11話 元カレの思い込みは誰よりも重症です〈下〉
『ピピピ、ピピピ、ピピッ』
朝の6時。
携帯から放たれるアラームの音で目を覚ました俺は、その勢いで体を起こした。
「ふぁぁ~」
ゴールデンウイークが始まった。
ここから長い休みが始まる。
だからと言って、俺は起床時間が遅くなったりすることは無い。
休みとはいえ、勉強を怠ることは無いし、そもそも課題も出ているので、明日までには終わらせようと思っている。
「さてと、今日も一日頑張りますか」
俺はそう呟くと、カーテンを開けて伸びをした。
それから朝ご飯を食べ、さっそくリビングのテーブルに向かった。
一人暮らしなので、自室に机を置いておらず、リビングでするのが日課だった。
俺はさっそく数学の課題と参考書を開き、勉強にいそしんだ。
「疲れたー」
あれから4時間程ぶっ通しで勉強をしていて、気が付いたらもう11時になっていた。
「腹減ったな…」
俺はグーとなったお腹をさすりながら、冷蔵庫を開いた。
「何もない…な」
扉の向こうには、何もなかった。
ここ最近、スーパーへ行ってなかったからだろう。
「外食にするか…」
俺はそう呟くと、勉強用具を準備して玄関を出た。
勉強道具を準備したのは、その足で図書館に行こうと思ったからだ。
あそこには自習スペースがあり、それに加え環境が変わるので気分も変えられる。
そして何より、本がたくさんあるので、勉強の合間の息抜きが可能だからだ。
「疲れた…」
図書館を出た俺は、携帯を取り出し、電源を入れながらそう呟いた。
電源を切っていたのは、勉強の妨げにならないようにするためだ。
「18時か」
電源のついた画面に映し出された時刻を確認した俺は、ちゃっちゃと家に帰ろうと思い、早歩きでマンションへと向かった。
マンションに着いた俺は、階段を上がりながらふと気が付いた。
もしかしたら、今日もいるかもしれないな、朱音…。
いたら、絶対に言わないとな。できるだけ優しく、変に勘ぐられないようにと心の中でもう一度確認した。
廊下に出ると、案の定朱音がいた。
いつものように、扉にもたれながら待っていた。
「よう、朱音」
「あ、海斗君」
俺が話しかけると、朱音はこちらに気が付いて振り向いた。
そして、朱音は前と同じように、また俺をさそってきた。
「今日は…ご飯一緒にどう?」
「いや、悪いな。今日はもうあるんだ…」
言わなければいけない。
でも、何故だろうか。こんな風に誘ってくれる朱音に、どうしてもまだ可能性がるんじゃないかと思ってしまう。
分かっている。それは俺の願望であって、事実ではないことは。
だから、朱音のためを思うなら、言ってあげないと…。
「じゃぁ、明日は?」
俺がそんな風に葛藤していると、朱音は今までとは違ったアプローチをしてきた。
「いや、明日の分ももう買ってる」
「じゃぁ、明後日…」
「明後日の分もある」
まるでいたちごっこだった。
次の日、また次の日と、このまま永遠に続きそうだった。
「じゃぁ、その次の日…」
どうしてそこまでして俺を誘う。
何が目的なんだよ。
もういいだろ。
朱音には、俺以外にいるだろ……。
これ以上、俺に夢を見させないでくれよ…。
そして、俺の中に何かが渦巻く。
黒く、禍々しい煙のようなものが。
俺は、心がすさんでいくのを感じた。
しかし、それを止めることは、もうできなかった…。
「その次の日も、そのまた次の日も、もう計画してんだわ」
抑えられない。
それが分かった俺は、早く一人になろうと思った。
せめて一人に慣れれば、誰にも被害は出ない。
だから、そう言うと、俺は足早に玄関の扉に鍵を刺し、すぐに開けてドアノブを握った。
すると、そんな俺を呼び止めるように、朱音が俺に呼びかけた。
「どうして、私のことを避けるの……?」
それは、決して大きな声ではなかった。
それでも、俺の心には、十分すぎるぐらい深く突き刺さった。
それだけ。たったそれだけで、俺の中の黒い何かが、口からこぼれた。
「俺たちはもう、別れてるんだよ…」
俺はそう告げると、そのままドアノブをひねった。
朱音は、もう呼び止めることはなかった。
「……」
部屋に入った俺は、かばんを傍らに置き、ベッドに寝転がった。
「あんな事、言うつもりじゃなかったのに……」
覆水盆に返らず。
今の俺にはまさしくピッタリの言葉が頭に浮かんだ。
「そんなことは無いと思ってたけど、結局、そう言うことなんだ」
俺たちの仲がもどることは、なかったのかもしれない。
もし、あの時気まぐれで出かけなければ、今もまだ夢を見れていたのかもしれない。
もし、あの時「別れよう」なんていわなければ、今もまだ夫婦のような仲のいい恋人だったのだろうか。
もし、あの時俺が赤谷高校の文化祭に来ていなければ、あんな喧嘩はしなくてよかったのかもしれない。
そんなことを考えたって、後の祭りでしかないことは分っていた。
でも、どうしても考えずにはいられなかった。
「はぁ…」
俺はため息をついた。
「やばい、おちる…」
そして、勉強で疲れたのもあったのだろう。
そのまま深い眠りにおちた。
翌日も、朝早くから勉強を始めた。
昨日終わりきらなかった課題を終わらせるためだ。
2時間程で、課題が終わり、俺は次に何をしようかと考えた。
そんなとき、携帯から着信音が流れてきた。
「ん?誰からだ?」
俺はそう呟くと、携帯を手に取り相手を確認した。
「春川?」
意外な相手だったことに、俺は驚いたが、すぐに我に返った。
「もしもし」
「あ、もしもし。ごめんね、急に電話なんてかけて」
「いや、いいよ。それよりどうしたんだ?」
俺は、どんな意図があって俺に連絡をしてきたのか気になったので、要件を言うように促した。
「えっとね、単刀直入に聞くけど」
「うん」
「最近朱音ちゃんとどんな感じ?」
「ッ…」
春川は、何でもないような口調でそう言った。
いや、そうだ。春川は何も知らないんだから、当然か。
俺は急なことに少し焦ったが、すぐに頭を切り替えて、いつもの調子で答えた。
「いや、特に何にもないぞ?」
「そうなんだ…」
俺がそう答えると、春川は少し声の調子が変わった。
多分、俺と朱音の進展がないから、残念だなと思ってくれているのだろう。
でも、それなら、言わなければならないだろう。
俺がもう朱音を狙わないと言うことを…。
俺はそう思うと、すぐに春川に伝えることにした。
「あのさ、春川さん」
「え、はい?」
「実は、もう、朱音のことは諦めようと思ってるんだ……」
「………………え?」
俺がいつもの調子でそう言うと、長いための後、そんな言葉が返ってきた。
「どうして?」
「いや、まぁ、えっと…」
「嫌いになったの?」
「いや、そうじゃないんだけど…」
「じゃぁ別に好きな人ができた?」
「いや、それも違うくて…」
春川は、俺と会ってから一番の動揺をしていた。
そして、俺もどう答えていいか分からなくて、上手く返せずにいた。
「じゃぁ、どうして…?」
「俺じゃ届かないかな……と思っただけ…かな」
俺は答えてからピンときた。
あぁ、そう言うことだ、と。
俺が朱音を諦めたのは、俺では手が届かないと思ったからだった。
「え?どういう…意味?」
そんな俺の答えに、春川は全く意味が分からないと言った様子だった。
「そのままだよ。俺では朱音には届かないなと思ったから諦めたんだ」
「……」
俺はもう一度そう言った。
そして、数秒間沈黙が続いた。
「そんなの違う、絶対に大丈夫!なんて、私はそんな無責任なことを言うことはできないから、変な励ましはしないよ」
「うん」
「でもね、高原くん」
「…」
スーっと息を深く吸う音が、電話越しに伝わってくる。
そして春川は、子供にものを教えるような感じで、俺にこう言ってきた。
「それでも、ね。もう一度だけ、考え直してくれないかな?」
その言葉には、どんな意味が込められているのか、分からなかった。
でも、何故だか心に響いた。
「……」
俺は何も返すことができなかった。
「じゃぁ、ごめんね。また何かあったら連絡してね」
そんな俺の心中を察してか、春川は静かに通話を切った。
俺は、何も考えられないまま、ベッドに横になった。
一時間か、それ以上か、あるいはもっと短かったか。どれだけ経ったかは正直分からないほど時間が経過した。
俺は鮮明になってきた脳みそで、先ほどの春川の言葉を復唱した。
「もう一度考え直す、か…」
思いつきもしなかった。
そんなことを、昔から一度もしたことが無かった。
自分の出した答えが全て正しくて、間違っているだなんて疑ったことが無かった。
可能性があるとは思ったことはあっても、心の中では多分あってるんだろうなと思っていた。
「本当に、俺が間違っているのだろうか…」
もし、本当にあの時朱音が秀真と一緒に居たことに、デートではない理由があったとしたら。
もし、朱音が秀真に好意を持っていなかったとしたら。
もし、朱音がまだ俺に好意を持っていたとしたら。
そんな、ポジティブな考え方を、俺は一度でもしただろうか。
いや、していない。
俺は自分に都合のいいことは起きないと考えながら生ききた。だから、そんな考えはしていない。
俺は真実を調べるために、もう一度携帯を手に取った。
そして、ある人物にメールを送る。
━この休暇中、暇な日ってあるか?
俺はそう送った。
しばらくして、返信が来た。
━明日以外なら、いつでも空いてるぞ
俺はそれを読むと、明後日に約束を取り付けた。
相手はもちろん平川秀真だ。
そして翌日、俺はマンションの廊下で倒れているところを、住人に発見され、救急車で搬送された。
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