8話 元カレは、初めて女の子の部屋に入りました

 俺は、いざ中に入ろうとしてふと我に返った。


 あれ?俺、今何気に女子の部屋に入ろうとしてる?


 え。いや。そう言うことだよな……。

 俺ってなんだかんだ言って、一生の中で女子の部屋に入ったことが無い。というか、女子の家にすら入ったことが無い。誘われたことは度々あるのだが、俺は一度もお邪魔したことは無かった。

 理由はもちろん面倒ごとに巻き込まれている状況から早く抜け出したかったからだ。

 そして今は、俺が現在進行形で好意を寄せている元カノの部屋に上がろうとしている。


 俺はガチガチになりながら、ゆっくりと扉をくぐった。

 扉の先には整えられた靴があった。おそらくお出かけ用だろう。

 玄関には特に何も置いていなくて、殺風景に近かった。


 そして俺の部屋と同じ作りだから何も変わらないはずの短い廊下を、まるで別の世界に来たかのように、新鮮な気持ちで進んでいった。


 玄関からまっすぐのびる廊下を抜けると、リビングの扉が現れる。

 俺はその扉をそっと開けて、初めて見る女子の部屋というものを眺めた。


 扉を開けて初めに目についたのは、綺麗に整えられたベッドと、テレビに向かい合う形で置かれたソファーだった。何とも女の子らしい部屋なのだ。同じ部屋とは思えない。

 まぁ、俺は女の子らしい部屋なんて知らないけど。


 次に目にはいったのは、一人用にしては少し大きめの、ダイニングテーブルだった。椅子も二つあり、まるで誰かと同棲しているような雰囲気だった。


 右側を見ると、ダイニングテーブルが向かい合うキッチンがあった。さすが女子という感じで、きちんと整理されていた。

 俺も何気に少し料理をするのだが、ここまで綺麗に整頓されていると、料理するのが好きなんだろうなと言うことは、何となくだが分かる。


「綺麗だな。さすが朱音って感じだ。女子の部屋とか俺初めてだったけど、イメージ通りに綺麗でちょっと安心した」

「そっか。海斗君って女の子の部屋に入ったことなかったんだ」


 少し意外そうに、そして少し納得した様子で、朱音は頭をコクコクと振っていた。


「まぁな。付き合ってた時に一回も朱音の家に入らなかったし、幼馴染みとかもいないし、そういう機会に巡り合わなかったんだよ」


 俺がそう言うと、朱音は申し訳なさそうにした。


「そっか…。何だかごめんね」


 俺はなんだか悪いことをしたと思い、何とか紛らわそうとした。


「何で謝るんだよ。俺が入りたいって言わなかったからなんだから気にすんなよ?」

「でも、女の子の部屋なんて、誘ってもらわないと入りにくいじゃん」


 朱音は優しかった。今も、昔も、変わらない朱音に少し安心し、俺は平常心を取り戻した。多分初めての女子の部屋だったので、緊張していたのだろう。

 肩から力が徐々に抜けていくのを感じた。


「まぁな。でも、今は誘ってもらって入れてるからそれでいい」


 俺は素直な感想が言えた。そして、それと同時に自分でも納得した。 


「何だか恥ずかしいね」


 朱音はそう言うと、顔を紅に染めていた。それを見ると、本当に恥ずかしいのだと分かる。


「……そうだな。女子の部屋で女子と二人きり。そりゃ恥ずかしいよな」


 俺も恥ずかしくなり、顔をかく。


「確かに、異性と二人きりって恥ずかしいね」


 朱音は一層恥ずかしそうにしていた。

 そして、耐えられなくなったのか、何とか絞り出したような声で、


「そ、そうだ。今から夜ご飯作るから、椅子に掛けて待ってて」


 と逃げるように言った。


「あ、うん。そうする」


 俺がそう返事をすると、朱音はエプロンをつけ始めた。

 俺も、サッサとリビングにあるソファーに緊張の面持ちでチョコンと座り、ばれないように、朱音を見ていた。


 黒のヘアゴムを口にくわえ、エプロンの紐を結ぶ朱音。その様子が可愛すぎて、俺の頭がおかしくならないかどうかがとても心配だった。


 そして、エプロンを紐を結ぶと、今度は髪の毛を結ぶために、ヘアゴムを口にくわえたまま髪を束ねた。

 俺がその追い打ちを受けて、しょうきが保てなったことは、言うまでもなく、俺は安然ながら、少しの間、ボーっと朱音を見つめる形で意識が飛んでしまうという結果となった。


 俺の意識が戻ったころには、朱音はさっそく料理を始めていた。

 その様子を眺めていると、不意に目が合いそうになり、俺は咄嗟に何も流れていない真っ暗なテレビの画面を見つめた。


 そして、あまりにも気まずくなり、何か話題を振らないと、朱音もしんどそうだろうなと思い、話しかけた。


「なぁ朱音」

「どうしたの?」


 と、朱音は至って普通に返してくれた。そして、ここにきて一つの問題が発生した。

 それは、「何を話せばいいのか」だ。

 俺は何も考えずにただただ話しかけたのだが、その続きを考えていなかったた。

 話しかけておいて、話題がなく沈黙の時間が続くというのは、かえって悪化してしまう。


 これはどうしたものかと俺は頭をひねり、何とか話題を探した。

 しかし、ここは女子の部屋。初めての女子の部屋でしかもそれが朱音の部屋。

 ただでさえ朱音と一緒に居るだけでも緊張するのに、それが朱音の部屋でしかも二人きりとくれば、もう平常心でいられるわけがない。


 そして、俺はループする思考の末、究極の話題を振ってしまった。


「……最近どうしてんだ?」

「え?」


 朱音が「まじか…」と言わんばかりの顔になった。そりゃそうなるよな…。


 会話の極地。

 つまり、話題がなく気まずくなってしまった者同士がするその場しのぎの究極の話題が、「最近どうか」と「しりとり」だった。近況を尋ねる方は、その日初めて会った人でもなんとか使える。

 そして、昔からの知り合いや、学校やグループでは普通に話すような人同士でも使える最強の武器だ。

 そう、一種の武器なのだ。そしてこれは最終兵器。使うときは、自分が究極に追い込まれているとき。あぁ。ピッタリ今の状況に当てはまってしまった。

 少しむなしくなってきた。


 俺は、何とかこれは極地じゃないんだと言いたくて、必死に弁解を図った。


「いやさ、ほら。女子高生の一人暮らしとなれば、苦労とかあるのかなーって」


 すると朱音は、「……そうだね」と言いながら、少し考えるそぶりを見せて、続けた。


「確かに家にいたときに比べて少し不便にはなったかな」

「そうなのか…」


 俺は『不便になった』という言葉を聞き、「しまった」と思った。

 俺は親に頼んで新しいことをしたいということで一人暮らしを始めたから、みんな同じだと勘違いしていた。


 確かにそれぞれ家庭には事情がある。もしかしたら朱音は高校生になったら自立しないといけない家庭なのかもしれない。あるいは家に居ずらい事情があったのかもしれない。そんなことにも頭が回っていなかった俺は、首席失格だ。


 俺がそんな風に自分の世界で反省をしていると、朱音がさわやかな声で話した。


「でもね、少し楽しいかな」

「へ?」


 今度は驚いた。本当に驚いた。さっきまでの俺の考えが吹っ飛んでしまったからというのが一番の理由だが、それよりも、国語的におかしな矛盾したことを言ったことに驚き、そして理解ができていなった。


「苦労するのに楽しいのか?」

「うん、楽しいよ。体験したことないことがいっぱいで、新しい世界に来た感じかな。でもやっぱり、今までにない体験をするのは苦労するけどね」

「…なるほど」


 俺は納得した。そして、それと同時に理由が俺と似ていることに少し安心した。

 まぁ確かに、朱音が俺に気をつかって嘘をついている線もあるが、それはそれで優しさだと思ってありがたく受け取っておこう。

 それに、こんなに清々しく話している朱音を見ていると、たぶん本心なんだと思った。


「……」

「……」


 俺は納得したのだが、今度はまた問題が発生した。

 俺が納得して黙ってしまったため、また話題がなくなった。これはまた振り出しに戻ってしまった。


 うーーーーん。どうしようかな…。そう考えていると、とてもおいしそうな香りがしたので、俺はそのまま口にしていた。


「今日のメニューは何なんだ?」


 俺がそう尋ねると、朱音は少し嬉しそうに、そして楽しそうに話し出した。


「えっとね。肉じゃがと、鰤の照り焼きと、わかめのお味噌汁と、白米かな」


 そして、俺は一つ引っかかったことを口にした。


「白米ってメニューに入るのか?」


 そして、言ってから後悔した。

 こんなどうでもよくて、かつ意味が分からない話をされれば、誰だって「何この男、超絶めんどくさいんですけど~」って感じで思われてしまう。

 朱音は元カノとは言え、二人きりの空間で、こんなことを聞かれたら、さすがに引いてしまうだろう。


「うーーん…。多分入ると思う。ほら、小学校の時の献立表に麦ごはんって書いてたし」


 しかし、朱音は真剣に考えて、そして俺に意見してくれた。

 それが嬉しくて、俺は調子に乗ってさらに深堀してしまった。というか、完全にスイッチが入ってしまった。


「なるほど……。でも、それってパンの時もあるから書いてるんじゃないのか?」


 俺は、素朴な疑問を投げかけた。

 確かに給食のメニューに書いていて、それは今日の献立と書いてあった。

 しかし、それは他にパンの可能性もあるため、それと区別するためだけに書かれていると考える方がしっくりくる。


「確かにそうかもね……」

「だろ?」


 俺は肯定され、他の可能性を考え始めた。

 すると、朱音はいつものように。いや、昔のように、とことん付き合う姿勢で真剣に考えてくれて、朱音の目線からの意見を言ってくれた。


「でも、それだけじゃないんじゃない?」

「どういうことだ?」


 俺は意味が分からずに聞き返した。


「だって他にも炊き込みご飯とかもったでしょ?」

「あぁ。確かにそんなのもあったな」

「でしょ?」


 俺はこの「炊き込みご飯」と言う言葉がカギになるのではと直感で思った。

 炊き込みご飯。それは立派なメニューである。そして、それは他にも当てはまるような気がする。


 何だ?何なんだ?俺はぐるぐるとその違和感を探った。

 そして、その答えは思いのほか早く出てきた。


 あぁ。炊き込みご飯も白米と一緒でご飯じゃないか。


 そして、俺はその解決した答えを朱音に伝えた。


「てか、炊き込みご飯とかは普通にメニューだし、白米もメニューか」

「確かに…そうだね」


 顎に手を当てていた朱音は、納得したという感じで頭を上下に振っていた。


「だな」

「うん」

「……」

「……」


 そしてまた沈黙が訪れる。


 まただ。しかも今回は、とてもどうでもいい話だったのに変に盛り上がってしまっただけに、余計に辛い。この沈黙が辛い。


 すると、今度は朱音が話を切り出してくれた。


「……そう言えばさ、海斗君」

「ん?」


 恐る恐ると言う単語が当てはまるような感じで朱音が聞いてきたので、俺は不思議に思い、キョトンとしていた。

 そして朱音の口からは、俺たちの関係修復のためには絶対に避けて通ることができない問題についての話題が出てきた。



「どうして赤谷高校にしたの?」



「あ、あぁ。その話か……」


 俺は表情が一気に曇った。

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