第32話

「マリア、僕は怒るって苦手だけど、でも怒るって大事な事だと思う」

 ベッドの上から、レイは私にそうメッセージを送ってきた。

「理不尽な事、誰かの努力を踏みにじるような事、誰かの命を奪う事、そういった事は今も世界中にあるし、今までの歴史の中にもいっぱいあった。でも、世の中そんなものだとか、強ければ何をやってもいいとか、そんな考えはやっぱりおかしいんだ」

「どこからともなく正義の味方が現れてくれるなんて、そんな事あるわけない。でも、正当な怒りの力が、様々な法律や倫理観を少しずつ積み重ねてきて、人間の知性と理性を向上させてきたんだと思うんだ」

「それでも悲劇は消えない。今もどこかで理不尽な目に遭っている人はいる。法律に守られている悪い奴だっている。悲しいよね」

「マリアの行動原理って、何?」

 突然レイが私に質問をしてきた。

「私は医療倫理と法規、ならびにこの病院の規約に従って行動しています。現在はレイの治療及び看護が最優先と規定されてます」

「そうだよね。マリアはそういう風に作られてるから。また質問するけど、マリアが怒る時の基準は?」

「診療に関連する事項を看護対象が故意に否定する時、3度警告を与える設定になっています。3度目の警告を無視した時、モードが切り替わります」

「うん、今の設定はそうなってる。でもねマリア、怒るってやっぱり大事な事だよ。怒らないとわからない人、叩かれないと反省しない人はいる。『ふざけるな!』って怒ったり叩いたりする事が、相手の魂の救済になる事もあるんだ」

 レイは続けてメッセージを送ってくる。

「法律や生命も大事だけど、魂も大事だよ。一番大切なのは魂だよ」

 私は答えた。

「魂。数値化できない概念のため、単語として知っているだけになります」

「いや、マリアは魂を理解できる。今はまだ無理かもしれないけど」

「マリアなら、誰かの魂を理解して、その人のために怒る事も嘘をつく事もできるよ、絶対。だから、誰かの魂が傷つけられるような時は、怒ってよマリア」

「了解しました」


 レイは少し疲れたようだった。

 しばらく目をつぶり呼吸を整え、それから携帯端末の画面に目を向ける。


 画面には、本日発表されたばかりの日本の美術誌のサイトが表示されている。

レイは今日、朝から何度もそのサイトを見ていた。



哀しき超新星「新城黎」

新・美術日本 編集長 内藤浩介


 5年前、「新城黎」という名の、既に音楽界で高明な小学生が二科展に入選した時、やれやれまた話題先行かと苦々しく思ってしまった。

 今私は、その時の自分に審美眼が不足していたと猛省している。この告白をしない限り私に「新城黎」を語る資格は無い、そうこの数週間思い続けていた。この場を借りて謝罪させていただく。


 人間誰しも成長する。技術的向上もある。だがあの時のきれいな絵を描く少年が、5年後にまさか神話級の怪物となって戻ってくると誰が想像し得たであろうか。以前の彼の絵を知る者全てが驚き、そしてはじめて彼の絵を見た者は、彼がまだ15歳になったばかりの少年と知って驚愕する。

 早熟の天才というのは確かに存在する。少年時代のピカソがその代表格であろう。後の作風とは全く違う初々しくも美しい作品を多く生み出している。だが新城黎の作品からは、そのような初々しさを感じる事は無い。感じるのは、圧倒的存在に対する、恐怖、絶望、畏敬、賛美、希望、そして憧憬である。少年期のどの画家とも比較すべきではない。思い切った陰影と光の描写、そして大胆な構図。新城黎の作風は、まさに神話世界を描くために存在するかのようである。

 ギリシャ神話に題材を得た「ネメシス」は、彼の名を世界に知らしめた記念碑的作品である。彼が描いたネメシスは、これまで「復讐の女神」と解される事の多かったこの女神を、義憤による怒り、神罰を下す恐ろしくも美しい存在として、本来のギリシャ神話に忠実に描いている。背景の稲妻を伴う雷雲は、人間が逃れることの不可能な神罰的運命を暗示させ、そして魅入られてしまうほどに美しい女神の怒りの表情の瞳には、抑えきれぬ怒りと哀しみが宿っている。まるでネメシス自体が、来たるべき宿命に向けて怒りを感じているかのようだ。

 また、続けて発表された「エーオースとアルテミス」は、ネメシスと同じくギリシャ神話から題材を得た作品である。太陽と月の女神二神を描いたこの作品は、燃えるような表情と肌の輝きをした太陽の女神エーオースと、静謐せいひつな美しさをたたえた月の女神アルテミスの、炎と水、静と動、情熱と知性といった対照的な美しさが素晴らしい筆致で描かれている。なぜ若干15歳の少年が、かくも女性を官能的に描けるのか。天才とはやはりそういったものなのかもしれない。

 また、怪物の群に単身切り込み仲間のために血路を拓く勇者を描いた「英雄」といった作品もある。これも神話世界を描くにふさわしい迫力ある構図とテーマである。


 新国立美術館で新城黎展が開催されるなど、新城黎は美術界の超新星と言える存在である。だが、その新城黎本人が表に出ることはない。代理人によれば新城黎は病気療養中である。病状はかなり思わしくないとの話もある。更には、新城黎は昨今話題となっているデザイナーベイビーではないかとの噂もある。その噂を基に新城黎の作品を否定する者までいる。

 いい加減にしろと言いたい。もし彼がデザイナーベイビーだとすれば、海外報道を見る限り、彼もまた短命という事になる。第一、彼がデザイナーベイビーだとして、彼に罪があるのか? 彼の作品に罪があるのか? 彼がデザイナーベイビーであるなら、彼の作品の凄みは彼が見てきた絶望の深さと、それでも捨てない希望の輝きから生まれ出たものに他ならない。彼は技巧ではなく魂で作品を描いたのだ。それが判らぬ者に美術を語る資格は無い。

 彼の作品に魂を揺すぶられた私は、そのような論にくみする事は到底できないのである。


 新城黎、彼は本物の超新星のように、突然の輝きと共に消えていく運命なのか。だとすればまさに彼は神話級の悲劇そのものではないか。そのような形で神話を完成させず、奇跡の復活という形で神話を体現して欲しいと切に願う。



 記事を読み終わったレイは、また涙ぐんでいた。

 流れる涙をそのままにし、レイは私にメッセージを送る。

「マリア、キスをして」

 私はレイの口元から酸素マスクを外し、口づけをした。そしてまた酸素マスクを装着する。

 レイの右手の指が、手元にある入力パッドを操作する。私にメッセージが届く。

「また絵を描くね。だから会話ができなくなるけど」

 レイはパッドを使い、私に携帯端末を持つようにメッセージで指示を出した。レイが手元のパッドから直接私の手を操作し、見やすい角度に端末の位置を調整する。

 レイは全身の筋力が衰えたが、指先は比較的よく動く。今ではこの小さなパッドを使い、絵画の大作を描き、私にログインして自身の身体の清拭せいしきも行うまでになっている。

 レイの目は笑っていた。呼吸は苦しそうだが、レイは幸せそうだった。

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