第37話

 私は吉野ドクターと共に、病院の本館から離れた場所にあるラボ施設に移動した。

 おそらく私は初期化されるのであろう。

 不要な記憶は全て消され、別のマスターの所へ送られる。医療用機器として当然である。


 ドクターは、カードと指紋認証でラボのドアを開けた。

 私もドクターに続いてラボに入る。


 ラボは、各種医療機器開発とメンテナンス、医薬品研究開発、ゲノム研究のフロアに分かれている。吉野ドクターは、自身の専門フロアでなく、ゲノム研究のフロアに向かう。


 ゲノム研究ルームの扉は、内側から開いた。

「お、来たよ備品ちゃん」ドアを開けた男が言う。「やっぱいい身体してるわ」

 吉野ドクターは言った「で、どうだった?」

「天気晴朗なれど波高し、ってやつかな」

「なんだそりゃ」

「クローンは上手くいったんだが、商品価値無いんだわ」

「どういう事だ?」

 奥のデスクに座っている男が、炭酸飲料のペットボトルを飲みながら話を引き継ぐ。

「劉教授のレポートにあった、デザイナーベイビー特有の塩基配列パターンが存在しないのさ。そのかわり、特有のファンコニ経路への遺伝子異常も認められない。だから造血機能に障害がない」

「おい、俺に解るように言ってくれよ」

「つまり、クローンはできたが、能力も障害も受け継いでない。ただのガキだ。アタマも普通、身体も普通。商品価値ゼロ」

 そう言って指を差した先に、大きな培養槽が複数ある。そして培養槽の1つには、丸まっている胎児の姿があった。


「そんな事よりよ、これ使わせてくれるんだろ今夜」

「まあ、約束だからな」

「あんた、あの坊やのところに出す前、何度かやったんだって? で、やった後に初期化して納品と。酷い奴だね」

「まあな、あんまり具合いいんで、初期化して無菌処理まで完了したのにまたやっちまったよ。後で徹夜で初期化と無菌処理する羽目になっちまった」

「それで設定に抜けがあって坂上さんから怒鳴られたんだろ? どうしようもねえな」

「うっせえなぁ、俺1人で使うぞ」

 吉野ドクターは私のナース服に手を入れて、胸をつかんだ。

「俺の協力が無かったら新城黎の精子の入手はできなかったろ?」

「そうだよな、感謝してます」

「あのガキなかなかやらないから、ひょっとしてホモなんじゃないかって心配したぜ」

「あんたなら初日からやりまくるよな」

「当たり前だろ」

 そう言って3人は笑う。


 なんだ、これはいったいなんなんだ。


「しかしあのガキ、自分で商品価値高めてくれて助かるぜ。おかげでスポンサー乗り気で、追加出資決まったからなあ」


 レイが言っていた言葉と、今私の目の前にいる人間たちの言動には大きな違いがある事を、私は認識した。

 レイは言っていた。

「根っからの悪い人なんていないと思うんだ」

 違う。

「病院の人たち、みんな頑張ってくれてる、いい人たちだよ」

 違う。

「世界は残酷だけど、美しいんだ」

 違う。


 この時、私は理解した。

 ここで否定されているものこそが、「魂」なのだと。


「法律や生命も大事だけど、魂も大事だよ。一番大切なのは魂だよ」


「ところで、どうするこれ?」

「新生児の臓器移植の依頼も来ねえし、処分するか」

「そうだな、クローン失敗記録、更新か」

 男は培養槽脇のスイッチを入れた。

 胎児の眠る培養槽から液体が排出されていく。


 その時、私の中で懐かしい声が再生された。

「怒ってよマリア」

 私の中でモードが切り替わり、私は叫んだ。


「ふざけるな!」


 私の駆動系のリミッターは、既に外れていた。

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