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 ドラマ・スクールラビリンスは放送前から注目されていた。

 最も旬な若手イケメン俳優・大栗将生と、最も旬な天才子役の山下マキとの共演だ。話題にならないはずがない。

 原作の漫画を知る者も、知らない者も、二人がどんなドラマを作り出すのか興味津々だった。

 

 現在は3話まで放送されているが、視聴率は初回の時点で20パーセントを超える。ネットや口コミで話題となった結果、視聴率は右肩上がりになっていた。今大注目のドラマだ。


 王子様役の多かった大栗将生は、少女に翻弄されるロリコン教師という新しい情けない一面を見せた。イケメン俳優、アイドル俳優としてデビューした大栗将生が今、一皮剥けつつあった。

 

 そして何よりも、天才子役の山下マキによる演技は神がかっていた。

 太郎というオモチャを見つけた少女・ハジメ。優等生がその仮面を外して、淫靡な小悪魔の本性を露にしていくという難しい役目を演じきっている。

 ある者は、心の中で美化している初恋の少女を体現するかのようだと評した。好きな女の子にからかわれたときの、嬉しいような恥ずかしいような、子どもながらに感じていた複雑な気持ちを思い出させてくれるのだ、と。

 

「凄いな君は」

 

 今日の撮影が終わり、大栗将生が突然言った。

 ペットボトルの水を飲みながら言うその姿は様になっている。先日は女性雑誌の表紙を飾った大栗将生、彼はスタイルの良い長身のイケメンだ。

 マキは恋愛には興味がなく、男性に対する恋愛感情も特にない。そんなマキから見ても、大栗将生という俳優はかなりの美青年であると感じた。

 

「何がですか?」

「マキちゃんの演技力だよ。ハジメという少女が君に憑依しているみたいだ」

 

 呆れるように大栗将生は言う。

 天才・山下マキを前にして、役者たちの反応は様々である。

 圧倒的な才能を前にして絶望する者もいる。負けてたまるか、とより精進する者もいる。

 

 大栗将生は「到底かなわない、追いつけない」という態度を示していた。

 しかし、その瞳には熱が宿っていた。必ず追いついてみせる、と目が語っている。

 イケメン俳優として演技力は二の次の評価をされてしまうこともあるが、彼の心には演技に対する熱い情熱があった。

 

「いえ、そんな。難しい役でもうクタクタですよ」

「あはは、お疲れ様。これ飲む?」

 

 将生がミネラルウォーターの入ったペットボトルを差し出す。

 先ほど彼が口をつけて飲んでいたものだ。イケメンだからこそ許される行動である。

 

「わぁ、ありがとうございます!」

 

 その行動に特に下心も感じなかったのでありがたく受けとる。

 二人の様子を見ていた監督が声をかけた。

 

「マキちゃん、この男は危険だぞぉ。共演者キラーだからな」

「ちょっと何言ってるんですか、監督」

「俺の映画に出てたときも恋人役の女優を喰ってたし」

「ちょっと止めてくださいよ、子どもに何言ってるんですか」

 

 将生の顔に焦りが浮かんでいる。

 小学五年生の女の子に向かって過去の遍歴を暴露されて動揺しない者はいないだろう。

 

「大丈夫ですよ、そういう話には慣れてますから」

 

 今のご時世でも、芸能界にはセクハラ親父がたくさんいる。

 彼らを適当にあしらうことも、この業界で生きていくためには必要なスキルだ。

 

「うんうん、ほんとマキちゃんは良い子だなぁ」

「セクハラですよ監督……」

「こんな良い子、絶対お前には渡さんからな」

「奪ったりしませんから、安心してください」

「お前はそう言ってこの前もシッポリやってただろうが!」

 

 色んな美女たちを取っ替え引っ替えしているらしい。

 さすがは最も抱かれたい男性ナンバーワンの座に輝いた男だ。

 

「お前はどうも役にのめり込みすぎるからなぁ」

 

 将生は役に深く入りこむタイプの役者だ。

 相手の女優の役を好きになれば、そのままその女優のことも好きになってしまう。

 狂人を演じれば本当に狂ってしまいかねない役者だ。

 悪く言えば切り替えが下手とも言える。

 

「さすがにこんな子どもに欲情したりしないですよ。ねぇ、大栗さん」

「ま、まぁさすがになぁ……」

 

 少し膨らみ始めた胸を押しつけるように腕を組めば、将生がうろたえながら否定している。

 黙っていても美女が寄ってくるような男だ。

 本来ならば平然と受け流してもおかしくはないが、顔を赤く染めて動揺を見せていた。

 

「何照れてんだよお前」

 

 監督と将生からは見えない位置でほくそ笑んだ。

 スクラビを演じる上で特に重要になってくるのは、太郎とハジメの、先生と生徒の恋心である。

 天才と評されるマキにとってハジメの役を完璧に演じることは簡単だ。

 一方で大栗将生はどうだろうか。

 彼は相手を本気で好きになることで、迫真の演技を生み出すタイプだ。逆に言えば、相手を本気に好きになることができなければ、陳腐な演技になってしまう。

 しかし、ひとまわり以上歳の離れている子どもに本気で恋愛感情を抱くことができるだろうか。

 

 マキの懸念事項は、彼と初めて顔を合わせた瞬間に解決していた。

 一目見た瞬間にロリコンの素質があることを見抜いたのだ。

 

「お手柔らかにお願いしますね。共演者キラーさん」

「え、あ、よ、よろしくね」

 

 ちょろい。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 スクールラビリンスの撮影は6話にさしかかっていた。

 物語の折り返し地点である6話は、ハジメと太郎という二人の立場が変化する回だ。

 弱みを握られた太郎と、弄ぶハジメ。その奴隷と主人という関係が逆転するのだ。

 

 太郎の心情は徐々に変化していく。

 最初は絶望し、一時は自殺すら頭によぎっていたが、気がつけば少しずつ、少しずつ、ハジメの悪戯を待ち遠しく感じるようになる。

 彼自身も気付かない内に、禁忌的な恋心が芽生えはじめるのだ。

 そして追い詰められて、爆発してしまった結果、太郎がハジメの唇を奪ってしまう。

 

 ハジメは太郎を異性としては見ていなかった。あくまでも太郎を玩具として弄んでいただけだ。

 そこに突然のキスだ。キスによって初めて太郎を異性として意識し、そして恋に堕ちる。


 物語の決定的な転換点となるキスシーンだ。

 どういう風に演じ、撮影するのか。

 原作ファンや、芸能ごとに興味がある人々たちから注目を浴びていた。

 代役を用意して遠くから撮るのか、それともアップシーンだけを映すのだろうか。

 あるいは覆い被さるようにして、キスしたように見せるだけだろうか。

 

 原作のイメージを再現することに拘りを見せている監督は、そのどちらの手段をとることもなかった。

 物語の重要なシーンを誤魔化すことは有り得なかったのだ。

 

 山下マキと大栗将生は実際にキスをした。

 

 

    ◆

 

 

 

 どうかしている。

 今をときめくイケメン俳優の大栗将生は、自分がおかしくなっていることを自覚していた。

 

 彼は今、以前ドラマで共演した美人女優と、お泊まりデートをしている。

 何度も愛し合い、燃え上がった関係だ。

 だがしかし、彼女を前にして、全く興奮しなくなっていた。

 原因ははっきりしている。

 

 山下マキとのキスシーンを撮影したせいだ。

 キスをしたとき、山下マキは、いや、ハジメという少女は間違いなく、恋に堕ちた。

 まだ恋も知らぬ少女が恋に堕ちる瞬間をはっきりと感じてしまった。

 

 きっと演技なのだろう。天才・山下マキの恐ろしいまでの演技力がなせる技なのだろう。

 だが将生にとっては演技であろうと関係がなかった。キスをした際の反応が本物であろうと偽物であろうとも、その瞬間が頭から離れなくなっていた。

 

 無垢な少女を己で染めた快感。

 それは、どんな美女との肉体関係をも上回っていた。

 

「クソッ!」


 皮肉なことに、禁忌的な欲情を覚えてしまった後悔は、教え子にキスをしてしまった太郎の感情とリンクし、後半の演技もより一層真に迫ったものとなり、各方面から絶賛されることとなる。

 

 

 

    ◆

 

 

 

 大栗将生の反応は彼が極端にロリコンであった訳ではない。

 監督はキスシーンの撮影直後、凄いものが撮れたと喜んでいたものの、しばらくすると、本当に放送していいのか随分悩んだと後に語っている。

 実際、放送後の反響はもの凄く、SNSでは「俺、ロリコンだったんだ……」という類の発言をする者が男女問わず後を絶たなかった。

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