第17話 スーパーおばあちゃんの登場

 「着きましたよ」

 ミタライさんの声がして。車から、母の足が見えた。

 「よいしょ」

 車の助手席から、母が出てきた。

 「お母さんだー!」

 妹が、母に抱きついた。

 私は、何も言えなかった。

 再会の抱擁はひとまず自制し、姉らしく、母の感情を知ってみようと、考えたのだ。

 それも、姉特有の強がりにすぎないと言われれば、それまでだったが。

 「ごめんなさい…」

 久しぶりの母の第一声は、それだった。

 「みんな、ごめんね?本当に、ごめんなさい。お母さんが、いけなかったのよ」

 「…」

 何も、返せなかった。

 「お父さんのことも、ごめんね…」

 「お母さん。それはもう、良いから」

 「ごめんね…。私たちの、家が」

 「いえー!」

 「ツキノは、私が、何とか引っ張ってきたから。お母さん…。もう、充分だから…」

 「うん」

 「…」

 「ごめんなさい」

 「…」

 何も、言えなくなってしまった。

 だが、その沈黙は、妹によって、あっさり破られた。

 「ねえ、ねえ。誰か、乗っているよー!」

 場の事情にそぐわない軽やかさで、楽しそうに、言ってきたのだ。

 私は、車の後部座席を見た。

 「キャッ」

 謎の足が、見えた。

 「よいこらしょ」

 「何?」

 「なに、なにー?」

 車の後部座席から、見知らぬおばあちゃんが、出てきた。

 「おこんにちは。これはこれは、どうも、どうも。美しいモガの登場で、ございます」

 やけに、落ち着き払っていた。

 「おねえちゃん?」

 「…」

 「ねえ。おねえちゃん?」

 「うん…」

 「もがって、なに?」

 「モダンガールってことじゃ、ないの?」

 「もだんがーる?」

 「そうよ」

 「おねえちゃん、それって、なに?」

 「ハイカラな女性って、ことよ」

 「おねえちゃん、はいからって、なに?」

 「…。イケテルって、ことよ」

 おばあちゃんは、ニカニカと、金歯を光らせていた。

 ミタライさんが、不穏な状況を打開しようと、懸命になってくれていた。

 「ああ。2人とも、驚かせてしまいましたね。私が、説明しましょう。こちらは、コウキョウセイシン法により皆様と一緒に生活することになった、カノおばあちゃんです」

 「カノおばあちゃんって、いうんだね?へー。なんか、カノくんみたい」

 妹は、笑っていた。

 「そうね」

 「ねえ、おねえちゃん?コーキョーなんとかって、なんだっけ?」

 それは、政治の話だ。

 「コウキョウセイシン法」

 すなわち、これのことだった。

 「高齢者共同生活心身法」

 去年、可決?

 できたばかりの、法律だったようだ。詳しくは、良く、知らなかった。

 1人暮らしの高齢者を、一般家庭が引き取って育ててあげる制度が、できたのだ。

 その法律に則って行動できれば、国から、補助金が出た。その補助金を使わせて、1人暮らしの人の空き家を解体させることが、1つの目的だった。

 現実問題、そうでもしなければ、増えすぎた高齢者を安全に見守ることが難しくなると判断されたのだ。

 国は、空き家の解体を推進。

 補助金の支給で解体させ、できた更地を墓地として再活用してくれるのであれば、更地化によって生じるはずだった固定資産税の納付をなくすことを、打診。おまけに、墓地ができればできた分、その土地の持ち主に墓地料を得られるようにするとした。

 それでなんとか、高齢者を説得。

 まあ…、すべてが順風満杯のわけはなかった。法案可決後から、いろいろ反対事情も、残っていたわけで…。

 「まあその…社会の事情でね?それで、このおばあちゃんは、きたみたいなのよ」

 妹には、しっかりとした姉らしく振る舞うよう心がけて、教えてあげることにした。

 「ふうん」

 「どうも、どうも」

 「ツキノ?このおばあちゃんが、さっき言った、コウキョウセイシン法で守られるべきおばあちゃんよ?」

 「コノおばあちゃんではなくって、カノおばあちゃんでございますじゃ」

 「カ…カノさん」

 「そうじゃ」

 「ご、ごめんなさい」

 親子の再会どころでは、なくなってきた。

 「ふしぎー!どうしてー!どうして、おばあちゃんが、ふえたのー?」

 妹が、駄々をこねたので、私は、良い姉を振るまい続けるしかなかった。

 「ツキノ?高齢者の爆発や暴走を防ぐために、増えたのよ?」

 「どういうこと?」

 「高齢者を抑えるっていうこと、よ?」

 思わず、怖いことを、口走っていた。

 「あなたは、すごいことを言うのねえ…」

 「あら、お母さんも、聞いてたのか」

 「つづきー!」

 「はい、はい。わかりました。コウキョウセイシン法にも、いろいろと、事情があってね…。まあ、だからさ。悪く言っちゃえば、高齢者の抑制政策なわけよ。わかる?わからない?あの人たちを引き取って、安全な場所に入れてあげるの。安全、サナトリウム。現実、高齢者が、からねえ…。社会の事情も、大変よう。こうでもしなくっちゃ、ねえ…。1人暮らしの高齢者が、社会にうろうろしちゃったら、迷惑でしょう?」

 私は、嫌な説明をしてあげていた。

 妹は、それで、納得してくれただろうか?

 「…そうだった、そうだったね。おねえちゃん?」

 そんな返しも、私を反撃するに充分な、怖いいななきのようだった。

 妹は、日々、成長していたようだ。

 「ツキノ?この法律は、努力家よね?」

 「どりょく」

 「この法律は、生活保護等にかかる多くの公的扶助負担も、抑えようとしていたもの」

 「うーん…」

 「うーむ…」

 が、カノおばあちゃんは、妹同様に、不満顔。

 「むずかしいねえ」

 そう言う妹の傍らで、おばあちゃんだけは、ポツリ、漏らしていた。

 「それって、高齢者の閉じ込めですけど」

 聞かなかった振りを、決めた。

 「ツキノ?わかりましたか?」

 「なんとなく」

 「わかったのかな?世の中、いろーんな事情が、あるのよ」

 そこで、ツキノが叫んだ。

 「あ!やっぱり、カノ!」

 おばあちゃんは、カノという名前だった。妹は、その点が、どうしても、気になってならなかったようだ。 

 「カノ君だ!」

 「ああ、そうだったわね…」

 妹が、名前の何かに気付いて叫んだのも、わからないではなかった。

 「カノ君…か。ああ」

 驚いたのも、当然?

 おばあちゃんはおばあちゃんは、電車の中で、妹とおしゃべりをしていたという謎の男の子の名前と、まったく、同じだったのだから。

 でも、それだけで…。

 それだけで、こんなにも、はしゃぐだろうか?

 ただの偶然だったとも、考えられたが…?

 妹とは、不思議な存在なり。

 「ツキノ?名前が、同じだったって、ことでしょう?」

 「うん」

 「それって、偶然でしょう?」

 「うーん…」

 「変な、一致だこと…」

 「しあわせが、ふえた」

 そう言われて、姉として否定することは、なかった。

 「そうね。あなたの、言うとおりでしょうね。偶然が重なって、幸せが増えたと思えば良いのよね?お姉ちゃん、また、勉強になりました」

 「もっと、べんきょうしてください」

 言い返しようが、なかった。

 「それでは、世話になりますぞえ。よしなに、願いますじゃ」

 おばあちゃんが、丁寧に、頭を下げた。

 「こちらこそ、よろしくお願いします」

 母も、そう言って頭を下げたので、私たちも慌てて、頭を下げた。

 「よろしく、お願いいたします」

 「よーしく」

 ミタライさんが、大きく、深呼吸をはじめた。

 異常に、安心していた様子だった。

 「それでは、カノ様。いえ、カノさんも一緒にどうぞ。部屋の中に、入りましょうか。ここが、皆さんの共同生活の場です。メゾン・オトナシという名前の、建物です」

 「メゾン・オトナシ。それはまた、懐かしいことじゃの」

 「あの…。カノ様?いえ、カノさん?どうされましたか?」

 「実はねえ。私も女学生時代、このような建物に住んでおりましたものですからね」

 「そうでしたか…」

 「懐かしく、なってしまいましてねえ。たしかあの建物は、メゾン・ゴダイと、いいましたよ」

 「ほう!メゾン・ゴダイ。あそこに、住んでらっしゃいましたか…。まさか、ここで、ゴダイの記憶に会えるとは!」

 「ミタライさん?何です?」

 「なあにい?」

 「いえ。何でも、ないんです。さ、さあ。どうでしょう。なかなかどうして素敵なアパートでは、ありませんか?」

 「そうですのう」

 「…ほら。お母さん?そのカバン、私がもつから」

 「ツキノの、もー」

 「それくらいは、あなたが、もちなさいよ!」

 「おねえちゃん、いじわる」

 「意地悪では、ありません。妹への、愛のしつけです。これが、姉妹っていうものですよね?ミタライさん?」

 「ははは」

 「子どもたちには、狭くないかしら?」

 「お母様。心配、なさらずに。まあ、4人では、狭く感じるかもしれませんがね。しかしですね…。4畳半とはいいますが…。それは、押し入れやキッチンを除いて、です。そうした部屋事情を考えれば、狭くはないはずですよ?」

 「そうでしたかえ」

 「ええ。ははは…」

 カノおばあちゃんは、ワクワクした目で、見入り、聞き入っていた。

 ミタライさんの出す言葉を待つカノおばあちゃんの姿は、美しい教育現場の生徒のようだった。

 「ああ、そうだ。忘れていました」

 ミタライさんが、決まり悪そうにした。

 「風呂は、各部屋に設置されてはおりません。近くにある銭湯にいかれるのが、良いでしょう。ヨツヤ銭湯という名のサロンが、近くにあります。ははは…、サロンだなどと、いってしまいましたね。ヨツヤ銭湯は、良いところですよ?詳しくは、この後また、案内します。ご心配なく」

 「それは、それは」

 「おばあちゃん、よかったねえ」

 「ああ。良かったよう」

 妹とは、すぐに、仲良くなっていた。そんな柔軟性もまた、うらやましくて、ならなかった。

 「良かったのう」

 カノおばあちゃんのたくましいワクワクは、止まらない感じだった。

 「銭湯!良い、響き!良いものですじゃ」

 おばあちゃんは、何度も何度も、ステップを踏んでいたものだった。

 「皆さん?ヨツヤ銭湯では、回数券が買えて、使えるんですよ?」

 「ほう、ほう」

 「そうねえ…。それなら、使い易そうね、ねえ、お母さん?」

 「ええ」

 もっとも、妹は、銭湯以外の方向に、感動を得ていたようだったが…。

 「すぐ近くには、コンビニもあります」

 そちらの説明のほうにこそ、感動をしていたものだ。

 「コンビニだ。おねえちゃん、よかった」

 「そうね」

 「たくさん、おかいものできるよ?」

 「そうね」

 ミタライさんは、優しく優しく、説明を続けてくれた。

 妹は、その都度、感動をしていた。

 カノおばあちゃんは、コンビニが近くにあったと知って喜ぶ私たちに、疑問の様子だった。

 「コンビニって、何だったかしらねえ?」

 真面目な顔つきを、こぼしていた。

 面白かった。

 ミタライさんが、こんな面白い説明で返していた。

 「ははは…。コンビニとは、いろいろな価値が、金銭で買える場ですよ」

 「そういうこと、かい…」

 おばあちゃんの目は、真剣だった。

 「ねえ?キヨシしゃん?」

 「何です?」

 「コンビニって、いっぱいいっぱい、売っているんだよね?」

 「ええ。そうですよ?」

 「…ほんなら、奇蹟なんかも、売っていたのかい?」

 「ははは…」

 ミタライさんは、カノおばあちゃんの言葉にたいしては、意味深な笑いを返しただけだった。

 「丁寧な説明、本当に、ありがとうございました」

 母が、ミタライさんに、礼をした。

 だがミタライさんは、うわの空だった。

 「そうか…。カノ様は、メゾン・ゴダイに住んでおられたことが、あったのか。そいつは、知らなかった。情報不足、この上ないものだな」

 ミタライさんが、車に乗り込んだ。

 「皆さん?これで、僕とはお別れになっちゃいますね」

 「あ…。そうですか?」

 「キヨシしゃんと、おわかれ」

 「そうだねえ。お別れだねえ」

 「キヨシしゃん、さみしいねえ」

 「皆さんとは、オトナシの管理会社で会えれば、良いんですが。…でもまあ、これで、お別れになっちゃうのかな?」

 「妹にも、丁寧に説明いただけ、ありがとうございました」

 「お姉さんは、しっかりと、していますねえ。これからも、妹さんを、良く、守ってあげてくださいね?守護神…、神様の、ようにね。いや、この場合は、女神様というべきなのかな?」

 「…」

 「めがみさま」

 「良かったねえ。ツキノ?」

 「そうだ。ぺナさんという人に、きていただけましてね?」

 「ぺナさん、ですか?」

 「ぺナしゃーん!」

 「ツキノ、静かに!」

 「しずかに」

 「このオトナシの屋根を、見てください」

 「おお」

 「おー」

 「ぺナさんに、大時計を設置してもらったのですよ。その時計を見て時の流れを感じてもらうのも、良いでしょう」

 ぺナさんは、外国から、建築の勉強でやってきた方らしかった。

 「ぺナさんは、納戸、つまりはまあ、物置を作る専門の職人さんなんですがね?」

 「ええ」

 「もおっきー」

 「ツキノ、静かに!」

 「おこられた」

 「この物件の何度修理の話をしたら、ついでに、時計の設置を手伝ってくれると言うのですよ。それで、せっかくなので、お願いしちゃいました」

 「そうですか」

 「もう、おこられない」

 「2人とも?素敵な時を、過ごしてくださいね。では、お元気で」

 ミタライさんは、去っていった。

 「ぶぶぶー」

 私たち家族の、新しい生活の場。

 メゾン・オトナシ。

 よく見れば、2階建てのメゾン・オトナシの屋根には、たしかに、大時計があった。

 「でもさ、ツキノ?さっきまで、こんな立派な時計なんて、付いていたかしら?」

 「ツキノ、わかんなーい!」

 これで、住人たちに、現在時刻がわかるようになった。

 素敵な、プレゼントだった。

 カノおばあちゃんが、その時計を眺めながら、謎のつぶやきをしていた。

 高齢者の独り言…?

 「…おお。もうきてくれていたんだね。ヤヌスに続いて、サートゥルヌスまでも。ペナーテスまで、きてくれるとはね。ペナーテスは、ローマ神話で、納戸の神様じゃが、そこから転じて、世帯全体を守る神様となった。…ペナーテス。家族を、守っておくれ。きてくれて、感謝する。恩に着るよ、お前たち。さあ、サートゥルヌスよ。お前の仕事は、時間のプレゼントだ。ここにいる皆に、輝ける時を、与えておくれ。クリスマスの奇跡を、起こしてくれないだろうかね?頼んだよ」

 私は、それをこっそり聞いてしまって、何だか、気味が悪かった。

 「高齢者って、いろいろと考えることがあって、大変なんだなあ…」

 私の知らないあれこれを知っていた妹に、そっと、聞いてみた。

 「ねえ…。ツキノ?」

 「おねえちゃん?なあに?」

 「ツキノ?サートゥルヌスって、何?」

 「サートゥルヌス?」

 「うん」

 「おねえちゃん?それって、かみさまの、なまえだよ?」

 「何の、神様?」

 「のうこうの、かみさま。それから、ときのかみさま。えっと…。ローマしんわのかみさまでえ…サターンともいうんだけれど。そのよびかたのほうが、なじみあるかも」

 「あ、サターン…聞いたことある」

 「むかしの人なんかとくに、のうこうってさ?たねまいて、めをだして、かりとってさ…。のうこうが、いちねんというじかんをかりとるものだと、かんがえていたから」

 「うん」

 「そんなこんなで、ときのかみさまでも、あるんだよ?」

 「なるほど」

 「おねえちゃんは、わかってないよね」

 「…ごめんなさい」

 「べんきょうも、やくにたてなければ、だめじゃん」

 「そうでしたね…。学校の先生みたいに、なっちゃうもんね?ごめんなさい」

 「おねえちゃんは、いつも、あやまるよねー」

 「ちぇっ…。お姉ちゃんは、学校の先生ではないから、いやらしいことをして、地方自治体の教育課の課長クラスに、替わりに謝らせるようなことは、しないのよ?」

 「ふうん」

 「でさあ…ツキノ?あのおばあちゃんは、どうして、時計を眺めて、つぶやいていたのかな…?」

 「あのおばあちゃんじゃなくって、カノおばあちゃん」

 「…そうでした。お姉ちゃんが、間違っていました」

 「でね?おねえちゃん?」

 「な、何でしょうか?」

 「その、とけいのなまえのかみさまをたたえちゃうおまつりは、サートゥルナーリアって、よばれていたみたい」

 「ああ、そうなんだ…」

 「そのサートゥルナーリアでは、みんな、ろうそくとか小さなお人ぎょうさんをおくりものにして、こうかんしあったみたい」

 「そうでしたか」

 「お姉ちゃんは、しらなかったんだ?」

 「知りませんでした」

 「だめじゃん」

 「そういうこと、言わない」

 「わたしの、お姉ちゃんなのに…」

 「言うこと、言うことが、日々、成長してるのねえ」

 「でさー」

 「あ、上手く、かわされた」

 「そのおまつりっぽいのが、ね?」

 「はい、はい」

 「あとになって、キリストきょうにはいって、クリスマスになったんだよ?」

 「へえ。クリスマス…」

 「うん」

 「じゃあもしかして、バッカスとかも?」

 「バッカス?」

 「ほら。お父さんが良く、飲んでいたじゃない。あの、お酒の名前」

 「うん。バッカスも、かみさまのなまえ」

 「…やっぱり」

 「ローマしんわのかみさまでえ…。あ、さっきのサートゥルヌスと、おなじだね?で、ローマしんわの…、えっと、お酒のかみさまだったとおもうよ?」

 「また…、妹に、教育されちゃったか」

 横を見れば、カノおばあちゃんが、あの大時計に、手を合わせていた。

 「サートゥルヌスよ。お前の力で、クリスマスの奇跡を、召喚しておくれ…」

 そして母が、妹に手を伸ばした。






 



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