5-4
山下マキはマネージャーが用意してくれたホテルにひきこもっていた。
映画の撮影は上手くいっていない。
小山内千枝に、あなたはもっと素晴らしい演技ができるのだと何度も何度もNGをくらった。そのたびに彼女は言うのだ。本物のあなたを見せてほしい、と。
(本物の私ってなに?)
マキには分からない。
彼女は転生してからずっと演技をしてきた。役者としてデビューするずっと前から、生を受けたときから、『山下マキ』という少女を演じてきた。
マキは天才だ。彼女の演技は本物だ。役柄そのものになることができる。彼女が演じるとき、そこに存在するのは役柄を演じるマキではない。その役柄の人物そのものが存在している。マキは演じる役柄を本物に仕立てあげて相手に伝えることができるのだ。他の役者たちが努力して役柄に己を近づけようとする一方で、マキはひとっ飛びに役柄そのものになれる。
だが、そこに『本物のマキ』は存在しない。あくまで彼女は常に誰かを演じている。マキは演技によって本物の人物を生み出す。山下マキという少女も生み出した。だからこそ、そこに彼女自身は存在しない。
自分を表現する。役者にとってありふれたテーマだろう。役者として活躍する者なら、誰もが彼らなりの独自の答えを持っている。だが、マキは尋常ではない演技力を得てしまったが故に、そのテーマに答えを出すことができなかった。
マキは小山内千枝の期待にこたえることができない。
撮影が行き詰まり、彼女は本物の自分というテーマに悩まされてしまう。
(私は誰なのか)
山下マキとして転生して、演技の世界に再び入り、圧倒的な才を発揮して活躍してきた。順風満帆だった彼女は初めてぶつかった壁に苦しんでいた。
そして、母の朱里から問われたのだ。
――あなたは誰なの?
その問いに、マキは答えることができなかった。
◆
――私は誰なのか。
誰もが一度は考えたことがある問いだろう。自分自身の存在意義とは何か。自分はどういう存在なのか。一生かけたところで答えはでないかもしれない。だから、そんな答えのない問いを考える必要がないと思う者も多いだろう。
だがマキはその問いに正面から向き合ってしまった。
「このおっぱいお化け!」
「マキちゃんの友だち? 可愛いね~、私とも仲良くしてほしいな!」
「な、なんですのあなた!?」
マキが引きこもっているホテルの一室に訪問者が2人。中学校の友人である上大内麗子が、マジキュアで共演した声優の柊理沙に翻弄されている。
麗子も理沙も、マキを心配して訪れたはずなのだが、初対面の2人はマキそっちのけで騒がしくしていた。
(なんだかバカバカしくなってくる)
バカ騒ぎをする2人を見ていて少し気が晴れる。
ずっと引きこもっていたマキは、外に出ることを決意した。
「ねぇ」
マキは2人に呼びかけた。
抱き着かれて逃げようとしている麗子と、抱き着いて楽しそうにしている理沙は同時に振り向く。
「自分探しの旅に付き合って」
◆
運よく麗子も理沙も予定が入っておらず、マキたち3人は旅に出た。
彼女たちの向かう先はマキの原点――マキの前世である山下太郎が生前に過ごした街だ。
「どうして自分探しでこんなところに……?」
「普通の住宅街って感じだね」
麗子と理沙は不思議に思っているようだ。
自分探しと言えば、その人物の生まれ育った場所であったり、あるいは雄大な自然と向き合える場所であったりが普通だろう。
だが、この住宅街は山下マキの生まれ育った場所でもなく、なにか特筆すべき風景があるような場所でもない。彼女たちが不思議に思うのは当然だ。
「……もうないんだ」
マキは立ち止り、空地を見つめた。
ここはただの空地ではない。かつて、山下太郎が住んでいた家があった場所だ。
自分が過ごした家を見れば、きっと自分探しに役立つと思っていたけれど、いざ来てみたら家そのものがなくなっていた。まるで、お前には自分が存在しないのだと天から告げられているような気がしてしまう。
「大丈夫?」
心配ないと笑いながら、マキは次の目的地へと向かう。
山下太郎の墓だ。
「――」
墓地を訪れて、山下太郎の墓があるだろう場所に行く。
親が立てた墓には確かに彼の名前が刻まれていた。彼は死んだとき、離婚して孤独の身だった。だがちゃんと墓に入っており、しかも墓は手入れされている。誰かが世話をしてくれているのだろうか。
マキはその墓に手を合わせて目をつぶる。
時間にして数分。黙祷していると懐かしい声を耳にした。
「あら、あなたたちは……?」
声のする方を向けば、初老の女性が立っていた。
一目見て分かった。いや、その声を聞いたときから分かっていた。彼女こそ、山下太郎がかつて愛した女性、妻の香織だ。
「あなた、あの山下マキちゃん……よね?」
「はい、そうです」
「どうしてこの人のお墓に?」
「以前、彼が出ていた作品を見たことがあって、とても印象に残っていたので」
嘘は言ってない。
前世での話ではあるが自分が出た作品は何度も何度もチェックしたし、深く印象に残っている。
「あなたみたいな凄い役者がこの人を……」
その女性は太郎の名が刻まれた墓石を撫でる。マキはその仕草に愛を感じた。
「あの人は喜ぶかしら……いえ、きっと妬むでしょうね」
山下太郎はかつて、香織から離婚を言い渡された。愛想をつかされたのだと思っていた。しかし彼女は離婚してもなお、夫婦という形ではなかったとしても、太郎に対して愛情を抱き続けてくれたのだろう。
「仕方のない人でしたから」
香織は山下太郎の墓石に――いや、その下で眠る山下太郎に優しい眼差しを向けている。
マキは本物の山下マキではない。ただのニセモノだ。
だからこそ、本物の自分という問いと向き合ったとき、彼女はその答えを前世である山下太郎に求めた。
だがしかし――。
(私は山下太郎じゃない)
香織が向けるまなざしの先はマキではない。
彼女にとって、山下太郎は既に故人なのだ。彼の魂が転生して誕生した山下マキは山下太郎ではない。前世は前世に過ぎないのだ。
自分はいったい何者なのか。本物の自分とは何なのか。
少なくとも、自分の正体が山下太郎でないことは確かなようだった。
マキの求める答えはいまだ分からずじまいである。
◆
かつて住んでいた家から歩いて10分ほどの距離にある小さな銭湯。心がモヤモヤするときは、壁に絵が描かれた富士山をぼーっと眺めながら湯につかっていたものだ。
当時も寂れていたが、今となっては存続していることが奇跡に思えるほどの、おんぼろ銭湯になっている。
「こういうのも意外と悪くありませんね」
銭湯に入る前は、「どうしてわたくしがこんな古臭い銭湯に入らないといけませんの!?」と怒っていたが、いざ入ってみると麗子も気に入ったようだ。理沙はマキと同様に、寂れた銭湯も好きなタイプなので、いつものように満喫している。
彼女たちをしり目に、かつてしていたように湯につかって富士山の絵を見ていた。
(男湯も女湯も、そんなに変わらない)
山下太郎だったとき、女湯の壁画はどんな風だろうかと想像したこともある。もっと可愛らしい絵が描いてあるかもしれないと思っていたが、どちらも富士山の絵だった。
「結局マキさんは何がしたかったんですの?」
「探したかった自分は見つかった?」
2人には申し訳ないことをしたと思う。ちゃんとした意図も伝えずに連れまわしてしまった。
彼女たちはマキの友人だ。
マキは普段から、円滑な人間関係を築くために、周囲にはある程度愛想よく振舞っている。もしかしたら、「私は山下マキの友人だ」と思っている人は結構いるかもしれない。
でもマキが友人だと思っている人物は多くない。彼女たちはその数少ない友人だ。だからこそ、マキは打ち明ける。
「私、前世の記憶があるんだ」
「へ?」
「私は元々山下太郎っていう地味な役者だったの。でも私は死んで、気がついたら山下マキという少女に生まれ変わっていた。妄想じゃない……と思う。前世のことははっきりと思い出せる。山下太郎として体験したこと、そのとき何を感じたか、はっきりと覚えている」
「今日色んな場所を巡ったのは、全部その山下太郎氏に関係している場所ということですの?」
「うん。この銭湯も、昔よく入りにきてたんだ。当時は男湯だったけどね」
マキは両手でお湯をすくい、手の中にある濁ったお湯を見つめて笑う。
「私はニセモノなんだ。山下マキという少女に不純物が混ざった紛い物なんだ。だから私は本物の自分を探しに来たの」
「本物の自分は見つかった?」
「ダメだった。私は前世の山下太郎と同じ存在ではないんだと実感しただけで、何の手掛かりもつかめなかった」
どうすればいいのか。
もうマキには検討がつかない。
「わたくしは役者ではないので、わたくし個人の意見になってしまいますが、世の中に本物もニセモノも関係ないと思いますわ」
「えっ?」
「わたくしはあなたと、その、友情を築いてきました。あなたが演技をしていようとなんだろうと関係ありません。わたくしはあなたの友です。たとえあなたがニセモノだったとしても。だから、わたくしにはあなたがニセモノか本物かなんて関係ありません」
「……」
「私にとっては一緒に温泉に入ってくれるマキちゃんが本物だよ!」
「それはあなたがそうしたいだけじゃありませんの?」
「そうとも言うかな、あはは」
「はぁ……。仮にもマキさんと同じ芸能界の人として、もうちょっと良いアドバイスはできないんですか?」
「そういうのは分からないけど……私はマキちゃんが大好きだよ!」
理沙がマキに抱きつく。
「何やってるんですの!? 離れなさいハレンチおっぱいお化け!」
「麗子ちゃんもおいで」
「えっ」
理沙に手まねきされて、麗子が恐る恐る近づいてきた。
そして手の届く距離になると、理沙が彼女を抱きよせる。
寂れた銭湯で裸の女3人で抱き合うという、怪しげな光景の出来上がりだ。
「私にも何が本物かなんて分かんないよ。でも、こうして抱き合ってるときに感じる温もりは、きっと本物だと思う」
◆
「理沙さん! あなたのおっぱいはニセモノに違いありませんわ!」
「本物だよ!?」
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