1話 再開~それは神の悪戯~

 桜の季節が終わりを迎えようとしていた4月中旬。俺はとある噂を耳にした。


「お前のマンションに、美人が引っ越してきたらしいぞ」


 そう言われて初めて知った。しかもどうやら俺のお隣さんらしい。

 正直、一度もお隣さんとはあったことは無い。引っ越して来てもう2週間も経ったというのにだ。


 俺の名前は高原たかはら海斗かいと。私立赤谷あかだに高校に通う、至って普通な高校一年生。

 緊張の面持ちで入学したのがつい一週間前で、まだまだ友達と呼べる友達はできていない。

 強いて言うなら、少し喋るようになった同じクラスの平川ひらかわ秀真しゅうまは、もう友達と呼んでも大丈夫かもしれない。


 もう一人知り合いはいるのだが……。

 綺麗な顔立ちをしており、つやのある綺麗な黒のロングヘア。透き通るような黒い目を持つ、とにかくモテる女。


 そう、お察しの通り、俺の『元カノ』である。


 名前は志水しみず朱音あかね。もちろん、元カノなので、気まずい関係にある。

 気まずい理由はそれだけではないのだが……。


 今はこんな感じに語っているが、いざ本人を前にすると、変に意識してしまうため、微妙な雰囲気がお互いから出る。

 ちなみに、俺は嫌っているという訳ではないが、何となくそうなってしまう。


「何故あいつと同じ高校なのだろうか……」


 少し自分の記憶を遡り、思い出す。



 俺と朱音が出会ったのは中学の時だった。

 俺たちは3年間同じクラスで、1年の時から仲が良く、2年になった時に俺から朱音に告白して付き合うことになった。


 俺たちは仲が良く、「お似合い」だの「新婚夫婦」だのと言われていた。

 自分で言うのもなんだけど、本当に仲が良かった。

 どういう点がと聞かれると、正直答えにくいのだが、簡単に言えば、喧嘩やすれ違いがなかった。

 まぁ、それが仲が良いのかと聞かれると、素直にうなずくことはできない。


 そんな感じで、学年全員から「あいつら結婚するんじゃね?」と言われていた俺たちだったが、終わりというのはあっさりとしていた。


 それは3年の11月の終わりのことだった。

 俺たちはいつものように一緒に下校していた。


「なんか寒くなってきたな。いよいよほんとに冬なんだな」

「そうだね」

「いよいよ受験だな」

「緊張するね」


 俺たちは3年生だったため、テストに向けて、本格的に勉強を詰めていかないといけない時期に差し掛かっていた。


「海斗君はさ、どこの高校受験するの?」

「あー」


 俺たちは共にそこそこ学力は高い方だったので、高校もある程度選ぶことができた。


「やっぱり有名な公立高校?それとも私立高校?」

「朱音はどっちにするんだ?」

「私は公立高校かな。やっぱり、自分の実力の限界まで挑戦してみようかなって」

「そっか…」


 そうやって、限界に挑戦しようとしている朱音が、少しまぶしく見えた。


「俺は赤谷高校にするよ」

「えっ…!」


 朱音が目を見開く。


「ほんとに?あそこの高校に行くの?確か、そんなに賢い高校じゃないよね?」

「あぁ、そうだな。でも、俺はどうしても行きたいんだ。一目惚れだったし」

「そう…なんだ……」

「まぁ、だから高校は別々になっちまうなー」


 そうやって、軽い気持ちで、本当に何気ない気持ちでそう言った。

 しかし、どうやら朱音には何気ないことではなかったようだった。


「…ん……して…るの」

「ん?」


 朱音が何かを言ったので、俺は聞き返した。

 すると、朱音は少し声の大きさを上げてもう一度同じことを言った。


「何でそんなに平然としていられるの!」

「え……?」


 俺はびっくりした。そんな大きな声をだすタイプじゃなかったし、俺たちは喧嘩を一度もしたことがなかったからだ。


「いや…平然とか意味が…」

「一緒の高校に行こうって言ってたじゃん」

「そうだな。一緒の高校に行けるように、どっちも勉強頑張ったもんな」

「なのに、なのに…なんでなの……」

「いや、あくまで一緒の高校に行くことが可能なようにしておくために、二人とも勉強を頑張ろうって意味で…」

「私、嬉しかったのに…。一緒に頑張ってるんだからって考えると、どんなに辛いことにも頑張れると思えてたのに…」


 俺は正直考えてなかった。

 別に、一緒の高校に行かなくても、付き合ってさえいればいつでも遊べるし、デートできるし、それでいいと思っていた。


「それは悪かった。でも、俺は公立じゃなくて、賢い私立高校でもなくて、赤谷高校に行きたいんだよ!」

「そんなの…」

「それに…」


 俺は思っていたことを言いかけて…やめる。

 本当に言っていいの分からなかったので、少し考えた。


「……何?」


 言うかどうか悩んでいるとき、ふと朱音を見た。

 すると、朱音は今にも泣きそうな、というより涙目になっていた。

 その姿を見て、今は言いかけてしまったことを言わない方が、朱音を傷つけると考えた。

 だから、思っていることを素直に伝えることにした。


「朱音が合わせたらいいんじゃねぇの?」


 俺は目をそらしながらそう言った。

 すると、朱音は目を見開いて、一瞬動きを止めた。

 そして、再び動き出すと、ゆっくりと口を開いた。


「……何で、そんなこと言うの?私が…勉強してた意味を無下にするようなことを、どうして言うの?一番努力を知っている海斗君が、どうして…」


 朱音は、そう言いながら一筋の涙を零した。


「そんなこと言われたって……」


 俺は正直困っていた。

 確かに頑張っていた。俺じゃできないくらい、朱音は努力をしていた。それはすごいし、尊敬してしまうほどだった。

 でも、俺だって譲れないことだってある。


「俺だってさ、別に朱音の努力を否定するつもりはない。だけど、そんなに一緒に行きたいんだったら、朱音が合わせてくれたらいいじゃん。って思っただけで……」

「そんなの嫌」

「そう言われても……」


 俺は朱音を大切に思っている。だから、朱音が傷つくことはあまり言いたくないししたくない。

 だから、何とか丸く収まる方法を考えていた。


 しかし、そう考えているのは俺だけなのか、朱音は自分の言いたいことを、言ってくる。


「下の人が上の人に合わせるのが普通じゃん!どうして上の人が下の人に合わせないといけないの?おかしいじゃん!」



 ━━プチンッ!



 俺の心の中で何か大切なものが切れる音がした。


「そんなの違うだろ」

「なにが違うのよ!」


  俺は、絶対零度の声でそいった。しかし、初めから怒っていた朱音は声を荒げて返してきた。

 だから、俺も声を荒げて言う。


「高校は恋人のために行くんじゃない!行きたいから行くんだ!」

「そうだけど……それでも、一緒に行けるだけの、同じだけの学力があるじゃん!」

「別に自分の持っている学力に見合った高校に行く決まりなんてねぇだろ」

「そんなのおかしい!」

「何がだよ」

「…分からない」

「じゃぁ、正しいんだよ」

「それは違う!」

「違わない」

「違う」

「……」

「……」

「……」

「……」


 俺たちは睨合う。


「意味が分かんねぇ……」


 俺はぽつりと本音をこぼす。


「……どうして、分かってくれないの?」


 朱音も、すがるような声でそう言う。


 俺たちはため息を吐いた。



「ダメだ。別れよう」



 俺は自然とそう口にした。


「感性が違いすぎる」


 本当に、それだけで言い切れた。

 どれだけ仲が良くても、どれだけ好きでも、考え方が根本的に違う。俺は一緒に居ることだけが善だと思わないし、恐らくその考え方が変わることは無い。

 だから、俺は別れを切り出した。


「…………そう、だね」


 俺たちはしばらくの間黙っていた。そして、数分が経った後、俺が口を開いた。


「……じゃぁな」

「……うん」


 俺たちは違う方向のため、それぞれ別の方向に歩いて行った。


 「また明日」は、言わないまま……


 そして翌日。高原海斗と志水朱音が別れたというニュースは、学年中に知れ渡り、衝撃を与えた。




 これで終わったと思っていた俺だったが、衝撃の事実を知ったのは、合格者発表の日だった。

 合格していることは、自己採点をしなくても分かっていたので、問題は何問、間違えたかだった。


 私立赤谷高校には首席制度がある。

 毎年入試の点数がもっとも高かった人を首席とし、入学式で新入生代表のスピーチをすることになる。

 そして、首席の人は、例年名前付きで張り出されるのだが……、


「お、俺の名前がある……え、何で?」


 俺はその張り紙を見て驚いた。俺の名前が書いてあったからじゃない。俺と同じぐらいの学力の持ち主がいて、名前が二人分書いていたことにでもない。


「なんで朱音が……」


 俺はびっくりしすぎてただただ見つめるしかできなかった。


 俺が驚きすぎて立ち尽くしていると、


「……海斗君。久しぶり……」


 背後から、聞きなれた声が聞こえてきた。


「……あぁ、久しぶり」


 俺は、振り返りながら返事をする。

 毎日学校であっていたのだが、面と向かったのは本当に久ぶりだった。


「何で朱音がここに?」


 俺がそう聞くと、朱音は低い声で話し始めた。


「……仕返し」

「へ?」


 俺は驚いて思わず変な声を出してしまった。


「なんて?」

「仕返し。私の夢を壊した仕返し」

「何で?」


 俺は意味が分からずに朱音に聞く。


「海斗君と別れてから、スランプになったの」

「はぁ」

「だから」

「何で?」


 詳細をお願いすると、朱音は淡々と話してくれた。



 どうやら、俺と別れた後の朱音の成績は日本の川のように急降下で、このままだとまともな高校にも行けるか怪しいと言われるほどだったらしい。

 勉強する理由がなくなり、努力をしなくなった。いや、そうじゃない。できなくなったのだ。

 そのため、成績は下がった。もちろん、このままではまずいとは分かっていて、ちゃんと勉強しようともしたらしい。しかし、どうしても勉強をすることができなかった。

 どうしようもなく、悩んでいたところ、友人に相談した。

 すると、


「仕返しをすればいいんだよ」


 そう言っわれたしい。


 どうやら、俺が赤谷高校の首席を狙っていると言う情報を知っていたらしく、


「だったら朱音が代わりに首席になって、高原君を見返してやればいい」


 という提案をしてきたらしい。

 朱音も、追い込まれていたこともあって、物は試しと言うことで復讐のために勉強を始めたらしい。

 すると、どうしたことか、テストの点数は元に戻るどころかさらに良くなり、成績は見る見るうちに上がっていったという。



 と、まぁこんな感じらしい。


「でも、どうやら俺レベルで止まったみたいだな」

「…うん」


 俺たちは少し気まずかったが、それでも少しは話すことができた。少しだけ。


「…じゃ」

「……ん」


 俺は呟くようにそう言い、朱音も呟くように言った。




 なんて言う感じで、俺と朱音は同じ高校に通うこととなった。

 いや、どっちかというと俺を追いかけて朱音が来たって感じか。まぁ、そんな細かいところはどうでもいいけど…。


 そんなことを考えている間にも時間は進んでおり、気が付くと遅刻が少し危うい時間になっていた。


「そろそろ出ないとな」


 俺は玄関に向かい、靴を履いて鏡を見る。


「寝ぐせよし。襟よし」


 俺はおかしなところがないことを確認し、誰もいない家に向かって「行ってきます」と言った。


 高校生になった時。つまり、4月からこのマンションの501号室に引っ越してきて、一人暮らしを始めた。

 親に土下座して頼み、首席をとったら許可してやると言われたので、俺は死ぬ気で勉強して首席をとった。だから、一人暮らしができている。


 俺は、まだ新鮮に感じる玄関の扉を開けた。


━━ガチャッ。

━━ガチャッ。


 俺が扉を開けたと同時に、もう一つの扉が開いた音がした。その方向を見ると、すぐに分かった。どうやらお隣さんの部屋の扉らいい。


 俺はふと秀真に聞いた噂を思い出す。



━━お前のマンションに、美人なが引っ越してきたらしいぞ



 俺はドキッとした。

 いったいどんな人なのだろうか。俺は期待が膨らむ。


 これからしばらくの間、お隣さんとしてお世話になるんだ。しっかりと挨拶をしておこう。

 もしかすれば、恋に発展したり…なんてことがあるかもしれない。


 ほぼ同時に扉が閉まり始め、お隣さんの姿が見えだす。

 俺は、深々とお辞儀をして挨拶をした。


「あの、4月からここに引っ越してきました高原海斗です!これからよろしくお願い……」

「あの、4月からここに引っ越してきました志水朱音です!これからどうぞよろしく……」


 俺とお隣さんの声がかぶる。そして、どこかで聞いたことのある声が聞こえた。

 俺はゆっくりと顔を上げる。


「朱音?」

「海斗君?」


 俺たちは、また声が重なりながらそう言った。


「朱音が、4月に来た、美人……」

「海斗君が、4月からここに引っ越してきた、イケメン……」


 俺たちはともに困惑する。

 イケメンがどうのこうのと聞こえた気がしたが、今は聞こえなかったことにしよう。それどころではない。


 俺のお隣さんは、美人と聞いていた。そして、確かに美人だった。しかし、何か違うような気がする。

 期待通りの美人で、俺のタイプドンピシャの美女。だけど、これは納得できない。いや、してはいけない気がする。


「まさかお隣さんが朱音だったとはな…」

「そう、だね。まさかお隣さんが海斗君だったなんて…」

「一人暮らし?」

「うん。海斗君も?」

「うん、俺も」


 少しの沈黙があった。


「なんか、奇妙な偶然だな…」

「そう、だね…」


 今まで会うことのなかったお隣さん。そのお隣さんが美人だけど納得のできない女。

 昔のことについて少し思い出した今日に限ってあってしまうなんて…。本当に、奇妙な偶然だな。



「神様。俺の期待を返してください」


 俺は祈るように、神様にささやいた。

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