第16話

 看護活動45日目。


 今日は元日と呼ばれる日だ。

 クリスマスイブの夜と同様に、食事はわずかだが通常と違うメニューがあった。だが、レイは食事を半分しか摂らなかった。


 あらゆるデータが、レイの体調の下降を示している。

 それでもクリスマスイブから1週間、レイは気分良く活発に過ごしていた。

 だが昨夜から急に、レイは活動を停止した。好きな音楽も聴かない。必要時以外には起き上がる事もしない。ナースステーションからのコールにも必要最低限の応答しかしていない。林看護師が心配してドクターを呼ぼうと提案したが、「ほっといてくれ!」とレイは拒否した。


 消灯時間となった。アナウンスが入り、天井の照明が消える。

 レイはベッド脇の照明も点けず、ただ携帯端末の画面を見続けている。

 時折り、何かの通知が来るらしく、その時だけレイは反応し、端末上で何かを調べているような動作を見せる。

 23時の看護師によるモニター巡回の時も、デスク上の固定端末のコールには全く反応せずに、携帯端末の画面だけを見つめていた。


 だが、23時30分を過ぎた時、レイの様子に変化が現れた。半身を起こし携帯端末上でニュース画面を見ている。最初は中国語の、次に英語のニュースを真剣な表情で見つめている。

 そして連続してメッセージを受信した音が鳴る。それを確認するレイの身体が震えていた。


「マリア……マリア……」

 今日初めてレイは私の名を呼んだ。小さな声だった。

 私はレイの声がよく聞こえるよう、椅子から立ち上がり、ベッドへと近づいた。

「マリア……つらいよ……なんで僕らはこうなんだろ……なんでだ! ちくしょう! なんで僕らなんだ! なんで僕なんだ!」

 レイは涙を流しながら突然ベッドから立ち上がって私にぶつかってきた。

「なんでだ! なんであんないい人が死んでしまうんだ?」

 レイは私の服を掴み、力強く揺さぶり、私を叩いた。

「なんで僕らはこんな目にあわなきゃいけないんだ! 教えてよ! ねえ! なんとか言ってよマリア!」

 レイに突き飛ばされた私は後方によろめいた。だがセンサーが働き倒れる事はなかった。


「質問の意味が不明です。別の形式で質問してください」

 姿勢を整えて私は言った。

 レイの表情が、つい先程の怒りと悲しみの混在したものではなく、驚きの表情に変わっていた。大きく目を開いて私を見るレイ。変化の理由は分からない。

「マリア……ごめん……ごめんなさい……あの、服……」

 その時私は、自分のナース服のマジックテープが全てはがれて、胸部から腰部まで大きく露出している事を知った。

 先程レイに服を捕まれ突き飛ばされた時にがれたと推定される。

「ごめんなさい。でも……なんで裸な……あっ!」

 マジックテープが全て剥がれたナース服が、私の足元に落ちた。レイが声を上げたのはそれが理由と思われる。


 ナース服を着用していない私の姿を、驚きの表情のまま見つめるレイ。

 私はこの病院内で看護師に準ずる業務を課されている。よって規約に従いナース服を着用する必要がある。私は業務遂行のため、足元にあるナース服に手を伸ばした。


「待ってマリア!」

 私の動作にレイが停止命令を出した。命令は有効。動作を停止した。

「そのまま真っ直ぐ立って。窓の方向いて。そのまま窓の前に歩いて。そこで止まって! 顔を上げて月を見て! マリア、そのまま! 動かないで!」

 私はレイの指示に従い、窓の前に直立した。月齢18の月が目の前にある。

「キレイだ……月の光を浴びて、まるで女神だ。月の女神だ」

 レイはベッドの上にあった携帯端末を掴み、私の周囲を歩き回り、そして私の左前方の床に座り込んだ。

「お願い、そのままでいて、マリア」

 レイは携帯端末の画面にドローイングを始めた。表情には怒りも悲しみもなく、真剣さだけがある。先程までの感情も質問も、今のレイには関係ないらしい。


 20分後、レイの行動はドローイングからペインティングへと移行した。

 その時、この行動を開始してから初めてレイが私に語りかけた。

「ねえマリア、そのままで聞いて欲しいんだ。今から話す僕の事、いや、僕たちの事を」

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