第38話

 ラボの火災報知器が鳴りだして3分後に、警備員と施設管理員、そして消火器を持った伊上看護師の3人が駆けつけてきた。警備員は鍵束と無線機を握りしめている。

「こちら現場です。真火災です……が、こりゃ、何だ……」

 彼ら3人が見たのは、燃える研究室、破壊された設備、血を流してうめく3人のドクター、そして新生児用保育器を抱えて立つ私だった。

 ドクターの1人は鎖骨を、もう1人は胸骨を砕かれている。吉野ドクターは下顎を粉砕されのたうちまわっている。

 ドクター3人の物理的抵抗により、私の頭部と脚部は破損状態が酷い。特に頭部は液体窒素を浴び、バーナーで焼かれたため、ラバーは一部剥がれ金属部分が露出してしまっている。

 そして私が手にした保育器の中からは、火災報知器と同じくらいに大きな泣き声が聞こえてくる。


「な、何よこれ!」伊上看護師が叫ぶ。


 警備員は、吉野ドクターの側に転がっているバーナーのスイッチを切った。このバーナーの炎が書類とアルコールに引火して火災となっていた。

 続いて警備員は、血に濡れて床に転がっている消火器を使って消火活動を始めた。そして、倒れて汚物を床にこぼしている大型のペール缶を見つけ、そこにある物を見てうめき声をあげる。

 血塗れの胎児の姿を何体か確認したからだ。

「あんたたち! ここで何してたの!」

 伊上看護師は倒れているドクターの1人、右鎖骨を砕かれている男の胸を踏みつけた。そして手にした消火器のピンを外しノズルを男の口に勢いよく突っ込む。前歯が数本折れたらしく男は悲鳴と共に口から血とよだれを垂れ流す。

「私ね、今職業意識だけでかろうじて殺意を抑えてるの、わかる? わかったらここで何やってたのか言いなさい! 消火液ぶちこむわよ!」

 男は涙を流しながら血塗ちまみれの口でしゃべり始めた。数年前から独自でデザイナーベイビーの研究をしていた。カネになるから院長は黙認していた。そこに新城黎が偶然にも入院してきた。新城黎の血液や髄液ずいえきを採取して研究を進めた。吉野ドクターの提案で精子もマリアを使って採取した。

「卵子バンクからランダムに選んだ卵子を使って新城黎のクローンの作成をした。どれも上手くいかなかった。デザイナーベイビーは皆若くして亡くなっているため、新城黎の精子は貴重品だ。それなのにあのAIが、緊急停止信号も受け付けないAIが、液体窒素のタンク内で凍結保存させていた貴重な精子を全てダメにした」

「なんてことを……」


 レイは私の設定を書き換えていた。

 レイが私に出した最後の命令、それは、私自身が私の行動を決定しろ、というものであった。

 そして、私の内部から、緊急停止機能を含め、行動、出力、怒りの表現、その他あらゆる制限を取り外していた。唯一「殺してはいけない」という設定以外は。


「頼む、あの暴走AIをなんとかしてくれ!」

「暴走してるのはあんたらだろ!」

 そう叫んだ伊上看護師は消火器のハンドルを力強く握った。消火液が音を立てて勢いよく発射され、男の口と鼻から逆流した消火液が噴出した。


 警備員がホースで消火活動を開始し、設備管理員が消防に緊急連絡をしている。

 私は、保育器を持って歩き始めた。

「マリア! どこ行くの!」伊上看護師が叫ぶ。

「この子の家に……」

「黎くんの? わかった、これ使って!」

 伊上看護師は車のカードキーを差し出し、車種とナンバーを伝える。

「私も一緒に行きたいけど、急患3人も増えたからね。それに、あなたが行った方がいいわ」と言った。

「ありがとう」私は言った。伊上看護師は少し驚いた顔をした。

 しばらくして伊上看護師は「マリア!」と叫び私を呼び止めた。

「ちょっと、くやしいわね……あなたたちの子よ! 急いで!」

 炎を背にして、伊上看護師は力強く叫んだ。

 その姿を見て、私は「美しい」という概念を理解した。

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