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 一時はどうなることかと思った元カレ・徹に関しては、マキの事務所の弁護士が相手の言い分を完全に封殺した。こちら側の完全勝利だ。さすがは大手事務所の敏腕弁護士である。

 しかし、だからといって、朱里の生活がすべて順風満帆になるかと聞かれると、それは否である。


 ――あなたは誰なの?


 娘のマキとはあれ以来気まずい関係が続いている。

 一時期はホテルに泊まって顔も合わせなかったが、マキが友人と旅行に行った後、家に戻ってきて再び一緒に暮らすようになった。

 きっと良い友人たちなのだろう。マキにそういう友人がいるということに少し安心した。


 マキが家に戻ってきて、それでも気まずい状態は変わらない。

 仕事に関する事務的な会話はもちろんのこと、日常会話も普通にこなしている。でも、それでもどこかぎこちないものになっていた。

 朱里がマキに対して壁を作ってしまっていたからだ。我が子に対してどのように接すればいいのか分からない。


「ねぇお母さん」


 そんなある日、娘のマキから映画の試写会のチケットを渡される。

 タイトルは『新しい家族は嘘つきでした』だ。オリジナルの映画のため、内容は概要程度にしか知らないが、マキの撮影が難航し、朱里たち親子の関係にひびを入れる切っ掛けとなった映画である。

 観に行くのが怖い、と朱里は思った。


「絶対観にきてね」

「マキ……」


 マキは物分かりのいい娘だ。

 小さいころから滅多にわがままを言わない。

 そんな彼女が、珍しく念押しする。

 理由は分からない。それでも、マキにとって何か大事なことが、この映画にはあるのだと思った。




    ◆




 試写会に参加して、放映される映画を観ながら改めて思う。マキは天才だ。

 母親である朱里が観ても、スクリーンに映るのはマキではなく作中の人物そのものに見える。嘘つきの祖母に心を許していく少女を演じきっていた。

 

 人は誰でも嘘をつく。演技をする。

 たとえそれが親友であっても、恋人であっても、家族であっても。

 愛するがゆえに嘘をつく。それがこの映画のテーマだった。

 マキが伝えたいことはそういうことなのだろうかと考えながら、朱里は映画を観ていた。


 そして映画はクライマックスになった。

 老婆は騙していた罪悪感から少女のもとを去ろうとする。しかし、少女は老婆の嘘にとっくに気がついていて、ずっと騙されていたフリをしていたことが明かされる。

 とんでもない嘘つきだと呆れる老婆に対して、少女は笑いながら言う。


「私はこれからもずっと嘘をつき続けるから――大好きだよ、お祖母ちゃん」


 そのシーンを観たとき、はっきり分かった。あの子が観てほしかったものはこれなんだと。

 彼女の台詞は、劇中のお祖母ちゃんに向けられたものだ。しかし、それだけでもなかった。その奥に、マキ本人の想いが込められているように思った。

 だから、その想いの対象である朱里に強く響く。


 これはマキによる宣言なのだ。

 朱里に対して、自分はこれからも娘の演技をする。演技をし続ける。そう宣言している。


 マキは親である自分に対してさえ、常に演技をしている。そう思ってから、彼女と上手く接することができないでいた。演技をしないマキを、本当の彼女を自分に見せてほしいと思っていた。


(でも、そうじゃなかった)


 彼女は演技をし続ける存在なのだ。演技をしない彼女なんて存在しない。

 生まれながらの演技者であるマキは、その姿こそが本物の彼女なのだ。嘘はつき続ければ真になる。


 大変な子どもの親になってしまったものだ。呆れた笑みを浮かべ、その目から一筋の涙がこぼれた。

 今なら自信をもって宣言できる。あの憎き元カレが目の前に現れて、「俺も親だ」と言ってきたとしても、自信をもって否定できる。


 ――他の誰でもない。私が、私だけが、マキの親なんだ。




    ◆




 自分探しの旅から戻ってきたマキは、気合を入れて『新しい家族は嘘つきでした』の撮影に赴く。

 そして、何度もリテイクを受けたあのシーンに挑戦し、小山内千枝がついにOKを出した。


「心がこもっていたわ。良い演技だった」


 小山内千枝が感極まって抱きついてくる。

 あなたのお陰でこの作品は素晴らしいものになると言いながら、マキを強く抱きしめた。


「痛いですよ」

「あら、ごめんなさい」


 小山内千枝は照れながら距離をとった。その姿は引退間近の女優というよりも、はにかむ少女のように見える。大御所の貫禄を持ちながらも、いくつになっても可憐さを失っていない。


「一時はどうなることかと思ったけれど、これで私の荷が下りたわ」

「どういうことですか?」

「私は引退することを決めたとき、せめて最後にこの業界に貢献したいと思ったの」

「はい。私を含め、みんなが小山内さんの想いに惹かれて、良い映画を作りたいと奮闘して、とても良い映画ができたと私も思います」

「良い映画を作るっていう目的もあったのだけれど、私にはもう一つ目的があったの」

「えっ?」

「それは、あなたよ」


 思いもよらない言葉にきょとんとしてしまう。


「あなたの演技力は凄いわ。誰もあなたほどの演技力は持たないでしょう。でも、そんなあなただからこそ、もう一歩先に行ってほしかった」

「私は一歩先に行けたんでしょうか」

「クライマックスの台詞は誰に向けたものかしら」

「あれは……役とは関係ないんですけど、実のお母さんに向けて言った言葉なんです」

「あなたは誰よりも役になりきれる。あなた自身を殺して他の誰かに完ぺきになりきれてしまう。それはあなたにしかできないこと。素晴らしい才能だと思う。でも、完全になりきることができるからこそ、あなたの想いを加えてほしい。そうすれば、より素晴らしい演技になる」


 そんなことをしてもいいのだろうか。

 下手をすれば、マキの演技の才能をめちゃくちゃにしかねない。

 そしてなによりも、怖かった。

 自分の気持ちを演技にのせて、自分をさらけ出すことが怖かった。転生してとてつもない演技の実力を身に着けながら、それでも何も持たない自分が明らかになってしまう。


「自分の気持ちを出すことは恐ろしい?」

「はい、とても」

「私も同じよ」

「小山内さんも……?」

「えぇ。まだ私が若かったころ、怖がって恥ずかしがってた私に、尊敬する先輩が教えてくれたの。パンツを脱ぐつもりで演技をしろって。私はそれからずっと、その教えを守ってきたわ」

「あっ……」


 山下太郎だったときにも、同じようなことを講師から聞かされていた。でもマキは忘れていた。転生して、全く違う他人に完ぺきになり切れることが楽しくて、自分をさらけ出すことを忘れてしまっていた。

 そんな大事なことを忘れていた自分に呆れながらも、マキは宣言する。


「私はパンツを脱ぎます!」


 小山内千枝はかつての自分を重ねているのか、感慨深そうに、そしてどこか羨ましそうに微笑んだ。


 この日を境に、マキの演技は更に成長を見せ、そして彼女は世界の女優として栄光の道を駆け上がっていくのであった。

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