4話 元カレは意外とおモテのようです〈上〉

 私はすごく落ち込んでいた。

 何もかも嫌になり、全てを捨ててしまいたいと思うほどに。



 11月29日。私は人生の中で、初めて学校を欠席した。



 インフルエンザになったわけでもない。ただの仮病だ。

 どれだけ高熱を出しても、学校は平然とした顔で登校していた。そんな私が初めて休んだ。

 

 11月28日。前日のことだ。

 私の人生を大きく変える出来事が起きた。


 それは下校中のことだった。

 いつものように、本当にいつものように彼氏と下校していた時のことだった。突然すぎて、理解するまでに半日ほどかかったことを、今でも覚えている。


 私たちカップルはとても仲がいいことで有名だった。喧嘩もなく、お互いがお互いにデレデレだったというのは、自分たちでも分かっていた。

 そんな私たちが、別れることになった。理由は、単純にすれ違い。というか、恋人というものの考え方の違い。それだけだった。


 勢いでかどうかは知らないが、別れの話を切り出したのは彼からだった。そして、私は勢いで同意してしまった。

 しかし、後悔はそう遠くないうちにきた。


 世界の全てが嫌になったと言えば、大げさに聞こえるかもしれない。けれど、私にとってはそれほどのことであった。

 寝てしまって、何もかも昨日のことにしてしまおうとも思った。それでも、瞳をとじると、思い出が瞼の裏に映る。


 私、志水朱音は、初めて人を好きになり、初めて彼氏ができ、初めて失恋をした。

 そのすべての初めてを教えてくれた元カレ、高原海斗。彼には感謝しかない。


 しかし、私は彼をさらに使った。勉強ができない言い訳、上手くいかなかったときの言い訳。そんな酷い使い方をしていた。

 そしてあの日、友達に言われた。



━━仕返しをすればいいんだよ



 正直ゾッとした。これを言った友達にじゃない。これを得策だと瞬時に判断した自分の脳にだ。


 そして、その日から海斗君の行く学校の主席を目指した。「自分は本当ならもっと上を目指すことができたが、あえてこの学校にした」ということを分からせるために。


 あの日、海斗君が私に言ったように。


 目標ができた私は、みるみるうちに成績が伸びた。その時に感じたことは、「やっぱり私は海斗君への思いでしか勉強することができないんだ」だった。

 そして、私はそのまま受験に臨んだ。


 結果は二人同率の主席。順位は正解数で私が負けた。結局天才には敵わなかった。

 ただ、一つの収穫とすれば、私の名前が主席として載っていた時の海斗君の驚いた顔を見ることができたことだ。

 そして、私のただ一つの心配はなくなった。


「もしもまた、海斗君と面と向かって話したとき、私は海斗君のことをどう思うのか」


 心配無用だった。私は確信した。「あぁ。まだ私は海斗君のことが好きなんだ」と。

 そんなことを思い出していた矢先、友達の泉ちゃんから聞いていた、イケメンで噂のお隣さんと出会った。私のタイプが全て詰まっているような完璧超人。

 私の『元カレ』、高原たかはら海斗かいと君に。



「はぁーー」

「どうしたの?朱音ちゃん。そんなに大きなため息なんてしてたら、幸せが全部逃げちゃうよ?」


 大きなため息をした私に話しかけてきてくれたのは、亜麻色の髪を、短く切って整えてあり、大きくクリっとした茶色の目が特徴的な、私の友達の春川はるかわいずみちゃん。


「そうだよね……。私の幸せは全て逃げちゃったかもね……」

「もしかして、例の噂?」

「噂?」


 私は噂というものにいい印象がない。だから、あまり好きじゃない。

 だからなのか、私の耳には噂が流れてこない。


「知らないの?『あの首席コンビが付き合っているらしい』って言う噂」

「…へ?」


 私は思わず間抜けな声を出してしまった。


「また面白い噂だよね~。というか、朱音ちゃんの噂、一週間でいくつ出てくるの?」

「えっ…!私の噂って、そんなにあるの?」


 衝撃的なことを、泉ちゃんは何事もないかのように話す。


「あるよ。例えば、『志水さんは、男に興味がないらしい』とか、『志水朱音には彼氏がいる』とかがあるよ」

「そんな噂、聞いたことないんだけど…」

「ほんとに?でも、確かに迷惑だよね、そうい噂」

「たしかに、私は男に興味ないわけじゃないし、彼氏がいるわけでもないもんね」

「でも、今回のはまたピンポイントだったね。確か……高原海斗君…だっけ?確かにあの人かっこいいけど……何でなんだろうね」

「あの…さ。その噂って…いつ頃から始まった?」


 私はもしかしたらと思い、聞いてみた。


「え?今日だったと思うけど……何か心当たりでもあるの?」

「えーと。実は今日一緒に登校してきたんだ…遅れそうだったから……」

「そっかー……って、え?一緒に登校してきた?男の人と?私でもそれはびっくりするよ」

「だよね……私もびっくりしたよ」


 まさかお隣さんが海斗君だったなんて。


「なるほど…。その異様な光景を見て、こんな噂が生まれたってわけなんだね」

「そう…みたいだね」

「それにしても、迷惑だよね。そんなことで」

「そうだね……海斗君に、迷惑…だよね……」

「え?」

「…だってそうだよね……私と登校しただけですぐに噂になるなんて」


 驚いている泉ちゃんを見て、私は咄嗟に違う理由を作った。


「なるほど。やっぱり朱音ちゃんは優しいね」

「え?」

「だって、自分のせいで噂の渦中になる人がかわいそうだと思ってるってことでしょ?」

「えーと。まぁ、そんな感じかな?」


 私は、少し違うけどそういうことにしておいた。優しいと言われるのは 嫌じゃないし。


「…ほんと、私とは大違い……本当に優しいんだね」

「ん?」


 私は少し変な気持ちを覚えた。何か、今まできいたことのないような、真剣な声。心の声というのか分からないけど、そんな感じの深い声だった。


「いや、泉ちゃんは少なくとも私が会ってきた人の中で一番優しい人だよ」

「ありがとう、朱音ちゃん。やっぱり優しいね」

「えーと…」


 私は、何か触れてはいけないことに触れてしまった気がした。


「ところでさ、朱音ちゃん」

「何?」


 先ほどまでの暗い感じとは一転、何か楽しそうにしている泉ちゃんが、こちらを見て尋ねてきた。


「さっき、男に興味ないわけじゃないって言ってたよね?」

「う、うん」


 何でそんなことを覚えているのかと聞きたかったけど、ぐっとこらえた。


「それじゃぁ……そろそろ彼氏とか作らないとね」

「……」


 あまりにもらしくないことを言うので、私は少しびっくりした。


「何でそんな急に?」

「いやさ、私ずっと朱音ちゃんは男に興味がないんだと思ってたから、何も言えなかったんだけど、別にそうじゃないならガンガンせめていった方がいいと思ってたから」

「な、なるほどね…」

「どう?誰か興味ある人とかいる?」

「えーと、興味ある人?」

「そう!興味がある人。この人いいなぁとか、この人かっこいいなぁとか、そんなんかんじで少しでも興味がある人」

「えーと…いない……かな?」

「それなら高原君なんてどう?男子の中では学年1だと思うよ?」

「……それだけは無いかな」

「え?」


 泉ちゃんが、すごく驚いた声を出した。


「何で?そんなに嫌いなの?」

「そうじゃないけど……」

「じゃぁどうしたの?」

「うーーん」


 元カレだとは言えば、もしかしたらもう二度と付き合うことができなくなるかもしれないし…。ここは素直に好きだって言っておくべきなのか……な。


「好きなんでしょ?高原君のこと」

「へ?」

「今、そんな顔になってた」

「え、ほんとに?まずいな……」


 本当にまずいと思う。泉ちゃんには今から伝えようと思っていたからいいんだけど、もしも他の人だったら良くない。


 まだ入学して一週間。こんなに早くに私が海斗君のことを好きだって噂が立つば、きっと海斗君に迷惑がかかる。

 だから、本人にも悟られないように、嬉しい気持ちを抑えて、今日をやり過ごしたのだから。


「安心して。別に誰かに言ったりはしないから」

「そうだね……うん。実はそうなんだ」

「まぁいいんじゃない?高原君かっこいいし、美人の朱音とお似合いだと思うんだけどな~。私的には一番しっくりくると思うし」

「そうだよね。それは良く言われてたかな」


 中学生の時のことを少し思い出す。

 周りには、「おしどり夫婦」って言われたこともあった。「夫婦」と言われることは嫌じゃなかった。それに、真剣に結婚もありかなとか考えてもいた。

 あくまで、考えたこともあって…って程度で、別にそこまで重く考えていたわけではない。

 ただ間違いないことは、私は海斗君のことがとても好きであって、今でも同じくらい好きだということだ。


「よく言われてた?」

「あ、うん。私たち同じ中学校なんだ。だからその時にも友達によくお似合いだと思うって言われてたんだ」

「へー。二人が同じ中学校だったなんて初めて聞いたよ」


 私は、少しだけやってしまったと思った。何となく思い出したことの流れで、ついうっかり口を滑らせてしまった。


「確かに、言ってなかったもんね」

「と言うことは、中学生のころからずっと好きってことだよね?」

「そう言うこと……かな」

「えー。それすっごく可愛いじゃん!」

「どういうこと?」

「乙女だな~って、いうこと」

「なるほど」

「いいな~。青春してるな~」

「そういう泉ちゃんはどうなの?」


 私は、何とか話題を変えようと、気になっていたことを聞いた。


「え?私は…いるとも言えるしいないとも言える…かな?」

「なるほど……気になってる人がいるって感じかな?」

「……まぁ、そんな感じかな」

「へー」


 何だかすんなり言われたので、本当かどうかはいまいち分からなかったけど、なんとなく泉ちゃんは本当に誰かを気にかけているような気がする。


「それよりさ、朱音ちゃん!」

「な、何?」

「高原君、すごくモテるよ?」

「……そうだよね……」

「アタックしないの?」

「……少しだけしてみようかなとは考えてる…けど……」

「思いたったらすぐ行動!って言いたいんだけど…長い片思いだもんね…」

「それはそうなんだけど……」


 私は一つ引っかかったことを聞いてみた。


「海斗君って、どれくらいモテてるの?」

「そうだね…この一週間で30人くらいは告白したって聞いてるよ」

「さ、30人?お、多い……」

「いやいやいや。朱音ちゃんの告白された人数50人だよね?それで多いって言うのはどうかと思うんだけど…いや、多いね確かに」

「んーーー」

「まずいんじゃない?急がないと」

「そうだね…」


 確かに泉ちゃんの言う通りだとは思う。

 だけど、さすがに一度別れた相手だ。そう簡単な話ではないことは分ってる。


「まぁ、朱音ちゃんが決めることだけどね」

「……うん」

「自分がいけると思ったタイミングでいけばいいと思うよ」

「分かった。頑張ってみる」

「うんうん。頑張ってね」


 こうして私たちはお別れをした。

 私は徒歩で登校しているが、泉ちゃんは少し遠いため電車で通学している。私たちは、いつも駅まで一緒に登下校している。


「アタック…か……」


 考えていなかったわけではないけど、実際にするって言っても何をすればいいんだろう。

 何もないフラットな状態からの人たちとは違う。もう一度振り向かせる必要があるんだもんね。どうすればいいのかな?

 告白?確かに私から告白したわけではないから、告白してみるのもありかもしれないけど…。それで付き合うことになっても、私がずっと好きだったから仕方なく付き合ってあげたみたいになるもんね。それはなんだか嫌だな…。


 やっぱり海斗君に告白させたいな。いや、最後の最後に私が告白するのはいいけど、やっぱり相思相愛になってからだよね。

 そのためには、私から積極的に関わったほうがいいよね……。でも、海斗君と関わる機会なんてないしなぁ。クラスも違うし…それよりも、今の状態で学校で関わったら、本当に噂通りだったんだって思われるかもしれないしなぁ…。


 やっぱりモテるみたいだし…いつ、彼女ができるかもわからないし……どうしよう。迷ってる暇なんてないのに、どうしてもプライドとかそういう類のものが邪魔になってうまく行動できないというか、感情に従えないって言うか……。

 つくづく思うのが、


「あぁ。私って、思っているより恋してるんだな」


 だった。

 それを最近また感じてる。結果発表の日、合格や首席よりも嬉しかったこと、それは「海斗君と普通に話せたこと」だった。

 もっと嫌いになっていると思っていた。もっと嫌われてると思っていた。なのに、海斗君も私も、嫌いにはなっていなかった。たぶん…。


「また行きたいな。水族館とか遊園地とかショッピングモールとか。海斗君と……」


 私はそう呟いて、歩き出した。

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