番外編 生ガキとクソガキ

 思う存分温泉を堪能した後、マキと浩二は旅館で夕食を食べていた。

 少しランクが高めのお部屋食である。

 旅行の何を醍醐味とするかは、人それぞれだろう。

 観光地や歴史、自然、現地の人との交流といった様々なものを楽しみにしている。


 マキが特に大事に考えている項目は、温泉と食事だ。温泉は先ほど十分に味わった。となれば次は食事だ。


 色とりどりの旬な食材を使った料理が順番に運ばれてくる。

 有名な旅館なだけあって、その質に間違いがない。

 どの一品も思わず唸ってしまうほどに美味い。


「あぁー」


 浩二が日本酒を飲みながら、ため息と吐息が混ざったような声を出している。


(恨めしい)


 生前のマキはビールが一番好きではあったが日本酒も好きだった。

 旅館が提供する豪華な海鮮料理と、日本酒はよく合うことだろう。互いに互いを高め合うマリアージュだ。


「お? 酒が気になる年ごろか?」

「別に……」


 内心の嫉妬を隠しきれず、ぶっきらぼうに返してしまう。


「いくらマキが大人びていても、身体はまだまだおこちゃまだからなぁ」


 浩二に言われずと分かっている。

 マキは転生し、こどもにはない理性も分別もある。そして転生によって出鱈目な演技力も身に着けている。

 だが、どれだけ転生の恩恵があろうとも、今のマキの身体は幼いこどもに過ぎない。

 こどもだからできることもあるけれど、こどもだからできないことの方が遥かに多かった。


「いやー、最高だ!」


 酒に酔ったのか調子にのった浩二が、わざとらしく日本酒を堪能している。


(この酔っ払いめ!)


 マキは浩二に対して復讐を誓った。

 そして、復讐のときは、思ったよりもすぐに訪れる。


 次の料理が部屋に運ばれてきた。

 その料理は巨大な岩牡蠣だ。


「おぉぉー!」

「カキか……」


 料理に対する反応は両極端だった。

 マキは目を輝かせて喜び、浩二は落胆している。


「あれ? カキ嫌いなの?」

「味は好きなんだが生のカキは嫌な思い出があって苦手だ」

「じゃあ私が食べちゃうね」


 マキは浩二の前に置いてある岩牡蠣を奪い取った。

 色艶がよく見るからに新鮮そうだ。

 氷の上に貝殻がのせられており、しっかりと氷で冷やされている。

 ちゃんとした旅館の料理だ。雑な仕込みはしていないだろうし、当たる心配など何一つない。


「やけに自信満々だが、食べたことあるのか?」

「無いけどあるよ」


 山下マキとして生まれて、生の牡蠣を食べたことはない。

 彼女の家は裕福ではなかった。生牡蠣を食べようという選択肢が出る余裕はなかった。


 転生する前はよく食べていた。

 周りでは牡蠣にあたったという声を聞いたこともあったが、転生前に生牡蠣を食べても当たったことはなく、好物の一つだ。

 どれだけ生牡蠣を食べても当たらないことは、密かな自慢でもあった。


「ん~、プリプリでクリーミー」


 身はぎっしりつまっているし、味は濃厚なミルクのようだった。

 それでいて氷で冷やされた肉が、爽やかさも感じさせる。


「こんな美味しい料理を楽しめないなんて人生損してるねぇ」


 マキが飲めない日本酒を目の前で味わった仕返しだ。

 思いっきり牡蠣を堪能する。


 マキの演技力は並外れている。

 美味しいものを食べる演技も抜群に上手だ。

 しかも今回は、マキの好物である岩牡蠣を食べている。

 実際に美味しいものを食べて、それをとてつもなく美味しく食べているように見せることなどマキにとっては造作もないことだ。


「うっ」


 思わず唾が湧いてきてしまうような、マキの美味しい演技。

 その演技をマジマジと見せられた浩二は、羨ましそうにマキを見つめていた。

 マキはその様子を見て、「ざまぁみろ」とほくそ笑むのであった。

 無事、復讐を果たしたのだ。




    ◆




 翌日。

 旅館からの帰り道。

 浩二とマキは車に乗って帰路についていた。


「大丈夫か?」


 運転しながら、助手席に座るマキの様子をうかがう。

 いつもの元気な姿は見る影もなく、しんどそうに俯いていた。


「疲れたみたい」

「どこかで休憩するか?」

「とっとと帰りたいから大丈夫」

「無理するなよ?」

「うん。ちょっと寝ててもいい?」

「あぁ」


 マキがシートを深く倒して目を閉じる。

 心配ではあったが、彼女が言うとおり、なるべく早めに家まで送るのが正解だろう。

 浩二は高速道路に乗って、マキの邪魔にならないように黙々と運転した。


 ――そして30分ほど経ったところで、異変が起きた。


「うぅ……」


 マキが苦しそうな声を出した。


「どうした?」

「お腹……痛い」


 顔をしかめながらお腹に手を当てている。


「吐き気もする」


 彼女の症状に、心当たりがあった。


「カキが当たったか」

「えっ」


 そんなはずはないと言いたげだが、間違いないだろう。

 昨晩、あれだけ調子に乗ってバクバク食べていたのだ。

 無理もない。


「次のパーキングエリアまで我慢できるか?」

「……うん」


 かなり具合が悪そうではあったが我慢できそうだ。

 次のパーキングエリアまでそんなに時間もかからないだろう。

 状況は悪いが、なんとかなるはずだ。


 ――そう思っていたのだが。


「まじか……」


 突然、渋滞に捕まった。

 確かこのあたりはそこまで渋滞するような道ではなかったはずなのだが。


(事故でもあったのか?)


 前方に目を凝らすものの、ずっと渋滞が続くばかりで何があったのかは分からない。


(最悪だ)


「あとどれくらい……?」


 検討がつかない。

 だが10分・20分でたどり着ける状況ではなさそうだった。


「気合いで我慢してくれ!」

「……無理、かも」

「無理じゃない。そうだ、ほら! お前の得意の演技で、お腹が痛くない演技をしてくれよ」

「そ、そんなこと……できる訳、ない、し」


(そりゃそうだよなぁ)


 たとえば心因性による腹痛であれば、なんとかできたかもしれない。

 マキには自分の心を完全に別物に変えてしまえるほどの演技力がある。

 心因性の痛みを消すことも、あるいは生み出すこともできるかもしれない。

 だが……今回の件には全く関係のないことだ。

 マキの症状は完全に生理的な反応によるものだ。心の持ちようでなんとかなるものではなかった。


「この車は買ったばかりなんだ! 頑張ってくれ!」


 待望の新車なのだ。

 車内にはまだ新車の匂いが残っている。

 それを台無しにされる訳にはいかない。

 だが浩二の願い虚しく――


「……あっ」




あとがき

 2022年11月下旬に、漫画版『おっさん、転生して天才役者になる』の単行本第1巻が電撃コミックスNEXTさんから発売予定です!

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