第30話

 現在は21時37分。


 消灯時間となり、レイはベッドで寝ている。

 眠っていないのはいつもと同じだが、今夜は携帯端末も見ていない。

 何かをじっと考えているらしく、無言の状態が続いていた。


「ねえ、マリア……こっちに来てくれる?」

 レイが私に話しかけてきた。

 レイはベッドに腰掛けて、私に隣に座るよう手招きをした。私は指示に従って隣に腰掛ける。

 照明の落ちた闇の中、レイは私の顔を見つめて言った。

「マリア、僕決めたんだ、戦うって」

 レイはそう言って、しかしすぐに訂正した。

「あ、戦うっていうのとは少し違うのかな? あのね、僕、やりたい事をやれなくて終わるのが、やっぱり嫌なんだ。あ、でもさっき伊上さんが言った事と違うよやりたい事って。だってもう、それはやったから……」

 レイはうつむいてしばらく黙り込む。そして両手の拳を握りしめて、思っている事を一気に話し出した。

「あのね、僕、絵を描きたいんだ! 遺したいんだ! マリアと伊上さんのおかげで、描きたい絵が増えたんだよ! 絶対描いて遺したい! 今、他にも描きたいのがあって……描かないで死にたくないんだ!」

 レイは携帯端末を手にして言った。

「だから、ごめんマリア! 手伝って! 一緒に戦って!」

 レイはそう宣言してすぐ、私の同意を待たずに私の中にログインしてきた。

 私の中の、レイに見せてはいけない部分、患者への医療情報提出制限設定に一気に触れてくる。私はアラームをあげようとしたが、全てのアラームの手段がレイによって次々に抑えられていった。

 レイの指が端末上を小刻みに動く。

 私の抵抗は全て無力化され、レイは全ての障壁を突破して私の深部に入り込んだ。

「ここだけじゃダメだ、もっと奥に……」

 レイは私を抵抗できない状態にしアクセスコードを奪い、私の深部からナースステーション経由で医療サーバへアクセスした。サーバの権限を変更してデータを直接入手する。


「当患者において汎血球減少および著しい好中球減少が認められる」

 バグが発生したらしく、レイがアクセスしたデータが私の音声出力のラインに流れてきた。私は自分の口を止める事ができないでいる。

「腰椎 MRI T1 強調画像で腰椎にびまん性高信号、STIR 画像で低信号領域が認められた。造血能低下は既に危険領域である。濃厚血小板製剤を投与したが3週間後も血球回復がみられない。経過中、貧血が進行し Hb が 6 g/dl 以下になり、濃厚赤血球製剤投与を併用したが目立った効果は現れていない。また全身の筋力低下、特に食事中の噛む力と嚥下力低下は患者本人も自覚がある。軽度の誤嚥性肺炎を発症しつつあり……」

「造血細胞移植のタイミングを失した現在、赤血球輸血への拒否反応が認められる当患者に対し有効な対応を見つける事は困難である。誤嚥性肺炎がこのまま進行していった場合……」


「『残り時間は半年もない』か……」


 必要な情報を得たレイは、アクセスの痕跡を抹消してサーバから離れた。

 レイは私からもログアウトしたが、私の内部にはレイの痕跡が完全に残っている。

 疲れた様子で端末を見つめているレイ。

 突如私は、理由もなくレイの頬を叩こうとした。伊上看護師と同じ動作だった。レイの強制的ログインのため私の行動にバグが発生したらしい。寸前で私は自分の行動をエスケープさせた。私の右手がレイの頬の直前で止まる。

 レイが驚いた表情で私を見ていた。


「マリア、怒った?」


 レイは私に抱きついてきた。

「自分勝手な事をしました。ごめんなさい」

 私の胸元に顔を押しつけて、レイは泣いていた。

 今回の医療サーバへの不正アクセス。本来の規定ではナースステーションへの報告義務があるインシデントだが、山中看護副主任からの「今夜起きた事のうち新城黎のバイタルデータ以外の情報は、一切報告の必要はありません」との命令は未だ有効であった。そのためレイがログアウトして私のスレイブ状態が終了した後も、私は一切報告しなかった。


「マリア、残りの時間、僕と一緒に戦ってください。お願いします」

 私の胸元で、レイは私に要請した。

「了解しました」私はそう返答した。

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