えにいきます」

 そうしてミタライさんは、ホッとしたような表情を、見せていた。

 「良かった、良かった。出かけてきます」

 「ええ?どこへ、ですか?」

 「でかけるう?」

 「はい。2人とも、この部屋に、いてください。病院から連絡が、ありましてね。お母様の容体が回復して、こちらにこられるまでに、なったようです。良かったですね。私、車で、迎えにいってきます」

 ミタライさんも、うれしそうだった。

 鋭利な刃物を取り去ったかの使命感で、車を、走らせていったのだった。

 「おねえちゃん?」

 「なあに?」

 「うれしそうだったよ?」

 「そうね。私たちの周り、皆の事情が、うれしくなれたのよ?」

 「おかあさん、くるー?」 

「うん。今日、くるよ。会えるよ。…ツキノ。お母さんに、会えるんだよ?すっごく久しぶりな感じが、するね?良かったね」

 ミタライさんが出かけていった後で、2人そろって、部屋の中に寝転び、見知らぬ天井を見上げていた。

 「お母さんかあ…」

 「くらいねえ?おねえちゃん?」

「そうねえ。そういえばまだ、電気が点いていなかったね。点けてみましょうか」

 「おねえちゃん?」

 「なあに?」

 「あんまり、あたらしくないねえ」

 「そうねえ」

 「さみしいかも」

 「そうねえ」

 「つかれたあ」

 たしかに、妹の言う通りだったか。

 新しい場所といっても、慣れるまでは、大変。さみしくも、なるものだ。以前に住んでいた家よりも、好きになれそうなところは、そうは簡単に見つけられそうになかった。

 「4畳半くらいかしら?」

「ヨジョーハン」

 「キッチンや押し入れを除いて、4畳半っていうことに、なるのかな?」

 「ヨジョーハン!」

 「なんか、中華料理屋さん、みたい」

 「チャーハン!」

 「…私の言いたいこと、良くわかったね」

 「チャーハン!」

 「はい、はい」

 妹は、妹なりの幸せを見つけようと、もがいていたのだった。

 姉としての私は、これからどこまで、この妹を守ってあげられるのだろうか?

 「おねえちゃん?」

 「今度は、何ですか?」

 「どこで、ねるの?」

 私は、ためらいながら、横を指差した。

 「ここで、寝ます」

 「ここで」

 「そうです」

 「ここで」

 「そこにある押し入れから布団を出してきて、寝るのです」

 「ツキノが、やるのー?」

 「そうですよ。これからは、自分でやっていかなっくっちゃあ、いけないのよ?」

 「ふうん」

 「生きるっていうのは、そのくらい、大変なのです」

 「でもさ、おねえちゃん?」

 「何ですか?」

 「がっこうのせんせいとかって、そういうの、いきるの、じぶんでやらなくても、いいんでしょう?」

 「また…。さてはまた、変なTVを、観てたんですね?」

 「せんせいは、じぶんでやらないよー?」

 「そうですね。ツキノの、言う通りかも。学校の先生は、自分では、しません。学校給食は、児童生徒に、もってこさせます。担任の先生は、クラスメイトの分はおろか、己の飯も盛ってくれと、児童生徒らに、命令を下します。はい、ツキノ?先生は、どうして、そういうことをさせるのですか?」

 「はい!」

 「では、ツキノさん」

 「がっこうのせんせいは、えらいからです」

 「ぶー。違います。学校の先生は、偉くなんかありません」

 「ちがうよ、おねえちゃん?」

 「何が?」

 「がっこうのせんせいは、えらいし、あたまがいいのよ?」

 「ええ?頭が、良いの?」

 「そうよ、おねえちゃん?」

 「どうしてですか?」

 「じぶんではなにもできないのをばかにされたくなくて、こどもをひとじちにとって、やらせて、せんせいはなにもしなくても、だれかがなにかをやってくれるんだ。どうだ、すごいだろうって、ちからをみせつけるようにできたからです。トラのいをかりるキツネっていうらしいんだけれど、がっこうのせんせいは、そうすることでいきようとかんがえたんですね。あたまがよかったと、いうことなんですね」

 「…嫌な、幼稚園生だこと」

 「おねえちゃん?」

 「はい、はい」

 「そういうのを、こう言うそうです」

 「なあに?」

 「チホーコームイン」

 「…文部科学省に、怒られるわよ?」

 「おこられません」

 「じゃあ、各自治体の、教育課」

 「おこられません」

 「ああ、そうなの?」

 「みんかんじんあいてに、それをおこるだけのこんきょがありません」

 「うわ。私の、妹。すっごく大人で、すっごく、嫌な感じ」

 「ツキノは、あの、チホーコームインのようにはなりません」

 妹は、今度は、水道のある方へと走っていった。

 「ストーップ!」

 「ツキノ?自分で、言うな」

 「えへへ…」

 妹は、規律良くそこで立ち止まって、今度は、こんなことを言った。

 「おみずが、のみたい」

 「飲めるわよ?」

 「じゃあ、のむ」

 相変わらずの、言い回しだった。何だか、笑えてきた。

 「飲めると、思うよ?ミタライさんが、水道は、もう、引っ越しできたときには通っているって、言ってたはずだから」

 ただ、妹は、困惑顔。

 「ああ。そうか。届かなかったか」

 私は、キッチンにあったイスを用意してあげることにした。

 だが妹は、なおも、困惑顔。

 どうやって水を出せば良いのかが、わからなかったのだ。妹は、いつまでも、蛇口部分を、上に持ち上げようとしていた。

 「それで、出るのかな?ツキノ?」

「でなーい!」

 「そうよ。残念だけれど、それじゃあ、水は、出ないのよねえ」

 私は、失敗した。

 「やば!」

 妹は、そんな姉の姿を見て、また、何かの学習をはじめようとしていた。

 「まーった…。ツキノは、要領が、良いんだから…。あなた、また、お姉ちゃんの失敗から、成長をしようとしていたんでしょう?嫌な、子」

 「…」

 妹は、黙った。

 「悪いこと、言っちゃったかな」

 少し、反省していた。

 「あちゃあ。言い過ぎた。妹の努力の価値を台無しにしかねない、危険な言葉だったかもなあ」

 水道の蛇口と戦う妹の努力は、尊かった。

 「私の、バカ!その努力を、外部が傷付けてしまって、どうするのよ?これじゃあ、失敗教育。こんなの、今の学校の先生だけで、充分」

 反省し直して、妹に、優しく、教えてあげることにしたのだった。

 「どう?水、出た?」

 「うん。ここまわしたら、でた、でた」

 「良かったわねえ」

 「うん」

 「ツキノは、がんばり屋さんなのねえ」

「がんばりやさん?」

 「そうよ」

 「おかあさんみたいな、いいかたー!」

 「お母さん?」

 妹は、ほめられて、うれしそうだった。

 「そろそろ、小学生、か…」

 これからも、こんな適切な教育を与えられれば、妹は、もっと、伸びていけることだろう。

 どうなる、ことやら?

 「ツキノ?」

 「なあに?」

 「いいですか?」

 「うん」

 「ツキノ、良い?これはね?前の家で当たり前のように使っていた、あの、レバー式じゃないの」

 「やきにく」

 「そのレバーでは、ありません」

 「しっています」

 「ちぇっ…。姉が、バカの存在みたいなんですけど…」

 「おねえちゃんは、バカではありません。チホーコームインでも、ありません。バカでは、ありません。おねえちゃんは、おねえちゃんです」

 「…私、妹に、ケンカ売られているのかしら?」

 「おねえちゃん?で、どうするのー?」

 「はい、はい。これからは、この栓をキュッと回してください。そうしたら、水が出てくるんですよ?」

 「うん!」

 楽しい、おしゃべり。

 私たちは、感動の嵐だった。

 妹は、蛇口を、必死に上に押し上げようとしていたわけだったが、それはそれで、社会の事情を考えれば、理解のいく行動。やっぱりそれは、妹という生徒の、尊い努力に他ならなかった。

 その努力を消してしまっては、人は、絶対に、伸びない。

 今の学校教育の、限界。

 外国の人と話していると、面白いことが、わかるのだそうだ。

 「あの塾、良いですよね?」

 「良い先生、らしいですよ?」

 「実績も、あるんでしょう?」

 日本人は、そうした話を聞くと、こう反応しがちだった。

 「そんなにも、良い塾があるんですか?どこですか?教えてください。うちの子を、是非…」

 これが、外国の人なら、反応が違った。

 「ええ?外国の人って、そう思うの?」

 驚くのは、遅すぎた。塾の話で盛り上がったときに、外国の人は、日本人とは違った反応をしてくるということを、どれだけの日本人が、知っていたか?

 外国の人は、こう言うことが多かった。

 「日本人は、塾の話が、好きなのですね。日本の学校教育って、そんなにも、信用できないものなのですか?」

 いかに、外国では、学校教育が生活のスタンダードで、信頼が置けたものであったか。 

 塾というものは、外国では、あくまで、学校教育の補助にすぎなかったかがわかるだろう。

 これが、日本では、見事に、逆転ホームラン。

 日本では、学校教育よりも、塾のほうがスタンダードで、しかも、信頼の置けるものに変わっていたのかもしれなかった。

 ユキノは、良い先生であり、ツキノは、良い生徒だった。

 現職の学校の先生とは、事情が、大きく異なっていたのか。

 学校の先生の中には、すぐに答えを教えて覚えさせるだけの人も、いた。

 これが、地方公務員の現実だ。

 そういう先生などは特に、児童生徒が、その先生の期待通りの答えをもってくると、妖怪のように喜ぶ。

 「そうだ、そうだぞ!私の教えた通りで良いんだ!」

 中毒気味になり、変な自信をもつ傾向にある。

 そういう先生は、児童生徒がどのような回答をもってこようとも、こう言いがちだ。

 「困りましたねえ。先生の言った通りの回答に、しなさい。教科書通りに、しなさい。ダメでしょ!」

 「そうだぞ。君?」

 「何、何…?学校の先生は、地方公務員であり、簡単には処罰されないことを縦にして隠蔽し、裏で、えちえち?それでいて、他人が働いてもらえた金でモノを食っている、だって?ダメだよ、こんな正直なことを書いちゃあ。恥ずかしいじゃないか」

 それが、今の教育の、限界なのか?

 私には、どこまでも、妹のことが心配で、ならなかった。

 みじめなのが、そういう危機に気付けないレベルの人たちがいたことだ。

 「ほら。教科書通りの回答で、いいんだ。そうだ。私の言った通りだろう。私は、なんて、優れた先生なんだ」

 巡り巡って、欺瞞に陥ってしまうような、先生。

 子ども以上に子どもの、自己満足先生。

 さすがは、チホーコームイン。そうした先生は、意外にも、多かった。

 「ツキノ?あなたは、どうすれば良いと思うの?」

 そうして、考えさせてあげることが、重要だった。姉妹のつながりでも、それが言えたはずだ。

 教育者は、子どもたちの尊い思考のチャンスを、知らず知らず奪ってしまっては、存在価値、真っ暗だ。

 挙げ句の果てに、児童生徒、または教員同士で暴力を振るっているようでは、お話にならない。

 そうした教育は、強烈に、醜くかった。

 「あれえ?」

 妹は、今度は、廊下に設置されていた水道の蛇口とにらめっこをしていた。

 「どうしたの、ツキノ?あ、そうか…」

 今では、センサーが感知して水が出るタイプも、多くなった。妹くらいの年齢の子になれば、ずっと、蛇口付近に手をかざしている子もいると、いう。

 「ろうかの、おみず。ちゃんとてをかざしているのに、でないよう!おみず、でないよう!」

 「ツキノ?それじゃあ、水は出ないよ?」

 「えー?」

 「どうしてだと思いますか?」

 「うーん…いつものと、ちがうから?」

 「そうですね。蛇口にも、いろいろと、事情があるからですね」

 「うーん…」

 「じゃあ、どうしたら、水が出ると思いますか?考えて、ごらん」

 「えっと。えっと…」

 「じゃあ。お姉ちゃんと一緒に、考えてみましょうか?」

 「ツキノ、かんがえるー!」

 教育とは、そんなふうに共に考えてから、教えてあげたいものだ。

 究極的にはそこに、感動を、引き出す。

 それが、教育だ。

 今の一部の先生には、その能力、教育資質が、明らかに欠けていただろう。

「ちょっと!そんなことをしていては、水は、出ません!ダメでしょう!」

そう言って叱るだけの先生も、多かった。学校現場の先生などは、生徒児童の努力や心の事情を奪いとるだけの愚劣な存在になっては、ならないはずだ。

 それは、さておき…。

 妹は、私のあたたかい教育のもと、水を出すことに、成功したようだった。

 「おー!」

 「旧世代の蛇口の使い方が、わかったみたいね。良く、がんばりました!」

 「えへへ」

「これで、わかった?」

 「うん。わかった!」

 「良かったわね」

 「うん。これで、ここでもおみずがのめるって、わかったよ!」

 「やったね!」

 「ツキノ、やった!」

「偉いぞ!ツキノ!」

 「こんどは、ひとりで、やってみる!」

 妹は、感動の自発性を深めていった。成長が、できていたのだ。

 本来は、こうして、児童生徒の世界は、花開いていくわけなのだ。

 そろそろ小学校に入学する妹は、どの程度のレベルの先生に、教わってしまうのだろうか?

 「ねえ、おねえちゃん?」

 「何でしょう?」

 「こんどは、おみずを、とめたいの。どうするの?」

 妹の興味の幅が、広がった。学びの楽しみが、進んでいくこととなった。

 「ツキノ?」

 「うん」

 「今度は、水を、止めたいのね?」

 「うん」

 「じゃあ。どうしたら、いいかなあ?」

 「また、まわすのかなあ?こっちかな?」

 「そうね。そのときは、栓を、逆方向に回してみましょうか」

「うおー!とまった!」

それからも私は、妹に、いろいろなことを教えてあげていた。

 「ツキノ?じゃあ…。部屋の電気を点けたいときには、どうしようか?」

 「だれかに、たのむ?」

 「でもそれじゃあ、ツキノしかいないときには、点けられなくなっちゃうよ?」

 「あ、そっか」

 「スイッチ、ないの?」

 「無いんだなあ」

 「スイッチは、おせないの?」

 「無いから、押せないんだなあ。さあ、どうしましょう?」

 「おしてダメなら、ひいてみよう!」

 「お!良いとこ、いったかも!」

 「どこかを、ひっぱってみる」

 「それでは、この垂れ下がっている糸を、下に引いてみてください」

 糸は、妹に、引っ張らせた。私がやってあげることは、しなかった。

 「ツキノ?どうなった?」

 「でんきが、つきました!」

 「できましたねー!」

 「じゃあ、つぎだね!おねえちゃん?でんきを、けすときは?」

 「そのときは…さて、どうすれば良いのでしょうか?」

 私たちは、あるべき教育現場での関係を、続けていた。

 私たちは、まるで、目の見えない、かのヘレン・ケラーと、家庭教師のサリバン女史になっていたかのようだった。

 家庭教師のサリバン女史は、ヘレンに物を触らせては手の平の上に文字を綴ってあげ、それを何度も繰り返し、単語を習得させた。

 そんな、ある日。

 困ったことが、起きた。

 ヘレンは、コップとミルクの区別ができなかくて、悩んでしまったのだ。

 ヘレンにとっては、そのどちらもが飲む物なのだと、思っていた。

 「…あれ?この2つは、どう違うの?」

 コップもミルクもどちらもが、ヘレンにとっては、どう考えても、飲む物でしかなかったのだ。

 「どちらも、飲む物なんでしょう?…この2つ、何が、違うの?わからないわ」

 ヘレンには、両者の区別がつかなかった。

 コップと水は違うと、いうのだが…?

 「でも、そもそも、水って何?水も、ミルクと同じように、コップとセットの物なんでしょう?…どんな違いが、あるの?」

 ヘレンは、悩んだ。

 「水って、何…?」

 朝に、なった。

 ヘレンは、ふと、顔を洗うときに彼女の顔にかかる物の名を、知りたくなった。

 「そういえば、この、バシャバシャとした物は、何なんだろう?」

 そこでヘレンは、洗面器の中を指差して、いつも通り、サリバンの手をたたいた。

 「…これの名前は、何?」

 そう言おうと、したわけだ。

 そんな逆質問に困った教師サリバンは、意外な行動をとった。

 「こちらに、きて!」

 ヘレンを、井戸の前に連れていったのだ。

 サリバンは、井戸の口の下に、ヘレンを立たせた。ヘレンの手に、コップを握らせて。

 「ガシャガシャ」

 井戸の取っ手を引いた、教師サリバン。

 「バシャ、バシャ」

 井戸から、水が、あふれ出した。そしてその冷たい水が、ヘレンのコップを満たした。

 水は、当然、あふれた。

 そこで教師サリバンは、またも、大きな行動に移った。

 「ヘレン!これが、水です!」

 そう言うがごとく、ヘレンの手をとった。

 「w―a―t―e―r」

 その5文字を、ヘレンの手の平の上に、綴ってあげたのだった。5文字のもつ意味は、まだ、教えなかった。

 「この、バシャバシャとコップからあふれていく、何か…。これって、何だろう?わからない。何なのだろう?」

 当初、ヘレンは、不思議だった。

 「…先生は、私の手の平に、何を、書いているんだろう?」

 教師サリバンはしかし、そのときになってもまだ、それが水という物であるとは、教えなかった。

 ヘレンに、考えさせたのだ。

 「ヘレン…?これが何か、理解できる?」

 「先生…」

 ヘレンは、その場に、立ち尽くした。バシャバシャと、かかり続けた、水。

 「冷たい!何、これ?」

 「ヘレン…」

 「…ハッ!」

そのとき、ヘレンの中の何かが弾けた。「そうか!これが、水というものなのね?

そういうことだったのね?水というのは、コ

ップに入っていなければならないものじゃな

かったのね!これが…これが…水!」

 ヘレンは、水を、理解した。

 2人は、その教育を、何度も繰り返した。

 「これが、w―a―t―e―rなのね!…コップとは、違うものだったなんて!」

 「そうよ、ヘレン。w―a―t―e―r」

 「これが、w―a―t―e―r!」

 「ヘレン…」

 「そうだったのか、先生!」

 ヘレンの身体に、あるべき教育の電流が、走り抜けていった。ヘレンもまた、サリバンの手に、字を綴った。

 「w―a―t―e―r」

 何度も、綴り返した。

 そのときヘレンは、すべての物に名前があることを、理解したといわれる。

 ヘレンは、居ても立ってもいられずに、教師サリバンを指差した。

 「名前…」

 指で、たずねた。

 そこでサリバンは、ヘレンの手の平に、こう、綴ってあげることにした。

 「teacher」

 ヘレンの感動は、いかほどだったか。

 「ああ!やっぱり、名前があったのね!」

 ヘレンは、あまりにうれしくって、井戸から家に戻る間に、動き回った。

 「これは、何?これは、何?」

 サリバンを、質問攻めにしたのだという。

 感動の教育嵐を味わえたヘレンは、手に触れた物の名前を、興奮のあまり、すべて覚えてしまったそうだ。

 ヘレン・ケラーは、元々、頭の良い子であった。それは、言うまでもないだろう。  

 「Go、Co me、ho me、op en、do or…」

 可能性を開かれたヘレンは、その夜、もううれしくてうれしくて、たまらなくなったそうだ。サリバンのベッドに潜り込み、初めて、ヘレンのほうからキスをしたといわれる。

 …そんな逸話が、残された。

 これが、本当の、教育なのだ。

 ヘレンとサリバンの教育が上手くいったのは、そこに、感動が芽生えたからだ。

 …。

 「うおー!」

 妹は、それからも、新しい生活様式の謎を解こうと挑戦し、感動の声を上げていた。

 機械化生活に慣れきっていた妹などは、特に、新鮮な経験となったのかも。

 「うおー!できた!」

 妹のリアクションは、最高だった。

 適切な教育には、それくらいのリアクションも、必要だ。教えられたことにたいして、こう言われてしまったら、どうだろう?

 「あ、そう。でもそんなの、ネットを見ればわかるじゃないか」

 それで何でも解決するというのなら、先生の存在価値など、ない。そのために、ネットに頼らない教育が考えられているが、どうなることやら。

 「がんばれ!お姉ちゃん、応援するぞ!」

 「ツキノ、がんばるー!」

 そうこうしていたうちに、

 「ブボッ。ブボッ。ブー!」

 いびきとおならが重なったような音が、響いてきた。

 ミタライさんの車が、ここメゾン・オトナシに、到着したのだ。













 



 


 





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